学生の本分①
時間が流れるのは早く、気が付けばもう六月中旬。梅雨の季節が到来し、雨音が日常になった今日この頃。皆様はどうお過ごしですか?
俺はと言うと、ようやく左腕の再生が完了し、何とか学校に登校している。一か月ぐらいかかってしまったが、これは結構早い方。暴飲暴食と神殿での生活が功を奏した形になった。
一方右腕はまだ完治しておらず、二の腕の半分くらいしか再生できていない。一応対外的には体育祭の怪我で入院し、ようやく復帰できたという説明をしている。
クラスメイトで心配してくれたのは正彦だけで、他は俺の存在すら気に留めていなかったようだけど。
寂しい気持ちはあるが、これも俺の悪目立ち阻止計画が上手くいっている証拠だ。文句は言うまい。
さて、それはどうでもいい。今の状況が本題だ。
今俺は、異様に勉強へのやる気が満ちた教室で、取り残されたように一人窓の外を眺めている。
何故このような状況なのか。
それは、ついこの間配られたプリントの記述が原因。
『四月の学舎修繕の影響で五月の定期試験が中止になったため、期末試験を六月下旬に行います』というお知らせだった。
これが一体何を意味するのか。それは前期の成績がこの期末だけで決まるという、残酷な事実と、中間の範囲と期末の範囲が重なっているため、難易度は平年より格段に上がっているという現実だ。
実はこの学校、成績が最頻値よりも下の児童と生徒は夏休みの平日中ずっと夏期講習になるのだ。ちなみにその成績は、中間テストと期末テストを合わせた平均点で決まる。
つまり、夏休みがあるかどうかは、今年は期末テストで決まると言っているようなものだ。
さらに追い打ちをかけるように、今年の夏休みに夏原三大行事の一つである臨海・林間・修学学校が編成されている。
これによって、皆のやる気が一気に上がっている。
しかし、俺はそんなにやる気が起きていない。もう成人の俺は夏休みだろうと仕事がある。依頼や術式製作のために色々な場所に訪れた俺には臨海・林間・就学学校にも魅力を感じていない。
……割と成績がいい方なので焦りはないのが正直な所だけど。だって高校レベルなら覚えるだけで良いんだもん。
ということで、俺はいつもと変わらずのんびりとしています。
「鳴神さん、助けて下さい!」
けれども、授業が終わり、図書委員の仕事をしていると、鞄を持ったエリスが飛び込んできた。
様子が慌ただしく、何事かは分からないが……聖神楽土幹部のエリスがここまでの焦りを見せている。緊急事態であることは間違いなさそうだ。
しかしこんな状況では何をどう助けていいのか見当もつかない。
「……まあとりあえず座って」
ここは落ち着かせるのが先と判断し、椅子を出して落ち着かせる。
「あ、ありがとうございます……」
息切れしながらお礼を言われた。これは相当ヤバい案件だな……。
覚悟を決めて、エリスが話すのを待つ。
「えっと、その……助けて欲しいのです」
「何を?」
聞き返すと、静寂が数秒訪れ……エリスが口を開く。
「勉強を教えて欲しいんです!」
「……え?」
鬼気迫る雰囲気とは打って変わって、実にありきたりな返答だった。
「すまん、もう一回行ってくれるか?」
「勉強を教えて欲しいんです!」
成程、聞き間違えではなかったか。
「俺が、エリスに?」
「他に誰がいるんですか!」
「いっぱいいるだろ。クラスの人気者だし選び放題じゃん」
俺に声を掛けなくても、エリスの頼みを断るような奴はうちのクラスにはいないはずだ。クラスメイトの名前なんかほとんど覚えていないけど。
というか、一応怪我人なんだから少しは気を遣ってくれ。いや別に構わないけど。
「実はですね、クラスの友達にもう頼んだんです。あ、もちろん女子ですよ?」
「いやそこは疑ってないけども……え、断られたの?」
「いえ、快諾してもらえました。それで先週に勉強会をやったんですけど……」
「ならもう一回やればいいじゃんか」
「それがですね……」
そう語るエリスの表情は、誰がどう見ても落ち込んでいた。
「日本史と古文の知識が全然無くて……勉強が全然進まないんです」
「あっ……」
そう言えばエリスはつい一か月前まで海外生活してたんだった。日本語が流暢なせいで忘れていた。
「まあ、そりゃそうだよな」
そんなエリスに、海外で教えることのない日本史と古文のテストで良い点数が取れるわけがない。
「そのせいで友達に迷惑が掛かってしまって、皆の勉強が全くできなかったんです」
「……つまり、エリスの勉強にかかりっきりで勉強会が終わったってことか」
「はい」
エリスが落ち込んでいる理由はそれか。
しかし迷惑をかけて落ち込むって、凄まじく日本人らしい考え方だな。
「それでですね、鳴神さんは成績上位者とお聞きして、こうして伺ったわけです」
「ふーん。まあ俺は教えるのはいいけど……今からは無理だぞ。委員会の仕事がある」
いくら人がいないのがデフォルトだからと言って、仕事がないわけではない。掃除したり、蔵書の確認をしたり、新書のポップを書いたりとやることはわりとある。
「勿論待ちます!」
やる気はあるみたいだな。ならこちらが応えない理由はない。エリスは怪我の心配してくれて梅森さんと一緒に家まで見舞いに来てくれたぐらいだしな。恩返しのいい機会だ。
「そうか。なら時間がもったいないし簡単な課題を出そう」
「何でしょうか?」
「ノートのまとめだ。ここからここまでが出題範囲だからコピーしてきて。あそこのコピー機使っていいから」
俺は自分の鞄から日本史と古文のノートを取り出す。
「鳴神さんのをですか?」
「エリスのノートじゃ出題範囲が網羅されてないだろ」
エリスが転校してきたのは五月の中旬頃。テスト範囲には上旬も含まれているので、エリスのノートでは全体をカバーできない。
「使い方は分かるか?」
「分かりますよ!」
「そっか。分からないところがあったら言ってくれ」
「……私機械音痴じゃないんですけど」
エリスは不満な視線を向けてきた。
「いやそんなつもりじゃないんだ。イギリスと日本じゃ勝手が違うかなと」
俺イギリスのことは全然詳しくないから。
「まあ、そういうことにしておきます」
「じゃ、できたら声かけてくれ」
「はい!」
元気一杯なエリスを置いて、返却された本を、目録を見て本棚に戻す作業に入る。普段通り返却された本は多くないので割と楽な作業ではあるが、多いときはとても大変な作業だ。
一番大変なのは本を持ってあっちに行ったりこっちに行ったりすることだな。カートみたいなものはなく、左腕しか使えないから一冊ごとに行ったり来たりする羽目になった。早くカート買って司書さん。
とまあ、そんなことを考えつつ作業を終える。
「エリス、終わった?」
「はい、何とか」
「……鳴神君」
「梅森さん」
エリスの隣に梅森さんが座っていた。何だか不機嫌そうな感じだが……あ、コピー機使わせちゃったからか。規則違反だしな。そりゃ不機嫌にもなるか。
「ごめん。外部の人にコピー機使わせちゃって」
「そんなことはどうでもいいの」
え、じゃあ何でそんなに不機嫌なんですか。
「どうしてエリスさんがここに?」
「ああ、勉強教えてくれって押しかけて来たんだよ」
「……そうですか」
梅森さんはコピー機を操作しているエリスをじっと見つめていた。
……なんか不穏な気配がするんだけど。
え、二人ってそんなに仲が悪いのか? 体育祭の時はこんな感じじゃなかったじゃん。
「あ、千里さん! お邪魔してます!」
「エリスさん。図書室ではお静かにお願いします」
梅森さんの視線に気が付いたエリスは、元気に梅森さんに話しかけた。すると先程の気配はすっきりと消え去り、和やかな雰囲気に包まれる。
……ちょっとよく分からないが、不仲って感じではなさそうだ。
とにかく、仲が良いことは喜ばしいことだ。今はそれでいい。
「エリス、コピーはできたか?」
「はい、勿論!」
「ならそれを使って復習すること。今から本題だ」
「何をするんです?」
「簡単な事だよ。コピーを持って、俺に説明して」
我流だが、これぐらいしか俺が教えられるもの無いしな。
「説明、ですか?」
「ああ、こう言っちゃ悪いが高校のテストなんて基本的に暗記だ。最近じゃ問いに対す考えを書けっていう問題もあるが、まず覚えてなきゃ意味がないからな」
「それで、どうして説明になるんです?」
「説明するにはそのことに対して理解しているかが重要だ。
そして理解できるものって割と頭に残りやすい。流石に一年は保たないだろうが、定期テスト程度ならこれで十分。
まあそれは置いといて、説明をすると、どうしても説明できない部分が出てくる。それが今、自分が分かっていない部分だ。説明はそれを浮き彫りにして、重点的に勉強するための準備だ。
そして声に出して言うというのも大切だ。インプットだけじゃなくてアウトプットをすると記憶が定着しやすいらしいからな」
長々と持論を語ったけど、エリスは口答えをせず真面目に聞いてくれた。それに梅森さんも。
「日本史と古文ならこの方法で良いと思う。理系科目もある程度はこれでいける」
この勉強法で一番重要なのは理解しているかどうか。理解できないことは人間にとってストレスであり、パフォーマンスを低下させる。
だから、まずは理解できないことが何なのかを知る。
「分からない部分があったら俺に訊いてくれ。大部分は理解できてるから」
「分かりました! じゃあ古文から行きますね!」
エリスは気合十分、といった感じでノートをコピーした紙をじっくりと見ながら、説明をしていく。
すると、説明に詰まるところが出てきた。
「そこは後で説明するからマーク付けてくれ。まずは全体を通してみよう」
「はい!」
エリスは鞄から取り出した筆箱を取り、マーカーを取り出して線を引いていく。
「じゃあ説明に戻りますね」
そして出題範囲の説明が終わるまで繰り返す。
「……と、こんな感じですかね」
「そうだな。ちょっと見せてくれるか?」
「はい」
エリスから紙を受け取る。
「……物語の現代訳が弱点かな」
配点次第ではあるが、漢文訳はまあまあできていたし、古語の翻訳もちょっと拙い程度。挽回は可能だ。
ただ、物語の翻訳となると聞いたことのない話ばっかりだからなのか、物語としてガタガタな翻訳になってしまっていた。
「そうなんですよね……」
「物語ならどうにかなりそうだな。物語の内容を覚えりゃいいんだし」
「でも流石に全部は……」
「いやいや、全部読めるようになる必要はないんだよ。簡単な説明ができれば七割はできるから」
エリスが物語翻訳を苦手とする最大の原因は、その物語を読みなれていないから。ほとんど初見に近い状態だろう。
多分、授業に付いて行くために古語の語彙を増やすのに精一杯で、物語翻訳まで手が回らなかったのだろう。
「そうなんですか?」
「現代語訳の本があったはずだから、それを古語のやつと見比べて読めば大丈夫だと思うよ。えーと、どこにあったかな……」
「鳴神君、持ってきたよ」
梅森さんが出題範囲の物語の現代語訳版を持ってきてくれた。
「ありがとう。見つけるの早いね」
「多分こうなるかもって。鳴神君暇な時さっき言ってたやり方で勉強してたから」
「……見てたの?」
「ここでしてたら嫌でも目に付くよ」
隠れてやってたつもりだったんだけどなあ。仕事サボって勉強してたのバレバレとは。
「怒ってる?」
「ううん。それぐらいいいと思う。私も暇な時間は本読んでるし」
「お互い様ってことか」
「うん、そうだね」
クスリと微笑む梅森さんをみて、こちらもつられて口角が上がる。
「……お二人とも、仲が良いんですねえ」
エリスがニヤニヤしながらこっちを見ていた。
「もしかして、お二人はお付き合いされてるんです?」
「ふえっ!?」
急激に梅森さんの顔が真っ赤になった。
「エリス、俺と梅森さんは親友ではあるけど恋人じゃないぞ」
梅森さんはこういうからかいに耐性がないので混乱しているが、俺はこういうのは慣れているので冷
静に返答する。
「大体、梅森さんは男が苦手なんだ」
「そうなんですか? それにしては、鳴神さんを怖がってない様子でしたけど?」
「それはほら、俺女顔だし体格も男っぽくないだろ?」
事実とは言え、自分のコンプレックスを語るのは辛いな。事実なんだから仕方ないんだけど。
「あー、なるほど?」
全然納得してないなこいつ。
「梅森さんも、何か言ってくれ」
「…………」
梅森さんに証言をしてもらおうとしたが、今だ赤面フリーズ状態。
「……ま、とにかく俺と梅森さんはそういう仲じゃないってことだ」
「……いやどう見ても脈アリじゃないですかね?」
小声で、しかもプリントで口元を隠しているので聞こえない。
「何言ってるか知らないけど、次は日本史の説明をしてくれ」
「! ……分かりました」
何か思いついたような目をしたと思ったら、すぐに元の優しげな目に戻った。
……まあいいか。




