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栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第一章 迷彩服と帰還中
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ミリーとニコール

 結局、亜美の望んでいた模擬戦闘は行われなかったもののガレージでエアガンの試射ができて亜美は満足した様子だった。亜美をサバゲー部に入れることに反対していた勇人自身も、亜美の喜ぶ顔を見て、最終的には大学に連れてきて良かったと思えた。

 そしてその夜、食事を済ませた勇人は自室のベッドで仰向けになっていた。


「…………ゲプッ。もう入らねえ」


 勇人が苦しそうに張った腹部をさする。仕事を終えて帰宅した武徳と一恵は亜美を含めた四人で食卓を囲むことに終始上機嫌であった。亜美も一恵が腕を振るった料理の数々に感激し、「うまい」を連発しながら大学の食堂のときと同じく驚くべき速さでそれらを平らげた。そのせいで勇人のリズムが狂い、いつになく食べ過ぎてしまったのだ。

 ――それにしても。

 勇人は寝返りを打ち、壁と向かい合った。


「…………」


 壁の向こうには亜美の部屋がある。

 落ち着かない。

 勇人はおもむろにベッドのマットの下に手を入れて雑誌を取り出した。表紙には到底ここでは書けないような文字の羅列があった。しいてあげるなら『淫』とか『猥』とかそういった類の文字だ。勇人はごそごそと体を動かすと、仰向けの体勢になり雑誌を開いた。別に深い意味はない。男には間が開くと反射的に秘蔵の本に手を伸ばしてしまうという習性があるのだ。


「……………………」


 雑誌に目を通すが全然内容が頭に入ってこない。勇人はため息をつくと開いたままの雑誌を顔の上に乗せた。途端に疲労が押し寄せる。

 コンッコンッ。


「うおっ!」


 突然ドアがノックされ、勇人は慌てて雑誌をベッドの下に放り投げた。


「勇人、私だ」

「あ、亜美か……な、なんだ?」


 亜美がドアを開ける。そこには首からタオルをかけ、深緑のタンクトップに黒のスウェット姿の亜美が立っていた。髪の毛が濡れていて、肌がほんのりと上気している。


「先にお風呂頂いたぞ。後は勇人だけだ」


 勇人が上体を起こしながら湯上り姿の亜美を見て、


「……あ、おう。すぐに入るよ」


 一瞬息を飲んでしまうが、すぐに平静を装って返事をした。亜美のしっとりとした肌や張り付いたタンクトップ越しの艶めかしいボディラインに内心はドキドキである。

 しかし用が済んだにもかかわらず、なぜか亜美はどこを見るわけでもなく入り口の前でつっ立っていた。


「んっ、どうした?」


 勇人が気になって尋ねる。


「いや、なにも聞かないんだな――と思って」


 亜美が苦笑を浮かべる。


「私が軍にいた頃、なにをしていたとか。勇人のマザーもファーザーもなにも聞いてこなかった。昔のように変わらず接してくれる」

「そりゃあ――」


 勇人は一瞬、言い淀み、言葉を選ぶように語り掛けた。


「うちの親からしてみれば、単純に亜美が日本に戻ってきたことが嬉しいんだろう。なにをしてたかなんて、どうでもいいんだ。それは亜美が言いたくなったら言えばいい」


 これは勇人の本音でもあった。もちろん亜美が軍にいた頃の話を詳しく聞いてみたい気持ちもあるが、正直怖いという想いもあった。勇人自身、戦争というものを体験したことはないが、ニュースや文献、映画や小説でも描かれている通り、どういうものかは知っている。本人が語りたくなければそれでいい。戦争の体験談というものは聴く人よりも語る人の方が何倍も辛いものだ。


「そうか。優しいな」


 亜美が微笑んだ。同じ歳とは思えない、亜美の大人びた微笑に勇人は自分の体温が上がるのを感じた。


「や、優しいというか、うちの親は放任主義だからな」


 勇人が照れ隠しのように視線をそらした。


「私は勇人も含めて言ったのだ」


 勇人が「えっ?」と顔を上げる間に、亜美はタオルで顔を隠すようにしてドアを閉めた。


「…………」


 勇人はしばらく唖然とした表情で亜美が立っていたドアの方を見つめていた。


「……今頃、反応すんなよ」


 勇人が自分の下腹部を見て呟いた。



 同刻――タチノア軍司令部に二人の兵士が呼び出されていた。

 反乱が鎮圧化したとはいえ、まだ軍は国の復興や残務処理に追われていた。そのため、石壁の簡素な建物が立ち並ぶ、その一角が仮の軍司令部として使われていた。司令室には木製の装飾が施されたテーブルがあり、その後ろの壁にはタチノアの国旗が飾られていて、一応の体裁は保たれていた。

 司令長官のギルモア・ファラトが国旗を背にして座っていた。髭面でこめかみには刃物でつけられたような傷跡がくっきりとあり、どこかの暴力的な事務所の社長にしか見えない。テーブルを挟んで向かいには、二人の若き女性兵士が気をつけの姿勢で立っている。


「ガジェットが部下数名を連れて国外へ逃亡したとの情報が入った」


 ギルモアの言葉に驚いた二人が姿勢を崩す。


「――っ!」


 ギルモアから向かって右に立つミリー・タークマハル伍長が下唇を噛んだ。ミリーは小柄な体型のため、鎖骨まで垂れ下がった長めの金髪がより一層目立つ。そして一見、ヨーロッパ系の顔立ちをしているが、混血なのか琥珀色の瞳が印象的でもあった。

 同じく向かって左に立つのは赤みがかったボブヘアーが特徴的なニコール・ミラー少尉だ。ムッチリとした肉感的な体型で兵士にしては珍しく柔和な顔立ちをしている。全体的に柔らかい雰囲気を持っているのは、彼女が軍医という立場にあるからかもしれない。

 二コールは少し驚いていたものの、すぐに踵を鳴らして気をつけの姿勢をとった。それを見て、隣に立つミリーもハッとなり気をつけの姿勢をとった。


「しかも、ガジェットの逃亡先は日本だという情報が入っている。日本には先日、亜美軍曹を帰国させたばかりだ」


 ギルモアがテーブルに両肘をついて顔の前で手を組む。


「まさか、亜美軍曹を追って――ですか?」


 ミリーが焦るように声を震わせる。


「目的はまだはっきりとはしていないが、亜美軍曹は反乱鎮圧の功労者でもあるからな。反乱軍の前線指揮官だったあの女にとっては追いかけてでも始末したい存在だろう」

「しかし、空港は監視されていたはずなのにどうやって?」


 ニコールが冷静に疑問を口にする。ギルモアもそれに対して頷く。


「ああ。だから、おそらく航路――貨物船に忍び込んだのだろう。どうやら海運会社に反乱軍の者が潜んでいたようだ。一応、各社に連絡は入れておいたが、見つかる可能性は低いだろうな」


 ギルモアの話を聞いている間、ミリーはいても立ってもいられないという顔をしていた。そんなミリーの様子を見て、ギルモアがテーブルの引き出しを開けて二枚の紙を取り出す。


「ただ、ガジェットが日本に到着するのにあと数日は要するだろう。そこでだ――」


 ミリーが緊張したように唾を飲み込む。それとは対照的にニコールはのほほんとした表情をしている。


「君達には空路で日本に先回りしてもらい、ガジェットとその部下を拘束して連れ帰ってもらいたい。これが作戦命令書だ」


 ミリーとニコールがギルモアから紙をそれぞれ受け取る。ミリーが紙を流し見て、怪訝そうな顔で首をかしげる。


「この上本武徳というのは何者ですか?」

「協力者だ。彼には亜美軍曹の件で貸しがあってな。日本政府に気付かれぬよう秘密裏に動いてもらうことになっている」

「それは――」

「わかりました。明朝、作戦を開始して空港へ向かいます」


 ミリーがまだ何か言いたそうにしていたが、ニコールがあっさりと話を切り上げた。すなわち、ギルモアが言いたかったのは自国の失態を日本政府に知られるわけにはいかないということだ。ただでさえ、タチノアは日本大使館の件で日本人に死傷者を出してしまった責任がある――これ以上、政治的に不利な立場になるわけにはいかなかった。

 そんな上官の心中を汲んでニコールは話を切り上げたのだ。


「話は以上だ。それを読んだら、すぐに焼却するように」


 ミリーとニコールが紙を脇に挟んで踵を鳴らして敬礼をする。


「亜美軍曹に会ったらよろしく伝えといてくれ」


 ギルモアが微笑を浮かべるが、明らかに高利貸しか何かの笑い方にしか見えなかった。


「「失礼します」」


 ミリーとニコールは司令室を出て、石壁の廊下を歩いていた。


「ニコール少尉、なんで止めたのですか?」


 ミリーが隣を歩くニコールを横目で見る。


「今は誰も見てないから普通に話してもいいのよ。ミリーちゃん」


 ニコールが右手をミリーの頭に置こうとするが、


「頭に触んな!」


 その手はミリーによってあっさり跳ね除けられた。どうやら頭に触れられるのが嫌らしい。


「もしかして、ミリーは長官の口から言わせるつもりだったのかしら?」

「なにが? 私は日本政府と協力してガジェットを捕まえた方がいいと思っただけよ」


 ニコールとミリーは軍に入る前からの付き合いがあった。だから、ニコールはこの隣の純粋な年下の少女に優しい笑みを向けた。


「そんなに単純な話じゃないのよ。大人は色々としがらみが多いから」


 ニコールが諭すように言うと、ミリーはそっぽ向くように鼻を鳴らした。


「フンッ――子ども扱いしないで。私だってそれぐらいわかってるわ。ただ……亜美軍曹の安全を考えたらそっちの方がいいと思っただけ」

「ミリーは亜美に懐いてたものね。なんだか妬けるわ」


 ニコールが冗談めかして言うが、すでに遠くを見つめるミリーの耳には入っていなかった。


「……亜美軍曹、待っていて下さい」

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