神遊祭、開幕②
雷夢との話し合いが終わり、翡翠も加わって一緒にテレビを見ている。番組はもちろん、神遊祭の生中継だ。
神遊祭には毎年生中継が入り、中々の高視聴率を記録しているだという。七瀬さんに聞いた話だから、信頼性は高い。嘘はつかない人だからな。
番組の流れは、迷宮を移動する選手を様々な角度で映し、遭遇したら一対一の戦闘を、画面を分割して放送している。
こういうのって、最初はいいんだけどずっと見ているとだんだん飽きてくるんだよな。偶然にも参加選手の中には噂に聞く名前があったし、同じ討魔師の仕事をした顔見知りがいるので応援に熱が入ることもあるが、やはり退屈さを感じる。
特に隣の雷夢はそんな知り合いとかいないので退屈そうだ。友人に勧められ興味のないスポーツ観戦をさせられている時のような顔をしている。雷夢は戦闘に調味があるわけでもないしな。一瞬で終わ
るから楽しむ余地がないだろうし。
俺も見るよりはやる方が好きだけど。
そんな俺達はビスケットを食べて紅茶を飲む。そして試合観戦。……何だろう、今凄い優雅じゃない?
「透いる?」
俺を呼ぶ声に反応して振り向くと、ひょこっとドアから紅葉が顔を出していた。いつものように赤と黒のブレザー風の服を着ている
「紅葉? どうしたんだ」
「いや暇だったから呼んだだけ──え、雷夢?」
「お邪魔してますわ紅葉さん」
紅茶を飲み、優雅に答える。
「どうしたの? 珍しいじゃない。雷夢がこっち来るなんて」
「ちょっと主に抗議に来ただけですわ。もう解決しましたけど」
「ふーん?」
怪訝な目を俺に向ける。
「何か変なことしてないでしょうね」
「してねえよ」
「そうですわ。主にそんな度胸があるとお思いで?」
「それもそうね」
……酷いことを言われた気がする。事実だから反論しないし、悪い意味でもないだろうからとやかく言うこともしないけど。
「何観てんの?」
ソファに体重を預け、俺と雷夢の肩の間から顔を出す。紅葉の髪からミントのような清涼感のある
香りがした。どっかで嗅いだことあるな……あ、風呂場の青いボトルのシャンプーのやつか。
でもこんなにいい香りではなかったような気がするんだが……。気にしてもしょうがないか。
「あ、お菓子あるじゃん」
テーブルに手を伸ばすが届かない。
「行儀悪いですわよ」
「いいの、見られて困るのいないし」
それは、俺に見られても何の問題もないということか? 扱い雑くない? 出会った時に比べればまだマシになってはいるけど。当時はバンバン《炎天弓》で威嚇されてたし。
「うー……届かない……」
「おい、危ないぞ」
ソファに身を乗り出して、足をバタつかせる。それと連動して短い赤と黒のチェックスカートが揺れて、二つの意味で危ない。一体何が紅葉を頑なにソファ越しにビスケットを取ろうとさせているのか。普通に回ってきて取ればいいじゃん。雷夢の隣空いてんだし。
「もうちょっと……」
腕をプルプルさせながら伸ばしている。あと数ミリ……!
「とれた!」
紅葉がビスケットを腕が攣りそうになるほど伸ばして手に入れた直後、気が緩んだのかバランスを崩し、頭から床に落ちそうになる。
「紅葉ッ!」
咄嗟に頭の直撃だけは防ごうと両肩を支えようとし身体が動いたが、間に合わず──
ふにゅ。
こ、この丸みを帯びた膨らみと柔らかさは……!
「…………ッ!!」
紅葉の顔が一気に赤くなり涙目になる。俺からは紅葉の背中で見えないが、それを見て確信した。
俺、紅葉の胸、揉んじゃってる……っ!
「ウガーッ! はーなーせー!」
俺の腕から逃れようと全身を使ってジタバタさせている。そのせいで胸が──むにゅん、むぎゅ、と形が変わる。
俺としても早く離すべきだとは思っているのだが、この状態から離すと紅葉が碌に受け身を取れず顔面強打の可能性が高い。
「紅葉、分かったから落ち着け! 雷夢は紅葉を押さえて!」
「了解しましたわ!」
本来なら雷夢から雷撃を喰らう場面だが、雷夢もこれは事故だと判断したのか快く指示に従ってくれる。
一方紅葉は聞く耳持たず。激しく手足をバタバタと上下させている。
「紅葉、しっかりしてくださいまし!」
雷夢が紅葉の腰をしっかり固定したので、俺は紅葉の胸から手を離す。何とか紅葉は床とキスすることはなく留まった。
これで一安心。後は紅葉を元のソファの後ろに立たせるだけ。と思いふと後ろを見ると……っ! スカート捲れて赤のパンツが丸見えじゃねえか! 裾が黒いレースになってるところまではっきり見えちゃったぜ……!
それを紅葉や雷夢に悟られないように素早く目を逸らす。……よし、気付かれてないようだ。
紅葉はビスケットを咥えながら元の態勢に戻った。威嚇するような鋭い目つきに睨んでくる。違うんだあれは事故であって故意ではないんだ。
「……透のえっち」
ソファで顔下半分を隠し、潤んだ眼に上目遣いというあざとさを見せる紅葉。罵声と共に蹴りを入
れてくる普段と違い、萎らしい姿に……可愛いと思った。これが噂のギャップ萌えと言うやつか。
「ごめんなさい」
それはそうとして、事故とはいえ胸を揉んだことには変わりないので謝る。
「……もう、気を付けてよねっ!」
そう言って紅葉はリビングを去る。あの様子だと自室に行ったな。
「……なんか、紅葉らしくないな」
それが気にかかる。胸を揉んであの反応は普段の紅葉ならあり得ない。控えめに言っても、あそこは《炎天弓》が飛んでくるはずだ。例え室内であったとしても、怒りに呑まれた紅葉はそんな配慮はしない。個人差はあれど、精霊ってのはそういうものだし。
「多分、わたくしがいたからでは?」
何事もなかったように紅茶を飲んでいる。
「え、どういうこと」
何で雷夢がいたら紅葉の暴力性が無くなるんだ? さっぱり分からん。
そんな俺の疑問に答えるように、雷夢はコトッ、とカップを丁寧に置く。
「紅葉はわたくしに憧れているので、恥ずかしかったのでは?」
「え、憧れてるの? お前に?」
「ええ、本人は口にしていませんし、普段と変わらない様子でしたけど……細かい部分を見る限りそうでしょうね。先程も、私の隣に座らなかったでしょう?」
「へえー……」
紅葉が、雷夢を、ねえ……。
「どの辺に憧れてるんだ?」
「貴方、このわたくしの魅力が分かりませんの?」
「そりゃ、十分承知してるけど……具体的にどの辺がってことだよ」
さっきも言ったが雷夢は美人だしスタイルもいい。それに加え高貴な佇まいしている。憧れるには十分すぎる。
「それは本人に聞いてみないと分かりませんわね」
「それもそうか」
紅葉の考えることは紅葉にしか分からない。考えてみれば当然だ。
「それよりも、今聞き捨てならないことを仰られましたわよ?」
「え、何か変なこと言った?」
やたら上機嫌そうに見えるのが逆に怖いのだが。
「わたくしの魅力を十分に理解しているということですわ」
「ああ、それね」
それで嬉しそうなのか。
「それが聞けただけでも来た甲斐があったというものですわ」
「そうかい」
「では、わたくしはこれで失礼しますわ。お仕事のこと、よろしくお願いしますわね?」
「……善処する」
雷夢が帰り、テーブルの上に置かれたリモコンを手に取り、泥仕合となった試合のテレビの電源を
消す。
俺も部屋に戻ってマンガでも読み直すかね……。
特に何もすることもないので引き上げようとすると、ソファで寝ている翡翠を視界の端に捉えた。
やっべ、すっかり忘れてた……。
ドタバタ騒ぎに加え、全く会話に参加してこなかったからすっかり忘れていた。日頃の家事で疲れが
溜まっていたのか、それとも雷夢と同じように試合が退屈で眠ってしまったのか。
どちらにせよ、寝返りするほど大きくない我が家のソファで寝ていたら疲れなんか取れない。むしろ身体の何処かが痛くなる。
「翡翠、寝るなら自分の部屋で寝てくれ」
翡翠の耳元で金鈴がいつも翡翠に言われているまんまの言葉で囁く。
「──っん、はぁっ……」
しかし翡翠は起きず、その代わりに色っぽい寝息が返ってきた。
……いかんいかん、押さえろ。
ブンブンと頭を振る。式神に対して劣情を向けちゃいかん。
煩悩を振り払って、再度翡翠を見やる。集中せねば、翡翠を部屋の布団で寝かせる大作戦──スタートだ。
この作戦で重要なのは、翡翠を寝かせたまま部屋に連れて行くことだ。翡翠を起こすのは選択から外した。翡翠は疲れて寝ているのだとすれば、翡翠の主として普段から頑張ってくれている翡翠を起こすのは……何か違う。
ということで、できるだけそっと運ばなければならないので……運ぶ方法はいわゆる《お姫様抱っこ》を採用。幸いにも翡翠はベージュのロングスカートだ。直接素肌に触れることはない。
ただここでちょっと問題がある。女体に触れるのが得意じゃない俺としては、例え服の上からでも緊張してしまい、そんな自分が恥ずかしく思ってしまう。
が、そんなことは翡翠の頑張りを考えれば些細なことだ。覚悟を決めて、そっと翡翠の太ももと腰、そしてソファとの間に手を入れて、起こさないように持ち上げる。
軽いな……胸は式神たちの中で一番大きいのに。
服越しの柔らかな感触を忘れて、ついそんな感想が浮かび上がる。どうも翡翠相手だと理性が働きにくいような気がする。翡翠が母親だったらいいなーと思ったことはあるが……まさか、俺マザコンの気があるのか?
待て待て、今はそんな驚愕の可能性は置いておけ。それは翡翠を部屋に寝かせた後に考えればいい。
バランスが取りづらいので、翡翠を胸元に寄せて運ぶ、リビングのドアは雷夢にしては珍しく開けっ放しだったので通れた。
けど、翡翠の部屋のドアは開いていなかった。そりゃそうだよな。
……部屋の前に来て思ったんだが、俺はこれから翡翠の部屋に入る。つまり、ご神体の分霊で式神とはいえ今から俺は女の子の部屋に入るってことで……。
──うん、できるだけ早く済ませよう。
そのためには人手が足りない。が、この状態を人に見られたくない。絶対茶化される。
「《金剛千手》」
呪文詠唱をすると、俺の背中に金色の輪が現れる。これが《金剛千手》の第一形態。
さらに、呪力を練り輪に送ると淡く発光し始め、輪の内側の空間が白く濁る。その空間から黄金の腕が左右一本ずつ出てきた。これが《金剛千手》の第二形態であり、基本形態になる。
《金剛千手》は、被災地において瓦礫の撤去作業に使うために造った呪具で、この輪の中から最大千本の腕を出せ、呪力によって大きさや長さが自在に変更できる。
撤去した瓦礫は《三千世界》の異空間に入れる。
便利だが、呪具の中で一番呪力消費が大きい。明日試合があるので腕も二本だけにしたのもそのせいだ。
「失礼しまーす……」
《金剛千手》の腕でドアを開ける。
ずいぶんと質素な部屋だな……。
翡翠の部屋は和室で汚れが無く掃除が行き届いているが、それ以上に驚いたのが……家具がほとんどない。あるのは座布団と机だけだ。
そう言えば、翡翠は家事ばっかりで自分の為に時間を使うところを見たことがないな。せっかくご神体から離れ自由になったのだから、自分のしたいことをして欲しい。
そんなことを思いつつも、《金剛千手》を使い押し入れから布団を出して敷く。
これでよし。
ミッションコンプリートだ。あとは立ち去るだけ。
……にしても、いい匂いだったな。優しい花の匂いだ。




