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栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第一章 迷彩服と帰還中
6/37

亜美、食券を買う

 食堂に着くと、昼食の時間はとうに過ぎていたのであまり人気はなかった。自分の選択した授業がすでに終わり、たむろっている生徒が数人いる程度だ。


「おおっ……すごいな」


 初めての食堂に気分を高揚させる亜美。食堂内には白いテーブルと椅子が並んでいて、百人ほどが入れる広さだった。入って右側は受付になっていて、左の壁沿いには券売機が三台設置してある。


「まずは券売機で食券を買うぞ」


 勇人が券売機の方に目を向ける。


「…………食券?」


 勇人が頭にクエスチョンマークを付けたままの亜美を券売機の前まで連れてくる。


「なんだこれは? ここから食べ物が出てくるのか」


 亜美が食券の取り出し口を見て言う。


「違うわ! もしそうだったら、ここビチャビチャになってるだろ」


 亜美のずれた発言に思わずコケそうになりながらも勇人は券売機の横に立って、


「これは券売機だ。ここで食べたい物のボタンを押して、食券をカウンターに持って行って、食べ物を受け取るんだ」


 券売機をドンと叩いて、受付の方を指差す。受付には割烹着姿のおばちゃんが数人立っている。この時間は暇なのか、受付のおばちゃん達は談笑している。


「あの人達に直接口で言った方が早いのではないか?」


 亜美が受付の方を見て言う。


「今はそうだけど、混雑時にはいちいち会計するより食券の方が効率がいいんだ」

「なるほど。システム化されているわけか」


 亜美が券売機に向き直り、『どうすればいい?』という顔で勇人の方をチラリと見る。勇人が券売機に千円札を入れて、


「この中から亜美が食べたい物を選んで」

「わかった…………(ゴクリ)……」


 真剣な表情で券売機とにらめっこをする亜美を勇人は面白そうに眺めていた。

 しばらく券売機と睨み合っていた亜美が唐突に一点を指差し、


「勇人、このカツシャープというのはなんだ?」


 わけのわからないことを言い出した。


「んっ……そんなのあったか?」


 勇人は亜美が指を差している券売機のボタンを見て思わず吹き出した。


「カツ丼だよ!」

「むっ、そうか。カツ丼か」


 勇人のツッコミに納得したように頷き、亜美はまた券売機と睨み合う。勇人は意外なものでも見るような顔付きで亜美を見ていた。


「ん、なんだ?」


 そんな勇人の様子が気になって亜美が尋ねる。


「いや、亜美でも冗談は言うんだな――と思って」


 一瞬、なにかを考えるように亜美の動きが止まって、


「わ、私も……冗談ぐらいは言う……っ」


 なぜか頬を赤らめる亜美。その反応の意味がわからず、勇人は笑ってごまかした。


「勇人、この魚ドド定食というのはなんだ?」

「なんだそれ?」


 またもや亜美がわけのわからないことを言いながら券売機のボタンを指差した。


「それは鮭定食だ! さすがにその読み方は無理があるだろ!」


 勇人はまたも吹き出した。


「な、なるほど……」


 亜美はまた頬を赤らめながら口をつぐんだ。その時、勇人はあることに気が付いた。

(まさか……マジなのか……)

 考えてみれば亜美は十年間も海外にいたのだ。しかも九年間は軍で兵士として過ごしていた。まともな教育を受けていたとは考えにくい。それに日本での勉強に関しては引っ越すまでの八歳で止まっているといってもいい。となると当然、読み書きも小学三年生の漢字までが限界だろう。しかし勇人自身それを言及するつもりはない。亜美にはこれまでの空白を埋めるべく、徐々に日本の生活に慣れていってほしい、勇人はそう思っていた。


「亜美。ちなみに俺のオススメはネギ塩豚カルビ定食だ。悩んだ時はいつもこれにするんだ」


 勇人が横からボタンを指を差した。


「そうか。ならそれにしよう」


 亜美はネギ塩豚カルビ定食のボタンを押した。券売機の取り出し口に食券が出てくる。勇人は食券を取り出し亜美に渡すと、続いて自分が食べる物を選んだ。勇人が押したのはカレーライスのボタンだ。勇人と亜美は食券を持って受付へと移動した。勇人が受付の脇のトレイとコップを取り、同じく脇に設置された給水機から水をコップに入れる。勇人の動きを見て、亜美もそれを真似した。勇人は食券を受付のおばちゃんに渡し、番号札を受け取る。同じく番号札を受け取った亜美と勇人は受付から一番近いテーブルに着いた。


「頼んだものが出来たら、番号で呼ばれるから受付に取りに行くんだ」


 勇人が対面に座る亜美に説明する。


「番号で呼ばれるのはあまりいい気がしないな」


 亜美が番号札をテーブルの上で弄る。


「なんで?」

「番号で呼ばれるのは囚人か捕虜ぐらいだからな」

「…………」


 勇人はもはやツッコミを入れる気すら起きなかった。

 しばらくして番号を呼ばれた勇人と亜美は頼んでいた物を取りに行った。


「……これは美味い。絶品だ!」


 亜美は目の前のネギ塩豚カルビ定食にご満悦の表情だ。勇人も亜美が食べ始めたのを見て、トレイの上のカレーライスに手を伸ばす。


「口に合ってよかったよ」

「ああ。久しぶりのちゃんとした肉だ」

「ちゃんとしたって――いや、いい」


 亜美は美味しそうに豚カルビとご飯を交互に食べている。食べるのに邪魔だったのか、亜美が帽子を取る。すると離れたテーブルの方から、ざわめきが起こった。勇人が振り返ると、遠くのテーブルに着いていた男連中が亜美の方を見てなにやら話している。「おい、あの娘可愛くね?」、「どこの学部の娘だろ?」、「前髪のメッシュがロックだ」、などと微かに聞こえてくる。

 勇人が正面に向き直ると、亜美は食べるのに夢中でその声を気にも留めていない。

(……まずいな)

 亜美が注目されだした。


「亜美、急いで食べるぞ――って、もう食べたのか!」


 いつの間にか、亜美は食べ終えていて皿にはなにも残っていなかった。勇人のカレーライスはまだ半分も残っているというのに。


「んっ、なんだ? 勇人は食べるのが遅いな。そんなことでは緊急時に対応できないぞ」

「……確かに」


 言うや否や勇人はすさまじい勢いでカレーライスを口に運んだ。今がその緊急時だからだ。


「おおっ、カレーは飲み物と言うやつか!」


 勇人の食べる勢いを見て、亜美が目を丸くする。


「いや、なんかそれ違うから!」


 亜美の言葉に口を挟みつつも、勇人はカレーライスを平らげた。そして、亜美に帽子を深く被るように注意して、食べ終わった食器を受付の返却口へと持っていく。亜美も勇人に続いて食器を返した。勇人は遠くのテーブルからの視線を背中に感じながら、亜美を連れて足早に食堂を出ようとしたところで、


「あれっ、勇人。お前、帰ったんじゃなかったの?」


 ――梶と出くわした。

 勇人はサッと亜美を隠すように前に立ち、


「……いや、ちょっとな」


 バツが悪そうな顔をする。


「んっ?」


 梶が勇人の後ろに立つ亜美に気付く。勇人の顔が引きつる。


「誰?」


 梶が興味津々といった様子で亜美をジロジロと見る。亜美はオープンカフェの件で勇人が言ったことを守っているのか、余計なことを言わないように口をつぐんでいる。

(どうする? よりにもよって梶と会うなんて。ここの学生だというか。いや、そんな咄嗟の嘘に亜美が口裏を合わせられるわけがない。くそっ)

 結局、勇人は諦めたように口を開いた。


「はぁ――ったく、もう」

「なんだよ、急に」


 勇人は一歩横にずれて、梶を亜美の方に注目させた。


「えーと、彼女は前に話してた幼なじみで、ずっと海外に住んでて、この度十年ぶりに日本に帰ってきたんだ」


 勇人が亜美にチラッと視線を送ると、『いいのか?』と言うような顔をしたので頷いた。


「栄倉亜美だ。よろしく」


 亜美が一歩前に出て、帽子を取って自己紹介をする。


「それでこいつは――」

「うおぉぉぉぉぉぉぉっ! めちゃくちゃ可愛いじゃねえか!」


 勇人が言いかけたところで、梶が亜美の顔を見て叫びだす。


「お前、こんな可愛い娘が幼なじみなんて羨まし過ぎるだろ! こりゃあ、お前が想い続けてたのも頷け――」

「チェスト!」


 勇人のチョップが梶の喉元に炸裂して、梶は床を転げまわった。


「それでこいつは、俺と同期の梶大輝だ」


 勇人は何事も無かったかのように、床に手をかざして梶の紹介を済ませる。


「~~~~~~~~~~~~!」

「…………大丈夫なのか?」


 亜美が困惑した表情でまだ床を転げまわっている梶を心配する。


「大丈夫だ。こいつは訓練されているから」

「そうか。なら大丈夫だな」


 勇人が『訓練』というキーワードを出しただけで、亜美は簡単に納得した。訓練とはそれほど万能なものなのか、と勇人は疑問に思った。

 やっと復活した梶が亜美の前で立ち上がり、再び亜美の顔ジッと見る。


「んっ、なんだ? 私の顔になにかついているか?」

「うおぉおぉぉぉぉぉおおぉぉぉ! めちゃくちゃ――」

「もういいから、それは」


 勇人が梶の頭を叩くと、


「あっ……そう。じゃあ、やめるわ」


 梶はケロッとして落ち着きを取り戻した。勇人と梶が視線を合わせてニヤリと笑い合う。どうやら、そういうノリを演じていたらしい。亜美はそのノリについていけず顔をキョトン、とさせている。


「いやぁ、でも、さっきは冗談っぽく言ったとはいえ――うん、マジで可愛いわ」


 梶が眼鏡を押し上げてキラリとさせた。


「なんだ、この軽薄そうな男は?」


 亜美がまじまじと見てくる梶に訝しげな表情で嫌悪感を示す。


「こいつはチャラメガネだ」

「なるほど。チャラメガネか」


 勇人が事も無げに言い、亜美もそれに便乗する。


「お前ら、ひでえな」


 梶が苦笑交じりに呟いた。


「というか――なんで勇人は亜美ちゃんと大学に来てるんだ?」

「亜美が学食を食べたいっていうもんで、連れてくることになったんだ。そういうお前こそなんで食堂に来たんだ。昼食は済ませたんじゃないのか?」

「いやぁ、なんか食堂に可愛い娘がいるって呟きがあったもんで、講義の合間を縫って見に来たんだ」


 梶が携帯を取り出して、勇人に呟きサイトのログを見せる。


「……あいつらか」


 勇人はさっき亜美のことを遠巻きに見ていた男連中の方を横目で見た。今はなんでもリアルタイムで情報が手にいる。それは今の勇人にとっては迷惑以外の何ものでもなかった。


「お前はこれから、どうすんの?」


 梶が勇人に尋ねる。


「用は済んだから帰るよ」

「なんだよ、どうせ来たんだからサークルに顔出せよ」

「いや、亜美もいるし」


 勇人が亜美の方を見る。ただでさえ勇人はサークルに顔を出してないのに、いきなり亜美を連れて行くなど難易度が高すぎる。しかも、所属しているサークルが問題だ。


「そのサークルというのはなんだ?」


 亜美が疑問を口にする。それを聞いて梶が好機とばかりに目を輝かせる。


「サバゲー部だよ。俺も勇人もそこに所属してるんだ。わかりやすく言うと二チームに分かれてエアガンとかで撃ち合ったりするサークルさ」


 亜美は『サークル』自体の意味を聞いたのだが、まさか知らないとは思っていないので梶は所属しているサークルのことだと思い、活動内容をざっくりと説明した。そして、軍務経験のある亜美にとっては、やはりと言うべきか――早くもサバゲー部に興味を示し始めていた。ちなみに『サバゲー』とは『サバイバルゲーム』の略だ。どういうことをするかというと、


「模擬戦闘のことか?」

「そう、それ。よく知ってるね」


 梶が感心したように目を見開く。

(そりゃあ、本職だったからな)


「そこに行けば、模擬戦闘ができるのか?」

「できるできる、全然できるよ」


(いや、模擬じゃないやつを散々してきてるだろ)

 勇人が心の中で毒づいている内に、どんどんと話がおかしな方向に進んでいた。

 亜美が興味を持ったことに気を良くして梶が声を弾ませる。


「面白そうだ」

「超面白いよ。サークル棟の裏は森だから、そこでフラッグ戦とか出来るし」


 勇人が『余計なことを言うな』という顔で梶を睨みつける。梶はそんな勇人の視線に気づき、『わかったよ』といった感じで肩をすくめた。しかし、時すでに遅し。


「勇人、私はサバゲー部に行ってみたいぞ」


 亜美が勇人の方を向いて表情を輝かせる。


「……やっぱり、こうなるのか」

「ほら、亜美ちゃんもこう言ってるし、サークルに来いよ」


 梶が勇人の肩に手を置いて顔をニヤつかせる。


「お前なぁ……講義があるんじゃなかったのか?」

「んなもん、サボるに決まってるだろ」


 不真面目なことを堂々と言い放って親指を立てる梶。


「大学生の本分を無視するなよ」

「本分とは余分なことをするためにある」


 勇人が困ったような顔で亜美を見ると、


「勇人……頼む」


 幼なじみの懇願するような顔がそこにあった。


「……亜美さん、マジですか?」


 なぜか敬語になる勇人。


「マジだ……………………勇人、マジとはなんだ?」


 勢いで答えてみたものの、言葉の意味がわからず首をかしげる亜美。


「ハァ……わかったよ。ちょっとだけなら……行ってもいい」


 勇人はもう色々と面倒くさくなって、亜美の願いを聞き入れた。


「本当か!」

「よっしゃあ!」


 亜美と梶が歓喜の声を上げる。なぜか亜美と同じく梶が喜んでいるのがよくわからないが、今後のことを思うと勇人は不安になった。


「どうなっても知らないからな……」


 はしゃぐ二人を尻目に勇人は力なく呟いた。

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