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ナハル・ニヴ ~神様転生とは~  作者: 空想病
第一章 転生 
16/31

魔王の城 -5

ナハルの話に戻ります

/Transmigration …vol.15





 ・





 人間の領域──神に愛された大地──ティル・ドゥハス大陸と大海をはさんだ暗黒大陸。

 〈魔者〉の領域、ニーヴ大陸。

 港湾都市・ローン、魔王の城。


「────あ」


 少女は目を覚ました。

 ナハル・ニヴに与えられた客室……大窓から吹き込む風が心地よい、水平線を見渡せる寝室で。

 時刻は太陽が創る影の様子から、正午を過ぎた頃だろう。

 嘔吐して汚してしまった体と服も、誰かの手によってすっかり清められていた。

 柔らかい寝具に身を沈め、少女は一息つく。


「…………レー、くん」


 夢でしか会えないひとの名を呟いてしまった。


「起きたか?」


 声が聞こえた方を急ぎ振り返る。


「あ──」

「体調は?」


 ここが、この世界がナハルという存在の現実……その事実に、もはや何度目とも分からない溜息をこぼす。

 意識が戻って、はじめに飛び込んできた人物は、純白の全身鎧。手元にあった真っ黒い書物をパタリと閉じる。指先まで細部に装飾の彫り物が見られる鎧は、魔王という称号とは程遠い、清廉さと神聖さに満ち満ちていた。


「魔王──様?」

「気分はどうだ? 起きれるか? 水は飲めるか?」


 彼の問いかけに対し、少女は首を小さく振りながら、気を失う前のことをひとつひとつ思い出していく。


 ──ナハルが“転生者”であることを見抜き、すべてを理解してくれた魔王。

 ──同じ転生者だと明かされた、イニーという水妖の〈魔者〉。

 ──村と院を襲った、黒化した〈魔者〉たちの真実。

 ──〈魔法〉によって蓄積されていく“魔力”。


 ナハルは聞いた。すべてを思い出した。

〈魔者〉と“魔力”、そして〈魔法〉について。


「ぅ……あッ!」


 思い出しただけで臓物をひっかきまわされるような怖気を覚えた。再び喉元をすっぱい匂いが逆流しそうになるのを、両手で必死に抑えながら封じ込める。

 魔王の語った最後の言葉が脳裏を貫く。



 ──人間の国で黒化し暴走した〈魔者〉は、元“人間だった者”──

 ──蓄積した魔力によって〈魔の者〉へと変異した者たちだ──



「ぅ、ああ!」


 ナハルが、ナハルに刻まれた全身の〈聖痕〉が、吹き飛ばしてしまった者たち……


 否。


 魔力によって〈魔者〉と化した──“人間”!


 ベッドから跳ね起きる少女の身体。

 酸素を求めるように荒い呼吸を繰り返すが、胸の中の痛みと息苦しさはちっともおさまってくれない。

 ナハルは、自分は、人間を! 殺した!


 殺してしまった!


「わ、ぁ、あ、あ ああ ああ!」

「待て──落ち着け──」


 恐慌寸前、滂沱の涙をあふれさせるナハルの肩に、冷たい金属の手が添えられる。

 子供の腕で振り払おうとするが、優しい掌の持ち主──看病してくれていたらしい彼は、ナハルの暴れ狂う精神に語りかける。


「大丈夫だ。落ち着け」

「わ、わた、し……私が、わたしが、あの〈魔者〉を──あのひと(・・)たちを!」

「君のせいじゃない。……落ち着いて」


 ふと、その声音が非常に懐かしく思えた。

 生前、幾度か聞いたことがあるような、そんな切なくも美しい感動も、一瞬にして霧散してしまう。

 振り返ったそこにいるのは、当然のごとく純白の全身鎧だけ。


「少し、君が落ち着ける声を魔術で作ってみたが。……気に入らないか?」

「──はい。正直、すごく」

「はっきりしてるな、君は」


 ナハルの拒絶をあっけらかんと受け流して、この大陸を統べる王は声色を元のものに戻してくれる。魔王は自らの軽率さを猛省するように肩を落とした。

 その様子に、ナハルは幾分か冷静さを取り戻す。


「魔王陛下──ずっと気になっていたのですが」

「うん? なんだ?」

「陛下の鎧の下はどうなっているのですか?」

「ああ、まぁ気になるよな」


 魔王は少し考え込むようにした後、「〈聖痕〉があれば大丈夫だな」とひとりごちる。


「この鎧の下には『何もない』──ホラ」


 そう言って、鎧は気安く兜を取り外してみせた。その内側には何もない。

 中身がカラッポの鎧が、魔王の正体──というわけではない。


「俺の〈魔者〉としての体は、形のない“闇”だ」

「“闇”?」

「そう。〈聖痕〉を持っている君には見えもしないし影響もないだろうが、俺の“闇”を直視したり触れるものは、かなり大変(・・・・・)なことになる(・・・・・・)。そのため、この鎧を着て過ごすことで、魔王である俺は国民や配下の幹部たちと共に国務を執り行うことが可能なわけだ」


 兜を付け直した魔王。カラッポの全身鎧の内から声が響いた。


「やはり、あの話は、〈魔者〉の正体について語るのは、君には早かったようだな──すまない」

「私……あの〈魔者〉……あのひとたち、を」

「違う。殺したんじゃない。君の〈聖痕〉が、君らを喰い殺そうとしていた〈魔者〉を消滅させただけ。ただ、それだけだ」


 そう言い切る〈魔者〉の王に、ナハルは愕然となる。


「で──でも。私が、あの人たちを消さなければ…………魔王様たちが、彼らを救う、こと、だっ、て……?」


 言っているうちにナハルは思う。

 そんなことが可能なのか問うように、純白の鎧兜を見上げる。

 魔王は真実無念そうに首を振るだけ。


「すまないが──黒化した〈魔者〉は、魔王の俺でも救えない(・・・・)助けられない(・・・・・・)。黒化という重度の魔力欠乏に陥った〈魔者〉たちは、魔王からの魔力供給を十全に受け付ける肉体組成ではなくなってしまう。だからこその“黒化”だ。ちょうど、重度の飢餓状態に陥った人間に、大量の食糧を一度に与えても、良い結果にはならないように、魔王の魔力を分け与えることは毒を注ぐようなものだ。──黒化した〈魔者(ひとびと)〉は、人間を喰い続けさせるか、いっそ殺してやることでしか救えない。彼らの安息と救済はあり得ない。君が終わらせてやらなかったとしても、俺と配下の者たちが、彼ら全員に引導を渡していただけだろう」

「──そんなことって」


 ナハルは俯いた。

 慰められたような思いだったが、それでも、自らが招いた事実を重く受け止めるしかなかった。

 受け止めなければならないと、強く感じた。


「ナハル……やはり、君には荷が勝ちすぎるのでは?」

「それは、どういう?」

「『俺と共に神と戦う』という君の意志は尊敬に値する。しかし、だ。いかに君が“転生者”であるとは言え、我々〈魔者〉の真実を知った今も、本当に共に戦えると、そう言い切れるのか? 君が戦うのは神であると同時に、神の尖兵として送り込まれてくる人間たち──君の故郷をも敵に回すということになる」

「──それは」

「君が消し去った〈魔者(にんげん)〉たちのような事例は、これからも君の前に立ちはだかる障害となるだろう──それでも、君は戦えると、そう言い切れるのか?」


 少女は黙考を余儀なくされる。

 魔王の示した戦いの意味が、心の底から理解できた今。

 ナハルは結論しなければならない──ならないはずなのに。 


「結論を急ぐことはない。迷って当然だ。君は、まだ若く幼い。本当に戦いたいと思える時まで、この国でゆっくりしておくといい」

「あ……待って!」


 うじうじと悩んでいるうちに、魔王は立ち上がっていこうとする。

 引き止めなければという思いとは裏腹に、ナハルの指先は、立ち去っていく鎧布の端をとらえそこねた。

 ベッドから這い出てでも止めようとすることなく、少女は魔王の姿を見送った。





 ・





 そんな遣り取りを客室の外で聞いていた魔王軍幹部が、二人。

 一人は、骸骨の乙女と共にナハルの看病を任されていた水妖の淑女たる〈魔者〉、イニー。

 そしてもう一人は、


「どういうおつもりです、陛下?」


 金髪碧眼のエルフ(ルハラハーン)、ガルであった。

 戦闘時には一族伝来の狩人の装束に袖を通す彼女だが、平時においては丈の長い白衣に身を包んだ医療従事者として過ごしている。

 魔術を仕込んだ眼鏡をかけるエルフは、女王のごとく麗雅な双眸を眇め、詰問せずにはいられない調子でまくしたてた。


「あの娘を、ナハル・ニヴを陛下の軍勢に取り込み、〈勇者〉誕生の基本式の解明や、それを阻害する魔術式の開発、そうしてゆくゆくは〈勇者〉である彼女そのものを、魔術によらない方法で“教育”“洗脳”して、我が軍の尖兵として使い潰し、万が一すべてが御破算になったとしても、後の研究用の検体として保存するおつもりではなかったのですか?」

「さて、そうだったかな?」


 すっとぼけながら廊下を進む魔王。

 しかし実際として、二週間ほど前に本国の巫女が予言した時には、魔王滅殺級の〈極大聖痕〉の使い道として、そのように方針を固めていたはずだった。

 それを魔王軍の元老級筆頭幹部の中で、唯一封印処置が施されようがない亜人の()王女は聞かされて知っていた。

 にもかかわらず、魔王はどういう心境の変化があったのか、ナハルを積極的に利用しようとする方策を示さなくなった。

 ……神を殺すためなら何でも利用しようとする手練手管、冷徹な戦運びを常とする王の在り方としては、今のような少女への応対ぶりを見ると、あまりにもそぐわない印象が強い。ガルが惚れこんだ魔王とは、どこか噛み合わない気がしてならなかった。

 ガルは女王のごとき(ひとみ)のまま、イニーに視線を移した。


「イニーちゃんは、これでいいと思うの?」

「私は、陛下の御意(みこころ)のままに」 


 右半分だけの美貌……片眼鏡ごしの蒼い瞳は、いつものように涼し気な様子を維持している。

 それを見て取って、ガルは肩をすくめた。大きな胸を弾ませ、魔王の鎧の左腕に白衣の両腕を絡める。


「まぁ、いいです。あ、それと今朝アバルちゃんから依頼されてた件ですが」

 




 ・





 ナハルは魔王を止められぬまま別れ、一人もの思いに耽り続ける。


 ──結論を急ぐことはない──

 ──迷って当然──

 ──本当に戦いたいと思える時まで──


 そう告げてくる王の真摯な声音には、抵抗することが酷く難しく感じられた。

 何か精神に作用する魔術なり能力なりが使用されたという可能性は低いだろう。

 極大の〈聖痕〉を総身に刻まれたナハルは、魔王による干渉を受け付けないと聞く。

 当の本人たる魔王がそう断言するのだから間違いないとみるべきだ。


(ま、それもあの魔王様が本当のことを言っていたら……の話だけど)


 そのように懸念しつつ、ナハルは魔王の言葉が真実であると思っていた。

 彼の言動はいちいち誠実で、どこまでもナハルという少女を案じていることが透けて見えるようだった。


「とにかく、魔王(あのひと)の気が変わらないうちに──、……」


 そう思いはしても、少女の両脚は部屋の外へ駆ける意欲を失っていた。堅く握り込んだ拳が、力なくほどけてしまう。

 考えてみれば当然──ナハルは、神と戦うという決意については揺るぎないものがあったが、その過程によって生じるであろう弊害、すなわち“人間”との戦いを念頭においていなかった。漠然とした感覚で、魔王が神への戦いへの道筋を照らしてくれるという期待があった。しかし、共に戦うと表明することは、魔王が現実に戦う者たち──ティル・ドゥハス大陸の民──異世界の人々や、ナハル以外の〈勇者〉との死闘も、諸共に共有するということ。

 これはナハルの認識が甘かったと言わざるを得ない。

 もし本当に、そのような事態に直面した場合、ナハルは本当に事を成し遂げられるのか?

 魔王の敵を討てるのか?

 黒化した〈魔者〉……元人間を殺したという事実だけでも、これだけ震え上がってたまらないというのに?


「それでも、私は……」


 神を許すことはできない。

 自分のすべてを奪い、手違いという理由だけで転生させたクソ共のことなど──許せるはずがなかった。

 その意志だけは変質しようがないことを確かめた時、部屋の扉をノックする音を聞く。


「はい」


 どうぞと言う声に対し、外の存在は無言でドアノブを回す。

 現れた〈魔者〉は、無言ということで予想していた通りの骸骨──アバルであった。


「アバルさん、何か?」


 首を傾げるナハルに対し、アバルは伝言ボードを掲げた。


『お客様がお待ちです。お加減の方はいかがでしょうか?』

「……お客様? ええ、体調はもうだいぶ」


 客とは誰のことだろうと思考を巡らせるナハル。

 骸骨の女性は客人の名を書き込んで示した。


『ナハル様の叔母。修道女のロースさんです』










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