襲撃
/Transmigration …vol.04
・
行商人がまことしやかに語って聞かせた、噂の嵐。
「〈魔者〉があちこちで現れた」「西の街では二人喰われた」「首都でも被害が──」
「封印が解けたのか」「魔王が目覚めた兆し」「国の調査船団が暗黒大陸で全滅──」
それら人々の不安と畏怖によって、天候すらも凍ついたかのような、冬の訪れ。
高山の冷めたい大気が吹き下ろし、純白の雪化粧を人の土地に降り積もらせる。
大雪に閉ざされた村は、数日前に門扉を閉ざしたきり、何人も訪れる者はいなくなった。
これから春まで──少なくとも雪がやむまで、村に入ることも、出ることすらできない。
日本の四季よりも夏は短く、冬が長い。五ヶ月から半年は冬というありさまであった。
このような気候なので、冬の旅や行商の類は完全になくなる。凍死や凍傷になるリスクを考えると、気軽に出歩けるのは〈魔法〉で整備された都市部や、雪のない南方の一部地域だけとなる。
「〈魔者〉って、どんなのだろ?」
夜六時過ぎ。
夕食後の消灯間際。
宿舎で同じ部屋に寝るナハルの班は、その話で持ちきりになっていた。
「悪魔とか骸骨とか?」
「竜じゃないの?」
「それら全部って話でしょ?」
「醜い化け物たち全部が〈魔者〉」
「でも、絵本に出てくる精霊や妖精は皆キレイで美人だって」
閉ざされた村で、雪かきや家畜の世話──教会で礼拝し、学校で勉強をするだけの日々。
皆が退屈になるのも無理はない。
だから少しだけ、怖い話題が口をついて出ていく。
「そもそもなんで〈魔者〉なんているのかしら?」
「神様がいるなら、〈魔者〉なんていない世界にしてくれればいいのに」
「そもそも神様っているの?」
「教会でそれ言っちゃう?」
「まぁ、いるんでしょ? いないなら〈勇者〉さまとか誰が選んでるのよ?」
「神様や〈勇者〉さまがいなかったら、大陸が〈魔者〉であふれちゃうし?」
「だよねー。〈魔者〉の王──魔王さまとか討伐できるのも〈勇者〉さまだけだって、先生が言ってたし」
「あれ? 魔王って封印しかできないんじゃ?」
「似たようなもんでしょ」
「ねぇ、知ってる? 前、巡礼に来てた人が言ってたんだけど、ウチの孤児院を卒業した人って、意外と〈勇者〉さまが多いんだって」
「えぇ。本当に?」
「私、〈勇者〉様なんて実際に見たことないんだけど」
「──私は見たことあるよ」
「うそ。ほんとに、プレア?」
白い髪の少女は遠慮がちに頷く。
「うん──すごく小さい時だったけど。〈勇者〉様を……首都で」
「へぇ。プレアがいうなら本当か」
「ね、〈聖痕〉ってどんなのだった?」
「やっぱり傷が光るの?」
「いいなー、私も一度は会ってみたいなー!」
ナハルはそれらの声に耳を傾けつつ、悪夢で魘されないように飲んでいる薬──ここ一年服用しているが、効能は微妙──を口に含み、湯冷ましで流し込む。
寝間着姿の少女らが楽し気に談笑する声を聞いたのか、階段をのぼってくる足音が。修道女のロースが部屋の扉を開けて現れる。
「こらー。もう消灯の時間よ? 蝋燭がもったいないから消しなさーい」
了承の声を唱和させる子供たち。
「ナハル、お薬は?」
「さっき飲みました」
「そう──それじゃあ、みんな、良い夢を」
「良い夢を!」
蝋燭を手に持った修道女に挨拶を返して、全員が寝床についた。室内は完全な闇となる。夜空には月もない。
ナハルは目を閉じるが──眠れなかった。
十数分ほど経過した時だ。
「……ねぇ、ナハル。起きてる?」
友人の声に体を起こす。
「どうかした、プレア?」
「……ちょっと、お花をつみに」
「はいはい、おしっこね」
「う~、そんなハッキリ言わないでよ~」
二人は寝床を抜け出し、真っ暗闇を手探るように廊下を進む。
大人でもここまで完全な闇では、一人で用を足しに行くのは怖がるだろう。古い床板は軋むし、窓を叩く夜風も不気味な音色を奏でている。
おまけに、トイレは宿舎の外だ。上下水道がない地域なので、トイレは基本的に肥溜め。なので、人間のいる建物よりも畑や菜園などに近い場所に設置されている。
しかし、ナハルは疑問する。
「ていうか、夜は部屋の鉄桶ですればいいのに。朝一で捨てればいいんだし」
「そ、そんなの……は、はしたないじゃない!」
ナハルは一応首肯してみせる。日本人であれば部屋の隅にある衝立の向こう──そこにあるバケツで用を足すというのは信じがたいことだが、夜の移動が難しい真の暗闇の中では、これが一番の最善手であると痛感できる。
プレアは妙なところがある。
トイレの件だけではない。普通の村人なら気にしないことに、平民なら当然のような慣習に、一定の抵抗や齟齬が生じている。
(なんというか、いいところの御嬢様って感じかな)
〈魔法〉の発展した首都……そこに住まう都市民や貴族や王様などには、ちゃんとした個室トイレがあり、真夜中でも光を一瞬で灯す装置が、〈魔法〉の力の恩恵によって普及しているとか。
そういった環境下で育った人が、こうした平民の生活を直視すると、ちょうどプレアのような感じになるらしい。
彼女が院を訪れたのは、ほんの数年前。
親を亡くした孤児というよりも、何らかの事情で院長が預かっている、そういう“訳アリ”の娘であった。
(何にせよ、個人の事情に首を突っ込むのは野暮だからな)
プレアに付き添うナハル。
中身が成人女性である少女でなければ、真っ暗闇を付き添って歩くのは、かなり難しい頼み事だろう。
しかし、プレアは急ぐわけでもなく、どこかとぼとぼとした足取りで廊下を進む。
階段を降りているあたりで、ついに白い少女は立ち止まった。
「どうかしたの?」
「うん。あの、ね、ナハル。私ね…………言わなくちゃいけないことがあって」
「言わなくちゃいけない?」
薄闇の中でかろうじて見透かせるプレアの表情は、だいぶ深刻なものだ。
「私ね、冬が明けたら、ここを出ることになったの」
「……ふーん?」
こんなにもあらたまって言うべきことだろうかと疑念しつつ、一抹の寂しさを覚えるナハル。
「どこに行くの?」
「それは──ちょっと言えない」
「言ってくれなきゃ、手紙も書けないじゃない」
「書いてくれるの?」
「当然……私たちは親友でしょ?」
「うん!」
花の咲くように笑うプレアの声に、ナハルは安堵して、
──ふと、違和感を覚える。
はじめに感じたのは、鼻腔を突く焦げ臭さ。
そしてお互いの顔が今、はっきりとわかる。
「え──明るい? え?」
ナハルとプレアは首を傾げる。
階段の窓の外の遥か先に、何か、灯のようなものが。
否。おかしい。村にあれほどの光量を発する道具も邸宅も存在しない。
夜の雲を焦がさんばかりに立ち昇るのは、紅蓮一色の、炎。
「うそ、火事?」
村の中心で火の手が上がっている。
否。中心の一つだけではない。村の外れの湖のほとりに位置する教会の位置から、確認できるだけで五つの火と煙が確認できた。それらは見つめるうちに、広く、大きく、村の光景を飲み込んでいく。遠くにも人々の悲鳴が聞こえるほどの量が奏でられ始め、これが尋常ではない事態であることを即解させる。
この世界で考えられる不審火の原因は、三つ。
ひとつは戦争。──しかし、現在付近で戦争があるという話はない。
ひとつは夜盗。──しかし、こんな寂れた村を襲う盗賊団が、この近辺にいただろうか。
そして、最後のひとつは、
「まさか〈魔者〉?」
消灯前の話題で交わされた噂。
魔王復活に伴う〈魔者〉の発生報告。
(いや、可能性よりも先にすることがあるでしょ!)
事態を飲み込んだナハルは、怯え固まるプレアの手を引き、行動に移った。
「起きろ! 村で火事だ! みんな起きろぉッ!」
宿舎中に響く大声。
それを聞いた修道女や子供たちが数名、廊下を駆けて外を指さすナハルを見つける。
「火事ですって!?」
「村で? 本当に?」
「ほんとに燃えてるよ先生!」
村の惨状を直視し、軽く恐慌状態に陥るのも束の間。
──カラァンという聴きなれた鐘の音が大気を幾度も震わせる。
どうやら、別の宿舎で寝ていた修道士たちも異常事態に気づき、警報としての鐘を撞きに鐘楼をのぼったようだ。
「全員おちついて!」
鐘の音と共に、寝間着姿の院長が指揮を行う。
「村の方は、修道士の皆に向かわせました。修道女の半分は、子供たちを起こして避難準備。残りの半分は避難してくる村人を受け入れる準備を!」
完璧な采配を冷徹に行うクローガ院長。いつもの修道服の立ち姿に歓喜する一同。
しかし、いつもとは違っていた。
「院長……その腰のものは?」
それに加え、噂に聞いていた剣……それも二本を腰に引っ提げている姿を見せられ、誰もが目を瞠る。
「非常時のことです。自衛手段は多いに越したことはありません」
帯剣した院長の指揮統率によって、パニックを免れた修道女らが一斉に頷き合い、長からの指示を全うしていく。
ナハルは、院長の皺だらけの上に傷だらけの掌に頭を撫でられた。
「よく皆に報せてくれましたね、ナハル。偉いわよ」
「い……いえ」
「今夜はこれから大変なことになりそうです。どうか、お友達や小さい子を、あなたが守ってくださいね」
笑う院長の背中を見送るナハルの横で、プレアは今にも泣き崩れそうな顔色で、何か呟いている。
ナハルは親友の手を軽く握って、微笑う。
「大丈夫だよ──きっと大丈夫。火事は消せばいいし、怪我をしたら治せばいい。だから、大丈夫」
プレアは微かに手を握り返してくれた。
しかし、ナハルの言葉……「大丈夫」という言葉は、現実のものになることはない。
・
山間の寒村を襲撃した者たちは、村で破壊と殺戮の限りを尽くしていた。
それを眺める一人の男。目鼻は整っており、その肌の色は浅黒い。
都市で流行している紙巻の煙草を口にしながら、遠方との会話を可能する〈魔法〉のピアス越しに指示を飛ばす。
「対象を見つけ出せ。──そう。白い髪の少女だ。──ああ、そう。この村にいることは確かだ──出来れば殺さずに確保したい──ああ、そうだ。庇護していた連中も、村人諸共すべて殺せ。女子供も容赦するな。そういう“命令”だ」
何者かに連絡を取り付けた男は、村を見下ろせる山腹で、新たな〈魔者〉を解放。
「おまえたちも行け。ここは俺と精鋭十人でいい。せいぜい好き放題に喰い荒らしてこい」
怪しい光を放つ腕輪を右手に嵌めた青年。彼の下知を受けた〈魔者〉たちが、一斉に斜面を駆け降りる。
「やな仕事だぜ、ほんと。まいっちまうよなー、あーあー」
面倒くさげに金髪を掻きまわす男は、紫煙を吐き出しながら事の次第を子細に観測・観戦していく。
猛獣種の〈魔者〉──巨大な熊・牛・虎・豹など──が、先遣隊と合わせて計100体の脅威となって、村を完全に取り囲んでいく。




