触れそうで触れない距離で
くまです。対戦よろしくお願いします。
俺とイヴリアで手を付け始めた教室の掃除は、これが案外とスムーズに進んでいった。お嬢様ゆえこういうのはあまり得意ではないのだろうと勝手に彼女のことをそう値踏みした俺だったが、テキパキと効率よくものを動かし埃をぬぐい取っていく様は、彼女が普段からそういう行為に慣れている様子を現している。
「なんつーか手馴れてるな」
「ふふっ、意外でしょうか?」
柔らかく微笑む彼女の顔が、窓から差し込む西日に照らされて僅かに薄暗い室内に淡く浮かび上がる。
「そ、そう……だな」
思わず息を飲んでしまいそうになるのを何とかこらえ、俺は先ほどの感情を紛らわせるようにパイプ椅子の腰掛部分を綺麗な雑巾で拭き上げる。
「こういうのはエリステラが普段からうるさいもので」
「エリステラって確か……」
その名前は心当たりがあった。この前コンビニであった時に彼女がぽつりと口にした名前だ。
「肉屋勤めの?」
「よく覚えてらっしゃいましたね」
「まぁ、偶然な」
随分と衝撃的な出会いをしたものだったからな、あの時の会話はなかなか忘れるもんじゃない。
「お肉屋さんのお総菜コーナーを担当しているらしくて、得意料理はコロッケなんだそうです。人気なんですよ。彼女、美人だから」
そう言って笑うイヴリアに対して、美人なのは君も同じだろうなんて伝えられるほど俺は残念ながらできた男じゃない。
とかく、俺はその話を寮の連中とクラスのアホどもには伝えないようにしないと、と固く心に誓った。明日から近所の肉屋が急に高校生で賑わったらとんでも迷惑どころの話じゃないだろう。
「さて、と……」
最後のパイプ椅子を拭き上げ、バケツの水を捨てるために俺は出口へと向かう。するとすいとイヴリアが俺の隣に追従するように体を寄せてきた。
「どうしたんだ?」
「いえ、ただお任せするわけにはいきませんので。でも、聖さんは私が行くと言っても譲ってくれる方ではないでしょう?ならせめてご一緒させていただこうかと」
至近距離。肩と肩が触れ合いそうな距離でこちらに微笑みかける彼女を見て、俺は思わず照れくささから顔をそらした。
「どうかされました?」
「い、いや……。それよりも、もしかしたら俺が女の子にバケツ持たせて一人で楽する屑野郎かもしれないだろ?そうは思わなかったのか?」
「え?」
俺の言葉にイヴリアはキョトンとした顔を浮かべている。
「だって、この前、聖さんは最後まで私に付き合ってくれたじゃないですか」
コンビニで遭遇したあの日、結局俺は18時手前ぐらいまでの時間を彼女とコンビニの駐車場の片隅で過ごした。さすがに車止めの前は俺も彼女も邪魔だと悟ったのか、気づいた時には無意識に大通りの脇のバス停のベンチに腰を下ろしていた。
アイス片手に時折他愛のない話をしながら、そして雑談程度の身の上話も少々。
結局エリステラさんとやらの魔力を近くでイヴリアが感知するまで、俺は彼女と同じ時間を過ごしたのだった。
「それがどうしたんだよ」
「いえ、聖さんは優しい人なんだなって」
「俺が?」
「ええ」
そういうと僅かに前を歩く彼女がくるりとこちらを振り向いてみせる。
「放課後、一人で待ちぼうけの女の子を放ってはおけないほどに、優しい人なんですよねっ」
思わずどきりとした。というのはなんともチープな表現だということを自分自身でも自覚はしている。だけど、それぐらいの言葉でしか表せないくらいにその時の俺はそう言って笑いかける彼女に心臓を高鳴らせてしまったのだと思う。
ズルい……本心がどうであれ、そんな顔で笑いかけられるとズルいじゃないか。これだから美人はズルい。……いや、俺は一体何に憤ってるんだろう。
「そ、それはさ、なんというか俺の下心だったかもしれないだろ?」
それと同時に心配事が一つ。なんというか、イヴリアは不用心だ。自らの容姿を自覚しているのか否か。今までだって言い寄る男が大勢いたのだろう。
俺なんかにころりと気を許してしまって、この先彼女はやっていけるのだろうか。
「その点は心配してません」
「えっと、それは一体……」
直後、俺の周りに無数の氷柱が浮かび上がる。数にしておよそ10ほど。そのどれもが先端を鋭い杭のようにとがらせ、ふわふわとこちらに冷たい殺意を放ってきている。
「なっ……魔法……っ」
「ご心配おかけしてすみません。でも大丈夫です。私、基本的に強いので」
「あぁ……」
そこで俺は気づく。やはり彼女は異世界のご令嬢で、剣と魔法が当たり前の世界で生きてきた人間なのだ。俺の常識の上で語れるほど、やわな人生を送ってきたなんてことは決してないのだろう。
「氷結の結界魔導士、クーデルワイスの一番弟子、イヴリア=ローゼンベルグとは私のことなのです!」
「……誰」
「なぬっ!?クー先生をご存じないのですか!?」
「そんな常識みたいな風に言われましても……」
いや、もしかしたらあっちの世界の人間からしたら常識も常識なのかもしれないのだけれども。
「と、とにかく、俺がイヴリアのことをよく知らなかった上でそんなこと言っちまったのは悪かったよ」
「とんでもございません、これからよく知っていただければいいだけのお話なので。ということで、とりあえずバケツのお水を捨てて教室へと戻りましょう!」
それから数分後、簡単な片づけを終えた俺達は、すっかり綺麗になった教室で呑気にくつろいでいた。
「だいぶ綺麗になりましたね」
「おかげさまでな」
「ぶぅ……そこはお前のほうが綺麗だよ、じゃないのですか!?」
俺の言葉にイヴリアは不満げに声を上げる。
「お前はさっきまで物置寸前だった部屋と比べられて嬉しいのか」
「それはさすがに……嫌……かなぁ」
「だろう?」
そんな具合に中身のない会話を繰り返しつつ、どうしても俺たちの間には気がかりなことが一つ。そちらからなんとかお互い目を背けつつ俺らは会話を続けていたのだった。
「でも、フィオナ先生はどうして俺らにここの掃除を?」
「あれ、お聞きしてないのですか?」
その口ぶりからどうやらイヴリアはその理由を知っているらしい。
「いや、何も。せっかくだから教えてくれよ」
「まぁ、別に口止めもなにもされていないですし、なにより当事者の聖さんが知らないというのもあんまりなのでお話ししますけど……。私たち、ここで部活動やるんですよ?」
「へ……?」
寝耳に水とはまさにこのことだ。部活……?いや、状況が全くつかめないのだが。
「まぁ、私が半ば頼み込んだというのもありますが」
「いやいや話が全く見えんっ!」
驚きの新事実に動揺を隠せないまま思わず机の上に突っ伏す俺。しかしフィオナ先生のことだ。きっと俺の性分を知ってその辺も根回し済みなのだろう。きっと俺はこれを断らない。
去年まで使われていなかった形跡しかないここをわざわざ掃除させたのも、部室として俺らに宛がうために違いない。
「それにしてもどうして俺なんだよ……」
「だって、教えてくれるんですよね」
そういうとイヴは、俺が「何を」と問いただす前にその先を口にした。
「青春を教えてくれるって!」
そういえば先日、イヴリアがそんなことを口にしていたことを思い出す。「……いや、それ俺了承してなくね」なんて言葉を目をキラキラとさせながらこちらを見つめるイヴリアにそんなことが言える訳もなく。
「あ、あぁ……そうだったっけな」
とあいまいに誤魔化して見せるのだった。そして誤魔化し続けていたことが実はもう一つ。これはイヴリアも先ほどから視線を送ってはすぐに逸らしているものについてなのだが。
「そ、それよりも聖さん。そろそろあれ、触れたほうがよろしいのでしょうか」
ついに来たか……俺も散々どうしようかと迷っていたものの、確かにそのままにはできないだろう。
「部活がどうとかおいておいても、あれは何とかせにゃならん……」
視線の先、そこには明らかに禍々しい雰囲気を放つ細長い何かが部屋の隅に立てかけられていた。布に覆われ全貌は見えないが、その形状と布の隙間から見える光景でそれが姿見であることが見受けられる。
問題は、それがとてつもなくヤバい雰囲気を放っているということだ。
君主危うきに近寄らず。
なんて言葉があるが、どんな君主であれその危うきが自分のプライベート空間にあるとなるとまた別問題だ。
「あれ、なんとかしますか……」
「アハハ……ですかねぇ」
そんなこんなで俺とイヴリアは、とある姿見をめぐるなんとも数奇でくだらない非日常に巻き込まれていくのがこの後のお話だったりそうじゃなかったり……。
あぁ、なにがどうしてこうなった。
ということでお読みいただきありがとうございました。
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それでは次話もよろしくお願いいたします。