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栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第二章 戦場を駆ける話
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 騒動の後、警察が来て亜美は色々と状況説明や現場検証に追われていたが、お咎めなしで解放された。

 アテナとその母親がすぐにお礼を言いに来て、亜美は終始照れ臭そうにしていたが、別れる際手をつなぐ母と子の後姿を見つめる表情はどこか寂しげであった。

 すでに陽は傾いており、ショッピングどころではなくなった勇人と亜美は近所の公園へと足を運んだ。


「この公園はまだあるのだな」

「ああ、そうだな」


 夕闇の公園は静まり返っていた。子供たちの姿もなく、砂場には半壊した砂の山があり、昼間の喧騒が過ぎ去った跡が残る。

 やがてどちらからともなく二人はベンチに腰掛けた。亜美にとってこのベンチには思い出深いものがある。座るとタイムマシンのようにあの日の情景が甦る。


「引っ越しの前日、私はそれが嫌でここに座っていた。もし私が帰らなければ引越しがなくなると本気で思い込んでいたのだ。だが日が暮れるにつれて私は急に心細くなった。このまま誰にも見つけられることなく、一人ぼっちになってしまうのではないかと」

「あの時はおじさんおばさん、うちの家族総出で探したからな」

「でも見つけたのは勇人だ」

「そうだな」


 勇人にとってもこのベンチには感慨深いものがある。亜美がいなくなったと聞いて、息を切らせながら街中を走り回って、この公園で亜美を見つけたのだ。


「勇人はさっきの私を見てどう思った……?」

「どうって……」


 勇人はてっきり思い出話が始まるかと思っていたが、まさかの先ほどの件に触れてきたので言い淀んでしまった。自分の中でもまだ消化しきれていない問題だ。答えようがない。しかし、ひとつだけはっきりとしていることがある。あの時、自分の中に芽生えた感情、それだけは覚えている。


「正直すごいと思ったよ。悪党を一瞬で倒した。まるでジェイソン・ボーンだ」

「……勇人、私は本気で聞いている」


 亜美の瞳は真剣そのものだ。勇人はその射るような目から逃れられないことを悟るとあっさり心情を吐露した。


「怖い……と思ったな。自分の知っている亜美じゃないような」

「私もそう思う。きっと私は昔と大きく変わってしまったのだろうと。人ではなくなってしまったのだろうと」

「俺はそこまでは思ってないぞ」

「いや、私は戦場で多くの人間を殺した。攻撃してきた者、銃口を向けてきた者、全て殺してきた。そして気づけば私自身が相手よりも先に銃口を向ける人間になっていた。時には奇襲をかけて殺したこともある。躊躇なく人を殺せる者が人であるはずがない」

「それは生きるためだろ。そうしなきゃ亜美が殺されてた」

「問題はそこではない。感情の問題だ。自分か相手かどちらか一方の命を選ばなければならない時、迷いなく引き金を引けるかどうかだ。普通は迷うものだ。迷った末に引き金を引く、誰もがそうだ」


 勇人は気付いた。亜美は迷っている。日本に帰ってきて自分の置かれていた環境とのギャップに戸惑っている。日本から離れて十年という空白期間はあまりに長すぎた。しかも、普通は思春期真っただ中の多感な時期を亜美は戦場で過ごした。人格形成に問題が起きてもおかしくはない。


「亜美の方が生きたいという思いが相手より上回っていた。それが結果として出ただけだろ」

「ああ、そうだ。私には生きる理由があった。一つは両親の仇を取る。そしてもう一つは戦争を終わらせて日本に帰る」

「だったらそれでいいじゃないか。亜美は帰って来れたんだ。今さらそれを――」

「私が帰って来れたのは敵の指導者を殺したからだ」

「……っ!?」


 勇人が思わず眼を見開く。まさか亜美の口からその事実を聞けるとは思ってもみなかったからだ。


「そう……なのか?」

「ああ、私が殺した」


 梶が見たという現地の新聞の記事の日本人兵士とは亜美のことだったようだ。亜美が指導者を殺して戦争を終わらせた。その事実を勇人はどう受け止めていいかわからない。

 驚く勇人とは裏腹に亜美はいたって冷静に淡々と話し始めた。


「……あの日、私は部隊を引き連れて、情報のあったアサド・カリムの隠れ家へと突入した。すぐに護衛の兵士を無力化して、三階のアサドの部屋の前まで行った。司令部から与えられた命令はアサドの拘束だったが、抵抗した場合は射殺が許可されていた」

「…………」


 亜美の口から語られる話に勇人は息をするのも忘れて聞き入る。


「私はドア越しに説得を試みたが、反応が無かったので部下の一人がドアに手をかけて開けようとした。その時、嫌な予感がした。私は部下にやめろと叫んだ。だが、遅かった。アサドがドア越しに銃を乱射してきたのだ――」


 当時の記憶がフラッシュバックしたのか亜美が拳をぐっと握りしめた。それは勇人にもわかったが、今はかける言葉が見つからない。


「血まみれになって倒れる部下を見て私は怒りで我を忘れドアを蹴破り、銃身を室内に突っ込んで撃ちまくった。そして中を覗き込むと……そこ……には……アサドの家族が居たんだ……妻も子供も……」


 亜美の体が小刻みに震えていた。


「…………私が……殺した……私が殺したんだ……」


 俯く亜美だったが涙は出ない。もうすでに数多の夜を涙で濡らし、いつしかそれも枯れてしまった。今はただ罪の意識しかなく、その日の情景だけが、銃を持った時の感触だけが手に残っている。


「私は人殺しだ。私自身、昔の自分がどんなだったかもう思い出せない」


 亜美が自嘲めいた笑みを浮かべる。おそらく亜美は過去の自分がしてきたことに対する罪悪感で今にも押しつぶされそうなのだろう。だが勇人の考えは――感情はそれとは全く違うものだった。


「俺は戦争も体験してないし、善悪を偉そうに語る資格もない。さっきも亜美がもし殺されるぐらいならあの子の母親が犠牲になっても良いとさえ思ったぐらいだ。亜美が殺した連中も亜美が殺さなければ他の人間を殺してたかもしれない。身の回りの人間全員の命を救うなんて無理だ。俺は亜美がこうして生きているだけで嬉しい、それじゃダメか?」

「そうだな……私は生きている」

「そうだ、亜美は生きている」


 亜美は立ち上がると空を見上げた。ベンチに座る勇人からは亜美の表情は見えない。もう日も暮れて、空には闇が広がっていた。はるか上空に浮かぶ雲が月を隠している。


「もう外も暗いな。勇人帰るぞ」

「ああ、そうだな」


 亜美が振り返ることなく歩き出したので、勇人も立ち上がりその後に続いた。果たして自分の言葉は亜美に届いたのだろうか。勇人にはわかるはずもない。死と隣り合わせの世界で亜美は一体どんなことを思い、どんな風に過ごしてきたのか。今はただ亜美のそばにいて、一緒に過ごすことで何かを共有できたらと考えている。願わくば、目の前の幼馴染が平穏を取り戻し、安心して過ごせる毎日がくればいいと。



「勇人……」



「…………てくれ」



 亜美が最後に呟いた言葉は車が走り抜ける音にかき消され、勇人の耳に届くことはなかった。



『勇人……また私を見つけてくれ』

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