瞳が語るもの
外に出ると、駐車場にいる人々はある一点を見つめていた。皆一様に戦々恐々とした表情でその場に固まっている。
「近づくな! こいつを殺すぞ!」
男の怒声がこだまする。
その瞬間、人の波が少し動いて隙間ができた。勇人と亜美はそこから覗き込むようにして前方を見た。
「おい亜美、あれ!」
「……誰か倒れている」
駐車された車の横で警備員が倒れているのが見えた。さらにその奥に女性とその後ろにぴったりとくっついて立っている男の姿。男が女性の首に腕を回し、その首筋にナイフを突き立てていた。男はフードを被り口元に黒いマスクをつけている。かろうじて目元だけが見えるが、その目はきょろきょろと忙しなく動き、近寄って来る者がいないか警戒している。
「ママー!!」
「アテナ来ちゃダメ!!」
人の波をかき分け駆け寄ろうとしたアテナだったが女性が叫んでそれを静止した。どうやら男にナイフを突き立てられている女性はアテナの母親のようだ。
状況を把握した勇人と亜美は顔を見合わせた。
「勇人、アテナを頼んだ」
「頼むって、亜美はどうするんだ?」
「行ってくる」
「行くってどこに……あっ、おい亜美!」
亜美は言うなり、群衆を避けるように早足で駆け出した。止める間もなく立ち去った亜美を尻目に勇人は慌てて人の波をかき分けアテナを抱きかかえた。
「ママ! ママが!」
「大丈夫……大丈夫だ。ママは大丈夫だから」
勇人はアテナを落ち着かせるようになるべく優しい声音で言った。何度も何度も。それはどこか自分にも言い聞かせるかのように。先ほどの亜美の表情。まるで戦場にでも行くかのような、そんな顔をしていた。なぜだか亜美が遠くに行ってしまうような気がして、得も知れぬ不安がよぎった。
「どうすんだよ……お前がとっとと金を出さないからこうなったんだぞ。なあ、おい! 聞いてんのか!」
「や、やめてください……お、お金なら出しますからっ!」
「もうおせーんだよ、クソが!」
「お、おい、君! やめなさい!」
男がアテナの母親に声を荒げる。男の目は血走り、ナイフを持った手が震えている。警備員が声をかけるが、男の耳には入っていない。危険な状況。人質をとられているためうかつに手も出せない。すでに一人の警備員が錯乱した男にナイフで刺されている。出血が酷く、警備員は倒れたまま動かない。生きているか死んでいるかもわからない。一刻を争う事態だ。
「おい、キー出せ。車のキー出せ。早くしろ!」
「ひっ……は、はい!」
男が車を背にアテナの母親を引きずりながら命令する。アテナの母親はポケットから車の鍵を取り出し、それを男に渡そうとした。
「お前が開けろ! どの車だ!」
「そ、そこの赤のワゴンです」
「よし、お前がそこまで誘導しろ」
どうやら男はこのままアテナの母親と車で逃走するつもりらしい。そうなるとおそらく彼女は無事では済まないだろう。そこにいる誰もが行く末を案じた。誰も二人に近付くことができない。と、思ったが――
「あ……亜美?」
赤い車の陰にしゃがみ込む亜美の姿を勇人は目撃した。男の背後、数メートル後ろに亜美は隠れていた。
(な、何やってんだ……っ!?)
亜美が手に何か持っているようだが、勇人の位置からは確認できない。
「開けろ!」
男がアテナの母親に運転席のドアを開けるよう命令する。びくっと肩を震わせてアテナの母親がリモコンキーでロックを解除する。
「よし、扉を開けろ!」
男がアテナの母親に扉を開けさせようと身体の向きを変えた。今までアテナの母親を盾に車を背にしていたのだが、ここで初めて男の身体が車から離れた。それを亜美は見逃さなかった。亜美はすぐさま車の陰から飛び出すと、
「おい!」
と男に向かって叫んだ。声に反応して振り向いた男の顔に亜美は小銭を投げつけた。それによって怯んだ男の腕を掴み、引き寄せながら腹部に膝を叩き込んだ。さらに亜美はうめき声を上げる男の腕をそのまま捻ると、自分の身体ごと地面に倒れ込んだ。
「うごぁッ!」
男は顔面を激しく地面に叩きつけられ、一瞬にして意識を刈り取られた。まさに刹那の出来事。
その始終を見ていた人々は何が起こったのか理解が追い付かない様子で唖然としていた。それはアテナの母親も同様で、呆気にとられた様子で亜美を見つめている。
勇人も驚きすぎて気づけばアテナが自分の腕を離れ、母親の元へ駆け出したことにも気づいていなかった。
「ママ!」
「アテナ!」
アテナが駆け寄ると母親も我に返ったように娘を抱きしめた。その瞬間、周囲から歓声が上がった。皆口々に「すげえよ姉ちゃん!」「よくやった!」「一体何者だ!」「アクション映画みたい!」と思い思いの歓声を上げていた。
男を抑え込んだままの亜美に警備員が駆け寄り、男の身柄を確保した。
勇人もそれと同時に亜美の元へ駆け寄った。一部始終を見ていて、昔の亜美とは一線を画していることは十分理解できたが、それでも亜美の様子をすぐにでも確認したかった。
「……亜美?」
が、勇人は思わず手前で走る速度を落としてゆっくりと歩み寄った。
亜美は危険な状況に飛び込んだにもかかわらず、表情はいつもと変わらず平静そのもの。膝についた土を少し払いながら何食わぬ顔で立ち上がりスタスタと歩き出した。まるで欲しい物がなかったため何も買わずに店から出てきた時のような。無の表情。そこには何もない。ただただ光彩の無い瞳に戸惑う勇人の姿が映っていた。