ポーターの可能性〈8〉
- サリー視点 -
〈リターン〉で現実世界に戻ったサリーは、すぐさま行動を起こした。
リルのもとへ走り、〈幻痛〉でうずくまっている彼女に服を着せてやる。
それから、クオウと待ち合わせるはずだった場所を通らず、別の通路から街へ出た。
……本当なら、サリーは帰還後に彼と会い、もう少し自然に別れるつもりだった。
しかしあのポーションを無駄使いするお荷物ポーターからは、何か嫌な予感がする。
彼女は小悪党の勘を働かせて、リスクを避ける選択をした。
「あ、あの……クオウさんは大丈夫なのですか?」
「他人の心配なんかしている場合じゃないわよ」
サリーは含み笑いしながら、背負ったリルへ言った。
〈幻痛〉は魂の苦痛だ。普通ならまともに活動はできない。
……まだ話せていることに、サリーは内心驚いていた。
そういう体質か。あるいは、人並み外れて強靭な精神を持っているのか。
「〈幻痛〉を感じるのは、これが初めてなのでしょう?」
「ええ……でも、わたしが倒れたってことは、ポーターのクオウさんが……」
「心配いらないわ。私を信じなさい」
リルを背負って、彼女は街を行く。
大通りから外れて薄暗い裏の通りへ。
建物と建物の隙間を抜け、治安の悪い方向へと進む。
「ど……どこに? 〈エイプリル〉のクランハウスじゃ……」
「知り合いがいるのよ。〈幻痛〉の専門家なの」
「本当なのですか……?」
「ええ、本当よ。ふふ」
……ああ、街に来たばかりの田舎者ほど騙しやすいカモはいない!
彼女は心の中で大きく勝ち誇り、同時に安堵した。
この仕事をこなせば、賭け事で膨らんだ借金の支払いはまだ猶予してもらえる。
むしろ多少は報酬が貰えるかも。それを元手に一勝負して増やせば……!
「着いたわ」
荒廃した空き家に入り、リルを机の上に寝せる。
「……来たか。要件は満たしているだろうな」
黒服の大男が、二階からそれを見下す。
「ええ。ちゃんと合法的に売れるよう整えたわよ」
「いいか。これはゲインズ直々の案件だ。もしも合法性に穴の一つでもあったならば、お前の命はない。それでもまだ要件を満たしていると言えるな、アザリア」
「整えたって言ったでしょ。少しぐらい信じなさいよ」
「……どの口で。今すぐに借金を返したなら、多少は信頼してやるが」
机の上で〈幻痛〉にうめいていたリルも、流石に様子がおかしいことに気がつく。
「サリーさん? ……アザリア……?」
「……あははは! あのね、見ず知らずの相手を助ける元シスターなんて都合のいい存在が、この街に居ると思ってたの? サリーなんて女は存在しないのよ!」
アザリアは心底から愉快そうにネタをバラした。
「最初っから、あなたを騙して捕まえるために近づいたの。合法的な形で、っていうのが依頼者のリクエストでね。おかげで回りくどい演技なんかするハメになったわ」
「サリーさん……あなたは……」
「偽名だって言ったでしょうに! あっはは!」
「こんなことをして……すぐに助けが……」
「助け?」
にやあ、と嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「誰がどういう理屈で助けるの? あなたは〈エイプリル〉へ加入するとき、わたしと契約を結んだのよ。しっかり魔法で証明もしたわよね、全文を読んで同意したって。助けるもなにも、これは合法的な取引なのだから。むしろあなたをここから助けるほうが犯罪になるわよ?」
この迷宮都市は秩序の乱れた弱肉強食の街だ。
上から下へ定めるルールが少ないかわり、相互に交わした契約は強い意味を持つ。
たとえ迷宮ギルドに訴えかけても取り合ってもらえないだろう。
騙される方が悪い。ここはそういう街なのだから。
「……そこまでだ。これ以上、お前のようなクズの気晴らしに付き合う気はない」
黒服の大男は二階から飛び降りて、懐から書類を取り出した。
「何よ、つれないわね」
「リル、だったか。さて、君は迷宮内で魔剣を失った。かの魔剣〈マギ・インバーター〉は正式な評価額が算出されている。千五百万イェンだ」
彼が証明書を机に投げる。
「今すぐに千五百万イェンが払えるのならば、君は自由の身だ。払うアテはあるか」
「……いえ……」
リルは首を振った。
そんな大金を持っているはずがない。
「なら、契約に従い、君は〈エイプリル〉クランマスターの奴隷として扱われる。そして彼女は、我々ゲインズ商会に君を無償で譲渡する」
「それから……?」
「ひとまずゲインズ様の所有物になり、そこからは……彼の物になるか、金持ちに売却されるか。いずれにせよ生きて帰れるとは考えないほうがいい」
黒服の大男が、わずかに目を伏せながら言った。
「むしろ、どれだけ早く死ねるかが問題になるだろう」
リルはその言葉を吟味しているかのように、瞳を閉じた。
明るいはずだった未来は、こんなにもあっさりと消える。
彼女が冒険者であれた時間は数日にもならない。
「クオウさんは……クオウさんも、あなたたちの仲間なのですか……?」
「クオウ?」
黒服の大男が、鋭くアザリアを睨む。
「バカね。あんたが拾ってきたんでしょう。ただの一山いくらのポーターよ」
「……ああ、よかった」
一瞬とはいえ先輩として彼女を導いてくれた、クオウという男。
彼との間に生まれつつあった絆は、偽物ではない。
リルにとって、それだけは救いだった。
「ポーターの、クオウ? 私は一時的に手を引く。お前が応対しろ。上手くやれたなら、取引は継続してやるが……」
クオウの名を聞いた瞬間に、黒服の大男が態度を変えた。
「はあ!? 何よいきなり! だいたい、応対って誰に!」
「すぐに分かる」
黒服の大男は影に消えた。
「何だってのよ……?」
アザリアの背後で、廃屋の扉が開く。
わずかに差し込んだ光が、リルの瞳から流れる一筋の涙を照らした。
「クオウさん……!」
「助けに来たよ、リル」
アザリアは呆気に取られた。
どういう理由でこの場所を突き止めたのか。
できるはずがない。まさか、予め全部がバレていたとでも?
「サリー。聞かせてもらおうかな。何をやってるのか」
「……ク、クオウさん? 何でこんなところに来られたのですかぁ?」
「猫をかぶっても無駄だよ。ここに来ている時点でバレたって分からないかな」
アザリアは改めて、クオウの顔をまじまじと見た。
どことなく間の抜けたような……大した事のなさそうな、ありふれた顔つき。
だが、それだけではない。
……今になって、彼女ははじめて気がついた。
その立ち姿には、経験に裏打ちされた硬い芯が隠れているのだ。
「だから? 何にしても、魔剣を失った時点でリルは……」
「この剣のこと?」
クオウは魔剣を構えた。
「面白い剣だよね。バフとデバフを反転させる効果だ。合ってるかな」
「……ええ。〈マギ・インバーター〉という剣よ。よく分かったわね」
「評価額は?」
「千五百万イェン。剣の所有権はわたしにある。返してもらえるかしら」
「まずはリルを返してもらおうかな。この剣が戻ってきた以上、リルを奴隷に落とす理由は消えたはずだよ」
アザリアの額に、一筋の冷や汗が流れた。
リルと違って安易に騙せる相手ではないだろう。
ここで失敗して、借金返済の猶予が無くなったなら……奴隷身分に落ちるのはリルではなく、彼女自身だ。
「そうかもしれないわね。けれど、既に彼女は奴隷扱いになった後だもの。遅いわ」
「まさか。この短時間で迷宮ギルドに書類を提出したとは思えないね」
……そうだ。この男を殺してしまえばいい。
それなら、魔剣は紛失したことにできる。
合法性にケチのつく可能性はなくなって、取引は再開できる。
これだ。
アザリアは覚悟を決めた。
たかだか非戦闘職のポーターひとり殺すぐらい楽勝に違いない。
「だいたいさ。この魔剣の価値が千五百万イェンなんて、大嘘じゃないか」
「はあ? 証明書は本物よ?」
「魔剣の評価額ってさ。正確な効果が完全に分かっていない状態でも出せるんだ」
クオウは魔剣の重さを確かめるように、軽く切っ先を動かした。
とてもポーターとは思えない、慣れた所作だ。
「この魔剣はおそらく、一定以上の魔力を持ったバフやデバフのあるものを切ろうとした瞬間、負荷がオーバーロードして吹き飛ぶ。これは価値のない失敗作なんだ。評価額を出した人は知らなかったみたいだけど、君は知っていたはずだ」
でなきゃ、リルを売るために犠牲にするわけがないよね。
商売なんだから黒字が出るようにするはずだよ。
これ、高くてせいぜい百万イェン未満でしょ?
そうクオウは続ける。
全て正しい推測だ。
アザリアの中で、嫌な予感が膨れ上がった。只者ではない。
「サリーってのも偽名だよね。本名は?」
「教えてやると思うわけ?」
「……アザリア。そいつの名前はアザリアで……黒い服の大男が……」
「チッ!」
アザリアはリルの口を塞ぐ。
腰から引き抜いた短剣を押し当てて、彼女を人質に取った。
「いいわ。取引しましょう。あなたは魔剣をわたしに返す。わたしはリルをあなたに返す」
「……狙いがバレバレだよ、アザリア。近寄った瞬間、君は僕を殺す気だ」
もしかしたらこの男は格上なのではないか。
アザリアはそう思い、頭のなかで”クオウ”という名の心当たりを探した。
ああ、その名前を彼女は知っている。
「ポーターの、クオウ……〈ミストチェイサー〉のクオウ・ノール!」
「僕の名前を知ってるとは。思い出すのがやや遅かったみたいだけど」
「知ってるわよ。週刊ナウの”こいつが戦犯だ! お荷物ランキング”で一位だったから」
「……それはまた、ずいぶん品のない雑誌が好きなんだね……」
アザリアは安堵した。
そう、クオウ・ノールといえば有名なお荷物だ。
「今すぐ剣を捨てて降伏しなさい。そうしたら、命だけは助けてあげる」
ならば、リルを人質にする必要は特にない。彼女は短剣の切っ先をクオウに変える。
戦いにもならないだろう。
「正直なところ」
クオウは一歩、間合いを詰める。
「それが魅力的な選択肢に思えるぐらい、僕はビビってるんだけど」
何もなかったはずのクオウの左手に、ポーションの瓶が現れる。
〈アイテムボックス〉へと繋がる空間の裂け目が、いつの間にかそこにある。
普通のポーターなら短くても数秒はかかる開閉を、彼は一瞬で行った。
「君ごときに殺されるようじゃ、カエイを倒すなんて夢物語だからね」
ほとんど前触れのない最小限の動作で、青色の瓶が投擲された。
それが開戦の合図になった。




