逃亡
「巫…女?」
――しまった! 見られた!!
三人は背を向けて逃げ出した。全身黒で統一された服のため、夜の闇に隠れて気が付かなかったのだろう。見られた相手は左胸に特殊な紋章をつけていた。四色の光を抱く女性の姿の紋章はナイトの証。
ナイトの癖のない黒髪が夜風に溶け込む。口の端が弧を描いている。黒いサングラスから覗く瞳は愉快そうに笑っていた。
「ふぅん……? 上手く今まで能力を隠していたのか。だが、それも今日で終わりだな」
ナイトの仕事には巫女探しも含まれ、大抵の巫女は幼少に見つけ出される。しかし、発見が遅れる場合もある。未熟であったか、能力を隠していたかだ。
このナイトは常に巫女を見つけた場合、後輩のナイトに保護を任せる。力が発現して間もない未熟な巫女のみ。
しかしナイトは見た。中学生ほどの背の小ささを持つ少女の業火を。あの能力はとても未熟とは言えない。三人は仲間のようだった。“集まってナイトらからの追跡を逃れている=全員、高レベルの能力所有者”だろう。きっと少女らの真の姿はとても美しい色をもつ。そう確信していた。
そこでナイトの内ポケットから電子音がする。ナイトは無造作に携帯を取り出した。
「はい。……何だ」
『“何だ”ですって!? 酷いじゃない、祐樹! 私のナイトがどこ出歩いているのよ。私を守ってくれるんじゃなかったの!?』
苛立ちを含んだ声が電話越しに聞こえる。
「ああ、分かってる。悪かったな、ティーナ。今仕事が入ったんだ。これが終わったらいつも通り守ってやるさ」
『待ってるからね!?』
一方的に切られ、携帯からツー、ツーという音がする。
「いつも通り守ってやるさ。今日までは、な」
ナイト――祐樹の残酷で美しい笑みは、いつの間にか出ていた月にひっそりと照らされていた。彼はサングラスを取り、月を睨む。
今日。今日という日に様々なものの運命が変わるのだ。
「もう、最悪!!」
水翡がやっと口を開いた。あの場所から少々離れたスーパーに彼女らはいる。人が多い所に紛れ込んで、ナイトを撒くつもりなのだ。
「ごめん、迂闊だった」
陽花がいつもの明るい笑みを消してしまった。責任を感じているらしい。
「いえ、私にも原因はあります。いつもならナイトが半径2Kmに入ったら教えてくれるんです。ですが今日は……違っていました」
深刻な顔つきの葉咲。水翡は同意するように頷く。
「確かに。葉咲の風聞きは確かだもん」
水翡は頭を冷やし、おかしいと気づく。
風聞きとは、風と会話することだ。葉咲は風から常に情報をもらっている。いつも信頼のおけるものだった。それがどうして今日に限って教えてくれなかったのか? 風と葉咲は絶対的信頼で結ばれているため、裏切らない。風は葉咲が大好きだから。ますますおかしい。
「とにかく、ナイトをここでしのぐわよ!」
「「おー!!」」
その決意は早くも破られる。人ごみに紛れていても、サングラスをかけたナイトがしっかりとこちらに向かって来るのだ。
「ひっ!」
水翡はすっかりおびえてしまった。陽花は励ますように水翡の手を握る。もう一方の手は葉咲が握る。二人は目配せして、水翡を引っ張るように駆け出した。
下水道の暗闇の中、三人は手を握り合う。
「捕まったらどうしょう。嫌だよ、利用されるなんて」
水翡は母と約束していた。“決して巫女にならない”と。巫女であった水翡の母は全てを知っていた。
巫女とは箱庭で躾しつけられ、利用されるだけの人形。
「私も嫌です。私は巫女になんて、なりたくない」
その言葉を噛かみしめるように葉咲は言った。
「私だって嫌だよ。やっぱり自由がいいな」
今の自由さを表すかのように陽花は、ほがらかに笑って見せた。
三人の母は全員巫女だった。だから、知っている。ニュースで華々しく報じられながら隠されているものも。
それぞれ巫女というものについて物思いにふける。そのしんみりとした空気を壊すかのように、荒い息遣いが聞こえてきた。
荒い息に葉咲は立ち止まる。それにならって二人も止まった。荒い息の主は誰なのか。暗くて分からなかったが、ようやく分かる。荒い息づかいの主は……。
シェパードだった。
「いやぁあぁぁ!! 犬キライ、犬キライ!!」
“危険種”なら陽花は倒していただろう。だが今回は違う。陽花は犬が大嫌いなのだ。現に真っ先に逃げ出している。
「あれは流石に無理~!!」
犬は普通の水翡さえも逃げ出した。さて、残る一人は……。
「まあ、なんて可愛い子でしょう」
葉咲のみ違っていた。葉咲にかかればどんな犬でも可愛く見えるらしく、撫でたそうにしている。
「えぇ~、可愛くないよー!! 牙が抜き出しで、涎垂れてて、目がやばいよ!!」
逃げ出しながらも陽花は講義する。陽花の隣で水翡も頷いていた。
「大体その犬、巫女の紋章つけてるわ。ナイトのペットか何かね」
水翡は逃げながらも冷静に犬を観察していた。葉咲は水翡の言葉により、犬とスキンシップを取るのを諦めた。
「こんな可愛い子ですのに、残念です」
そう言って葉咲は二人に容易に追いつく。風の力を借りたのだ。そして三人は下水道から脱出する。犬から逃れた。ホッと一息ついた時、声がかかる。
「ほぉ、基礎体力はそこそこか」
出口にナイトが立ちはだかっていた。悠々と立つ姿が強大な壁を思わせる。
「どどどど、どうしょう!! 後ろから犬が来ちゃうよ!!」
陽花は混乱状態に陥る。反対に水翡はナイトを睨む。そして葉咲は瞬時に問題を解決する方法を悟る。
「では、これはどうでしょう?」
二人の手をとり、言の葉を呟く。
<風よ、私のことを思うなら 遠くへ>
力ある言葉は見事に風の力を借りる。残ったのは祐樹と犬だった。
「今のは風属性の転移か。上等だ。久々の上級巫女だな」
祐樹は口元に弧を描き、祐樹は嬉しそうにサングラスをはずす。サングラスの下には黒き瞳があった。その瞳を巡らせた時、瞳の奥に緑の光を灯したように見えた。
「場所としては妥当だな。あれだけ運んだのでは消耗するだろうに。ティム、もう帰っていいぞ」
ティムと呼ばれた犬はバウ! と一回吼えて夜の闇に消えた。ナイトは再びサングラスをして歩き出した。一点だけを見つめて。
「やった、これで逃げ切れる!!」
水翡は屋上に場所が変わっていることに喜んだ。犬嫌いの陽花も同じように喜び、抱きついてくる。
「じゃあ、家に帰るわよ!」
そう言って葉咲を振り返った時――
「葉咲!?」「葉咲ちゃん!?」
葉咲はひざをついたまま、肩で息をしていた。いつものように暖かく微笑む彼女はいない。
「……何でもありません。先、行っててください」
顔に脂汗を滲ませながら力なく笑う。しかし、それは誰が見ても大丈夫そうに見えない。
「何でもないことないじゃない!! どうしたのよ!?」
慌てて駆け寄る水翡。葉咲の尋常じゃない汗のかきように何をしたらいいか分からない。
「ここ、ビルだ。さっきいたところからすっごく離れてるよ!!」
とっさに陽花はビルからの風景を見て言った。下水道があったところは点になって見える。その事実に陽花は顔が青くなる。同じく水翡も。
「馬鹿!! どうしてそんな無茶するのよ!?」
今までの最高距離を移転している。それではこの消耗も当たり前だ。そんな無茶されるよりも水翡は葉咲の方が大切だった。
「私は……まだみんなと、普通の生活がしたいんです」
息を切らしながらの言葉に二人は何も言えなくなる。
「これだけ離れていれば大丈夫よね。休憩して帰りましょう」
「ありがとう……」
その言葉に水翡と陽花は笑って返した。
「うん、もう行けそうです」
休憩を挟んだことで葉咲がしっかり立った。そのことに二人はほっとする。
「よ~し、じゃあ帰ろっか」
一足先に駆けていく陽花。しかしそれを止める手があった。水翡だ。
「誰か来る。たぶんアイツだ」
空気が一気に重くなる。そして近くなっていく足音。
「私が……」
葉咲が転移を申し出るが、葉咲を思った二人は譲らなかった。代わりに水翡が申し出た。
<ミスト!>
霧が三人を包み、背景と同化する。屋上には誰もいないかのようになった。