第1章 6話 選手交代ですね
「イヤぁぁぁぁ」
それが起きたのはリナが叫ぶのと同時だった。イアンを直撃するはずだった棍棒が突然真っ二つになる。正確にはイアンにあたるはずだった部分がごっそりと、消えた。
「····僕だって死にたくないですよ、イアン」
そう言ってイアンはゆっくりと立ち上がる。雰囲気が変わった。リナは驚きのあまり言葉を失い立ちすくんでいる。巨人はすぐに少し短くなった棍棒を再度振り下ろす。
しかし、またもや棍棒はイアンに当たる瞬間に消える。リナの目には棍棒とイアンの間にうまれた歪みに棍棒が吸い込まれたように見えた。
「選手交代といきますか。後ろから団体さんも来ているようなので、手短に済ませましょう。」
イアンは鋭い目で巨人を見つめる。巨人は強敵との戦いを喜ぶかのように雄叫びをあげ、拳を振り下ろす。その速度は、先程までの棍棒を遥かに超えている。あまりの速度に、リナには何が起きたかわからなかった。
常人の目では追うことが不可能な速度で振り下ろされた拳をイアンは身体を横にずらしただけで回避する。
「····悪く思わないでくださいね」
イアンの手が巨人の腕に向かって空を斬る。ただそれだけの動作で巨人の腕が黒い何かに肘から切断される。
巨人はバランスを崩すがイアンを踏み潰さんとばかりに足を踏み出し踏ん張る。イアンはそれを後ろに飛んで回避する。
今度はリナの目にもハッキリと見えた。イアンの手から伸びる黒い剣が巨人の足を一撃で切断する。5mを超える巨体を足一本で支えるのは不可能、巨人は体勢を崩し地面に崩れ落ちる。
「どうしたんですか?まだ試合開始から一分も経っていませんよ。図体だけの見掛け倒し、そろそろ死ぬ?」
そう言うとイアンは巨人の身体に飛び乗る。巨人は残った片手でイアンを捕まえようとする。
しかし巨人の手がイアンに届く瞬間、巨人の手が黒い歪みに吸い込まれる。
「·····閉じろ」
イアンがそう呟くと歪みは一瞬にして消える。巨人の手からは血が吹き出している。
「ゲームセット····僕のコールド勝ちですね。」
人間を殺す、それしか考えない悪魔だが今この瞬間、巨人は確かに恐怖を感じているように見えた。
イアンが巨人の頭を刺す、刺す度に巨人の身体が痙攣する。それでも彼は止まらない、刺す、刺す、刺す、刺す·····「悪魔·····」リナの呟きはイアンの耳には届かない。
巨人が動かなくなる頃にはイアンの身体は返り血で赤く染まっていた。
「はぁ····今日も月が綺麗だ····おやすみイアン」
彼はそう言うと死んだように崩れ落ちた。
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目が覚めるとイアンはベットの中だった。
どこだここ、すげえ気持ちいい。もしかして俺は死んだのか
知らない天井、温かいベット、カビ臭くない清潔なベット、あの世ではなく、明らかに現実。
もう朝だ、早く起きないと····時間がもったいない、でもなんだろ。起きたくない。
こんな気持ちは初めてだった。この世界では日が出ている間は貴重な時間、故に日の出と共に一秒でも早く起きるべきなのだ。それなのにイアンは今、起きれないでいた。
「ウーン」
突然横から自分のものではない声が聞こえてくる。顔を向けると一人の少女がイアンの顔をのぞき込んでいる、至近距離で。
「起きた」
抑揚のない声、燃えるような赤髪、テレサだ。イアンは何故かテレサと添い寝する形になっている。昨夜の記憶がほとんどない。
「あの····何してんの?」
「アナタを見てる」
「それはわかるけど···少し近いから離れない?」
「なぜ?」
なぜってそりゃあなんかヤバイでしょ色々と
今、彼女の感情はゴチャゴチャしててよく読めない。表情から察しようにも彼女の表情は一切変化しない。つまり、何を考えてるかわからない。
「アナタの名前····まだ聞いてなかった」
「あぁ····イアン=エイムズだ」
「そう、助けてくれてありがとうイアン」
テレサはそれだけ言うと布団から出てベットに腰掛ける。本当に何を考えてるのか読めない。
「ここはどこだ?あの巨人は?リナはどうなった?」
正常な思考が戻ってくると疑問が次々湧いてくる。テレサは少し困ったような顔をする。
「質問が沢山····順番に答える。ここはリナの家、巨人はアナタが倒した、リナは今は入院してる」
ここがリナの家だと言うことは俺達は無事に地下道を通ってパリについたということだ。でもあの巨人は?
俺は確かに負けたはずだ····ダメだ、記憶がハッキリしない。
「アナタが巨人を倒したのが二日前、アナタは丸一日意識を失ってたの」
「·····そうか」
それにしてもリナは入院か、確かに結構ひどい傷だったからな。手遅れじゃなきゃいいけど。
「アナタが起きたら報告するように言われてるの、動けるようならアナタも来て」
「あぁ、わかった」
身体の節々が痛いが動けないほどではない。名残惜しいが温かいベットとはここでおさらばだ。
「あの、この手はなに?」
「病み上がりで転ばれても困るし、迷子になられても迷惑」
だからって手を繋ぐ必要はないと思うけど····何考えてるんだか
リナのことはお嬢様だと思っていたが想像以上だ。さっきの部屋もそうだが、この家は廊下も何もかもが広すぎる。テレサに手を引かれて進むと広い部屋に出る。そこには黒服の執事が三人、姿勢よく立っている。
「おはようございます、テレサ様。そちらの方はリナ様の恩人と聞き及んでいます。」
「あ、はい」
執事の口調、動作、全てが洗練されている。イアンはそれを見て思わず顔がひきつってしまう。
「今朝の朝食は和食でございます。」
これは····世にいう和食!!一度父さんから話だけ聞いたことのある健康食品。箸という得体の知れない二本の棒を駆使して食べると言われている。
イアンが圧倒されているうちにテレサはすでに食べ始めている。テレサは箸と呼ばれている二本の棒を器用に使いご飯を食べている。イアンもそれに習うが全く上手くいかない。流石にこの展開は執事達も予想外だったようで、三人の執事の間で気まずい雰囲気が流れている。
「イアン様、和食はお嫌いですか?」
「いや···別にそういうわけでは····」
「ではイアン様は普段何をお食べに?」
「鹿とか·····」
「は?」
執事はきっと自分の耳を疑っただろう。不意をつかれたように聞き返してくる。
「鹿を捕って食べます」
執事の間で動揺が走る。イアンはなんだか申し訳ない気持ちになる。すると食事を終えたテレサが歩み寄ってくる。
「あーん」
「は?」
ちょっと何言ってんの、この子
「箸、使えないんでしょ?」
「いや、そうだけど·····」
「時間がもったいないから。はい、あーん」
三人の執事を前にしたただの羞恥プレイだ。テレサの声からは感情を感じられず、どうしていいかわからない。ただ、イアンはこの日決意した、箸の練習をしようと。
「食事が済みましたら、旦那様が会いに来るようにと仰っていましたがリナ様のご命令で先に身だしなみ、主にお二人の頭髪の方を整えさせていただきます。」
あの光景を見たあとに無心で話しかけられるあたりがプロだ。しかし、彼の言う通りイアンとテレサの身だしなみ、主に頭髪は酷いものだ。テレサは昨日温かい風呂に入ったのか、多少マシではあるがイアンの方は酷いものだ。確かにこの格好でお偉い様に会いに行くわけには行かない。
「こちらにどうぞ、一流のヘアスタイリストを呼んできます。イアン様は温かいお風呂が出来ておりますのでご案内します。」
イアンは執事に連れられて部屋を出る。別れ際にテレサに少し手を引っ張られたような気がするが、多分気のせいだ。
それにしてもこんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。一週間前の生活からは考えられない。
「お着替えはこちらでご用意させていただきます。ご入浴が済みましたらヘアスタイリストの所にご案内します。それではごゆっくり。」
「いやいやありえないだろ、これが風呂だって?湖だろ····」
この家は何もかもが馬鹿デカイ、わかってはいたがこれはおかしい。リナは生まれてからずっとこんな生活をしてたのか。そりゃあ、ああなるわ。
温かい綺麗な水、警戒しなくてもいい環境、何もかもが居心地が良い。しかし、その分色々な考えが頭に浮かぶ。
リナは入院してるんだよな、大丈夫だよな。テレサは何考えるかわかんない。さっきのあれだって正直焦ったし。つうか俺ってアイツのこと名前ぐらいしか知らないんだよな。箸の使い方とか何処で覚えたんだろ。
そしてリナの父親、俺に会いたいってどういうことだ。もしその人が俺に友好的じゃなかった場合どうすればいい。まあ、今の状況を見る限り急に攻撃されたりはしないだろ。殺そうと思ってたら今頃俺、死んでるし。
まあいいや、ここでゴチャゴチャ考えても意味無いし。