祐樹 総裁
「嘘、嘘よ!!」
祐樹をすがるように見たが、目を反らすだけ。募る不安。
それを面白がるように黒髪の巫女は話す。
「でも本当よ?だって」
「止めろ」
そして充分な間の後に祐樹は言った。
「俺から話す」
俺は母に愛されなかった。
村一番の巫女であった自分を上回る存在が許せなかったのだろう。
俺は母がいながらも存在を無視され続けた。
同じ村にいながらもすがれない。俺は愛という感情を知らずに生きた。
そしてある日。村が消えた。
いや、正しくは移動したんだ。神殿に知られないように。
俺がちょうど外に出ていた時にな。
俺はさまよった。
その末に神殿にたどり着く。俺の心は渇いていた。
そこで巫女である藍翡に癒された。
彼女は姉よりも神殿に遅れて入っていた。彼女は体が弱かったから。
だからだろう、彼女は純粋で素直だった。
柔らかい春の光。会えてよかった。
だが、俺は藍翡への感情がはたして恋なのかと疑問に思った。
そして藍翡も疑問に思った。
巫女だから好きなんじゃないかと。
藍翡は神殿を出た。俺はその間ナイト独立部隊で働いていた。
だが危険種が大量に現れ、どうしようもなかった。
国民はいや巫女でさえも彼女を望んだ。
俺は彼女の家に向かい戦場に出るように言った。
神殿からの正式な依頼状も一緒に。
彼女は仲間を連れて戦場に戻り、散った。
「それのどこが母さんを殺したことになるの?」
水翡が戸惑いながらも声をかける。
祐樹は首を振る。
「俺は憎く思ったんだ。
俺が苦しんでいるのに藍翡だけ暖かく家庭をもって暮らしているのを。
壊れてしまえとさえ思った。
そして俺が訪れることで家庭は壊れることも知っていた。
知っていながらも俺はあの家を訪ねたんだ。
結果として藍翡も常盤(水翡父)も死んだ」
あまりに重いものに水翡は何も言えず、ただ祐樹を見る。
その時、水翡の封印していた過去が解き放たれた。
夜の闇、家を包む黒が心を冷やす。
――――お前の両親は帰らない。
死んだ。―――――――――
そう、この闇だった。
両親の死を伝えに来た者も黒を纏い、まるで黄泉の国に手招きされている気がしたのだ。
あの黒は祐樹ではなかったか?
“黒を纏う”とは喪服、彼の後悔ではなかったか?
何のための後悔。
私の家族を奪ったことの。
「祐樹」
水翡がただ呼びかけただけなのに、祐樹はビクッと震える。
もしかして祐樹は私が怒っているとでも思ったのかしら。
そんなに後悔している人を責めることなんて出来ないのに。
そして祐樹の心の傷も大きかっただろう。
かって愛した人を死に追いやったこと。
「ありがとう、話してくれて」
誠実さ、それは祐樹のいいところ。
このまま言わないでいるという道もあった。
けれど祐樹は言ったのだ。
責められることを覚悟して。
「祐樹の苦しみを知ることが出来てよかった」
祐樹の喪が明ける。
あの日以来ずっと着ていた黒の服はもういらない。
心の壁――サングラスももう必要ない。
“魅了の目”はとっくに制御出来ていた。
足りなかったのは勇気。
人を本当に愛せるようになったのだから。
だからまた『私のこと本当に好き?』と聞かれたら迷うことなく答えよう。
「好きだ」――と。
祐樹と水翡は見つめ合う。
それは他人から見ると恋人同士のそれで。
「何よ!!」
女性の声、黒髪の巫女の声がした。
「何よ何よ何よ!!」
肩を揺らし酷く興奮している。
それを痛ましそうに見る銅色の髪の青年。
「どうして!?どうしてなの?!どうして私にはナイトがいないのよ!!」
はらはらと涙を流す。
黒髪の巫女の悲しみが空気を伝わって動けない。
圧されるほどの悲しみ。
私達にはいるナイトが彼女にはいない。
ただ、“それだけ”のことに彼女は泣く。
水翡にとって“それだけ”。
「私にだってナイトはいなかったわ。
ここにいる葉咲も、陽花もそう!
別にナイトがいなくてもいいじゃない」
泣いていた巫女は顔を上げる。
ゆらり、と。
「あなたには今ナイトがいるじゃない。
あなたの横にいる二人もそう。
どうして私にはいないの?
目が覚めた時ナイトが迎えに来てくれると思ってたのに!
私は21世紀希望の巫女なのに!!」
21世紀希望の巫女……?
「母さん、僕がいるから」
「ありがとう、ジャンはいい子ね」
興奮する巫女を抱きしめ、落ち着ける。
巫女の落ち着いた様を見て、ほっとする青年。
しかし次の瞬間にはそんな顔など消え去っていた。
「さて、あなたたちの所までわざわざ出向いた用件ですが、……宣戦布告です。
神殿の巫女が滅びるが先か、危険種が滅びるが先か。
知っているでしょう?
危険種は巫女から作られる。戦えば戦うほど巫女になるんですよ。
さあ蘇れ!!強い念を抱く巫女、いや化け物たちよ!!」
化け物。
普通の人間からしたら、自然の力を操るだけで化け物なのだろう。
たとえその力で人を救ったとしても。
だから巫女たちは隠れて過ごしていた。
社会に潜んで――。
地面から蘇る。
元の美しい姿からは予想もつかない醜い化け物、危険種が。
死んだ時の亡骸や骨を取り込みながら次々と生まれる。
その様は本当に化け物で。
それにさえなることの出来る巫女は真の意味でも……、化け物だ。
「さあ、ゲームの始まりですね!
勝つのは10割方こちら側ですが」
水翡たちは危険種に囲まれ、他の神殿の巫女たちも同じようになっていた。
息をのむ巫女、震える巫女、動くに動けない巫女。
この状況からの脱出は不可能。
絶体絶命。
その言葉が頭をよぎり、冷や汗が流れる。
相手は絶対に勝てるところまで駒を進めておき、勝負を仕掛けた。
いわば
「チェックメイト」
青年は邪悪にも勝ち誇った笑みを見せた。
どーん、と大きな破壊音が聞こえた。舞う砂埃。
視界が明けた時には私達を取り囲んでいた危険種は消えていた。
「私は人質になんてなりたくないし、なるつもりもないわ」
怒りの炎を目に宿したティーナがいた。
危険種に囲まれていた水翡らの緊張がとける。
「敵はあなたね」
黒い髪の巫女を睨みつける。
そして後ろの青年に目を向けた時、ティーナの時が止まった。
「ジャン?」
青年はふわりとただ優しく笑った。
先程見せていた卑屈な笑みとはまったく違う。
「久しぶり、ティーナ」
ティーナの記憶の中の少年がよみがえる。イギリスの孤児園で一緒だった。
弟のように大切に思っていた、ジャン。
「どうしてこんなところに?」
「巫女に宣戦布告しに来たんだよ」
巫女、つまり私に?
私が憎いの?連絡をなかなか取らなかったから?
でも先に行方不明になったのはジャンだわ。
「どうして」
「母さんが世界最強の巫女だから、それ以外はいらないじゃないか」
「私も、なのね?」
ジャンは苦しそうな顔をしながらも頷く。
「ティーナが巫女じゃなきゃよかったんだ!巫女だから神殿に行かなきゃいけなかった。
巫女は俺から全てを奪った」
狂わせた。私の不在がジャンを。
「ねぇ、ジャン。あなたのお母さんはもういないわよね?その人は誰?」
父母をなくしたから孤児園に入った。
ならジャンと共にいる女性は誰?
「母さんだよ?俺が起こしたんだ、ね?」
「ええ、ありがとうジャン」
血のつながりはないはずなのに、親子そのものの空気。
「私は太古の巫女。土水火木全ての力を有する。
21世紀への希望をたくし、冷凍保存されたの。
目覚めた時はナイトが迎えに来てくれると思ってた。
でもいなかった。希望って言われたのに誰も来ない。
そして私よりも弱い未来(今)の巫女が戦っていた。
私を求めない世界なんて壊れればいい」
ティーナは黒髪の巫女の憎悪におされる。
代わりに水翡が口を開いた。
「あなたの名前は?」
「希子」
希望をたくすに相応しい名だった。
希子は楽しそうに笑う。
「ねーえ、私、貴方のお母さん知ってるわよ。
毎日会うの。姉妹仲良く過ごしているわ」
水翡はピクリと反応する。
「私優しいから会わせてあげるわ。
ジャン」
ジャンは頷き、手をかざす。
すると空間が歪み黒い球体が現れる。
「感動の再開ね?」
水翡は震えた。
黒い球体にいくつもの手が見える。
手の先をたどると危険種……いや、かろうじて巫女と呼べるモノがある。
足が腐敗していくように黒くなり、鋭い爪をもつ。
手も、体も全て。
球体の下に進むほど腐敗は進んでいる。
しかし、その中で唯一人の形を保つ物がいた。
母と母を抱きしめる女性。
「まったく。
この球体に入れて随分立つのにどうして始まりの巫女は危険種にならないのかしら。
なってしまえば楽なのに。無駄な足掻きを」
水翡は怒りで震えている。
そして鋭い氷柱を作り、球体を攻撃する。
しかし効かない。
「ねーえ、おもしろいでしょ?
藍翡さえここに来なければ、始まりの巫女は人間のままでいられたの。
でも愚かにも妹を守るために自分が犠牲になっている。
見て、もう手が変わってるわ……」
クスクスクスと楽しそうに笑う希子。
水翡にはそれが不快でならない。
どん!!
希子の上に大きな雷が落ちた。
怒りの雷。
それを誰かがやらなければ水翡がやっていた。
神殿からザッザッと確実に歩いてくる中年の男性。
「初めまして、“希望の巫女”」
「手荒い歓迎ね、総裁さん」
「黙れ」
大きな雷を受けても希子は悠々と立っていた。
傷一つない。
「祐樹さん、あの人が総裁と呼ばれていましたが……」
空気の重さに口を閉ざしていた葉咲が祐樹に問う。
どうしても気になったのだ。
あの人は危険種が神殿に攻め込んできた時会った謎の人だから。
「勿論、あれが総裁だ。
総裁は始まりの巫女を失った悲しみから20歳くらい老けてしまった。
だからあれが本来の年齢の姿だ。
今は大方怒りで若返っているんだろう」
「まさか、遺体がそんな所にあったとはな。
弔おうと思っても出来なかったんだ。
今でも彼女の墓に骨はない」
総裁は怒りながらも口の端が上がっている。
怒りが限界値を超えた為だろう。
「大丈夫よ、ちゃんと返してあげる。
危険種になったらね」
黒々しい微笑みに総裁は剣を抜く。
「貴様だけは楽に死なせてやるか!!」
タッ、と駆けたその先には希子を守るべく立ちふさがるジャンがいた。
「早まっちゃ、やーよ。
そうね、私達のお城においでなさいな。
たっーぷり歓迎してあげる」
そうして希子は背を向け歩き出す。
ジャンもそれに従う。
かろうじて生き残っていた危険種もついていく。
黒い球体は消えていた。
「ジャン!!」
ティーナの呼びかけに足を止めたが、再び歩き出す。
あの頃には戻れないことを示すように。
「追跡しろ、奴らの本拠地を探る」
「はっ!」
何処からか現れたナイトが3人希子たちの後を追った。
水翡はずっと希子たちを睨んでいた。
戦場で指揮をとる総裁。
その背中は若さゆえかいつもよりしゃんとしていた。
「総裁」
水翡がその背中に声をかけた。
振り返るのは若くなった中年の男。
今は若返りとか、そんなこと追及してる暇はない。
「母さんについて詳しく教えて下さい。
本当のことを包み隠さず」
丁寧な口調。
けれどそれは逆らうことを許さない力強さがあった。
「分かった。神殿に着いたら話そう」
「だが指揮は誰がとる?」
祐樹が眉を寄せながら言う。
「なぁに、お前がいるじゃないか祐樹」
「くそじじい」
悪態をつく祐樹を息子でも見るかのように愛情を込めた目で見る。
「光栄じゃよ。
ではこれより指揮官代理を祐樹とする。補佐は直人がやりなさい。
この場にいる巫女よ、ナイトよ。
案ずることはない。この者について行きなさい。
彼らの有能さはこのに場いる者は知っているじゃろう?」
指揮が祐樹に移る。
そのことに不安を覚えた者達を言葉一つで沈めてしまった。
ああ、この人は総裁だ。
祐樹や直人とは違う、桁外れのカリスマにその場は静まり返る。
これこそが経歴の違い。経験の差。
一同は圧倒されたまま神殿に帰った。
そして戦争を知らぬ黒や灰の幼い巫女にまで現状は知らされた。
動揺が現れる。
それを収めるために駆り出されるナイトと戦場を知る巫女。
そして情報を集めるナイト。
情報を纏め上げるナイト。
指示をし、戦略を練り上げる祐樹と直人。
神殿内がとても騒がしい。
「ほっほっほ。廊下も何処もかしこも騒がしいのう」
「その外見でその口調はどうかと思うわ」
「わしはのう、若くあることを捨てた」
さっき、祐樹が言っていた。
始まりの巫女を失った悲しみで老けた、と。
「若くあるのが辛かった。
あの人とともにいたのに、あの人はもういない。
なのにどうしてわしは若いままい続ける?
答えはナイトだからじゃ」
ナイトと言うものは巫女を護るため遺伝子がいじられて生まれる。
一つ、肉体強化。
二つ、巫女以上の長寿。
三つ、巫女を護るため、老化を緩めたこと。
「わしは死ねない。
そしてあの人を愛したままの若い姿でい続けるのが苦痛だったのじゃよ。
そんな時祐樹が藍翡と言う巫女を得て、頭角を現し始めた。
嬉しかった、そして安心した。
こやつになら任せられると思った瞬間わしは老けておった」
もし、愛する人を目の前で失ったならどうなるだろう?
想像も出来ない。
私が両親を失ったぐらいに悲しいのかな?
違う、私には分からない痛み。
総裁だけの痛み。
「さて、藍翡のことじゃが彼女は水の巫女名門の生まれ。
そして天才ともいえる全ての属性を操れる姉をもった」
始まりの巫女のことだ。
神殿のシンボルの女性は始まりの巫女を象徴している。
彼女が抱えている四色の玉。赤・黄・緑・青。
全ての属性を操れたことの証。
「そして妹である藍翡にも勿論期待はかかる。
しかし生まれたのは失敗作。
姉とは違い水の属性しか持たず、あまりに虚弱な体。
一族は失望し、水の里深く閉じ込めた。
ただ姉だけが愛した。彼女だけ裏切らなかった。
彼女が母と父の代わりだった。
本当の両親には、いや里の者全員にも愛されなかった。
そのためか藍翡は愛されるということに恐怖を感じ、信じることも恐れていた。
……当然じゃろうな。いつ裏切られるか分からない」
愛を知らぬ祐樹と愛を恐れる藍翡の別れは必然だったのかもしれない。
「しかし、お前さんがいる。
藍翡はついに愛を信じるようになったのじゃな。
そしてそれは新米の世界の汚れを何も知らぬナイトでなければならなかった」
祐樹は愛を知らぬうえに、ナイトに染まっていたのじゃよ。
腹の底でけなしながらも愛を囁くナイトに。
そう、総裁は付け足した。
「私は祐樹に愛を囁かれたことなんてないわ」
最近は違ってきているけど……。
それを嬉しそうに総裁は聞いている。
「それでいい。
あいつは祐樹なのだから。
それ以外にはなってはならぬ」
この人は祐樹の父だ。
祐樹をちゃんと心の目で見ている。
「本当ならお前さんはわしの家族になっていたのじゃろうなぁ」
水翡ははっとした。
始まりの巫女が生きていれば、そして母も生きていればきっと結婚していただろう。
「違うわ。もう家族よ。
だって貴方が生涯愛すと決めた人は始まりの巫女でしかないのだから。
ね、おじいちゃん」
「流石、あの人の姪じゃな」
始まりの巫女のような強さを垣間見た。




