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栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第四章 エネミー・オブ・ライン
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死亡フラグ

 涼しげな風が辺りに吹いていた。

 鳥のさえずりが山中に響き渡る。

 若葉が青々と茂り、陽光に照らされた草と土の匂いが辺りを漂う。

 硝煙と砂煙の臭いの記憶しか持ち合わせていないモフセンにとって、日本の山は心が洗われるような場所だった。小屋の前に立ち、捕虜の見張りをしていることなど忘れてしまいそうになる。ガジェットに忠義を尽くし、日本に来て良かったとモフセンは思った。

 しかし、モフセンには気がかりなことがあった。

 故郷に残してきた婚約者のことだ。モフセンは胸ポケットから婚約者の写真を取り出した。帰ったら結婚をする約束もしているのだ。


「……ナスィーム」


 呟いて写真にキスをして、モフセンはそれを胸ポケットに戻した。

 モフセンのとった一連の行動――人はそれを《死亡フラグ》と呼ぶ。

 不意にカサッと落ち葉を踏む足音がした。


「――ッ!」


 モフセンは素早く反応して右手で拳銃を抜き取り振り返った。しかし、その手をすぐさま亜美が片手で掴み、もう片方の手でモフセンの喉に手刀を叩き込んだ――そして、流れるような動作でモフセンの首に手を回すと、自分の方へ引き込み腹部へ膝蹴り入れた。呼吸ができず苦悶の表情を浮かべながらもモフセンは拳銃を離さない。


「チッ!」


 すかさず亜美はモフセンの手を掴んだまま、首に回していた手を肩に絡め前方へ体重をかけた。二人は一緒に倒れこむ形になり、亜美はモフセンの肩を支点にして、倒れる衝撃を利用して肩の関節を外した。


「~~~~~~~~~~~~~ッ!」


 ゴキリという嫌な音と共に声にならない声を上げるモフセンから拳銃を奪い取った亜美は、そのまま後頭部に拳銃を叩きつけ、モフセンを昏倒させた。

 ――こうしてほんの一瞬で死亡フラグは回収された。とはいえモフセンは死んではいないが。

 亜美は拳銃を拾い上げるとズボンの後ろに挟んだ。さらにモフセンの上着から弾倉を全て取り出して、自分の上着のポケットに入れる。

 勇人が山の斜面を降りて亜美の元へ走ってきた。地面に倒れたモフセンを見ると、ピクリとも動かない。


「まさか……殺したのか?」

「いや、気を失っているだけだ」

「そ、そうか、ちょっとびびった……」


 勇人は顔を強張らせて言った。遠くで見ていたが、亜美の動きは急所を熟知していて鮮やかな倒し方だった。腕が変な方向に曲がったのを見た時は少し焦ったが、相手は拳銃を持っていたのだから仕方がないと勇人は納得した。


「勇人、こいつを小屋に運ぶのを手伝ってくれ」


 亜美がモフセンの頭側に立って言った。


「あ、ああ……だけど、俺がそっち側を持つよ」


 勇人が重い頭側を持つと交代を申し入れた。自分が戦闘では何の役にも立たないことへの精一杯の虚勢だった。


「そうか。では頼む」


 亜美は勇人のそんな気持ちを知ってか知らずか、了承して足側に移動した。勇人はモフセンの脇の下に腕を入れて胸の前で両手を組んだ。亜美がモフセンの両脚を持ったのを確認してから、


「よしっ、いくぞ……せーのっ!」


 掛け声と共に体を持ち上げた。亜美も勇人に合わせて持ち上げた。勇人は口を真一文字にして腕に力を入れている。


「………………」


 モフセンを運んでいる間、亜美は向かいの勇人の顔を見つめて口角をゆるめた。



 ――バタンッ!

 扉が開いた瞬間、小屋の壁にもたれ掛かっていたミリーとニコールは体を強張らせた。入ってきたのがガジェットだったら二人は絶望を味わうことになる。祈るように扉を見る二人の目にまず飛び込んできたのは――勇人の背中だった。

 両手はモフセンを抱えているため背中で扉を押して入ってきたのだ。


「二人とも無事か!」


 勇人が首だけで振り返り叫んだ。ミリーとニコールは突然の逆光に一瞬、目を眩ませたが、それが勇人だとわかった瞬間、


「勇人!?」

「勇人君!?」


 驚きと嬉しさの混じった声を同時に上げた。予想だにしていなかった人物の登場に困惑する二人。


「そいつ反乱軍の兵士じゃない……っ! な、なんでアンタが……」


 自分の目を疑うかのように呟くミリー。そして勇人に続いてモフセンの脚を持った亜美が小屋の中に足を踏み入れた。


「亜美軍曹!」

「亜美! 無事だったのね」


 さらに現れた亜美を見てミリーとニコールが安堵の表情で声を弾ませた。


「ミリー、ニコール、助けに来たぞ」


 亜美も二人と再会できたことで顔を綻ばせた。勇人と亜美が中ほどまでモフセンを運び込んだところで、


「――なっ、その傷どうしたんだ!」


 ミリーとニコールが負傷していることに気付いた勇人が手を離した。


「お、おい勇人――いきなり離すなっ!」


 急に支えを失って、モフセンの後頭部がゴンッと床に叩きつけられた。脚を持ったまま慌てる亜美を尻目に、勇人はミリーとニコールの下へ駆け寄っていく。


「二人ともボロボロじゃないか……あいつらにやられたのか?」


 ミリーとニコールの汚れた衣服や顔に血が滲んだ痛ましい姿を見て、勇人の顔が厳しいものとなる。


「………………」

「……え、ええ、でも見た目ほど大したことないから。それより、なんでここにいるの? 反乱軍との戦闘はどうなったの?」


 二人とも勇人が見せた意外な顔つきに、一瞬呆気にとられた表情になったが、すぐにニコールの方が疑問だったことを口にした。


「あれは連中をここから遠ざけるための嘘です。今は部員の人達が連中を足止めしてくれているはずです」


 勇人がニコールの縄を解きながら答える。


「そんなっ! 危険すぎるわ!」


 ニコールがうろたえたように声を上げた。いくらなんでも相手を甘く見すぎている。この件で民間人から犠牲者を出すわけにはいかない。もし万が一のことが起きれば国際問題に発展する可能性だってある。ニコールはそう思ったのだ。


「大丈夫です。山の中に罠を仕掛けてもらっただけです」


 勇人自身もガジェット達の恐ろしさは重々承知している。だからこそ、部員達には足止めの指示しか出していない。


「へえ、アンタもなかなか考えてるじゃない」


 ミリーが感心したように口元を弛めた。


「――って、どこ触ってんのよ!」


 しかし、ミリーの後ろに回って縄を解こうとした勇人にいきなり後ろ頭突きをかました。


「痛っ! おい、暴れるなって」


 ミリーが嫌がるようにジタバタと暴れだす。そのせいで勇人はミリーを縛っている縄だけでなくミリー本人とも格闘することになった。


「ちょ、ちょっと! お尻に手が当たってんのよ――イッ!」


 体を捻って抵抗するミリーが負傷した左肩の痛みで顔を歪める。


「ほら、怪我してんだから大人しくしてろよ」


 勇人が縄を解いてミリーをたしなめた。ミリーは左肩を押さえながら歯噛みして勇人を睨んでいる。


「勇人、その縄を持ってきてくれ。こいつを拘束するのに使う」


 一人でモフセンを小屋の脇に運んでいた亜美が勇人に声をかける。解いた縄をモフセンの体を縛るのに使うつもりらしい。勇人は「わかった」と亜美に返事をしてから、


「じゃあニコールさん、こいつの手当てをお願いします」


 ニコールに向かって言いながらミリーの頭にポンと手を置いて、縄を渡しに行った。

 ニコールはズボンのポケットからハンカチを取り出してミリーの方を向いた。


「さっ、肩を出して――あらっ、どうしたのミリー? 急におとなしくなちゃって?」

「な、なんでもないっ……から」


 ニコールが変化に気付いて指摘すると、ミリーは頬を染めながら顔を伏せた。ニコールはそこでピンときたように「はは~ん」と呟いた。


『ミリーもお年頃なのね、あんな風にされて意識しちゃった~?』


 ニコールは勇人に会話の内容を聞かれないように言語をアラビア語に切り替えて、ミリーの頭にポンと手を置くジェスチャーをした。


『ち、違うって! そんなんじゃないってば!』


 ミリーはニコールの手を払って、照れたように首を振った。


『ただ、なんか……自然と嫌じゃなかったから……ちょっとビックリして……』


 ミリーは自分でも意外な感情に戸惑って、最後は消え入りそうな声になった。ニコールはミリーのしおらしい態度に一瞬目を丸くしたが、すぐに優しい顔になった。


『それは多分、勇人君が私達を本気で心配してくれてるからじゃないかな』


 ミリーは頷いた。軍では兵同士助け合うことはあるが、それは兵力が減るのを防ぐという意味合いの方が強い。特に軍事至上主義のタチノアではその考えの方が一般的だった。もちろん同胞=家族という考え方もあるにはあるが勇人のように感情をむき出しにして心配する者は少ない。


『うん、そうかも。それにアイツは命の恩人だし……』


 ミリーが勇人の方をチラリと見た。勇人の電話がなければ、ミリーはガジェットに殺されていた。あの時は恐怖で精神状態が不安定だったが、今になって勇人に対する感謝の気持ちが湧いてきた。


『なるほどね。命を救ってくれた勇人君を前に乙女になっちゃったってわけね』


 ニコールがニヤニヤとミリーの顔を覗き込んだ。


『違っ――ホントにそれはないって! ち、違うんだからっ! なんでそういう方面に持っていこうとすんのっ!』


 ミリーが顔を真っ赤にさせて全力で否定した。その過剰な反応にニコールは楽しそうに笑った。


「何やってんだ、あの二人は?」


 モフセンの脚を縄で縛りながら、アラビア語がわからない勇人はミリーとニコールのやり取りを不思議そうな顔で見ていた。


「さあな」


 何故か亜美は不機嫌な顔をしていた。そしてギロリと勇人を責めるように睨んだ。


「な、なんだよ?」

「なんでもない!」


 亜美が慣れた手つきでモフセンの口に縄を食い込ませて猿ぐつわ代わりにする。その際、縄を締める手に力が入ったのかモフセンの歯が折れる音がした。


「おいおい……」


 勇人は亜美の感情の変化についていけず、だからといってそれについて言及するのも怖いので作業に没頭することにした。

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