第1章 5話 人生
「イアン、逃げなさい!」
「嫌だ!!一緒に行こうよ、母さん!父さん!」
逃げろと言う両親にイアンは首を横に振り抵抗する。目の前には巨大な化け物が迫っている。
「イアン、父さんが負けるわけないだろ?」
父は笑みを浮かべようとして失敗したのか、顔がひきつって頬が痙攣している。
「イアン、先に行って今夜の寝床を探してらっしゃい。追いつく頃には母さん達は疲れて寝てしまうだろうから。」
母は穏やかな口調でいう。しかしその顔は恐怖で歪み、涙が溢れ出ている。
「戻ってくる?」
「ええ、絶対よ」
初めて聞く母の頼りない声。
「本当に?」
「母さんが嘘ついたことある?」
イアンにはわかっていた両親が嘘をついてることが、しかしそれ以上に感じるのはイアンに対する愛情や願い。
「絶対戻ってきてね」
「あぁ、父さんと母さんは無事に戻る、約束だ」
イアンは泣いていた。それでもイアンは走り出した。父と母はイアンを優しげな、それでいて寂しそうな表情で見ていた。イアンが振り返ると両親は笑っていた、イアンはその表情に安堵した。そして走り出した、それが最後の別れだとは知らずに。
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リナとイアンの距離、約5m、地下入口まで約7mその距離が今はただ絶望的に遠い。歪み、またの名をゲート、こちらの世界とむこうの世界を繋ぐ扉。いつどこで起きるのかわからない神出鬼没な悪魔の扉、なぜどうしてその扉が開くのかは誰にもわからない。ただわかるのはそれが目の前で開けばそこには死が待っているということだけ。
「イアン!!急いで、悪魔が出てくる前に!」
リナはすでに入口を開けて待っている。近いようで遠い安全地帯への入口。
「·····もう手遅れみたいだぜ」
ゲートから現れるのは巨大な人型の怪物、推定5mはある身長に超巨大な棍棒を持ち、丸太のように太い足は地面につくだけで地響きを起こす。
なんでだ、あと少しなのに。どうする、俺一人なら逃げれる。いや、俺一人でも逃げきれるか?相手はあの歩幅だ、確実に追いつかれる。
巨人がイアン達に気がつく、イアンと巨人の一つしかない目が合う。巨人は棍棒を振り下ろす。
「なッ!!」
棍棒はイアンとテレサの目の前に振り下ろされる。凄まじい速度で振り下ろされた棍棒は地面を抉り暴力的な風圧はイアン達を吹き飛ばす。
イアンは空中で体勢を立て直し、テレサは意外にも地面を転がりその勢いで立ち上がる。
「まずい!」
イアンが背負っていた女がいない、見れば巨人のすぐ近くに投げ出されている。女はまだ意識がハッキリしないのか「ヴぅぅ」とうめき声を上げている。
待てよ·····やめろよ、それはダメだろ····
そして恐れていることが起きた。その巨人は女を鷲掴みにし、口に運び女の上半身を砕いた。唯一の幸運は女が食われるとき恐怖を感じていなかったことだ。
「うそ···だろ····また俺は····」
夜の平原に血の雨が降る、地面には大量の臓物。巨人は女を食べ終えるとその目をイアン達に向ける。圧倒的な威圧感がイアンを襲う。
助けられなかった、俺が殺した、次は俺だ、その次は·····
イアンは知ってる、悪魔の恐怖を、圧倒的存在に捕食される恐怖を。野生動物は生きるために他者を食らう、彼等は恐れを知っている、生への執着がある、しかし悪魔達は違う。感情受信体質、それによってイアンが悪魔から感じるのは底知れぬ飢餓感のみ。
「クソ、止まれよ震え」
テレサの感情はこの状況でも動かない、イアンの足は震えている。リナは恐怖で動けなくなっている。背後からは屍鬼の群れがゆっくりと、だが確実に距離を詰めてくる。
奴の動きは速い、それもかなり。この視界じゃ目で追えるかわからない。でも多分、俺の予想だと奴もこちらをあまりみえてない、現にさっき棍棒は俺達を直撃しなかった。奴は対人戦に慣れてない。となると俺に残された選択肢は一つ
「テレサ、走れるな」
少女は無言で頷く。
「俺が奴を引きつける、その隙に地下道まで逃げてくれ。」
また少女は無言で頷く、と思われた。しかしテレサはイアンの服の裾を掴み首を横に振っている。感情の変化こそないが彼女は確かに拒否の反応をしている。
「大丈夫だ、必ず俺も後を追うから」
イアンがテレサの頭を乱暴に撫でる。一瞬テレサの感情が動くがイアンはそれに気が付かない。テレサは黙って頷きすぐに走り出す。
「リナと違って聞き分けが良くて助かるな·····さあて、お前の相手は俺だろ!!」
「イアン、ダメ!!」
リナの叫び声が聞こえる。しかしイアンの決意は揺るがない。テレサが走り出すのを確認し、イアンは巨人に向かって突進する。巨人はテレサには目もくれず真っ直ぐにイアンを見ている。巨人から向けられる凶悪な感情に怯まないためかイアンは雄叫びをあげる。
こんなデカイのに勝てるわけがない、多分ナイフは刺さらない。勝ち目はない、だから避けきってやる。テレサとリナが地下道に入るまで全部!!
気持ちの強さと勝敗は関係ない、気迫で勝敗が決まるのは実力が近い両者が戦った時のみ、圧倒的な力の前では希望も意地も勇気も関係ない。
故に敗北は一瞬だった
巨人の振り下ろす棍棒をイアンは紙一重で回避、風圧に吹き飛ばされるも最低限の動きで体勢を立て直しまた走り出す。
行ける、テレサはもう地下道に入る、あと一撃避ければ俺の勝ちだ
しかし、次の攻撃は棍棒ではなくただの蹴り、それは蹴りと言っていいのかわからないレベルの蹴り。歩きながら小石を蹴る程度の、本当にその程度の蹴り。しかし、それはイアンにすぐに立ち上がれないようなダメージを与えるには十分すぎる威力を持っていた。
クソ、ダメだわ。俺死ぬわ。なんか頭に温かいのあたってるな·····あぁ、さっきのあれか。死に際に人の臓物を枕ってどうなんだよ。俺結構善戦したよな、二人も女の子守ってさ。
俺の人生、つまんなかったな。でもまだマシか、本当なら一人でずっと生きて誰にも知られずに一人で死ぬ予定だったんだから。
結局俺も父さんや母さんと同じか、誰かを守って死ぬ、残された人がどんな気持ちでその後生きるかも知らないで、ただの自己満足で死ぬ。
いや、リナは俺のことなんかすぐに忘れるか。三日にも満たない付き合いだし、アイツ好きな人いるっぽいし。
テレサはどうだろ、いや、アイツこそすぐ忘れるか。出会って三十分もたってないし。でも最後のあれは嬉しかったな、ほんの少しだけ俺のこと心配してくれてさ。笑うときっと可愛いんだろうな····
やばい、景色むっちゃスローに見えるし、なんか走馬灯っぽいの見えてきた。走馬灯なんか見えてもさ、俺の人生何も無いぜ。
そういえばなんで父さんは最後に笑ってたんだろ····まあどうでもいいか····だって俺もう死ぬんだし。
巨人はトドメとばかりに棍棒を両手に持ち高く振りかざす。恐らく外れることは期待出来ない。イアンはスローな意識の中で昔見た本の内容を思い出す。
父さんが昔、何処からか持ってきた本、世界が終わる前の話が書いてあったっけ。あれによると俺はもうすぐ高校生とかいうやつになってるんだろ。リナは学校に通ってるんだっけ。確か同い年の奴が沢山集まってるところだよな。
俺ももしかしてこんな世界になる前に、いや、そこまで贅沢は言わない。せめてリナみたいに安全地帯で産まれてれば俺も普通に学校に行って、友達作って、好きな人が出来て、そんで失恋して、もしかして付き合ったりして、デートして、木陰でキスしたりときには喧嘩したりして。あとスポーツだったかな、名前しか知らないけどやってみたかったな。
リナにパリに住まないかって言われた時、正直嬉しかった。もしかして俺も普通に生きれるんじゃないかって心のどこかで思ったりもした。
でももう無理か····俺、死ぬんだよな。·····悔しいな、死にたくないな。
巨人の棍棒が振り下ろされる。