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ナハル・ニヴ ~神様転生とは~  作者: 空想病
第一章 転生 
11/31

魔王の城 -2

/Transmigration …vol.10





 ・





 私は夢を見ている。

 とても優しい夢を。


 普通のマンションの一室。

 ファミリー向けの間取り。

 朝の支度をしてくれる彼。

 大きなおなかをさする私。

 その傍には、双子の姉妹。


 家族は微笑みを交わし、いつものように語り合う。


『もうすぐ生まれるんだよ』


 愛おしさを胎内に伝える母の声。

 それと同じ分量の愛情あふれる声音を、母の膨らんだ腹を興味津々に触れる幼い少女らに向ける。


『弟かな? 妹かな? 二人はどっちがいい?』

『うーん、どっちでもいー!』

『私もー!』

『どっちでも? なんで?』

『どっちでも、私がちゃんとお世話するんだ!』

『お姉ちゃんずるい! 私もお世話するから!』


 ありがとうという声に、我が子たちはくすぐったそうに微笑んだ。


『二人とも、朝ごはんができたから手伝ってくれる?』


 父親の言うことをよく聞き、率先して家事に赴く子供たち。

 妻は夫に感謝してもしきれなかった。


『大丈夫?』

『うん……ありがとう、おとうさん』

『気にしないでいいよ、おかあさん』


 お互いの新しい呼び方に笑みがこぼれる。

 皆で囲む、あたたかな朝食。おいしい白米と汁物と卵焼き。いただきますという声が重なる──




 どこにでもある、幸せな家庭──本当の家族。




 かつて私が、彼と共に夢見ていた理想の未来。


 私が見るはずだった、なにもかも幸福な世界。


 それは何もかもが、太陽のように輝いている。







 私は、ナハル・ニヴは、その悪夢を遠くから眺めている。

 心臓が凍え砕けそうな、極低温の闇の底で。


「あ…………あ、ああ…………」


 どんなに手を伸ばしても、それを掴み取ることはできない。

 どんなに前へ進もうとも、そこへ辿り着くことはできない。


 私は死んだ。

 鬼塚ハルナは死んだ。


 神とやらの手違いによって。

 連日続く体調不良に「もしかして」と思い、彼に内緒で病院に行ったのが間違いだった──


 そのせいで、こんなことになってしまった。


「かえして……かえしてよ……、私の、私たちの……」


 何百何千、何万回も繰り返した恨み言を吐きつつ、膝を屈する。

 夢の儚さに押し潰され、あまりの不条理に臓腑が凍える。

 得られたはずの未来を根こそぎ奪われた。

 勝ち得たはずの幸福を全否定された。

 人生を、家族を、未来を──神ごときがすべて台無しにしやがった。

 許せない。

 許せるはずがない。

 許していいはずが──ない。

 ナハルは様々な感情に歪む視界に闇を映しながら、腹をおさえて蹲った。

 憎悪。

 絶望。

 積怨。

 憤怒。

 寂寥。

 悲嘆。

 哀哭。

 懊悩。

 そして、それらすべてにも勝る、一個の韜晦(とうかい)



「ごめんなさい……ごめんなさい……」



 死んでしまって、ごめんなさい──



「ごめんなさい──ごめん──ごめん」



 神に転生させられた時と同じように、嗚咽を噛み殺すこともできず、ナハルは腹部をきつく抱き締めながら、暗く冷たい涙の水底へ沈んでいく── 





 ・





 ナハルは、そんな夢から覚めた。


「……ッ」


 濡れた枕──毎日のように見る悪夢のなかでも、今回の夢は相当に悪辣な部類に入る。瞼が重い。涙を拭って、視界のもやを払う。瞳が潤んでしようがない。


「──こ、こ……は?」


 枕が自分のものではない。さらに言えば、このベッド──この部屋は孤児院のそれではない。


(ああ……そうだ)


 思い出してきた。

 ここは、孤児院ではない。

 魔王と一行に連れられて、ナハルは〈魔者〉の国に降り立った事実を思い出す。


「お目覚めですか?」


 呼びかける声も、院に住まう修道女らのそれとはまったく異なる。

 身体の左側が水に溶けてしまったような女性の姿──〈魔者〉──イニーという女怪の姿に、ナハルは平然と顔を上げる。


「おはようございます」

「おはようございます、と言いたいところですが。今はもう夕刻も終わる頃でございます」


 ナハルは驚き、視線を巡らせた。

 両開きの大窓の外はかすかに赤く染まっているが、どちらかと言えば夜の色合いが濃くなっている。潮の香りが心地よい。

 慌てて体を起こそうとするナハルであったが、イニーの右腕に抑えられたことで、強制的に寝床に戻された。

 マシュマロよりも柔らかいマットレスの弾力は、孤児院のボロベッドの類とは比べようもない心地よさであったが、何故か体が言うことを聞かないことに焦りを覚える。

 少女の疑念を理解したようにイニーの右顔面が頷いてくれた。


(みそぎ)()で〈聖痕〉の処置をしてから、もう今日で三日でございます。あれほどの傷を負ったわけですから、無理は禁物であると容易に判断できますが」

「三日、て、──わたし、っ」

「ご安心を。魔王様はいつでもあなたと面会する用意がございます。しかし、今はご自愛なさった方が賢明かと」

「だいじょうぶ、です」


 そうは言うものの、幼い体は上半身を起こすのにも酷く消耗しているようだった。

 吐く息が重く、体も熱っぽい。イニーの水っぽい左手が額に当てられるのが冷たくて心地よかった。


「やはり熱はまだ高い。魔王陛下と私が行った〈聖痕〉への処置は、本来であれば隠しておくことは不可能な傷を、あなたの体表から可能な限り隠蔽封印したもの──ですが、そのためには貴女ご自身の力も大いに摩耗されております──小さい体とは言え、その全身全域におよぶ〈聖痕〉の大きさを考えれば、致し方ないことかと」


 ナハルは寝起きだというのに、さらに襲い来る気怠さと眠気と疲労感の大進攻に敗北する。


「ごめんなさい──もうすこし、寝ます」

「構いません。どうか、いまは回復につとめられますように。──安き眠りを。〈勇者〉ナハル」


 そう祈ってくれる〈魔者〉の人間と水流の両手に右手を包まれながら、ナハルはまた深い眠りに堕ちる。

 安らかな眠りを──しかしながら、その言葉が実現することはないだろうことをナハルは承知していた。

 この九年間、悪夢を見続けている少女にとって、睡眠に安らぎを求めることなどありえないことだった。





 ・





 ティル・ドゥハス大陸──この世界の人間たちの大部分が生活圏としている大陸と対になるように、〈魔者〉の生存圏とされる暗黒大陸は存在している。

 しかし、暗黒大陸というのはあくまで人間側が呼称し仮称する言葉。未知なるものへの忌避と畏怖──行って帰ってくる者のないほど、存在が不確かな土地──何より、“人を喰らう化け物”たる〈魔者〉、その王である“魔王”が住まうというイメージが独り歩きした結果として、そのような蔑称にして別称が定着した歴史によるもの。

 しかし、そんな暗黒大陸にも、王を戴く者たちは存在しており、その者たちにも歴史と文明は存在していることは、ティル・ドゥハスの人間は知る由もない。

 そこに実際に住む者たちは、まったく別の名前でもって、自分たちの大陸を呼びあらわす。

 その名前は“ニーヴ”。

「天国」という意味を持つその名は、ティル・ドゥハスの民らにはまったく知られていない。────何故か。


 その大陸の東端に位置するのが、港湾都市ローン。

 都市長を務める海豹精(セルキー)をはじめ、多くの〈魔者〉が造営に携わり、また多くの人間が共存している都市のありさまは、ニーヴの民にとっては珍しくもない光景のひとつにすぎない。


 そんな港湾都市を一望できる魔王の城──正式名称はローン都市城塞だが、魔王とその部下たちが主に利用する城ということで、そのように称する市民が多い──にて。


「しっかし、まぁ、巫女殿の予見したとおりになるとはな」

「確かに──魔王様を殺せる〈勇者〉を掌握されるなんて、最初は信じられませんでしたわよ」

「おい。〈勇者〉の名前、聞いたか? どうやらナハル・ニヴっていうらしいぞ?」

「ナハル──ニヴ?」

「ああ。“ニーヴ”じゃなくて“ニヴ”、だ」

「──それはまた、不吉な名前だこと」


 六つの盤上に並べた精緻な人形駒を互いの手番で動かすボードゲームに早打ちで興じるのは、眼鏡をかけ教本を片手に開いた筋骨隆々の狼男・レアルトラと、全身を包帯に覆われた女性の枯死体。

 包帯だらけの女性は古ぼけた麻の布の上に数多くの副葬品らしい宝飾類で身を飾っており、そのどれもが百年以上の年月を蓄積した年代物だ。さらに、魔術的な効果もあることから、その死体がかなり高貴な出自であっただろうことを容易に予想させる。包帯に閉ざされた口元からこぼれる声はくぐもっていたが、実に典雅かつ聡明な口調を自ら誇っているかのように明朗闊達であった。

 包帯と指輪に包まれた細い指が、巧みな駒の配置によって、狼男の“王”を完封した。


「はい、(わたくし)の勝ちです」

「な────ちくしょお、やっぱり脳を使うのは木乃伊(サラガーン)の姫様が上手(うわて)か~」

「そのようですわね。もっとも、我が麗しの脳髄は、『ここ』にはありませんけれど」


 種族ジョークと共に軽く頭を突いて笑う木乃伊の女性。

 盤面の駒の配置を悔し気に睨みつけつつ、熱心に再考を重ねる勤勉な狼男に向けていた視線を別方向に向ける


「次のお相手は──リギンの御老公はどうです?」

「儂は遠慮しよう」


 生きる魔剣は手を振るかのように剣柄を揺らした。

 リギンはレアルトラに駒の進め方や盤上のルールを細かく教えてやっていたのだが、さすがに相手が悪すぎた。狼男は負けず嫌いな性格故に、つい先ほどの対局を中途から一人で考察・再試行し始める。一度集中し熱中すると、彼は完全に自分の世界に入り込んでしまう癖があった。


「儂もどちらかといえば、レアルトラ同様に“力押し”するだけの能しかないのでな」

「あら。7000年前の先達とは思えないほど弱気ですこと」

「頭脳労働を任せられる優秀な後輩諸君のおかげだよ。アーン・タシュタル殿」


 そのように褒められては打つ手がないと肩をすくめる木乃伊の女性。


「まったく──暇ですわね」


 レアルトラとの早打ちは十戦十勝を記録したが、同じ相手ばかりでは飽きもくるもの。

 アーンの主張に、リギンは生真面目に応じた。

 

「仕方あるまい。(くだん)の〈勇者〉殿が、未だに昏睡状態では、な」

「せめてアバルか、魔王様と対局できれば、何も文句はありませんのに」


 そのアバル──骸骨女は幼い〈勇者〉の看護に勤めている。親友の仕事を邪魔するほど、木乃伊の姫君は我儘体質ではない。

 魔王にしても、政務や公務に忙殺されながら、連行した〈勇者〉の処理を続けている最中であった。


「ならば我と一局どうだろう!」

「あら? ──ソタラハ?」


 アーンが振り向いた先は、娯楽室の窓の外──そこから縦の虹彩が鋭い瞳が、室内を睥睨していた。


「久方ぶりだの」

「リギン殿も息災そうで何よりです!」

「本当に久しぶりですわね。100年ぶりかしら。あなたもようやく封印が解けたようですわね?」

「ああ! 我等が盟主・魔王陛下の魔力がこの身に満ちたおかげだ! 陛下に御礼申し上げるべく本国へ馳せ参じたのだが、今はこちらにいると教えられてな!」


 ソタラハと呼ばれた真紅の巨獣は、巨大かつ膨大な爬虫類の姿に一対の被膜の翼を雄々しく広げた天空の王者、(ドラガン)であった。

 山ほどもある巨躯は人間が見上げれば死の恐怖に全身が硬直する〈魔者〉だが、同じ主を戴く同族たちにとっては、慣れ親しんだ同胞同輩にすぎない。


「あなたと一手打つのは申し分ないけど、さすがにその姿では駒を粉砕する虞がありますわね?」

「フハハハ! なるほど、我が爪は聖剣を砕き、どのような魔法の盾も貫き抉る──軍略盤の遊具など、鱗で撫でただけで粉微塵になりそうだな! では!」


 その一言を合図としたかのように、竜の全身が紅蓮の焔光に包まれる。

 一拍の後に現れたのは、黒い肌に赤い髪を撫でつけた美青年であった。

 ソタラハは竜の角と翼と尻尾を残した姿に転変を終えると、そのまま娯楽室の窓から入城を果たす。


「これでよし!」

「ちょ!」 


 竜男は人間形態に変身することで城に入るのに適切なサイズとなったが、竜形だった彼は何も身に着けていなかった。

 つまり、真っ裸である。


「わわわわ私の前でそ、そそそんないかがわしいもももももももものをォ!」

「おっと失敬! 服を持ってくるのを忘れていたようだ! 我、うっかり!」

「バカじゃないの!? ばかジャナイノ?!」


 赤面して顔を手で覆う木乃伊の姫に、大笑いしながら腰に両拳をあてて屹立する竜男。


「──にぎやかになってきたのぉ」


 そんな二人の様子に魔剣は懐かしさを刀身の内に感じる。


「うーん、女王がこっちで、衛兵があっち、天使が防いでくるから、悪魔がここを──えーと?」


 意外にも勤勉な狼男は熱心に教則本へ視線をおとし、盤上の駒を動かしながら再攻略法を練り続けている。





 続々と魔王軍幹部が招集・参画しつつある魔王の城──彼ら〈魔者〉の力は、かつての勢いを取り戻しつつあった。








《人物紹介コーナー》第四弾


●アーン・タシュタル  木乃伊(サラガーン) 包帯だらけなミイラの姫。骸骨女ことアバルの親友。

●ソタラハ        (ドラガン)   赤く巨大なドラゴン。一人称・我。よく服を忘れる。

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