風魔の里②
「二人とも、準備はいいか?」
庭の外で待機していた紅葉と紫苑に話しかける。
「勿論だとも、抜かりはない」
「こっちもオーケーよ」
紫苑と紅葉も大丈夫そうだ。緊張している様子は見られない。
「…………」
一方の風魔はというと無言。緊張しているのだろうか、緊張感がこっちにも伝わってくる。
いや、緊張感と言うよりかは、緊迫感か。地元に帰るような雰囲気じゃないが……まあ、事情が事情。当然かもしれないな。
「それじゃ行ってくる」
「気をつけて」
見送りの翡翠が心配そうに言う。
「──《三千世界》」
目的地は風魔の里。
翡翠の見送りを後に、俺たちは門を潜る。
その先にあったのは、見事なまでの田園風景だった。古き良き日本が今ここにある。都会では見られない貴重な光景だ。自宅付近も都会とは呼べないけど、郊外の住宅地だからギリギリ都会ってことで。
空が雲で覆われて暗くなっているのが残念だ。晴れていたら絶景を拝めただろうに。少し残念だ。
若干惜しみつつ《三千世界》を閉じる。
「へえ、ここが風魔の里なのね」
「いい所だね」
紅葉と紫苑が周りを見渡し感想を告げる。そう言えば、紅葉と紫苑はここに来るの初めてだったか。それどころか、式神をここに連れてくるのが初めてだったか。最後に来たのは大分昔だったから、その辺の記憶が曖昧だな。
楓の異能があればしっかり覚えているんだろうけど。あれ便利なんだよね。残す記憶は自分で選べるみたいだし。
「それでは、ご案内します」
「宜しく」
一度来たから知っているけど、うろ覚えだし断る理由もないので案内を受けることにしよう。
風魔の先導で俺達は風魔の里の土を踏み進む。途中ですれ違った農業中の老人と子どもが驚いたような顔をしていたが、風魔の方を見ると納得したような雰囲気を醸し出す。明らかに外の人に慣れていないようだった。
「風魔」
「何でしょうか?」
「聞き忘れたことがあったんだけど、お前、夏原の生徒なのか?」
「いえ、生徒ではありませんよ」
ちょっと雰囲気が変わっている。故郷に帰ってきて気を引き締めているのか。なんかキリっとしている。
「じゃあ俺を探すためにわざわざ潜入したってことか」
「はい、結構セキュリティ強くてびっくりしました」
学園の敷地内には無数の監視カメラがある。これは防犯の意味合いもあるが、導入した最たる理由は魔物の出現をいち早く検出するためだ。
しかし、防犯にも活用するために顔認証機能付きの優れものが設置されているし、魔物検知については研究が進められているから、まだまだ強化の余地がある。
よくあれを掻い潜って敷地に入れたもんだ。死角が生まれないように細かく計算されているはずなのだが。顔認証システム導入してなかったっけ?
後で報告しておくか。今回は風魔みたいな、学園に危害を加えるつもりのない人間だったが、潜入してくる人間が全てそうとは限らない。
というか、そうではない人間がほとんどだろう。夏原の魔物研究データを欲しがる人間なんていくらでもいるだろうし。
「制服はどこで?」
「ネットで調べて作りました」
えへへ、と照れながら話す。相当芸達者じゃないか。すげーな。てっきり買ったものかと思っていたが。
そんな会話をしつつ、時折里の人と挨拶を交わし、田園風景を眺めながら到着したのは、明らかに周囲とは違う雰囲気と大きさの木造建築。
ここが風魔小太郎の屋敷だ。
「立派な武家屋敷だね。歴史を感じるよ」
手を顎に添えて興味深そうにしている紫苑。
「戦国時代に建てられたものですからね。里の中でも当時の物が現存しているのはここだけです」
それって重要文化財レベルの建物ってことでは? 前はそんなこと知らなかったから普通に入ってたが、何か入るの緊張するな。
「どうぞ、こちらです」
風魔の案内を受けて屋敷の奥へ。
これ案内が無く、初見だったら広すぎて迷うな。風景も全然変わらないし。どこ見ても襖と畳ばかりだ。
風魔がいて良かった。俺もう間取りなんて覚えて無いもん。
「久しいな、鳴神殿」
辿り着いたところに佇んでいたのは一人の和服老人。髭を携え、無駄なものを一切合切削ぎ落したような、洗練された雰囲気を放っている。
只者じゃない気配。それは紅葉と紫苑も感じたようで、二人は軽く警戒態勢に入った。
かく言う俺は面識があるので、警戒はせず普段通りに接する。
「元気そうでなによりだ、風魔小太郎」
待ち構えていたのは、風魔の里首領の風魔小太郎。
因みに、風魔小太郎というのは称号みたいなもので、代々頭領が受け継いでいる名前だ。歌舞伎役者か。
本名は別にあるらしいが、聞いても教えてくれなかったっけ。
「そちらのお二人は?」
「うちの式神だ。髪が赤いのが紅葉で、紫なのが紫苑」
適当な説明に二人ともムッとするが……こっちの方が分かりやすい。依頼内容から考えてあまり
時間がない。手短に済まさないと。
「そうか、また増やしたのか」
そんな二人を気にせず会話を続ける。
「前来たときは夜鶴だけだったかな。今じゃもっと増えてるぜ」
そうだ。夜鶴を連れて来たんだ。話してて思い出した。ちょっとスッキリしたぜ。
「大奥でも作るつもりか?」
風魔小太郎は素っ頓狂なことを尋ねてきた。
「ねえよそんな気。ここにいないが、男の式神もいるからな」
「お前、男色の気もあったのか。これは驚いた」
「驚いたのはこっちだスケベ爺。どういう発想してんだ」
昔から風魔の一族は一夫多妻制なのだ。外との一切の関りを断つ風魔の里ならではの風習で、これを戦国時代からやってるらしい。風魔がうちに来てあまり驚いた様子が無かったのはこういう価値観があったからだろう。
なので俺が紅葉と紫苑を連れてきたのを見て、そう思うのは不思議ではないが……それを知らない二人はボッ! と顔を赤くした。二人のこういう反応を見れるのは新鮮だが、今はそれを楽しんでいる場合じゃない。
「いいから、依頼の話をするぞ」
一刻を争う事態だからな。
俺はドサッと畳に腰を下ろし胡坐をかく。
「確認だが、俺はあんたらの次期首領の風魔祐介を討伐すればいいんだな?」
「左様」
依頼を受けるにあたって、懸念事項を解消しないとな。契約書は最後まで読むタイプだぞ俺は。
「一つ聞くが、この場合の《討伐》ってのは、風魔祐介を殺せってことでいいのか?」
「そうだ」
予想はしていたが、やはりか。
「……ならこの依頼は俺には無理だ。帰るぞ紅葉、紫苑」
「待ってください! 話が違います!」
帰る素振りをすると風魔が慌てて止めに入る。
「そりゃそうだ。残念だが、殺しはできない」
救助ならともかく、殺害の手伝いはしたくないし、そんな依頼は認められない。
相手が例え魔獣であっても、生きていることには変わりはない。
そんな依頼を受けたとなれば、俺の異能者としての信用も落ちる。魔獣は害獣駆除扱いになるから犯罪にならないが、やはり気分の問題もある。
「お前の力なら造作もないはずだ」
「能力的には問題ない。殺そうと思えば簡単に殺せる」
使いたくはないが、そのための手段は豊富にある。
「ならば問題なかろう」
「だがそれは違う。これは仕事だ。俺は殺し屋になった覚えなんてない」
基本的に何でも来いという姿勢だけども、殺しの仕事はしたくない。
「金の問題か?」
「金の問題じゃねえ、矜持の問題だ」
「ならば望むものは全て与えよう」
「間に合ってるっての」
俺は後ろに立っていた紅葉と紫苑の腰に腕を回して引き寄せる。
もちろんこれは風魔小太郎を欺くためのブラフ。
「ちょっ……!?」
「きゃっ……!」
だが打ち合わせもなく抱き寄せたので、二人の驚いた顔が見れた。
というか紫苑、きゃっって……可愛いかよ。
二人は抵抗もなく俺の腕に収まっている。普段なら真っ先に紅葉が蹴り出すところなのだが、そうしないってことは俺にこの仕事をさせたくないように我慢してくれているんだろう。また顔を真っ赤にして……ごめんね?
「それに、今の風魔の里が俺の欲しい物を用意できるとは思えないんでね」
「……では、こうしよう」
風魔小太郎が腕を上げると、左右の襖が開き、数人の男性が現れた。
「力づくで従ってもらう」
……そう来たか。
「頭領! 彼らを使うのですか!?」
「元よりそのつもりだ」
風魔の狼狽っぷりから察するに、相当な手練れであることは確かだ。俺から見ても、相当な実力者であることは間違いない。
というか、こんな奴らがいるなら、そいつらに任せれば良いものを。俺の見立てじゃ、Bランク相当。一番後ろの奴はAランク相当の戦闘力だぞ。
だが現状、風魔小太郎はこの連中を魔獣──いや風魔祐介を討伐に使わなかった。
何が何でも手元に置いておきたい人材。恐らく彼らが風魔の里の最終防衛ラインか。
「やれ」
バッ! と両手を上げこちらに向ける男たち。
「っ……!」
咄嗟に紅葉と紫苑を後ろに下がらせ盾になる。
何をする気か知らないが、大抵の攻撃なら俺は死なない。現人神を舐めないでもらおう。
それに、ここは里長の屋敷、そうそう手荒な真似に出るとは思えない。広範囲の攻撃は来ないものと考えていい。
しかし、待てど暮らせど男たちは両手を上げたまま何もしてこない。
「どうした、早くやれ」
それを見ていた風魔小太郎が促すも、
「と、頭領。やってはいるのですが……」
──ああ、そういうことか。
こいつらが何をしようとしたのか分かったぞ。
「残念だが、俺達に精神干渉は無意味だぞ」
「なっ……」
どうやら俺のことは調べていても、現人神の事までは知らなかったようだ。風魔の諜報能力が高いから知ってるものかと考えていたが、そうでもなかったようだ。
「その理由までは言わないがな」
異能には色々な種類があるが、大別すると二種類ある。
一つは異能。これは呪力を用いて意識的に現象を発生させる機能を指す。国際規格でいうと異能だが、日本では長いので異能って言う。
そしてもう一つはスキル。これは人間の体質や無意識で使えるまでになった技能を指す。
こちらはスキルが国際規格で、日本では特異体質と言うが、長いのでスキルって言う。日本語って便利だな。
両者の違いは、異能が意識的かつ呪力が必要なのに対し、スキルは無意識かつ呪力は不要。例え、異能のようなことが出来ても、呪力を用いなければスキルになる。
一般的に、異能者よりも特異体質者の方が希少とされている。
そして、《現人神》はどちらに分類されるかと言うと、スキルに属する。
その中の《不可侵》が精神干渉系統の異能を無効化するので、上手く《不可侵》が仕事をしてくれたわけだ。
「どうせ言う事を聞かないようなら洗脳でもするつもりだったんだろうが、無駄に終わったな」
紅葉と紫苑には契約時に俺のスキルを一つ使えるようにし、二人が選んだのが《不可侵》なので二人にも精神干渉は効かない。
「さて、明らかな敵対行為の訳だが、これはもう風魔の里は俺達の敵ってことでいいんだよな?」
少し殺気を出して問いかける。
「……仕方ない。これも儂の決断が招いた結果よ」
風魔小太郎は観念したようで、全てを受け入れようとしている。こっちが本気を出したら勝てないことは承知の上なんだろう。
「鳴神さん! ちょっと待ってください!」
しかし、そこに風魔が立ちはだかる。
「これには色々と訳があるんです! そうですよね頭領!」
「まあ待て風魔。まだこっちの話は終わってないぞ」
「……え?」
涙まで浮かべて懇願していたところ悪いが、ここからが本題だ。
「さっきのは半分冗談だ。風魔小太郎。あんたが色々追い詰められていることは分かった」
そうでなければ、実力が分かっているのにも関わらず、失敗したときの事を考えていないようなリスクのある行動をするとは思えない。
「俺が思うに、風魔祐介ってお前の孫か何かか?」
「……そうだ」
「やっぱりな」
適当に言ったら当たった。
けどここは、全てお見通しだぞという雰囲気を出して、抵抗の意思を芽生えさせないようにしよう。
ということは、風魔は義理の孫娘になるわけか。まあ今はどうでもいい事実だけど。
「で、被害はどれくらいなんだ? そこの手練れさん達が最後の戦力か?」
「お前、どこまで知っている?」
風魔小太郎は問いかける。少し表情が崩れたな。動揺している証拠だよ。
「知らねえよ。だから聞いている。さっきのはただの推測だよ。一から説明しようか?」
「いや、その必要はない。二度手間になるからな」
「そうかい」
俺が不審に思ったのは、里人が老人と子供だけだったこと。
恐らく、戦える人は風魔祐介を止めるために向かわせたが、全員が返り討ち。残ったのが風魔小太
郎の側近で、防衛ラインのこいつら。
依頼を出した理由は、戦える人間がいなくなったこと。そして俺が選ばれた理由は、自惚れて無ければ風魔小太郎が知る中で里の連中よりも強いからだろう。異界という外界から閉ざされた場所に、おいそれと外部の人間が来ることなんて滅多にないからな。
「一つ聞くが、戦死者はいるのか?」
「いない。重傷者はいるがな」
それは朗報。人殺してたらこっちも対応変わってたかも。人殺した魔獣を助けたとあっちゃあ、後で何言われるか分からん。助ける名目にもなるし。
「そうか。紫苑、重傷者の手当てを」
「ふうん。まあ良いよ。……後で覚えておきなよ」
紫苑が立ち上がる。小声で怖い事言われたんだけど。やはり許可なく抱き寄せたのは失策だった
か? これでも勇気振り絞った結果だったんだけど。
……覚悟はしておこう。
「そこの側近から案内を頼めるか?」
「何を勝手な……!」
側近の内の一人が殺気を出した。実力差分かってないのかな。
「よい。指示に従おう」
「では私が」
一番後ろにいた側近が名乗り出た。
「部下の不躾な態度、謝罪致します。重傷者はこちらです」
リーダー格の側近の案内に、紫苑が付いていく。
「これで少なくとも死人は出ないだろうよ」
「お前の式神の実力を疑う訳ではないのだが、信用に値するのか?」
「お前そんなこと言える立場かよ」
殺気を出して牽制すると、紅葉以外は硬直して動けなくなった。
一割程度とは言えそれだけで済むのは、流石よく鍛えられてるな。一般人なら失神してるぞ。
「心配する気持ちは分かるけどな」
殺気を解くと、風魔組に疲労が見られた。いちいち俺の殺気に翻弄されて、忍者なんかやってられるのか? 精々二割だぞ?
「紫苑はああ見えて医師免許持ってるからな。専門は薬学だけど、その辺の能力はあるから大丈夫だよ」
「そうか、助かる」
「気にするな。こんなの準備段階でしかない。ここからが本番だ」
そう言うと、一気に緊張感が高まる。
「そう身構えるなって。落ち着いて話もできないだろ。さっきも言ったが、半分冗談なんだから」
「……残りの半分は?」
口を開いたのは風魔。お前がそれに言及するとは思ってなかったよ。
「残りの半分は気まぐれだよ。さて、これからの事を話そうか」
依頼の内容について、改めて決めなきゃいけない。
「まず依頼契約だな。書類の確認をして、良ければ署名を」
茶封筒に入った書類を風魔小太郎に手渡すと、中身を確認して書類を読み始めた。
書類の内容は依頼料金関係と依頼内容である風魔祐介の魔獣化の治療。
「鳴神、ここに書かれているのは本当か?」
「依頼料金のことか? 適正価格だと思ったんだけど」
「そうではない。治療のことだ」
あ、そっち。
「祐介の治療……可能なのか?」
「勿論。そのために必要な機材や人材はいる」
機材は《三千世界》の異空間、人材は紫苑。
依頼契約が正式に結ばれれば、今すぐにでも行える。
というか、こっちは最初からそのつもりで来ている。
「……そうか」
風魔小太郎は万年筆を取り出し、スラスラと署名していく。
「これでいいか」
「……うん。確認した。これで依頼契約は成立だ」
だが、まだ足りないことや疑問点がある。
「だが治療のために情報が必要だ」
これが無くして治療なんかできない。しっかりと作戦を立てなきゃな。
「まず風魔祐介が魔獣になったのはいつだ?」
「約一週間前だ」
「成程。まだ大丈夫そうだな。紅葉、風魔祐介を探してきてくれ。魔獣化しているのなら、見ればわかる」
「了解。やっと動けるわね」
紅葉は屋敷を出て行った。
紅葉に索敵を任せたし、すぐ見つかるだろう。索敵に使えるスキル持ってるし。
「治療と時間に関係があるのか?」
「ある。魔獣が霊気を浴びたことによる現象ってのは知ってるよな? その際、魔獣になる前に身体にある呪力が霊力に置き換わる。だから魔獣は強い」
例えるなら、車とロケット、どっちが早いかという話。
当然ロケットの方が早い。ガソリンとロケット燃料のエネルギーの違いだ。
厳密には他にも違いがあるが、本筋と離れてしますので置いておく。
要は、呪的エネルギーの質の差。
本来霊気を浴びた生物はその差に耐え切れず肉体が爆発四散してしまうが、それに耐えうる肉体を持っていた場合に魔獣になる。極稀にそういうことがある。
「だけど、魔獣に成り立ての時期はとにかく不安定でな。空気中の霊気……異能学的には天の霊気が摂取できない」
どういう経緯で魔獣化したのかは知らないが、基本的に魔獣は大地から噴出した霊気、異能学的には地の霊気を浴びて生まれる。その前提で話を進めているが、反応を見る限りはセオリー通りのこと
のようだ。
「そうなると霊気が減る一方で、大体一か月ぐらいで霊気が尽きて衰弱死するんだよ」
これにも個人差があるので断定はできないが、もし今も理性が飛んでいるなら望みは薄い。
理性が飛ぶほど霊気を浴びたってことだからな。
「つまり、早い方が良いが、まだ猶予はあるということか?」
「そう。安定するのを待つ手もあるけど、分が悪すぎる賭けだな。十中八九処置をしないと死ぬ」
この処置を担当するのが紫苑。紫苑の《霊薬調合》なら、材料を揃えばどんな効能を持つ薬を作れる。その材料を揃えるのが俺の仕事の一つ。必要なものは《三千世界》の異空間に入れてきたし、もし無かった場合でも《異能工房》で創れる。
「それでもう一つ教えて欲しいんだけど、ここの天気っていつからこんな感じ?」
「それも約一週間だな」
「へー」
この風魔の里は《異界》という、俺達が住む世界とは少しズレた異空間だ。俺達がいる世界を一本の線だとするなら《異界》はその線にできたコブのようなもの。
《異界》は世界にとっていずれは消えてなくなる異物。世界からの修正力によってジワジワと消えていくものだが《異界》の内部に存在を確定させるための《要》があれば、世界の修正力の対象外になる。それが、風魔の里が未だに存在していることの理由だ。
だが、この曇り空は世界の修正力が働き、少しづつ消えている証拠だ。普通の雲とは違い、一切動いていない。時空神の現人神に教えてもらった。
だが、今それを伝えると絶対に動揺を招く。伝えるのは依頼が終わってからでも遅くない。この規模の異界なら半年は持つだろうからな。次元時空論をかじった程度の知識しかないから断定はできないけどな。
さて、聞きたいことは聞いた。後は紅葉の報告を待つだけ。
『透、聞こえる?』
紅葉からの《念話》だ。もう来たか、早いな。
『ああ。見つけたか?』
『ええ。けど場所が伝えづらいから、一度こっちに来てくれる?』
紅葉はここに来るの初めてだし、伝えづらいのもよく分かる。山ばっかりだしなここ。
『分かった。少し待っててくれ』
これで魔獣の居場所は分かった。後は……」
『紫苑。今いいか?』
紫苑に《念話》を繋げる。
『何だい?』
『紅葉が魔獣を見つけた。そっちが終わり次第作戦決行だ。終わったら連絡頼む』
『承知したよ。私が診るほどの重傷者はあまりいないし、数十分もしたら終わる』
『分かった。それまで待つよ』
『ああ、ゆっくり待っていてくれ』
これで良し。作戦決行の目途が立ったな。
紫苑の治療が終わる間、他に聞きたいことと言えば……。
「風魔小太郎、風魔祐介が魔獣になる前、何か不審な点は無かったか」
「不審な点……いや、特に無かった。強いて言えば、過剰な修行をしていたぐらいか」
「過剰な修行?」
「今で言うところのオーバーワークですね」
風魔が代わりに答えた。
「今時はそう言うのか? あ奴は身の丈に合わない修行ばかりしておった。基礎は怠っていなかった
ので、若者特有の焦りから来るものだと思い、放置していた。その内気づくだろう、とな」
アスリートとか、異能者みたいな積み重ねることが必要な人には良くあることだな。俺も昔はそうだったし、何なら未だにそれが抜けて無い気もする。
……それぞれの育成方針があるだろうから、言及はしないけど、ちゃんと伝えてやりなよ。俺ならそうする。オーバーワークする理由って色々あるけど、本人はちゃんとオーバーワークしてるって意識あること多いからな? 周りが止めないと際限なく頑張り続けるぞ。
「成程。その修行の最中に運悪く霊気を浴びたってことか」
……自分で言っていて何か引っかかったな。どこだ?
……思い出せない。
「それじゃ聞きたいことも聞いたし、今から仕事を始める」
「頼んだ」
「よろしくお願いします、鳴神さん」
「ああ、任された。それと里の人達を安全な場所に避難させておいてくれよ」
戦いに巻き込みたくないしな。それにその方がこっちも戦いに集中できる。
俺は部屋から出て紫苑のところに行こうとしたが……
「……どこにいるんだ?」
肝心要の紫苑の居場所を知らなかった。
「まあ数十分かかるって言ってたし……」
紅葉には悪いが、ゆっくり紫苑を探させてもらおう。
そうして屋敷の中を彷徨い、紫苑と合流した。
その部屋は怪我人が十数人寝かされており、奥の方には見るからに重傷者っぽい包帯ぐるぐる巻きの人が数名いた。
「紫苑、来たぞ」
「少し遅かったようだね。何かあったかい?」
「いや、少し迷っただけだ。怪我人の様子は?」
「心配は無用さ。皆致命的な傷は無かった。流石忍者と言ったところか。今は鎮静剤で寝ているが、
起きたら全回復しているだろうね」
そんなゲームの回復アイテムみたいなの作ってたのか? 合法だろうなそれ。後遺症とかないやつ?
「さて、透君。早速紅葉君の元へ行こうじゃないか」
「そうだな、一旦外に出て《三千世界》で行くぞ」
「おや、あれは相当呪力を使うはずだが、良いのかい? 今日はもう使っただろう」
「大丈夫。《天道印》と《地道紋》を使うから」
《三千世界》に必要な呪力は問題ない。ただめっちゃ疲れるだけだ。戦いの前で疲れるのはいかが
なものかと思うが、現人神の回復力をもってすれば大丈夫。
「そうかい。なら行こうか」
俺たちは怪我人を起こさないようゆっくりと屋敷の外に出た。
紅葉に《念話》を繋げる。
『紅葉、今からそっちに行くけど《三千世界》展開できるようなスペースある?』
《三千世界》は展開先に物があると、そこにある物を爆発みたいに消し飛ばしてしまうのだ。
空気ならそこまで問題はない。突風が吹いた程度だから。
だが、そこに液体やら固体とかがあると非常に危ない。まるで弾丸のように吹っ飛ぶ。紅葉の身が危険だ。
『そうね……少し待っててなさい』
待ってて……? あっ。
山の方で何か光ったと思ったら、すぐに消えた。
紅葉……お前、燃やしたな? そこまでしなくても……。
『お待たせ。もういいわよ』
『あ、うん』
念話が切られた。
「紫苑、今のどう思う?」
「環境破壊はよろしくないね」
……あとで説教だな。