表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第一章 迷彩服と帰還中
4/37

再会

 バスを降りた勇人は住宅街へと続く道を歩いていた。

 勇人の横を見慣れない国旗をバンパーに付けた車が通り過ぎて行く。勇人はその車には気づかず、閑静な住宅街に佇む庭付き一戸建ての自宅の前まで辿り着いた。

 『上本』と書かれた表札の横の門を開けて、五歩分程の石床を歩いて扉の前に立つ。親は当然家に居ないことを知っていたので、勇人は鍵を取り出そうとズボンのポケットに右手を入れた、その瞬間――


「動くな」


 勇人の背後から女の声がした。


「えっ?」

「動くとお前は死ぬ」


 勇人は背中に押し付けられた硬い物の感触に体を強張らせた。

(ここ、日本だよな?)


「右手をポケットからゆっくりと出せ」


 勇人は背後の女を刺激しないようにゆっくりとポケットから右手を引き抜いた。その手には家の鍵が握られている。


「それは?」

「い、家の鍵です。あの……俺はこの家に住んでいる者で……」

「……なっ、お、お前の名は?」


 勇人の背後に立つ女が戸惑ったような声を上げた。


「勇人。上本勇人です」


 相手の意図もわからぬままに勇人が自己紹介をする。相手の顔も見ずに怯えながら自己紹介をする様はなんだか滑稽だ。


「えっ…………ゆう……ちゃん……?」


 その懐かしい呼び名に勇人は、まさかと思い振り返った。


「亜美か!」


 勇人が振り返ると、そこには記憶の中の幼なじみ――ではなく、黒いショートカットの前髪に白いメッシュの入った、浅黒い肌の女が立っていた。黒のタンクトップに迷彩柄のズボンで、麻袋を左肩に下げ、右手にはペンライトを逆さまに持っていた。勇人が拳銃だと思った物の正体はペンライトだったようだ。女はその状態で驚いた顔のまま硬直している。

 勇人はその見慣れない女の姿に驚き、


「…………誰?」


 思わず呟いていた。それを聞いた女は硬直が解けたようにムッとする。


「幼なじみの顔も忘れたのか?」


 女は左腕の防水加工の腕時計を見てから、ビシッと背筋を立てて踵を鳴らした。


「本日、一二三〇(ひとふたさんまる)時より、こちらでお世話になる、栄倉亜美だ」

「…………いや、誰?」


 変わり果てた幼なじみの姿に、勇人はその言葉を発することしかできなかった。


 数分後。上本家のリビングのソファには勇人と亜美が向かい合って座っていた。

 勇人はすでに疲弊した様子で背もたれに体を預けている。

 家に亜美を招きいれてからこの状態に落ち着くまで、結構な時間を費やした。家に入るなり亜美は一階と二階の戸締りを確認し、各部屋に異常がないかチェックして回った。その間、勇人はその勢いに気圧されて戸惑うだけであった。さすがに自分の部屋は全力で死守したが、全ての窓のカーテンを閉め、やっとのことで亜美は納得し、ソファに腰を下ろしたのだ。なので、まだ昼間だというのに薄暗い部屋で勇人と亜美は顔を合わせる形となった。


「久しぶりだな。勇人」


 微笑を浮かべる亜美であったが、勇人にとってこの状況では不気味に見える。

 (なんだろう……この、銃を突きつけられているようなプレッシャーは………………んっ? そういえば今勇人って……)

 玄関先とは違い、呼び方が変わったことに勇人は少し引っかかったが、今の亜美に言われてもあまり違和感がなかったので流すことにした。勇人にはそれ以上に聞きたいことが山ほどあるのだ。


「確認するけど、あの亜美だよな? 昔、隣に住んでた」

「ああ、そうだ」


 亜美が短く返事をする。勇人は亜美の顔を疑わしげに見つめる。


「ん、なんだ?」

「いや、変わったな……と思って」


 昔と違い、髪が短くなっていることもそうだが、獲物を射抜くような目つきと、いくつもの死線をくぐり抜けてきたような顔立ちは、勇人の記憶の中の亜美とはかけ離れていた。

 もはや、当時のかよわき少女の面影は無い。


「まあ……多少は変わったかもしれんな」


 亜美が言いながら右手で髪の毛を撫でる。どうやら髪型のことだと思っているらしい。


「いやいや、めちゃくちゃ変わってるから! 最初に見た時、妙な迫力があって殺されるかと思ったし」


 勇人が思わず声を荒げる。


「むっ……いくらなんでも勇人は殺さないぞ」


 心外だと亜美が眉を潜めた。

 他の人なら殺すのか、と勇人は思ったが怖くて口には出せない。


「そういえば、マザーとファーザーは居ないのか?」


 亜美が思い出したように周囲を見回した。

 勇人は一瞬、誰のことを言っているのかわからなかったが、すぐに母親と父親のことを言っているのだと理解した。


「ああ、うちの親は今仕事で外出してるから、帰ってくるのは夜になると思う」

「……ナルホド」


 亜美が緊張した面持ちになる。


「…………?」


(なんだ、今の反応は?)


「「…………」」


 二人が押し黙ってしまい、リビングに静寂が訪れる。

 そしておもむろに勇人は立ち上がった。


「な、なんだ?」


 亜美が身構えるように腰を浮かせる。勇人はその反応の速さに少し驚いて、


「あっ、いや、なんか飲むかなと思って……」


 戸惑いながらも平静を装った。


「そ、そうか」

「亜美もなんか飲むだろ。長旅で疲れただろうし。なにがいい?」

「泥水以外なら、なんでもいい」

「どんな注文!? 逆に出すほうが難しいだろ!」


 勇人は深くは追求せずにソファから離れた。フローリングの床を歩きキッチンに向かう勇人の背中を見て、亜美はため息をつきながらソファに腰を下ろすと、


「情けない……」


 天井を見上げて額の汗を拭った。

 ………………………………。

 しばらくして、麦茶の入ったコップを両手に持って勇人がソファに戻ってきた。

 勇人が「はい」とコップを亜美の前のテーブルに置く。カラカラと氷がぶつかり合う涼しげな音がリビングに鳴り響く。


「ありがとう」


 勇人はソファに腰を下ろし、向かいの亜美の様子を見守った。

 亜美がコップに手をつけ、口元まで持っていく。亜美が麦茶を口に流し込み喉を鳴らしたのを確認すると、勇人も麦茶を飲み始めた。

 ――ゴクッゴクッゴクッゴクッ。

 亜美は麦茶を一気に飲み干し、カランと音をさせてコップをテーブルに置いた。


「プハァ……うまいっ! 文明的なうまさだ!」


 言っている言葉の意味はわからないが、いい飲みっぷりだった。勇人は麦茶をおいしそうに飲む亜美の姿を見て笑みをこぼした。


「よかった。おかわりいる?」

「あっ……いや、いい」


 自分が必死で麦茶を飲んでいたことに気付き、亜美が口元を拭って恥ずかしそうに顔を背ける。それに合わせて亜美の首元のドッグタグが揺れた。


「それは?」


 勇人が気になって、ドッグタグを指差す。


「んっ、これか?」


 亜美が良く見えるように少し屈んで、ドッグタグの鎖の部分を右手の親指と人差し指で摘まむ。長方形の薄い銀の板になにやら文字が彫ってある。勇人がその文字を見ようと顔を近づけて「……あっ」と、なにかに気づいたように頬を紅潮させた。ドックタグ越しに亜美の十年の歳月を経て発育したボリュームのある胸の谷間が、勇人の目に入ってきたのだ。そんな勇人の視線にも気づかず亜美が話し始める。


「これは私が十三歳で初めて戦場デビューした時に、軍の上官から貰ったものだ。戦場では必ずしも綺麗な顔で死ねるとは限らないからな。そんな時、これが残っていれば死体の身元がわかるというわけだ」

「へ、へえ……」


 勇人の赤みがかった顔が血の気と共に一気に引いていった。勇人はソファにもたれかかり、聞いたことを後悔した。


「すまない……つまらない話だったな」


 勇人の青くなった顔色を見て、亜美が肩を落とす。


「いやっ、そんなことないから! 俺の周りにそんなエピソード持っている奴いないし。すげえ話だったよ!」


 勇人が慌ててフォローする。


「そうか。なら良かった」


 亜美がホッとしながら微笑を浮かべた。勇人は会話のキャッチボールを卵でしているような感覚に喉がカラカラになってきて、麦茶を一口飲んだ。


「そういえば、さっきお世話になるとか言ってたけど。どういうことだ?」


 勇人は話題を切り替えようと、先ほどの家の前での一件について聞いた。すると、亜美は不思議そうな顔をして、


「聞いていないのか? ファーザーの好意で今日から私はこの家でお世話になるのだ」

「ええっ!?」


 初めて聞いた勇人には衝撃的な言葉だった。


「えっ、ちょ……ええっ! 部屋は?」

「二階の空き部屋を使わせてもらう」


 勇人の部屋の隣だった。


「まずいだろ……それは」


 両親も住んでいるとはいえ、若い男女が一つ屋根の下に住むという事実。しかも、勇人の両親は泊りがけの仕事で家を空けることが多いため、亜美と二人きりになる可能性が高い。勇人みたいな『新品』だけど『説明書』だけはしっかりと読んでいる人間にとっては非常にまずい事態であった。


「なにがまずいのだ?」


 亜美がきょとんと首を傾ける。


「なんと言うか、その……年頃の男女が一緒に住むのはどうかと」


 勇人が言いづらそうに指摘する。思春期越え男子にとって精神衛生上よくない、と。


「別に軍にいた頃は兵舎に住んでいたし、周りで男の兵士が寝ていても私は気にならなかったぞ」


 焦る勇人とは裏腹に亜美はケロッとした表情だ。しかも、勇人にとって今の亜美の発言は聞き捨てならなかった。


「なに!? なんだその危険な状況は! ……あ、亜美は襲われたりしなかったのか?」


 横たわる亜美の周囲をむさい男の兵士が取り囲むように寝ている――その状況を想像しただけで、勇人はいても立ってもいられなくなった。亜美は勇人の質問の意味を理解したように、


「大丈夫だ。深夜、反乱軍のスパイに寝首をかかれそうになったこともあったが、返り討ちにしてやった。少しでも異常を感じたら、起きるように訓練されているからな」


 全く理解していなかった。『襲われる』という言葉の意味を思いっきり履き違えている。しかもセキュリティはペンタゴン並みに高い。国防総省についてはよく知らないが、国防と付いているからにはおそらく高いのだろう。


「あ~~~~……そう……じゃあ、大丈夫だね」


 どうやら間違いは起こりそうもない。勇人は複雑な思いになった。この先、亜美と一緒に住むのかと思うと変な汗が止まらない。意図してなくてもラッキースケベなハプニングが起こる可能性はある。その時、自分は生きているのだろうか。思わず想像してしまい勇人は背筋を震わせた。


「どうした? 弾が尽きたような顔になって」

「たま!? べ、別になんでもないよ。えーと、あっ、そうだ、ところで荷物はそれだけ?」


 話題を切り替えようと勇人はさっきから気になっていた、ソファの横に置いてある深緑の麻袋に視線を向けた。


「これだけだ。軍では荷物は最小限にするのが原則だったからな」


 亜美が麻袋を自分の横に置くと、重みでソファが少し沈んだ。

(武器とか入ってそうだな)


「ちょっと、中見ていい?」


 興味本位で勇人が手を出そうとすると、


「だめだ。触るな」


 驚くほど素早い反応をした亜美の手に払い除けられた。


「レディの鞄を見ようとするなんて最低の行為だぞ」


 少し怒ったような口調で亜美が勇人を睨む。

(鞄……なのか、それは?)

 勇人は疑問に思ったが、確かに亜美の衣類とかも入っているだろうから、これ以上麻袋について追求することはやめた。


「ごめん。デリカシーなかったな」

「違う。デェリクァシィーだ」

「…………」


 どうでもいいことを真面目な顔でつっこまれて、勇人は死んだ魚のような目になった。


「とにかく、部屋まで案内しようか?」

「そうだな。お願いする」


 勇人が促すと、亜美は麻袋を持ってそれに従い立ち上がった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ