二、 一
深く海に沈んでいた意識が、急に浮上してきたような感覚があった。未だ覚醒しきらぬままに、彼はその境遇を反芻していた。
─私は確かにあの時、死んだ
そのはずだ─
「しかし、これは…」
徐々に意識が確立されていくなかで、疑問を抱くことになる。手、腕、胴、そして肢体へと視線を移していく──そこには以前と何ら変わらぬ自身の肉体があった。
ふと、ケイキは辺りを見渡す──そこは、何も無い空間だった。
「死後の世界…」
思わず口をついた言葉ではあったが、しかしその言葉に、ケイキはひどく腑に落ちる気持ちがした。
彼は改めて自分の身体を見まわす。それは確かに自分自身のものであったが、しかし彼には、全く生きているという感覚がなかった。
自分は死んだのだと、改めてケイキは実感した。
─その時、ケイキの傍で、粒子状の細かい物質が淡く光を放ちながら集まり出した。何事かと、特に構えることもなく様子をうかがっていると、そのうち光は密集していき、最後に一際大きく輝きを放つと、霧散していった。
あとには、少年が一人だけそこに横たわっていた。彼は死んだように動かない。しかし表情は柔らかで、安らかに眠っているかのようだ。そのまま何も起こらず、しばらくすると、その少年は再び光に包まれ消えていった。
またしばらく経ってから、次には少女が出てきた。その次には少年、そのうち男性も2人出てきた。現れ、そして全員がまた消えていった。その後にも同じようなことが起こっていった。次々に際限なく現れては、また消えていく。
その光景を見ながら、ケイキには何か心に引っかかる気がした。だがのど元まで出てきていながら、答えをだせない。彼はもどかしく感じた。
「そうか…」
そして、ある結論に達する。
ケイキは思い出したのだ。彼らは皆、ケイキがかつて殺した人間ばかりだ。ほとんどの奴は顔などまるで覚えていないが、たまに印象に残る奴もいる。ケイキはたまたま覚えていたコメディアンと呼ばれる人種の顔を見て、思い至ったのだ。こいつはなかなか面白い奴だったと、懐かしく思い返す。特に殺すつもりもなかったのだが、そばの人間を殺した余波で死んだ。
(まぁ偶然と言うやつだな)
ケイキはそう思うことにしていた。
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それからも、死体が現れては、また消えていった。一度に数万もの死体が出現したときには、辺り一面が死人で埋まった。しかしそれもまた消えていく。
あれから数日は経っているはずだが、いっこうに終わる気配がない。出現するペースとしては以前に殺害したときと同じ間隔で現れているように思われるので、このまま待っていれば3年に数ヶ月ほど経つことになるのかも知れない。
いい加減暇になってきたケイキは、無論3年も待っているつもりなど毛頭なかったので、今後どうするかについて考えを巡らせ始めていた。
なぜ自分だけは消えていく事がないのか、なぜ自分だけは目覚めることが出来たのか、なぜ3年も前に死んだ人間が今現れているのか、判らないことも多くあるが、そんなことは今はどうでもいい。
幸いにして、彼には一つ当てがあった。
ケイキは、改めて周りの景色を見渡す。眼前には、一点の曇りもなくどこまでも真っ白で、際限なく永遠に続くかのような空間が繰り広げられていた。しばらく視線をさまよわせていた彼であったが、やがて、ある一点に集中させ始める。
彼が見詰めるその先には、この空間には似つかわしくない黒点があった。
通常のヒトの肉眼では、たとえアフリカの狩猟民族であったとしてもまるで見えないだろう。だが、彼の目にははっきりと、“壁”に“穴”がある光景として見えていた。
そう、無限に続くかに思われたこの空間も、たとえその末端は遥か遠くにあるにしても、確かに有限のものであったのだ。
つまり、彼の当てとは、その穴だった。そこから先は暗くなっており、残念ながら彼の目にも映らなかった。だが先に続いていることは確実である。
そこまで確認すると、ケイキは即座に行動を開始した。このまま待っていたところで、おそらく目に映る死体が変わっていくだけにすぎないだろう。彼に迷いはなかった。