友への手紙 -1
/Transmigration …vol.21
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異世界の〈魔者〉の国。ニーヴ大陸は港湾都市。ローン。
〈勇者〉ナハル・ニヴを迎え入れた魔王が居留する城。
その庭園の一角で。
車椅子に乗せられた少女が一人。
──ナハルが眠り続けてから、有に一年が経過していたらしい。
意識を失ったらいきなり一歳、歳をとってしまうなんて、夢にも思わなかった。
(夢……か)
ナハルはぼんやりと思い出す。
目の前で椅子に座る魔王が、超然と足をくむ王様が、100年前の、あの戦いで、あれほど切実な声を零していたとは、想像もつかない。
(私が一年ぶりに起きたっていう報せを、魔王さまが驚きもしなかったのは気になるけど)
魔王曰く、
「そんな気はしてた」とか。
彼は続けて説明してくれた。
「〈勇者〉と〈聖痕〉は、いまだ未解明な部分が多いし、何より、君に与えられた聖痕の量は幾億にも及ぶ。それを性急な戦闘行為で浪費したことに、肉体が耐えきれなかった可能性は高い」
「はぁ」
ナハルは気もそぞろだった。
自分の室内で純白の鎧姿の王様がいるというのも現実味がないが、その中身は伽藍洞の空っぽ──闇の粒子で満たされているとはだれも思わないだろう。
それぐらい軽妙な動作をまじえて、魔王は告げる。
「これからは聖痕を多用しても大丈夫だろう。『ようやく準備は整った』というべきかな?」
「準備?」
「修行だよ」
言って、彼は多くの書物をナハルの室内に運び入れ、肉体改造の術理を根本から教え込んだ。
剣術、槍術、斧術、状術、拳法、古武術など、それは多彩な“戦い”の基本教練となった。
今は小休憩の時間だが、一年も眠り通しだった体は筋肉が固まり、〈魔術〉の恩恵で人並みに歩ける程度には回復できたが、「無理は禁物」と、今に至る。
「……言ってることとやってることが、極端な気がするな」
「?」
「ううん、こっちの話です」
ナハルは骸骨姿の乙女・介助役のアバルに手を振ってみせた。彼女は微かに頷く音を頸骨に響かせる。
そうしながら、膝上におかれた参考書……歴史書の一部とされるそれを読み解く。
「『〈勇者〉とは。己の愛する者、真に大切だと思う者のために戦いし者。人を想う心を力の糧とし、神から与えられた超常の力を振るうことを許された、人間の総称だ』」
征竜王伝説・下巻より。
「…………」
思わず渋面を広げるナハルの表情。
そこへ懐かしい……と呼ぶには交流の短い魔者たちが、声をあげて近づいてきた。
「おう、起きたか、ナハル殿」
「いまは復調、祝着至極じゃ」
「一年も眠りを姫やらかすとは思わなんだ! 壮健そうで何よりである!」
眼鏡をかけた、上半身が屈強な狼人間・レアルトラ、魔剣の形状をして浮遊する生命武器・レギン、そして、竜の──ナハルが眠り続ける主因となった赤髪に褐色肌の軍人・ソタラハ。
「んで。眠り姫様の読み物は?」
全身にボロ布を巻きつけた、貴金属の宝飾品で覆われた木乃伊のアーンが黒絹のような髪をなびかせて、ナハルの腰の重そうな本を凝視する。
「征竜王伝説? なによ、ソタラハの父母の話じゃない?」
「え?」
驚きの声をあげるナハル。
「いやはや! 人間どもの想像力は怪奇千万! よくぞ我が父母からあのような厳粛な物語をこしらえたものだ! 賞嘆に値する!」
元気いっぱいに叫ぶソタラハは笑い続けるだけで詳細は語ってくれない。
「ま。こっちとあっちじゃ、認識の違いぐらいあって当然ってことっすよ」
「はあ……」
人狼の男の洒脱な声に生返事を返すしかない少女は、黄金に染まった神を意識した。
あるいは、そう。征竜王の本当の話というのも、聖痕は夢の形で見せてくれるのだろうか?
(やめておこう──人のプライバシーをのぞき見るみたいな感じだし)
そう心に決めるナハルだが、諸事情によって過去の覗き見──過去視の際に多用することになることを、彼女本人は知るよしもない。
「ナハル様!」
庭園入口に、これまたナハルの知る魔者が、息を切らして現れる。
水色の肢体に艶めく透明な肌。
「イニーさん」
お久しぶりですという言葉は声に出来なかった。
彼女は車椅子姿のナハルに、とびかかるような速度で歩み寄る。そして、豊満な胸に抱きしめ、ついでその手を取って膝を屈した。
「……お目覚めになられて、本当に、本当によかったぁ……!」
陛下も随分とご心配なさってお出ででしたという言葉が、妙にナハルの心をくすぐった。
「イニーは過保護ね」
「ロース修道女なみに気にかけておられていたからな、イニー殿は」
そういって呆れるアーンやレアルトラ達同僚を放置して、水妖の乙女は慌てて手を引く。
ぽたぽたと指先からこぼれる、涙にも似た雫が、ナハルを濡らしてしまっていた。
「も、申し訳ありません。お召し物と本をお汚しに!」
「ああ、いえ。気にしないでいいですから」
本当に心配してくれたことが肌で感じられる。本当に素晴らしく性格がよい。水妖という特性で、服と本に付着した水分を律儀に抜き取っていく様すら誠実そのものだ。
「それで、イニー殿。我等が陛下は」
水妖は口調をあらためるように、必要のない咳ばらいを一つ。
「ナハル様の体調も快復なされたことですし、本格的な調査と修練を兼ねて、一度魔都の方に移住していただく手筈に」
「魔都?」
「魔王さまの都──私たち魔者の大陸の首都ってところかしら?」
説明するアーンに、首肯を小さく繰り返すアバル。
「それはいい! 我の方も、ナハル殿とは本格的に修練を積んでみたかった折にて!」
「いやいや。実戦闘面はまだ無理でしょ。魔法解析と魔術鍛錬が先になるんじゃないかしら?」
「ん、おお、陛下!」
従卒を幾人も連れた純白の鎧姿が一同の許に現れた。女エルフであるガルも、白いパンツスーツ姿で秘書然とした佇まいだ。
「調子は良さそうだな、ナハル」
少女は少しだけ深呼吸する時を要した。
「はい、陛下」
思い出されるのは件の夢。
友にして仲間たる勇者に打ちのめされ、封じられていく最中に交わされた、一人の男の願いの成就。
「そう畏まる必要はない」
中身が闇の粒子の身で構築されているとは信じがたいほど気さくな調子で、魔王はナハルと目線を合わせるべく片膝をついた。
「魔都への移住の話、ナハルは聞いたか」
「はい、陛下」
自分としては何の異存もない覚悟を露わにする少女に、魔王はたたえるように黄金の神に房を撫で梳いてやった。
彼は続ける。
「なぁ、ナハル。友達へ手紙を書いてみてはどうだろうか?」
「手紙──!」
ナハルは、向こうの大陸に残してきた友のことをようやく思いだすことができた。本当なら、ソタラハに襲撃修練を受ける前に書く予定だったが──
「でも、一年も経っているし……何を書いたらいいか」
「なんでもいいさ。君がこの国で思ったこと感じたこと、出会った魔者たちのことは……まぁ書いてくれて構わない」
「〈魔法〉の真実は、よろしいでしょうか?」
「そこは──まぁ、いいだろう。王族ともなれば、そのあたりの事情に精通刺させておくのも、教養のひとつだ」
少し違和感の残る許容の言葉であったが、ナハルは今夜中にも、親友プレアへの手紙を書きあげようと心に決めた。
□
親愛なるプレアへ。
この手紙をあなたに送る私は、ナハルです。
ナハル・ニヴです。
あの雪の日、村が襲われ、教会が焼けたとき以来ですね。覚えてていますでしょうか。
これが私たちの初めての手紙、ではないですね。昔少しだけ、文字の練習でした文通(の真似事でしたね)を思い出します。少しだけ懐かしいし、同時に緊張もしています。
一年ぶりの連絡──手紙となってしまって、ほんとうにごめんなさい。
あなたも知っているでしょうが、私の身体に刻まれた「聖痕」、その数があまりにも多すぎて、魔王陛下に封印処理をしてもらわなければ大変な状態が続いたことが起因しています。聖痕とやらが多いのも考えものですよ。髪の色まで黒から金色にかえるなんて、ひどいものです。言い訳にもならない理由だけれど、本当に心配をかけたことでしょう。本当に、ほんとうにごめんなさい。
ロース修道女も無事ですので、どうかご安心を。
彼女は私の叔母──亡くなった母の妹でもあるので、魔王さまに処遇を頼んでいるところです。おそらく、〈魔者〉の大陸に生きる人々の一人として、元気に暮らせていけるはずです。
そう。
こちらの大陸──そちらのいうところの暗黒大陸は、なんというべきか、本当に良いところです。気候もおだやかで、港湾都市ローンの海風は、本当に快い感じがします。保養地としては格別ではないでしょうか?
そちらは一年たって、どうなっていることでしょう──
私がいた時ですら、魔王深津の兆しの噂だのなんだので混乱していたのですから……少しは落ち着いているといいのですが。
その噂の魔王陛下は、本当にいい人で、ちょっと混乱しております。
プレアも少しだけ、ほんの少しだけ陛下と話したでしょうが、どうしてこんなにも優しく接してくれる方が、世界を滅ぼす業悪な王などと呼ばれているのか不思議なくらいです。
何か理由があってのことなのだろうと確信しています。
私が陛下から聞いた〈魔者〉の正体──〈魔法〉の秘密──それらを書き記すのは、次の機会に、プレアの返事が届いてからにしようかと思います。
私の親友プレアへ。
どうか、心穏やかに健やかに日々を過ごせますようにと、私は願ってやみません。
こんなひどい時代に、どうか負けないで。
また会える日が来るのを心待ちにしております。
あなたの友 ナハル・ニヴより




