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栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第三章 ブラックホームタウン
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危機銀髪

 翌朝。勇人は玄関で靴を履き替えていた。鞄を肩にかけて腰を上げて大学に向かおうかという時、


「大丈夫……だよな?」


 と後ろを振り返ると、亜美とミリーとニコールが並んで立っていた。

 昨晩の話し合いの結果、勇人は午前中の講義があるため先に大学に行って、昼からサバゲー部の部室の前で亜美達と合流することになっていた。勇人の服装はTシャツとメンパンというシンプルで動きやすい組み合わせだ。ただ、なにを勘違いしたのか、『チェ・ゲバラ』の顔写真がプリントされたTシャツを着ていた。おそらく、勇人の持っている服の中で、もっともミリタリーぽい物を選んだ結果なのだろう。

 勇人が亜美に視線を送ると、


「大丈夫だ、大学への行き方は覚えている」


 と亜美は自信満々に答えた。すごく心配だ。勇人が不安げな表情をする。


「大丈夫よ。私達がついてんだから」


 ミリーが自信満々に控えめな胸を張る。勇人の表情は変わらない。


「ニコールさん、頼みます」


 勇人は最後の砦とばかりにニコールを見つめて言った。


「オーケー。勇人君も気をつけてね」


 ニコールが勇人に向けて微笑んだ。勇人はそれを見て安心したように頷き返した。


「コラッ、ゲバラ。私をスルーしてんじゃないわよ!」


 ミリーがニコールとの扱いの違いに文句を垂れた。


「じゃあ、行ってきます」


 勇人はミリーを無視して、さらに続いた罵詈雑言を背に受けながら自宅を出て行った。



 家を出ると斜め向かいの家の角にパトカーが停まっているのが見えた。

(最近、家の周りでパトカーを見かけることが増えたな……)

 なぜか連日、勇人の家の周囲で警察車両が巡回することが多くなった。隣の家に泥棒が入ったとはいえ、ここまで厳戒態勢になるというのは考えにくい。もしかすると亜美の身を案じた武徳が手配したのだろうか。勇人は内心「まさかな……」と思いながらも雑念を振り払いバス停へと歩き出した。

(部長は喜ぶんだろうな……)

 いきなりサークルに女性が三人も増えるとなると、唐草の喜ぶ顔が容易に想像できる。とりあえず、昨日のうちに口裏を合わせる内容を亜美達に叩き込んでおいたが、どこまで通用するのかわからない。勇人の胸中は不安でいっぱいだ。



 勇人がバスに乗り込むと席はほとんど埋まっていたが、入り口横の一人掛けの席が空いていたのでそこに腰を下ろした。大学方面に向かうバスのため、勇人と同じ学生などが席の大半を占めている。

 ――とそこに、一組の親子連れが入ってきた。ポロシャツ姿にボストンバッグを持った男とワンピース姿に麦わら帽子を被った少女。


『どうやら学生のようですね』


 細目で体格の良いアクバル上等兵が隣の少女に話しかけた。


『しばらく尾行し、機会を窺う』


 青いリボンの施されたワンピース姿のフランが感情の無い声で答えた。変装とはいえ、今のフランは歳相応の少女にしか見えない。まるでフランス人形のような純朴さと可憐さがあった。

 フランとアクバルは勇人が座っている席とは反対側の手すりを掴んで、勇人に背を向けるようにして立った。


『ここ数日ターゲットの家の周囲には常に警察車両が巡回していて我々は近づけませんでした。これは確実に何かあります』

『黙って。ターゲットに聞こえる』


 フランがアクバルに注意を促し背後に目をやる。勇人の方を見つめるその眼は氷のように冷たく獲物を狙うように鋭い。

 そんな視線を向けられているとも知らず、勇人は亜美達のことで頭を悩ませていた。

 バスの乗客は、突如として入ってきた外国人の親子を物珍しそうに眺めていた。勇人も車内の空気が変わったことに気付き、反対側に立つその二人を目を向けた。特に目立つ銀髪の少女の方に注目する。勇人の見立てでは、小学校高学年から中学生ぐらいといったところか。

(ミリーと同じぐらいの身長だな……とか言ったらミリーに蹴られるな)

 勇人は目の前の少女とミリーを比べて苦笑を漏らした。しかし、勇人は気付いていない、目の前の少女が自身を狙っているということに――。

 バスが走り出してしばらく経った頃、酷く揺れる車内にフランは悪戦苦闘していた。生まれて初めて着たワンピースに身を包んでいるため、スカートの違和感に気をとられ何度かバランスを崩しかけていた。幼い頃から軍人として育ったフランにとっては無縁の物だ。


『伍長、大丈夫ですか?』


 心配になったアクバルが周囲の乗客に聞こえぬよう小声で言った。


『大丈夫……問題ない』


 フランが簡潔に答える。前に座っていた学生が突然耳に入ってきたアラビア語に驚いたような顔をしていたが、フランの意識は背後の勇人に向いていた。

 ――この青年を拉致して、上本武徳から情報を聞き出す。

 フランにとって武徳が亜美の居場所を知っているという確証は無かったが、そんなことは関係ない。フランは上官の命令通りに動くだけだ。それが全てだった。

 バスが赤信号で止まる。その際、ブレーキによって車内が激しく揺れた。フランはバランスを崩して手すりから手を離してしまった。フランの体がフワリと後ろに傾く。フランの横のアクバルも同じくバランスを崩して反応が遅れた。「危ないっ!」と周囲の誰もがそう思った瞬間、フランの背中が後ろから伸びた手によって支えられた。


「危なかったぁ」


 フランが首だけで振り返り、驚いて目を見開いた。そこには勇人の安堵したような顔があった。いち早く反応して席を立った勇人がフランの体を支えたのだ。勇人はフランが何度もこけそうになっているのを危なっかしく思い、ずっと横目で見ていたのだ。


「大丈夫?」


 勇人がフランを手でしっかりと立たせて声をかける。フランは日本語がわからなかったが、勇人の気遣うようなニュアンスになんとなく頷いた。


「あの……よかったら、座って下さい」


 勇人が席を手で示すジェスチャーをする。アクバルが勇人の動きに反応するように、一歩前に出てきたので、それをフランが目で押しとどめた。そのフランの行為が勇人には、どうすればいいかわからず父親に助けを求めているように見えたので、勇人は少し迷ってから、


「シットダウン、プリーズ」


 とカタコトの英語で言った。フランではなくアクバルが、一瞬面食らったような顔をした。


『こいつ、伍長に席を譲ってくれるみたいですよ』


 アクバルは勇人の意図を理解して、馬鹿にしたように笑みを浮かべた。その笑みには、自分が狙われているとも知らずに――という意味合いが含まれていた。

(あれ、俺笑われてる……?)

 勇人は言い方がまずかったのかと心配になった。もしかしたら、失礼なことをしたのかもしれない、と勇人は不安な気持ちになった。しかし、フランは少し考えてから勇人が座っていた席に移動して、チョコンと席に着いた。フランは勇人の顔を見て、


「サンキュー」


 と短く呟いた。アクバルはフランの行動に唖然としていたが、勇人に怪しまれてしまうとまずいので、頭を下げてすぐさまフランの横に移動した。アクバルがフランの意図を探ろうと目をやるが、麦わら帽子で顔が隠れて表情を読み取ることはできなかった。

 勇人はフランが立っていた場所で手すりを掴んで窓の外を眺めていた。窓に薄っすらと反射する勇人の顔は動揺していた。

(それにしても、驚いたな……)

 勇人はバスに揺られながら、胸の動悸を抑えていた。さっき礼を言われた時にフランの顔がはっきりと見えた。透き通るように白い肌と感情の無いその顔はまるで人形のようだった。仏頂面というわけではなく、少女の全てを悟りきったかのような生気の無い表情に、勇人の背筋はゾッとなったのだ。少なくとも勇人の周りにそんな顔をする子供はいない。勇人はフランに対してそんな感想を抱いた。



 大学前のバス停に着いて、勇人はバスを降りた。山の上に建つ大学のため、周囲には民家が数軒あるだけで、後は自然が広がって緑一色の景色だ。道路から枝のように伸びたアスファルトで舗装された上り坂を進むと大学の正門にたどり着く。

 勇人が歩き出して大学に向かおうとする後方で、学生達に混じってバスを降りていたフランとアクバルも後に続いた。


『伍長、このまま大学に入られると……』


 アクバルが額に汗を浮かべ、焦ったように話しかけた。


『わかってる。私が引き止めるから、背後から無力化して』


 言い終わるとフランが早足で学生達を追い抜き、勇人に近付いていく。そして小走りで勇人の前に回りこんだ。


「おおっ、なんだ!」


 勇人は先ほどのバスに乗っていた少女が突然現れて何事かと驚いた。立ち止まる勇人の顔をフランがジッと見つめる。


「あっ、さっきの娘か……んっ、お父さんはどうしたんだ?」


 振り返ろうとする勇人の服の裾をフランが掴んで引き止める。勇人が戸惑ったようにフランの顔を見るが、相変わらずの無表情で考えが読めない。


「えっ、なになに? どうした?」


 目の前の少女にどう対処していいのかわからす、勇人は照れ隠しのように声を上げる。そんな勇人の横を学生達が不審者でも見るかのような目つきで通り過ぎていった。フランは黙ったまま勇人の顔を見続ける。


「………………」

「えーと………………」


 このままだと本当に不審者扱いされてしまう。勇人が困ったように頭を掻いていると、フランがスーッと右手を差し出した。勇人は疑問の表情を浮かべてフランの右手を見ていたが、


「んっ……? ああ、そうか」


 少女がさっきのお礼かなにかで握手を求めているのだと思った。勇人は右手を差し出し、フランと握手を交わした。フランは無表情で勇人の手を握り続ける。


「もう行かないといけないから。それじゃ――――ッ!」


 フランの手を放そうとしたところで勇人の手に痛みが走った。フランが勇人の手を握り締めていた。少女とは思えないほどの握力で勇人の手を締め付ける。骨が軋んでギリギリと悲鳴を上げる。苦痛で顔を歪める勇人。その瞬間――勇人の頭に黒い布の袋が被せられた。


「うっ! ………モガッ……ブフッ……」


 袋には巾着のように紐が付いていて、勇人の背後に立つアクバルが両側の紐を引っ張ると袋の根元がキュッとすぼまり、勇人の首が絞まる。勇人が暴れようと抵抗するが、右手はフランによって抑えられているため、左手で袋を外そうとする。しかし、アクバルの腕が勇人の首に絡みつき、頚動脈を圧迫した。さらにアクバルは勇人の体を持ち上げるように上体を反らせた。足が地面から離れ、勇人はじたばたと足を暴れさせた。

 その時、必死の抵抗が功を奏したのか、勇人の足が偶然フランを蹴飛ばした。後ろに倒れたフランを見て、一瞬、アクバルの力が弱まり、勇人は両手で首を絞めている腕を跳ね上げた。そして、地面に両足が着いた瞬間、勇人は頭に袋を被った状態で走り出した。


「……フガ……モガ……」


 袋を両手で外そうとしながら勇人は必死で走る。


「……プハァ!」


 格闘の末、袋が外れた。

 暗闇から開放された勇人の目にまず飛び込んできたのは――電信柱だった。

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