神殿へ
無人の屋上。水翡達は息を潜めた。
キィ……。ドアがきしんだ音を立てる。入ってきたのはやはりあの彼だった。祐樹は屋上を見渡し、軽くため息をついた。そしてそのまま帰るのかと思えば、迷いなくこちらに向かってくる。
一同はごくりと息を飲む。そして三人の前で視線を定めたままピタリと止まる。水翡の術で見えてないはずなのに、なぜか視線が合う。
「そこにいるのは分かっている。出てくるんだな」
返ってくるのはもちろん沈黙だ。当たり前だ。捕まりたくないのだから。
「仕方ないな……」
そう言って手が伸びてくる。
突然、ポンッと形容するにふさわしい音がした。水翡は姿が現れたことに驚く。
「この術の弱点は術者の呼吸が止まることだ。だから鼻をつまめばいい。さて、観念するんだな」
返事代わりに水翡は祐樹をきつく睨む。
「下に車が来ている。逃げられると思うな。仮にこの場を逃げられたとしても、俺は必ず捕まえる。まず、火属性の巫女。名は火田 陽花。母が巫女。苦手なものは犬。次に風属性の巫女。名は風本 葉咲。母が巫女。行動から情に厚いと分かる。状況把握能力に優れているな。最後に青月 水翡。水属性だ。母は巫女。自分の術の弱点を知らない点から知識不足と見る。お前達の情報は全て把握している。逃げられると思うな? 家族構成を調べているから人質にとれるし、学校のやつらの命も握っている」
答えはすでに分かっているかのように話すナイト。水翡は完全に怒っていた。
そんなの選ぶ余地がないじゃない。
完全なる脅迫だった。
巫女の紋章がついた白塗りのリムジンに乗せられて着いた先は神殿だった。巫女のための施設。巫女の力を伸ばし、巫女の振る舞いを教え、そして戦場へ送り出すための。そう思うとどす黒く思えるが見た目は汚れなき美しさを持っている。白亜の神殿というべきであろう。三人は気後れしていた。
しかし祐樹がさっそうと神殿に入っていくので、水翡達も慌ててついていく。
神殿内は白い柱が並んで立ち、床は大理石を使用している。気が引けて、爪先立ちで歩いてしまう。天井にはガラスのシャンデリア。光がキラキラと反射して美しい。そして何より、無駄に広い。
長い廊下を進むと、なぜか人が多く構えており、三人を見るとざわめき出す。祐樹は腹立だしそうにしていた。騒がしいのは嫌いなのだろう。
「おい、総裁。どうするんだ、こいつらの付き」
人ごみの奥を見据えて言う。しばらく間をおくと、人ごみが二つに分かれた。現れた初老の男性こそが総裁のようだ。白ひげを蓄え、白髪を後ろになでつけている。纏う空気が西洋の紳士のようだ。
「あいにくその巫女に合うナイトは手一杯でのぅ。おまえさんでいいじゃろ」
ざわめきが静けさに変わる。視点が一点に注目する。みんな祐樹がどう答えるかを待っていた。
「そう言うと思っていたが当たったな。分かった、受けてやるよ」
先程よりも大きいざわめきが神殿を包む。ざわざわとした声は水翡らを落ち着かせない。気圧されたように少し後ろへ下がる。
「お前さんなら通常の三倍でも仕事をこなせるじゃろうて。期待しておるぞ」
総裁は人ごみの中に消えていった。祐樹ははぁ、とため息をつく。そこに突然悲しみに暮れた女性の声がする。
「うそっ、うそよ!!」
人ごみの中、金髪のウェーブを揺らし、少女が現れた。有名な“土の精 ティーナ”だった。
「どうして!? どうして受けちゃうの!? 私がいるのにっっ!!」
涙をこぼしながら縋すがりつく。TVに映る勇敢で高潔な“土の精”はいなかった。
「ねぇ、私のナイトなんでしょ? 守ってくれるって言ったじゃない!!」
しかし何も返ってこない。無言こそが答えだった。それでも信じたくないティーナは再び口を開く。
「何とか言ってよっ!」
「確かに守ると言った」
「じゃあ……」
ティーナの目が期待に輝く。
「それは今日までだ」
「うそでしょ? だって私、あなたのために強くなったのよ? あなたがいないと、私……」
ティーナの顔に、悲しみがはっきりと表れる。
祐樹を取り巻く冷たい空気が豹変する。祐樹はサングラスをはずし、にっこりとティーナに笑いかける。それだけで何か空気が変わったように感じた。
サングラスを外したからだろうか。目がとりわけ魅力的に感じた。
そこで水翡は気の迷いだと頭を振る。
「おまえなら他のところでもやれる。見てるから」
断定した言葉はティーナには酷であった。
「ひ、ひどいわ……」
彼の視線には否と言わせないだけの強制力があった。もうぽろぽろとこぼれる雫を拭う手はない。すでに祐樹はティーナのナイトではないと悟る。
「そう言われると従わずにはいられないじゃない……。――分かったわ、さようなら」
雫をこぼしながら去っていく。あんまりな別れに水翡は可哀想だと思った。
「さて、俺がお前らの担当になった。詳しい説明をする。付いて来い」
祐樹は何事もなかったかのようにしている。当然水翡は気に入らない。
「何よ、あれ」
不満を明らかにする。
「ティーナさんかわいそう」
「私達凄い人が担当になっちゃったみたいですね」
陽花はティーナの去った先を見つめ、葉咲はため息をつく。前途多難という言葉が今の状況に相応しいだろう。
「おい! 早く付いて来い!!」
「は~い」
水翡は嫌そうに返事し、三人は進んだ。
「ここがおまえらの部屋だ。どれでも好きなものを選べ」
威圧的な祐樹に言われたので、強張りながらも見てみる。並ぶのは十個ものドアだった。人が近づくと感知してドアが開く。ちらりと見えた部屋はなかなかセンスが良く、家庭的だった。しかし、部屋の数が多すぎる。
「どうしてこんなに部屋があるのでしょうか?」
チャレンジャー葉咲が質問した。もちろん全員知りたかったため、好奇の目が祐樹に集まる。
「一度に十人もの巫女を受けもつこともあるからだ。ついでに、俺の部屋はあの奥の部屋だ」
「はぁ? どうして近いのよ!!」
真っ先に反発する水翡。もう反発するのがクセとなっている。そんな水翡を長身の為、祐樹は冷静に見下す。
「巫女を守るためと言っておこう。いらない心配をするな」
「むかつくっ!!」
水翡を纏まとう空気が攻撃的なものに変わる。水が水翡を取り囲み、鋭さを増していく。
<水よ、古き流れにおいて我が敵を――>
「ここは能力禁止区域だ」
祐樹が水翡の腕に青い石のついたブレスレットをつけた。あっという間に彼女の力が拡散する。理由が分かった水翡は祐樹を睨む。
「何したのよ!?」
「通行許可書をつけただけだが?」
「その通行許可書がどうして力を封じれるのよ!?」
「成る程、ここの風紀を守るためですね。巫女同士の争いが激しいのでしょうか? おそらくその抑制ででしょう」
何もかも知っているように話す姿は圧倒されるものがある。
馬鹿馬鹿しい話だが巫女によるナイトをめぐっての争いは激しい。この自室にあたる場所でも攻撃を仕掛ける程に。そのため規制がかかったのだ。
「風聞きか。たいした力量だな。その通りだな。おまえらにもやるからつけるんだ。これは本人しかつけれない。交換なんて考えるなよ。……後の説明が面倒だな。明日にしろ。適当に部屋を選んで寝るんだな。俺は寝る」
祐樹は部屋に入ってしまった。ご丁寧にドアロックまでしている。あっけに取られて水翡たちは立ち尽くす。
「はぁーーーーーー!? 何なの、あいつ!!」
「えーっと、大したこと無いってとこじゃ?」
あくびをしながら陽花は答える。もう眠たいようだ。腕に光るのは、赤の石をもつブレスレット。葉咲は緑の石だった。それぞれの石の色が力を表している。
「では私はこの部屋にします」
「私はこの部屋にするね」
水翡はマイペースな二人になぜか取り残された気分になる。
私が変なだけ!?
後ろからクスクスと笑う若い男性の声がする。
「相変わらずだなぁ、祐樹は」
どこにでもいそうな平凡な茶髪の男性が現れた。彼は警戒する三人を見て名乗る。
「初めまして。僕もナイトなんだ。祐樹の同僚。いつも彼の説明の補足係さ。何が聞きたいかな?」
彼には人のよさそうな笑みが浮かんでいた。茶の目が優しげに見ている。水翡にはそんなことよりも上回る怒りがあった。
「全部よ」
水翡は先程の怒りを思い出し、低い声になる。
「あ、私は分からないだろうから寝るね~」
陽花は自分の部屋に入ってしまった。
「あら、では私達だけでよろしいですか?」
「いいよ。でも全部かぁ。またあいつさぼったな。まぁ、肝心なところは話しているからましか」
水翡と葉咲のブレスレットを見て言う。水翡は話が進まないのに腹が立ち、自分から話しかけた。
「ここは主に何をしているの?」
「主に巫女の育成かな。巫女の力を伸ばし、巫女らしいふるまいをするところ。そして巫女同士が切磋琢磨する。明日からは同じ属性の巫女に気を付けるといい。祐樹はナイトとして格が上だから、その巫女である君達も上級だろうと狙われるよ」
「あら、あのナイトさん凄い人でしたのね。……次に、明日は何をするんです?」
にっこりとしていた顔はぴたりと固まり、そしてまた笑顔を形どる。
「いい所に気づいたね。今までの子は聞いた事がなかったんだよ。明日は君らの基礎値を計るよ。学力、体力、巫女の力」
「学力~!?」
うげっと顔をしかめる水翡。恐る恐る、葉咲が最悪の可能性を上げる。
「学力値ですか……。まさか有名大学レベルではありませんよね」
にっこりと笑うナイト。二人は思わず言葉なく顔を見合わせる。もうこうなりゃヤケだ。
「ふん、まあいいわよ。高三の実力を見せてやるわ!」
「明日、陽花ちゃんが泣きそうですね。あの子勉強嫌いですのに……」
またクスクスと笑うナイト。細い髪がさらりと流れた。
「あ、そうそう。そのブレスレットは部屋の鍵にもなっていてね、その主の認めた者のみ入れるんだ」
「つまり私は葉咲の部屋に入れる。葉咲も私の部屋に入れるってことよね?」
にっこりと頷く。言葉以上の答えだった。
「じゃあ、また困ったら聞いて」
「ええ。そうするわ」
「では、おやすみなさい」
水翡と葉咲が去っていったのを見て、ナイトはつぶやく。
「あの子達、隙がないな。今までなら、とっくに好意的になっているはずなんだけど……」
ナイトは再び計算を練る。笑顔のままで。
「何よ、あのナイト! へらへらして気味が悪い」
クッションをぎゅーっと抱きしめてベッドの上に座る水翡。イライラして仕方ないようだ。そんな水翡を葉咲はたしなめる。
「あれは本人の防衛策なのでしょうね。私達はそういう人を知っているはずですよ」
ベッドに腰掛けて、紅茶を飲む葉咲。水翡は人の触れてはいけない所に触れてしまったかのような顔をして、すぐに反省する。
「ごめん……」
「ふふ、いいですよ。そういえば、本当に私の部屋で寝るんですか?」
「うん。駄目……?」
「構いませんよ。一見、陽花ちゃんの方が甘えんぼに見えますのにね」
クスクスと笑い出す。
「もう! 先に寝るからね!!」
拗ねた水翡は頭からふとんを被って寝てしまった。
「――水翡ちゃんがこうなったのも家が原因なんですよね」
あの無人の家。水翡を迎え、暖かく包むものはもういない。思いにふけりつつ、葉咲は眠った。