友への手紙 -3
/Transmigration …vol.23
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王城の敷地外に存在する各政務機関のなかで、ひときわ立派な造りをしている議事堂──国家の法律運用を司る司法府、国家の〈魔法〉技術の管理と発展を担う魔法府、軍の統率と作戦=軍事行動を王に代わって取り仕切る参謀府、これらと並び称される国家の枢要を担う国務府のおかれた宮殿のごとき官邸は、通称を「評議会」という国の最高機関の象徴的建造物だ。
その評議会に集められたのは、国王の政務を輔弼する政務官たち──内閣が組閣され、貴族のみならず、平民の中から選抜・推挙された百官によって、国の政を王に対し助言する。内部では貴族院と平民院の二つの組織に別れ、各府庁の官僚たちと連携しつつ、国という船の舵取りを行うものたちが、今日も政務に会議に邁進していた。
いかに賢王賢帝とはいえ、たった一人で政治のすべてを行えるはずもない。交通、運輸、衛生、福祉、財政、経済、諸々の国民生活に必要な事業の采配には、緻密かつ慎重な手腕が求められるのが世の常である。
これまでは。
だが、王位継承者、王の子息たちが相次いで死ぬというという悲劇に見舞われ、王妃は病に伏し、王は国政を蔑ろにする日々を送っている。
そんな状況の中で、与えられた百合の宮殿に引きこもった王女──統一王国の第一王位継承者──元々の継承権は第五位の最下位だった少女──プレーァハン・バーン・ニーファフト・リーァハトは、今日も窓辺でうつ伏せになる。
「…………」
どんな名医に診せようと、どれほど癒しの〈魔法〉を授けられても、彼女の鬱屈とした状態は晴れなかった。
療養食は喉を通らず、薬まで吐き戻す始末。体挌は目に見えて細くなり、体重は激減。ドレスを着ようとすれば、コルセットなどを用いる必要がないほどといえば、その異常ぶりがよくわかるだろう。今の彼女には、そのドレスを纏う余裕もない。
枯れ枝のように細くなった手首で、彼女は思う。
(ナハル、生きてるかな?)
悪夢と慟哭に泣きはらした眼で、寒空の下でカーテンの隙間からこぼれ落ちる陽光の揺れを、見つめる。パキリと暖炉の薪が爆ぜた。
今のプレアの胸中は複雑と煩雑の見本市だ。
生きているはずという期待と、生きてはいまいという絶望が、混在する。
あの雪の夜。
魔者に襲撃され教会が焼けた後──
プレアはナハルを止められなかった。
ナハルは自刃するほどの覚悟を見せて、魔王軍の幕下に入った。
そうすることが彼女の望み。そうなることだけが彼女の欲動であり、希望だった。
であるなら、プレアごときには止めるすべはない。彼女を笑って見送ってやったが、果たして本当に、〈勇者〉として選ばれたナハルが、魔王の勢力圏内で生きていけるのだろうか。
当初は何らかの連絡があればとも思ったが、考えるまでもなく、そんなものが届く距離ではないことは絶対的だ。
そもそも両者ともに、互いの位置が──居住する場所すら共有知識として知りえていない状況で、どうやって連絡が届くというのか。我ながら失笑ものである。
(ナハルが生きていないのなら、私は──)
生きている意味なんてない。
そう思い詰めるほどに、涙が滾滾と溢れかえる。
肩を震わせ、嗚咽が喉の奥からこぼれかけた時だった。
「ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ」
鳥の鳴き声が、プレアの耳元で囁いた。
「────え?」
プレアは鳥の類など飼っていない。精神的治療と称して、叔父上からいただいたものもあるにはあったが、すべて勝手に他人の手に譲ってしまった。理由を問われれば鳴き声や羽音がうるさかったと言ってすませ、それに叔父もそれを承服してくれた。納得するしかなかった。──実際に、傍らに動物がいても、それを縊り殺しそうなほど、プレアの精神状況は破綻寸前の半歩手前であったから。実際、送られてきた見舞いの品の花々は散乱し、人形やぬいぐるみは切り刻まれ叩きつけられるように破壊され、残骸がそのあたりを転がっている。部屋は即日に変えられ、メイドらの手で清掃されたに違いない。この広い室内にあるのは、大きな天蓋付きベッドと文机と椅子が一脚あるだけ。プレアが暴れだしても、重大なことは起こらない程度の強度をそなえた調度品に魔法で強化されたガラスの格子窓。ほとんど囚人部屋のような、それにしては豪華絢爛たる収容所であった。
プレアは部屋を見渡す。
窓も一切が閉ざされている。
この室内に限っては、プレア自身の手で、すべての扉と窓の施錠は確認できている。天井という明かり取りの窓も完全に閉じていた。
なのに、その青毛の美しい小鳥は、すべての障害を取りはらって、プレアの肩先にとまっている。
だが、不思議なことに、これまでのペットの類と較べ、嫌な感じはしなかった。
それどころか、何か神聖な、心地よい何かをプレアにもたらす──その予兆めいたものを感じ取る。
プレアが指を差し出すと、青い鳥は「ぴぃ」と鳴きつつ、金色の光を放った。
「!」
愕然となるプレアの前で、青い小鳥は一通の封書に変わっていた。
まるで奇跡の力のように。
「まさか」
痩せた指で封書を開いたプレア。
彼女は黄金の便箋、その文面にある友の名に、涙を禁じ得なかった。
「ナハル!」
これはナハルからの手紙だ。そう確信した。
いったい、どういう原理でこんな奇跡のような手紙が届けられたのかプレアにはわからない──ナハルの幾億もある聖痕をひとつ消費するだけで、友の許へ届く手紙を、青い小鳥にかえることは簡単であった。そうなれるまでに、ナハルは己の力を使いこなせるようになったのだ。
プレアは手紙を大事そうに、慈しむように、胸元に抱きしめた。
「────ありがとう、ナハル」
あなたが生きていてくれて、本当にうれしい。
プレアはその思いを文書に認めずにはいられなかった。
感動の思いのまま筆を執り、感激の想いそのままにインクを走らせる。
□
親愛なるナハルへ。
本当に久しぶりの手紙に、私は驚きを隠せません。
あなたが生きていた──生きていてくれた事実に対し、すべての神に感謝を捧げます。
いえ、あなたを助け、導いてくれた魔王陛下にこそ、この感謝はふさわしいのかしら?
どちらにせよ。
あなたからこうして文を頂戴できて、嬉しくて嬉しくて、嬉しすぎて飛び上がってしまいそう!
だって、本当に久しぶりの、一年もの間、音信不通だったのだから、でも、責めたりはしません。あなたが生きて手紙をくれたこと──これ以上を望む方がどうかしてる!
こちらこそありがとう、ナハル。手紙をくれて。
ほんとうにありがとう、ナハル。あなたが生きていて。
ああ、もうとにかく無事で何よりです。いろいろなことを訊きたいところですけど、あなたへの返信をおくらせるわけには……
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そこまでを書いて、プレアは思った。
「どうやって返信すればいいのかしら?」
そう思う間に、彼女の用意した便箋を、また現れた青い小鳥が催促するように突っついた。
プレアは理解した。きっと、この小鳥は、彼女の“使い”なのだと。
「お願い、できる?」
小鳥は頷くように「ぴぃ」と鳴いた。プレアは返信を続ける。
□
返信を遅らせわけにはいかないので、簡潔に。
こちらは相変わらず元気に──というと噓になりますが、あなたからの手紙で、ようやく立ち直れそうです。
あなたには打ち明けたいことが山ほどありますし、秘密にしていたことは海のように深く秘めたままです。
あなたはびっくりするでしょうか、それとも「ふーん」の一言で済ませるかもしれませんね。
それでも、
こんな私と、あなたは“親友”になってくれた。
はじめての“友達”になってくれた。
その恩は、決して忘れません。
私の親友ナハルへ。
どうか、心穏やかに健やかに日々を過ごせますようにと、私も願ってやみません。
どうか、どうか無理だけはしないで。また連絡できるときに、手紙をくださいな。
私も、あなたとまた会える日が来ることを本当に、本当に心待ちにしております。
あなたの友 プレアより
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短めに気持ちだけを押し込めただけの文書になってしまったが、プレアが納得して普通の便箋をたたんで封書に入れると、青い小鳥はそれを咥えてくれる。
「ナハルのもとへ。お願いね?」
そう青い毛並みを一撫ですると、小鳥は承知したように飛び立ち、部屋の中を旋回しつつ、黄金の輝きを零して、何処かへ消えた。
部屋には、ナハルの記した黄金の便箋が残るのみ。
すべてが夢のような出来事だったが、彼女の胸元に抱かれる伴からの手紙の質感は、真実であった。
「ナハル────生きてて本当に、良かった」
プレアは、半ば自暴自棄になり、自死することまで考えていた自分が嘘だったような活力に満ちていた。
ナハル・ニヴが生きていた!
生きて、プレアに手紙をくれた!
たったそれだけのことがこんなにも嬉しいし愛おしい!
百の良薬でも癒せなかった王女の身体は、その場でワルツでも踊り回りそうな衝動に駆られ震えていた。
と、そこへ、室内に響き渡るノック音。
「はーい!」
いつもであれば返事などする余裕などなかった……あっても「うるさいッ」の一言で済ませて追い返していたが、今日この時に限っては、話は別。
「王女殿下? えと、サウク大公殿下がお見えに」
「ああ、叔父様ですね」
どうぞ通してくださいとメイドに申し付けると、サウクは驚愕しながら姪のもとへ訪れる。
「プレア? いったい。どうした? 昨日までのおまえとはずいぶんと」
「別人のようですか?」
そうですねとプレアは白い髪を大きく振って頷いた。
「ようやく。うじうじする時間に終わりを告げることができたのです、我が友に感謝しないと」
「わが友?」
頭をひねる隻眼の甥をとりあえず無視して、プレアは食事の用意をメイドに頼んだ。
ナハルが無事とわかった瞬間に、眠っていた食欲が旺盛になり、胃袋を鳴らし始めたのだ。
「そういえば、まもなく私の十歳の誕生日でしたね?」
「ああ。そのことでおまえの状態を見てから、開くかどうか決めようと思っていたが」
「素敵な誕生日になりそうです、叔父上」
ナハルはそう言うと、待ち切れなくなったと言わんばかりに歩き出して、一年ぶりに部屋を出た。
あっけらかんと置いていかれる叔父のサウク。
メイドや料理長らが驚きつつも、食材である干し肉の細切れ、果実や生野菜にまでそのままかぶりつく勢いを見せるプレア。長い修道院暮らしにおいてもやったこともない──ナハルたちとのつまみ食いは日常茶飯事だったが、このような鯨飲馬食に耽るなど姫として王女として不適格だろうに。だが、次にナハルと会った時に、痩せた姿など見せられるわけがない。
「まずは穀物の雑炊からにしておきなさい」
肉体の不調を取り払った様子の姪っ子を、サウクはおかしみを込めた笑顔と共に見届けた。




