魔王の城 -6
/Transmigration …vol.16
今朝方に依頼しておいた来客は、城門からほど近い中庭の庭園で待っていると聞いて、ナハルは会うことを決めた。
(本当は、こんな悩んでいる時に会うのもどうかと思うけど)
ロースの体調や現状も気にかかっていた。
また骸骨のアバルに城内を案内されるまま、ナハルは城の中庭に。
そこで、およそ一週間ぶりに、生まれた頃から見知った女性との対面を果たす。
修道院での黒と白の尼僧服ではなく、純白のワンピースに身を包んだその人は、薄紅色の髪を風になびかせて振り返った。
「──ナハル!」
松葉杖を突いていたことを忘れたように転がりかけるロース。
金髪碧眼に白衣姿のエルフに支えられ、事なきを得る。
少女はロースに駆け寄った。
「っ、ナハル、大丈夫? 痛い目に遭ってない? 恐いことはなかった?」
「だ、大丈夫。何ともなかった──ことはないか?」
「え……! ナハル、その瞳は?」
少女を生後間もなくから見知っている叔母は、ナハルの両の瞳に宿った琥珀の輝きに目を瞠った。
ナハルは忌々しげに告げる。
「ああ。〈聖痕〉が現れた影響で、瞳の色が変わった感じ……」
「〈聖痕〉──話には聞いていたけど、本当に?」
「うん……変かな?」
「……ううん。ちっとも変じゃない。とっても綺麗よ」
ロースは慈母のように柔らかな笑みで、姪の変化を受けいれてくれた。その事実が、ナハルの胸にあたたかな感覚をしみこませてくれる。
二人は中庭の小さな白い円卓に座り、ささやかな茶会の席を設けられたそこで、改めて向き合った。二人の傍に控えるのは、遠くから見つめるアバルとガルだけである。
「久しぶりね、ナハル。ずっと眠っているって聞いて、心配してたのよ」
「心配をかけてごめんなさい。──叔……」
「無理して叔母さんなんて言わなくてもいいのよ? いつも通り、ロースって」
変わらない女性の申し出に、ナハルは頷いた。
「ロースは、その、大丈夫ですか?」
「ええ。治療院の方たちのおかげで、やっと松葉杖で歩けるくらいには治ってきたの。〈魔法〉の銃で太腿を撃たれたのに、こんなすぐ回復するなんて、魔王様の国ってすごいのね。〈魔者〉の人たちもすごく親切で」
「いや、それもだけど……」
言葉を探しているうちに、ナハルはここへ来ることになった、あの夜を思い出す。
黒化した〈魔者〉を率いて、村と院を襲った襲撃者たち──あいつらによって、ロースはあわやというところまで追い詰められた。
ナハルの言わんとする内容を理解して、ロースは薔薇が咲くような笑みを浮かべてみせた。
「何があったのかは、ガル先生──あそこにいるエルフの女性から聞いたわ──ナハルのおかげで、私はすっかり助かっちゃった。助けてくれて、本当に、ありがとう」
感謝されるほどのことをしたつもりはない。ナハルにとって当然のことをしようとした。結果は散々だった気もするが、目の前のひとを助けられただけでも、良しとすべきだろう。
そう理解しながらも、ナハルは確かめるように言葉を連ねた。
「でも。私はいきなり〈聖痕〉なんて顕れるし、いくら治療のためとはいえロースをいきなり〈魔者〉の国に連れてきちゃったり──なんというか」
「だとしても。あなたが私を救ってくれたことには、変わりないのよ?」
まっすぐに語る叔母のありさまが眩しく感じられた。
本当に、この人は聖母か何かの生まれ変わりではあるまいかと、ナハルは本気で疑ってしまいたくなる。
ふと思う。
この人ならば、いまナハルが抱える懊悩を解くヒントを与えてくれるのではないか──
「あの──ロース──折り入って相談したいことが」
「あら、相談?」
きょとんとしつつも気軽に請け負うロース。
ナハルは言うべきか言うまいか悩みつつも、つい、言ってしまった。
「私が、魔王陛下と一緒に、戦うって言ったら、どう思う?」
「──戦う? ナハルが、……誰と?」
「……………………神と」
絶句という風に硬直するロース。
叱責されるだろうか。
呆れられるだろうか。
馬鹿なことを言うなと憤激するのではないか──
思い悩むナハルではあったが、修道女はしばしの間を空けて、告げる。
「それを、あなたが本当に望むのなら、私は止めない、かな?」
「……本当に?」
「ええ。個人的にはどうかなと思うけど……きっと姉さんが、あなたのお母さんが生きていたら、止めることはなかったと思うから」
それはいったいどんな母親だと思うナハル。
「でも、神と戦うってことは、人類全部が敵になるかもしれないんだよ……それでも?」
「言ってるでしょ? それがあなたの本当の意志であるのなら、絶対に、私はそれを止めない。たとえ、それによって私が神から罰せられることになっても、私は私の意志を通すだけ。あなたがたとえ世界を滅ぼすことになっても、私と、私の姉さんは絶対に、あなたを裏切ることはない」
どうしてそこまで──そういったナハルの疑念を読み取ったように、ロースは言い募る。
「だってあなたは、姉さんが愛した、姉さんの娘なんだから」
まるで実の母のように、ナハルの頬を撫でるロース。
そのあたたかさと柔らかさが胸にしみた。
「私…………もっと早く、母のことを聞いておけばよかった」
「うん。そこが不思議と言えば不思議だったわね。ナハルは言葉を覚えた頃から、話すのは不思議な世界や、テンセイのことばかりで、自分のお母さんのことはほとんど聞こうともしなかったから。あなたは本当にいいこ過ぎて、あの姉さんの子だとは思えないくらいよ?」
ナハルは首を傾げた。
「もちろん、私ではあなたの悩んでいることは、全部が全部を理解できるわけじゃない。不安や悲しみを癒すことも難しいでしょうね。──それでも私は、あなたの味方でいることはできると思ってる。これは私の勝手な思い込みかもしれないけれど、相手のことを理解し尽くすことだけが、誰かを支えることの必須条件ということではないと思うの」
そうだろうか──そうかもしれない──ナハルは叔母と正面から語り合う機会が少なかった。真実、ナハルが望めばそういった機会を設けることも可能だったろうが、たくさんの孤児たちの世話に追われるロースへの負担になることは、どうしても気が進まなかった。
それも言い訳だなと自嘲するナハル。
ロースはさらに語り明かした。
「その悩みはあなただけのもので、私にはどうすることもできないものだから。私が代わりに背負ってあげられるなら幾らでも背負ってあげたいけれど、そういうものでもなさそうだから……ごめんね」
「──いいえ」
ナハルは微笑んで首を振った。
ロースは、死に別れた姉のことを思うように空を見上げる。
「姉さんが良く言っていたな──『悩んでもいい。迷ってもいい。それでも、自分が信じたことをやり通すしかない』って」
その言葉が、懊悩し葛藤を繰り返す少女の心に、力を与えてくれた。
「本当に、姉さんそっくりに育っちゃって──叔母さんびっくりしてるわ」
ナハルは、ロースの手に自分の手を添えて、ふと呟いた。
「ロース……教えてくれませんか? 私の、──お母さんのことを」
今までは考えないように努めてきた。
何か理由があるのだろうと、そう納得することで“母”という存在を遠ざけていた。
でも今は。
「姉さんのこと? …………でも」
「だめ、ですか?」
彼女がここまで信頼を寄せる、ナハルの母。それを知りたいと、今ようやく思うことができた。
首から提げた紫の花の指輪を意識せずにはいられない。
生まれてきたナハル・ニヴを真実心から慈しみ、愛おしみながら、傷だらけの両腕で抱きしめてくれた女性。
生前の最悪な記憶から、母などというものに忌避感を懐いていたが故に、これまで考えようとすら思わなかった。
「九歳のあなたには、まだ早い気がするけど……わかった」
ロース・ニヴは少し考え込んで、姪の願いに、ナハルの年齢以上に力強い要望に、満面の笑みで応えた。
「でも、ひとつだけお願いさせて……これから聞く話で、姉さんのこと、あなたのお母さんのことを、どうか嫌いにならないでほしい……あなたのお母さんは、本当に、心からあなたのことを愛していたことを、どうか覚えておいて」
頷くナハル。
その強い眼差しを受けて、ロースは風と戯れる薄紅色の髪をおさえた。
空の彼方を見据える彼女の瞳は、懐かしい家族の思い出に笑みをこぼす。
「あなたのお母さんはね」
ロースは訥々と語り始める。
ナハルの母の名は、ドゥアーン・ニヴ。
──彼女は“毒蜘蛛”という異名でもって恐れられた、■■■であった。
・
ナハルとの面会を終えたロースを送る役目は、金髪碧眼のエルフ・ガルが担った。
ロースが療養している治療院の長を務めるのだから、当然の差配と言えた。
「神と戦う──ね」
ガルは半分笑った表情で、馬車に同席している患者の方を見やった。
「魔王様ですら難しいことを、あんな子供が……それを止めないというのは、大人としてどう思う?」
質問を受けたロースは、生まれて初めて見る都市の光景を眺めながら、ガルの問いに答える。
「──本当は、あの子には戦いとは無縁な生活を送ってほしいです。姉さんのような傷を負うことなく……でも、……あの子が、ナハルが決めたことだから」
静かに涙を零すナハルの叔母。
彼女も彼女なりに、いろいろとこらえきれなくなったのだろう。
ガルは頬杖をついて私見を述べる。
「首根っこ引っ掴んででも止めたほうがいいと思うけど……まぁ、そこまでする義理は、私にはないわね」
なにより、あの娘は火がついてしまった。
ロースを城門から見送った少女の確固たる瞳の色を思い出し、ガルは大いに鼻白んだ。
(いくら極大の〈聖痕〉があるとしても、魔王様はどうしてあの娘にあれほで肩入れするのか……)
ガルは疑念を抱えながら、治療院に戻った。
・
翌日の夜。
ナハルはアバルに頼んで、魔王の執務室を訪れた。
純白の全身鎧を着込む闇の王は、イニーの補佐の下で書類仕事を執り行っていた。魔術の照明具によって淡く照らされた室内において、その鎧は輝きを増しているように見える。
本当に、綺麗だと思った。
「ナハルか……どうした? あらたまって?」
「はい。私の結論をお伝えしに参りました」
なんの結論なのか、魔王は問わなかった。しかし、「早過ぎはしないか?」とだけ指摘しておきたかったようだ。
ナハルは十分に考えたつもりで、ここへ来た。
昨日、ロースとの──叔母との会話で蒙が啓けた気がした。
少なくとも、今は。
「私は、やはり、魔王と共に戦います」
決然と告げる転生者の少女。
魔王は指を組んでナハルを眺めた。
「……本当にそれでいいのか?」
「正直なところ、まだわかりません」
王は首を傾げた。
「私が、あなたと共に戦うことは間違っているのかもしれない。これから私は、多くの人間を不幸にするのかもしれない。そう考えただけで、足がすくんでしまいそうなくらいです」
「だったらやめておけばいい。ここで君一人が逃げ出したところで、俺には何の痛手にもならない。少なくともあちらの大陸に、人間側に〈極大聖痕〉を戴く〈勇者〉が渡らないだけでも、我が軍の優位は圧倒的となる。そのように迷ったままで、君は本当に戦えるつもりか?」
ナハルには迷いがあった。
迷いがあっても尚、魔王と轡を並べる意志だけは、変えようがなかった。
「昨日、私はロースと、私の叔母と話しました。彼女は言ってくれました」
「なんと?」
「『助けてくれて、本当に、ありがとう』……と」
ほかにも様々なことをロースはナハルに教授してくれた。
「私は、黒く染まった〈魔者〉を殺しました。
いくら〈聖痕〉のせいだといえ、私が消し飛ばしてしまった事実は覆らない。そう思うことでしか、私は彼らに報いることができません」
「そのように思い詰める必要はない。君は、まだ小さい。まだ幼い。そんな重い責任を抱える必要などないだろう。あれは事故だったと思えば」
「ええ。そうやって誤魔化すこともできるでしょう。人によっては、そうすることが正しい処置であり判断なのだと──けれど、私は、それだけはイヤなのです」
本当の顔も名も知らぬ人々を、〈魔者〉となったモノを、ナハルは犠牲にした。
しようがなかった、仕方のないことだった、不幸な事故や行き違いだと言って忘却することは、実に安易に思える。
それこそが正しくて優しい決断であると。
だが、それだけは、ナハルの心が許せなかった。
「私は、私が消してしまった〈魔者〉たちのことを覚えておきたい。そうでなければ、彼らは永遠に、何者でもないまま終わってしまう。私とは無関係な他人だなんて、そんな薄情なことを言って忘れて日々を過ごすなど、私は、したくないのです」
魔王は納得するように首を頷かせた。
「それに叔母の言ってくれたことで、私のような存在でも、誰かを助けることはできたのだと、そう強く思ったのです」
彼ら黒化した〈魔者〉を殺すことで、ナハルはロースを凌辱と死の淵から救いあげた。救うことができたのだ。
ただの体のいい釈明にすぎないかも知れない。見苦しい言い訳だと蔑まれて当然の弁解やも知れない。
それでも、ナハルがいたことで、救われた人は確実にいたのである。
修道院の数少ない生き残りである、叔母のロース。
そしてもう一人──王国に残してきた親友のことを、ナハルは思う。
「私は、私が守りたいと望んだものを守ります。護らねばならないと思ったすべてを護ります。そのために私は、あなたと共に戦います」
迷いも葛藤も、逡巡も躊躇も、何もかもを呑み込んで、ナハルは前を向いて進むことを選んだ。
何もかもに背を向けて、何もかもを忘れて、安穏に安泰に過ごす選択肢を捨て去ることを選んだ。
ロースが語ってくれた、母の言葉を心に刻む。
──『悩んでもいい。迷ってもいい。それでも、自分が信じたことをやり通すしかない
そのように覚悟した少女の様子に、魔王は深く息をついた。
「わかった…………そこまで言われては、俺も覚悟するほかない」
ナハルは総毛立つのを感じた。
「いいだろう。
〈勇者〉ナハル・ニヴ。君を正式に、我が配下の列に加えよう」
少女は深く頭をさげた。
「──はい! ありがとうございます!」
こうして、転生者ナハル・ニヴ……魔王を滅ぼし殺せる唯一の勇者は、10000年を生きる魔王のもとへ、正式にくだることとなった。




