香りと眼光
三日目。
葉咲は既に巫女の授業での課題に成功していた。しかし、本来の目的は長時間の同調。また、大車輪に挑戦となった。
風が話しかけてくる。葉咲の体はあっという間に風にのった。地面が空のように見えて、世界が回り始めた。
気が付いたら、葉咲は自分の記録を更新していた。葉咲は実体の無い風に触れると、風が見る見る間に形をとる。
「ありがとうございます」
風が葉咲を暖かく包んだ。
授業が終わると、いつも教室にナイトが集まる。担当の巫女を迎えに来たのだ。その様子をしらけたように見る水翡と葉咲。陽花は友達が帰るので寂しいようだ。
「祐樹さんは迎えに来ませんよね」
「はんっ、来なくていいのよ。あんなやつ」
水翡が鼻を鳴らした。突然陽花が水翡をつつく。
「何の用よ」
「うしろ…」
水翡が振り返ると巨体が立っていた。話題にあがっていた祐樹だ。
「水翡、プールに行くぞ。陽花はろうそくの続きだ」
祐樹は話題に触れなかった。
露骨に嫌そうな顔をする水翡。陽花は上手くいってないらしく、うなっていた。水翡を引き連れて行く祐樹に、何も言われなかった葉咲は問う。
「私は自由ということでしょうか?」
「ああ」
率直で分かりやすい答えは葉咲を安心させた。
「うらやましー」
水翡が口を尖らせる。
「そう思うのなら早く習得しろ」
「ぐっ!」
歯を食いしばる水翡。祐樹が背を向けた時、舌を出した。
「クロール50m×2」
ゆっくりと振り返る祐樹は水翡いわく魔王に見えたようだ。けれど苛立ちは消えず、足を大きく踏み鳴らしながらついていった。
なんとなく葉咲は教室に残ってみた。
ナイトが巫女を丁重に扱っているのが見て取れる。なぜ、巫女を大事に扱うのか。祐樹の接し方と比べると、天と地だ。
数分もすると、教室には誰もいなくなった。葉咲も部屋を出るため鞄を手にすると、ずっしりとした重みがあった。図書館で借りた史記が入っているからだ。すでに読み終わっているから、図書館に行こう。珪くんに会えなかったら、次の巻読めばいいだけですし。
そう思って廊下の角にさしあたると、いい香りがした。フローラルの甘い香り。
気づいたときには足は動き出していた。
歩いた先には少年と女の子がいた。女の子は葉咲と同じクラスなのですぐ分かった。少年は背のみが見える。
誰でしょうか。きっと魅力的な人。
少年の声が聞こえる。
「まあ、お前なら上手くやれるって。心配するな」
「でもぉ…」
少年の声は珪だった。知れてよかった。そして胸が熱いことに気がつく。葉咲は自分のことながら不思議に思った。
「げっ、葉咲じゃん」
珪は葉咲に気づく。その後すっごく困った顔をしたが、小さい紙袋をだし、その中の粉をばら撒いた。珪のことを素敵な人と思っていたが、そうでもなくなる。
珪は担当の巫女に向かって話しかける。
「俺の巫女ならやれるさ。な?」
優しく頭をなでる。女の子は頬を少し赤くして、頷く。そして、帰っていった。
「はーーー、びっくりしたじゃねーか」
珪は、がしがしと頭をかく。
「やっぱりナイトって巫女第一なんですね」
葉咲は珪を見てしみじみと言う。
「ん?そんなことか?」
きょとんとする珪。
顔は真剣なものに変わる。
「あのな、巫女は俺らの命でもあるんだ。巫女の力が強ければ強いほど、ナイトの地位も上がる。だから巫女を大切にする。特に自分の巫女をな。他の巫女も表面的にだが大切にするやつもいるぐらいだ」
「必死なんですね」
からかうように言ったら、
「まあな」
にっと笑い返される。
「そういえば、さっき珪くんが撒いていたものは何ですか?」
「あー、解毒剤」
珪は、ばつが悪そうに言った。
「解毒剤?何のですか?」
「そりゃ、魅了の……って、その顔は聞いてないんだ?」
珪が見た葉咲は目が点になっていた。
「相変わらずだなー、祐樹さん」
祐樹さんの部分に親しみを感じた。
「知り合いですか?」
大きく頷く珪。
「ああ、前にちょっとしたプロジェクトがあったから、それでな」
珪の陽気な声の後、静けさが訪れる。葉咲の目線に耐えられなくなった珪はしぶしぶ話した。
「俺達ナイトはそれぞれ魅了の力を持つんだ。その一例として“香り”の魅了が俺。常に肌から香るのが特徴だ。その香りは相手が好ましいと思うにおいとなり、魅了する。そして、対象が無差別なんだ。だから自分の巫女といる時しか香らせないようにしてる。俺よりも先輩のナイトは他人の巫女も魅了するらしいけどな」
あの胸の高鳴りは魅了の力だったのだ。
「納得です。さっき珪くんがすごくかっこよく見えたので、どうしたのかと思ったんですよ」
柔らかな笑みで告げる。珪は“かっこいい”という単語に反応して、顔が真っ赤だ。葉咲は珪の顔が真っ赤になったので首をかしげる。
手がだるくなったので、鞄を持ち替え、本の存在を思い出す。本をゆったりと取り出す。
「これ、読みましたので」
史記を渡す。とたんに珪の目が輝いた。
「ほんとに一日で読んだのかよ。でも、すっげーうれしい。さんきゅ」
珪がにこっと笑ったのが、葉咲には可愛く見えた。
この笑顔で何人落としたのでしょうか。珪様を見守る会とかあるかもしれない、と笑う。
空気までもが軽くなった珪をみて、葉咲は話しかける。
「珪くんが読み終わったら、話をしませんか?」
名案というように頷く珪。キラキラした笑顔。
「そうだな。話が合って、楽しそうだ」
にこにこという雰囲気のまますごした。
三日目の午後。
水翡は水の中浮かぶ。
そして時たま泳いだりする。
少しずつ水に馴染んでいく。
生まれ変わるかのような感覚だ。
「今日はこれで終わりだ」
祐樹がそう言ったのでプールから上がる。
祐樹は室内プールというのにサングラスをしている。
水翡は奇妙に感じた。
「そういえばいつもサングラスしてるわね。どうして?」
「実は日光に弱くてな…」
まるで病弱少年であるかのように言う。
「は?ヴァンパイア?」
顔をしかめる水翡。
はっ、と嘲笑するかのように祐樹は笑った。
「そうだったな。お前は普通の女とは違った。
大抵はそこで同情されるんだが…、誤魔化されないな。
ナイトにはそれぞれ魅了の力がある。
俺は“眼光”だ。魅了を防ぐためにサングラスをしている」
サングラス越しに目が合ったような気がした。
「つまり目が合うだけで、一目惚れ状態になるってこと?」
祐樹はため息をつく。
嫌な事を思い出したようだ。
「そうだ。麻薬のように、一度見たらとらわれる。
そして何度も見つめると、強くとらわれる。
執着となるんだ。しかし、それを愚かにも恋とよぶ」
水翡は分かってしまった。
この人は愛されないと思っていると。
そしてそれがこの人を孤独にしている。
「けれど、あなたを本当に愛した人もいるはずだわ」
初めて水翡は祐樹に向けて笑う。
母のごとき慈愛の笑み。
いつものふくれた顔や、睨む顔はどこにもない。
祐樹は固まった。
そして、
彼は悲しそうに水翡を見て、自虐的に笑った。
「そうだな。確かにいた」
その後、祐樹は水翡を見なくなった。
見るとしても数秒。
水翡は思わず腹が立ったが、祐樹の先程の顔がよぎる。
何も言えなくなった。