深まる恋 深淵に立つ人
危険種が来ない、平和な一時。
「はい、お茶ですよ」
葉咲の部屋に珍しく珪がいた。
ミルクティーが甘く香る。
そして、やけにニコニコとしながら珪が飲むのを見張る葉咲。
「変なモノ入れてないよな……?」
「ええ。紅茶の葉と砂糖、ミルク」
珪は安心しながら飲んでいる。
「あと、惚れ薬です」
「ブーー!!」
思いっ切り紅茶を吹き出しむせる珪。
にこりと見ている葉咲。
それが珪には気に障った。
あいつ絶対俺の反応で遊んでる!!
なにか仕返す方法はー……。
ピーンと閃いた珪はひっそりと口角を上げた。
「葉咲……」
やけに色っぽい声で珪は囁く。
テーブルに置かれていた葉咲の手を取り、そして指先に口づける。
「なっ!!」
真っ赤になってうろたえる葉咲。
先程まで余裕のあった彼女はいない。
珪は手を取ったまま俯いている。が、突如として震え出す。
俯いていてよく分からなかったが珪は笑っていた。
「ははははは!!」
「っ、出ていって下さい!!」
珪を部屋から追い出す。
「珪君のばか。私の気持ち知ってるからって……」
顔を赤に染めて葉咲は呟いた。
そして勝者の珪は何故か俯いていた。
顔を手で隠し、髪をくしゃりと掻き混ぜる。ちらりと赤が覗く。
「惚れ薬も何も、もう惚れてるっつーの」
はぁ、と息をつき窓から空を見上げる。
澄み渡った空。窓からの優しい風が珪を包んだ。
陽花は久しぶりの休みに浮かれていた。
「へへっ、直人さんに会いに行こう~っと」
直人と陽花は接点が皆無に等しい。戦場では見かけられたらいい方だ。
でも、見かけたとしてもその時の彼はナイトとしての直人で。
陽花は悲しく笑うのだった。
その直人を見つけた時、陽花は声をかけようと手を上げ、ためらうように下げた。
すぐさま直人から見えない死角に隠れ、しゃがみ込む。
そこにいたのは直人ではなくナイトだった。自然と陽花の口は尖る。
でもやっぱり直人が気にかかるらしく、ちらちらと覗く。
そこにいたのは欠点のないナイト。
それでも直人は直人で、巫女に囲まれているのが陽花には面白くなかった。
眉を寄せ膝をかかえる。
陽花は言いようのない気持ちにかられた。
あの時と同じだ……。あの時も直人さんは巫女に囲まれていて、私は直人さんに触らないで!って思ったんだ。
「ん?姫君じゃないか」
「あ、秀司くん」
顔を上げた陽花の顔を見て秀司は整った眉を寄せる。
そして陽花が背を向ける先を見て納得する。
「だから俺にしとけって言ったのに。
俺なら俺の持つ幸せ全部くれてやるよ。
お前を一番幸せにしてあげる」
陽花は静かに首を振った。
「私がドキドキするのも苦しくなるのも直人さんだけなんだ。
だから、駄目だよ」
「ははっ、姫君は大分変わったね。天女が人になったみたいだ。
あわよくば、俺が嫉妬という感情を教えたかったけど」
清らかな感情しか持たない天女。
慈しみ、優しさ。けれど陽花は地に落ちて負の感情を知った。
「あいつがいいんだよな?」
こくりと頷く。
「私は直人さんが好きだよ」
「嬉しいな、陽花ちゃん」
背後に立つ直人にぎょっとする陽花。
「まったく。どうして俺がキューピッド役をやらなきゃいけないのかね。貸し一つかな」
「残念。先輩をあいつってよんだから取り消しだよ」
「割に合わないと思わないか?」
「全く思わないよ」
「はぁ……」
溜め息をつく秀司。それでも顔は笑っている。
「とりあえずそれでいいよ。
直人センパイは俺が付け入る隙のないくらい姫君を大切にするんだろう?」
先輩という言葉がわざとらしく響く。
「勿論陽花ちゃんは大切にするよ。僕の巫女とは比べものにならないくらい大切な人だから」
陽花の不安がほぐされる。
陽花は直人にとって巫女ではなく、ただ一人の大切な女性。
「ありがとう、直人さん」
「ちぇっ、俺は大人しく馬に蹴られておくかね」
からかうように笑いながら退散していく秀司。
突然ぽつりと話し出す直人。
「この距離でよかったはずなんだ。君が僕の巫女なら僕は公私混同してしまう。
でも、さっきのようなことがあると僕が君のナイトならって思う。君を目の届く場所で見守れるのに。
でも君が僕の巫女になってしまったら、僕は他の巫女たちを大切にできない」
それはナイトの仕事に差し支えがある程陽花のことが好きだと言っているようなものだ。
「私ももっと近かったら嫉妬しすぎて気が狂うかもしれないよ」
真面目な顔で陽花は言う。
目を伏せつつ陽花は続ける。
「だからね、「これでいいんだ」」
しょうがないんだよ――。
好きだから苦しくて、醜くさえなる。
水翡は授業が終わって一息つくために自分の部屋に戻る。
いつもなら寄り道をするのだがそうも言ってられないのだ。
そう、定期テストのために!
巫女たるものそれ相応の知識は必要だそうだ。
よって高い基準の学力を維持するために行われる。
「あーあ、やだなぁ…。勉強しなきゃ。
国語の古典・漢文はいいのよ。問題は現代文だわ」
自室のドアに鍵はない。その部屋の主が認めた者だけが入れるようになっているからだ。
水翡の腕にあるブレスレットが認めた者かどうかを探知する。
「青月、祐樹さんは何処にいる」
水翡はドアにかける手を止める。
祐樹の部屋は水翡から見て突き当たりの部屋だ。
その部屋の前にティーナのナイト、忍がいた。
「え、いないのかしら?いつもなら部屋で書類片してるのに」
「ああ、部屋から応答がない。よければ青月から伝えてくれないか?ナイト独立部隊再結成だ、と」
「分かったわ」
その言葉に忍は安心して帰っていった。
ナイト独立部隊ってナイトだけの部隊よね?
でもどうして結成されてたのかしら?
人手不足だなんて理由はありえない。
巫女は数の不利を覆すほどの力を持っているのだから。
なら、どうして?
祐樹は夜になると部屋に帰ってきていた。
水翡は祐樹の背中に声をかける。
「祐樹、忍からの伝言よ。
“ナイト独立部隊再結成だ”って」
「そうか」
「ねぇ、ナイト独立部隊ってどうしてあったの?」
沈黙が続く。
水翡は諦めたように笑った。
「話したくなかったのならいいわ」
席を立とうとする水翡に、祐樹は引き止めるように声をかける。
「――俺のためだ」
「えっ……、どうして?」
水翡は言葉に詰まる。
たとえ祐樹が原因だとしても、どうしてナイト独立部隊が結成されたのだろう?
「俺は」
祐樹は言いよどむ。
けれど水翡には言っておくべきだと判断したのだろう、話を続ける。
「俺は藍翡(水翡母)がいなくなった後荒れた。
幸いその時俺には巫女がいなかったからよかったが……。
藍翡と蓮華(陽花母)は神殿を出たからな。
俺は蓮華にとって優しいナイトではなかっただろう。
それほど藍翡に夢中だった。その藍翡が消えた。
荒れている俺に新しい巫女をあてがうことなんて出来ない。
いわば俺の傷心を癒すためだけに作られたんだ」
サングラスで目は見えないが、ずっと下を向いている。
口は過去の自分を嘲るように歪んでいる。
「その時直人も荒れていた。和葉(葉咲母)も消えたからな。
神殿で頭角を現し始めた二人だから、部隊が作られたのかもしれない。
勿論メンバーに直人も含まれている。
あと、期待できる新人の養成として珪と忍がメンバーだった。
今回もその組み合わせだろう」
それを見ていた水翡は祐樹の真の姿が見えたような気がした。
神からの天啓のようで、すとんと降りてきた何か。
祐樹は寂しいんだ。
愛に飢えている。
それは過去から続いているのか、藍翡が原因なのか分からない。
でも水翡は同じだと感じた。
――私の時間はあの時から止まっている――
「何かなくしたの?」
それは祐樹にとって当たりで当たりじゃなかった。
「そうかもしれないな。俺は感情がない」
祐樹はサングラスの向こうで深く目を閉じた。
まるで痛みにこらえるように。
「でも母さんのこと好きだったでしょ?それによく私に意地悪するじゃない。
それって感情なんじゃないの?」
「あぁ、確かに感情と言えるかもしれない。そうか感情か。
俺にもあったんだな。」
珍しく皮肉った笑みではなく、純粋に満面の笑みを浮かべる祐樹。
それを正面から見て戸惑う水翡。
折角気持ちを封印したのに、そんな顔されたら困る……。
「俺は生涯お前のナイトでいてやるよ」
得意げに笑う祐樹。
反して眉をつり上げる水翡。
「はぁ~!?誰もそんなこと頼んでないわよ!!」
喧嘩腰であるが、それがいつもの彼女らであった。
祐樹はそれを好ましく感じていたし、水翡はほっとしていた。
その平和とも言える時を壊すのは音楽。
危険種の来訪を知らせるモノ。
祐樹の顔つきが変わる。
「状況を」
携帯を取り出し状況を情報部(ナイト支部にある)に問う。
続いて機関銃を肩に抱え、剣を腰に挿し込む。
ビームレーダーと弾を揃えて部屋の外に。
その間水翡も部屋に戻って剣を腰に挿していた。
祐樹が電話を切る頃には陽花と葉咲が現れ、用意を終えていた。
陽花はナックルにブーツと一般的な剣。
葉咲は短剣を装備していた。
「危険種が一定の間隔を置いて神殿を囲っているらしい。
知能のないはずの危険種が敬礼をとっているとのことだ。
その敬礼の先にいるのは赤髪の青年一人、黒髪の少女一人だ。
なぜそこにいるのか、分からないことは多くある。
現場に向かうぞ」
赤髪の青年と黒髪の少女。
祐樹は知っている。
戦場で見かけたから。
不吉な予感がする……。
***
水翡は知らない。
<生涯ナイトでいる>ということは神殿間での告白であることを。
***
「今回は様子見だ。中枢的存在がいる限り迂闊に手は出せない」
「そうね。分かったわ」
黒髪の少女はうかがうように近づく水翡達を見て嘲った。
いや、目線はただ一人。祐樹。
「あなた、古来の巫女の子ね」
祐樹の目がこれまでにないくらい見開かれている。震える手。
「あぁ、あの集落の子?母は村一番の巫女。
クスッ、可哀相に。あの時代は力あるナイトには生きづらかったでしょう?……図星ね」
祐樹の顔が見る見るうちに青くなっていく。
「どうして分かるのかって?私がこの場において最高の巫女だからよ。
あなたの考えもすべてお見通し。ねぇ、祐樹」
黒髪の少女は知らないはずの祐樹の名を当てた。
それは一層祐樹の恐怖を駆り立てる。
「あら、駄目よ。心を閉じちゃ。そもそも無駄なんだもの。
へぇ、祐樹ってす「止めろ!!言うな!!」
祐樹の慌てた声が黒髪の巫女の声を遮る。
「折角隠してきたのにって?やーよ。捨てられた子、祐樹。
気位の高い母を持つと大変ね。母よりも強い力を持ったために捨てられたなんて。
愛されなかったあなたは感情に欠陥がある」
それは祐樹がもっとも恐れていた言葉。
「そんなことない!!」
水翡の言葉がそれを打ち消した。
黒髪の巫女は水翡をも見て嘲う。
「馬鹿な子。あなたの不幸を招いたのは祐樹なのに」
「え……?」
水翡は戸惑うように祐樹を見る。
「やめてくれ、それ以上はお願いだから」
そして力無く懇願する祐樹にただごとではないと確信し、不安になる。
「水翡、あなたのお母さんを殺したのは祐樹なのよ。知ってた?」




