追放〈中〉
迷宮に巣食う魔物を狩り、魔石を集めながら奥へと潜る。
空気は悪くとも、このパーティの実力は本物だ。
瞬く間に、魔石と魔物からのドロップ品で百万イェン単位の稼ぎが生まれる。
それだけの稼ぎがあるということは、それに見合うほど敵が強く危険だということでもある。
……そして、巨大な影が頭上へと飛来した。
「クソッ! 竜だ!」
それは竜だった。赤い鱗を持つ火竜。
現実世界ではほとんど伝説上の存在だが、世界の狭間に位置する迷宮ではいまだ健在だ。僕たちは最高レベルに危険な迷宮へ潜っているから、出会って不思議はない。
そしておそらく、〈ミストチェイサー〉に勝ち目はある。
討伐の価値もある。竜の素材を少しでも持って帰れば、容易に億単位の値が付く。
それができれば、今回の探索は完全に黒字だ。
「散開しろ、遊撃線を作れ! 対空陣形!」
僕たちは一瞬のうちに半円状の防御態勢を取った。
中心に居るのは僕と後衛のメンバーだ。
「耐火炎エリアを作るよ! 効果時間、五分!」
僕は叫び、〈アイテムボックス〉を開く。
その中に設置したポーションの棚から、どろどろとした赤い瓶を手に取った。
火炎耐性ポーションだ。飲むタイプではなく、投げて使うタイプの。
これを地面に叩きつける。瓶が割れた瞬間、輝く粒子を飛び散らしながらポーションが爆発し、周囲の空間を赤く染めた。範囲内に居た全員へ”火炎耐性”のバフが乗る。
一瓶で五百万イェンだ。そんなことを気にしている余裕はない。
カネで〈ステータス〉や耐性に一時的なバフをかけて高難度の迷宮に挑めば、それで得られる稼ぎの方が大きくなる。
「〈ステルス〉、〈幻影〉! 一分!」
更にポーションを三つ。存在感を薄める〈ステルス〉ポーションを後衛へ。
加えて、幻を生み出し存在感を高める幻影のポーションをモウルダーの足元ちょうどへ投げる。
その瓶が割れる瞬間、前衛のカエイやスノウが効果範囲内ギリギリの位置へ移る。
ポーションの効果を受け取って、すぐさま元の位置に戻っていった。
相手は空飛ぶ火竜だ。前衛に盾が立つだけで後衛を守り切るのは難しい。
狙いを逸らす狙いで前衛の幻影を生み出して存在感を増やし、後衛を隠した。
……だけれど、竜が相手に効果があるかどうか。
「来るぞッ! 撃てッ!」
カエイの指揮で、後衛の魔法使いや射手が一斉に攻撃を放つ。
一つだけわずかに狙いを外しているのは、スノウの放った矢だ。
わざと上を狙って撃ち、上昇して避ける選択肢を消している。
「グルォオオオオオオッ!」
火竜がどろどろと濃密な火炎の吐息を放った。
全ての攻撃が、それだけでかき消される。
……その余波が、パーティに届く!
「五秒!」
青く輝くポーションをモウルダーへ。
それから、同じものを自分たち後衛の足元へ。
五秒、というのは、ポーションの効果時間だ。
一般的に、ポーションの効力と持続時間は反比例する。
異様に効果の短いポーションならば、異様に高い効果を持っている、ということだ。
二つのポーションが着弾した一秒後、吐息が僕たちを襲う。
モウルダーの盾と剣に引き裂かれてなお吹き荒れる灼熱の猛風は、しかし布の一枚をも焼きはしない。
体に纏わりつくポーションの粒子が全ての威力を殺している。
効果時間と引き換えに異常な効果を持つ、しかし普通なら使い道のない防御力強化ポーションが、〈ミストチェイサー〉を竜から守った。
同時にポーションの輝きが消える。
「ふう」
慣れているとはいえ、この手のポーションを扱うのは難しい。
タイミングが異常にシビアだ。早すぎても遅すぎても意味がない。
まさに”足の指でナイフを掴んで投げるような”曲芸だ。否定できない。
けれど、僕が荷物運びではなく冒険者として戦うための方法はこれしかない。
いや……これでもまだ、僕は荷物運びの枠を出られていない。
吐息を吐ききった火竜が、僕らの頭上を通り過ぎる。
それは地下洞窟の天井近くまで上昇し、反転した。
「来るぞ、後衛は各個射撃! クオウ、敏捷性を!」
カエイが魔剣〈ミストチェイサー〉を握り、前方に駆ける。
それは幻影ポーションの効果を受けていくつもの影と化す。
この突撃を正確に見切るのは不可能だが、直感的な反応で僕は敏捷性強化ポーションを投げた。
効果時間、これも五秒。短いかわり、ほとんど倍速になる。
そして、狙いは完璧だった。カエイが接敵する瞬間、彼女だけが敏捷性上昇の効果を受け取れるような軌道を描く。
……が。
後衛が竜めがけて撃ちかける射撃の一つが、空中の速度ポーションに命中した。
「クソッ!」
「私の後ろへ!」
無理だと見て即座にカエイが下がり、盾役のモウルダーが前に出た。
火竜が高度を下げて、その前足を振るう。
それはモウルダーの握った盾を切り裂き、鎧でようやく弾き返された。
わずかに飛行姿勢の乱れた竜を、一瞬のうちに杖へ持ち替えたスノウが氷の矢で撃ち抜く。
狙いは鱗に覆われた胴体ではなく、防御の柔らかい翼だ。
……にも関わらず、その魔法攻撃は弾き返された。
威力が足りない。大技か、弱体化や強化が必要だ。
火竜は何事もなかったかのように上空へ舞い戻り、旋回してパーティを見下ろす。
後衛がぱらぱらと放つ対空射撃は全て躱されてかすりもしない。
「クオウさん、次に合わせられますか!」
「できるけど、次で三度目だ! まっすぐ向かってくるとは限らない!」
「ああ畜生ッ、どうせ正面から仕留めきるのは無理だッ! ステルスをくれ!」
カエイの要求に応じて、少しだけ離れた場所にステルスポーションを投げる。
着弾の瞬間、スノウが魔法で広く煙幕を作り出し、火竜の瞳からカエイを隠した。
……僕ですらカエイの行き先を見失ってしまった。完璧なタイミングだ。
「竜よッ! それだけの巨躯を持ちながら、なお逃げるとは強者の名折れッ! 力ある者ならば、それを示してみせいッ! この私、モウルダーが相手つかまつるッ!」
魔法的効果の乗った挑発が火竜に向かう。
しかし竜は気にするまでもなく、悠々と空を泳いでいた。
「まずいな」
あの竜は冷静だ。
こちらが空へ手出しする術がないのを知っている。
せっかくカエイが隠れて奇襲の準備をしたというのに、これでは意味がない。
「下がるわよ! 背中を見せて誘う!」
スノウが出した指示に従い、僕たちは逃走した。
この迷宮はどこも溶岩の流れる広い空間だが、その中でもなるべく狭い方向へ。
「かかった!」
その声を聞き、〈ミストチェイサー〉の全員が一斉に反転する。
高度を下げて狭い場まで追いすがってきた火竜へ、後衛からの一斉射撃が放たれた。
が、やはり吐息でかき消される。
「火炎耐性! 一分三十ニ秒!」
前に投げた火炎耐性ポーションの残り時間が十秒を切ったタイミングで投げる。
溶岩の流れるような迷宮に挑む以上、それなりに弾数は用意してあるものの、効果の高いポーションは迷宮内からのドロップ品だ。効果時間は揃わない。
「防御、七秒!」
そして防御強化。……こちらも効果時間は最適なところからズレている。
だが、僕が脳内で効果時間をカウントしていれば、多少のズレは問題ない。
「クオウさん、弱体化を!」
「分かった!」
濃密な火炎の吐息が迫る中で、火竜へと防御弱体のポーションを投げる。
瓶が吐息に呑まれ手前で割れる寸前、スノウの魔法による冷気が道を作った。
針ほどに細い穴を通り抜け、弱体化ポーションが火竜に命中する。
とっさに魔力・知覚力の弱体化ポーションで追い打ちをかけた。これも命中。
……いまいち連携の取れていない後衛も、流石にこの機会を逃しはしない。
彼らも五つパーティを抱えるCランクの有名クラン〈ミストチェイサー〉の一軍パーティ。
それだけの実力はあるのだ。
無数の攻撃が、冷気の道をくぐり抜けて火竜へ降り注ぐ。
予想外の経路を辿ったそれは、さすがの火竜も避けることができない。
「オ……オオオオッ……!」
火竜が、黒板を爪で引っ掻くような悲鳴を上げた。
視界を塞いでいた吐息が晴れて、地面に墜落した竜の姿がはっきりと見える。
土煙を上げながら地を滑る竜の背後に、うっすらと人影が浮かんだ。
カエイが来る。ここへ支援を合わせれば仕留められる。
だが、まだ竜は健在だ。このチャンスを逃せば……。
「オアアアアアアアアアッ!」
火竜がひときわ大きな叫び声を上げた。
世界そのものが乱雑に引き裂かれているような、質量すら感じられる騒音。
それは咆哮であり、音波に魔力の籠もった魔法攻撃だ。
僕の体が意に逆らって動きを止める。
肌にヒビが入り、いくつも血の筋が浮かんだ。
「クオウさん! 速度強化と弱体化を!」
スノウに言われるまでもなく分かっている。
けれど……僕は純粋な、戦闘系のクラスを刻んでいない、刻めない〈ポーター〉だ。
ポーションの強化を受けていない状態で範囲攻撃を受けてしまえば。
「……クオウさん!?」
「ぬうっ! 癒やしの加護よっ!」
モウルダーが僕の前に立ちふさがり、回復魔法を唱えた。
……けれど、もう致命傷だ。
肌に入ったヒビが広がり、割れる。
僕の体が崩れ、底の抜けた風呂みたいに中身が抜けていくのが分かった。
もうできることはない。眼球だけを動かして、結末を見届ける。
「〈夜霧――」
竜の背後へ、黒い霧が立ち込める。
それは〈ローグ〉の扱う技能、〈夜霧〉だ。
本来ならば霧を放っての逃走に使うスキル。
だが、彼女は〈ミストチェイサー〉を持つ。
「――、一閃〉!」
黒い霧が、自らの魔剣で切り払われる。
……あの魔剣は、霧を払うことで斬撃を加速させるのだ。
技能と魔剣のシナジーにより雷光のような瞬速で振るわれるカエイの魔剣が、しかし浅いところで止まった。
威力が足りていない。バフが、足りない。
敗北が確定した瞬間の光景を、僕はただ見ていることしかできない。
僕が支援さえできていれば、あの一撃で竜は両断されていたはずだ。
そして、視界が暗闇に染まった。
どうしようもなかった。
ただ純粋に、僕のステータスが足りていない。