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栄倉亜美のジャムらない話  作者: 明良 啓介
第二章 戦場を駆ける話
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残されたモノ

 翌朝、勇人は目覚まし時計が鳴るよりも早く目覚めた。普段はこんなに早起きはしないのだが、なぜか目が覚めてしまった。おそらく前日、亜美に叩き起こされたせいで生活のリズムに変化が生じたのだろう。

(そういえば今日は起こしに来なかったな)

 疑問に思いながらも勇人は洗面所に向かうべく部屋を出た。その矢先――ちょうどジョギングを終えて部屋に戻ってきたジャージ姿の亜美と鉢合わせた。

 亜美は一瞬目を見開き勇人から顔を逸らしたが、すぐに襟元を正すと正面に向き直った。


「お、おはよう勇人! 今日は早いな」

「いや、まあ……なんか目が覚めて……そっちはジョギングか?」

「ああ、軽く十キロほど流してきた」

「軽い……のかそれは? というか俺は行かなくてよかったのか?」

「昨日はいきなりだったからな。勇人は学業もあるし、あまり無理をさせるのもどうかと思ってな」


(無理とか以前にまず朝走るという習慣がないんだけどな)

 勇人は亜美が隣に住んでいた頃までは外で遊ぶ活発な少年だったが、亜美が引っ越した後は、休日は部屋に引きこもって本を読んだり、パソコンでマインスイーパの世界記録に挑戦したりと非生産的な生活を送っていた。バリバリのインドアだ。


「それに……少し一人で考えたいこともあったからな」

「考えたいこと?」

「うん、まあなんというかこう周りが静かだと私はあらためて日本に帰ってきたのだなと実感が湧いてきてな……なんというか、その……ははっ、うまく説明できんな。忘れてくれ」

「亜美、もし話したいことがあったらいつでも――」

「大丈夫! 勇人、私は大丈夫だから心配する必要はない」


 亜美が勇人の言葉を遮って語気を強めた。亜美はきっと戦場で壮絶な体験をしてきたのだろう。それは消えることのない大きな傷として亜美の心に深く残っている。しかし、それでも――例え、核心に触れなくても、その傷の一端は自分にさらけ出して欲しい。そしてそれを和らげることを自分にさせて欲しい。亜美が少しでもサインを出してくれれば自分はその努力を惜しまないというのに。だが、それは本人が望まなければただの押し売りに過ぎない。誰だって思い出したくもない過去を詮索されたくはないものだ。

 ――だとすれば自分は亜美に対してどう接するべきか。いくら思考しても答えは出ない。

 勇人は何とも言えない無力感に苛まれる。


「わかったよ……でも、ジョギングもほどほどにしろよ。時差ボケもあるんだから」

「それについては大丈夫だ、鍛えられているからな。それに部屋で考え込むより走っていたほうが気が楽な場合もある」

「そうか。だったら俺も走る必要があるかもな……」


 突然、勇人が自嘲気味に笑ったのを見て、亜美は小首をかしげる。


「……たぶん、下で母さんが朝飯作ってるだろうから亜美も降りてこいよ」

「あ、ああ……部屋で着替えたらすぐ行く」


 亜美との会話に起こる不自然さを拭えぬまま勇人は一階へと降りた。



「それで結局、なにも聞けなかったっつーわけか」


 大学の食堂で梶が呆れたように箸で皿をつついていた。梶はお箸の体操でもしているのか、ひじきの煮物から豆だけを綺麗に取り出すと、別の皿の端へと避ける。


「お前、そんなに豆嫌いならヒレカツ定食頼むなよ」


 向かいの席で梶の動作を目で追いながら勇人が呟いた。


「俺はヒレカツが食べたいだけなんだよ。なのにこのひじきがついてくるんだから仕方ねえだろ。ひじきはまだいいとしてもこの豆の意味がわからん」

「そりゃ、栄養的な意味だろ」

「それならひじきで十分だろ、ヒレカツの下にキャベツだって敷いてあんのに――てか豆の話はどうでもいいんだよ。それよりも亜美ちゃんのことだろ」

「……とはいってもなぁ、聞くタイミング逃したからなぁ……」


 そう言って勇人は原因である梶のほうを睨んだ。しかし、梶は「んっ?」と間の抜けた表情をして、ヒレカツを一口つまむ。勇人も詮無きことを言っても仕方がないので、ため息をつくと定食のチキン南蛮を箸でつかんで口に入れた。


「幼馴染みのお前だったらすんなり聞けると思ったんだけどな」


 梶は勇人がなんで亜美に対して聞きあぐねているのかがわからない様子だ。勇人からすれば当然のことである。噂の真相を確かめるためとはいえ、幼馴染みに「人を殺したのか?」と質問をぶつけるのは気が咎める。


「昔を知ってるからこそ聞きづらいこともあるんだよ」

「……そういうもんか」

「そういうもんだ」

「まあ、お前がそういうならそうなんだろうな」


 勇人の答えに梶はあまり納得してないような様子で頷いた。

 それは梶が良くも悪くも明け透けな性格をしているためである。裏表がない人間というのは一般的に良いことだと思われているが、人によっては機微のわからない、いわゆるデリカシーがない人間だと思う者もいるだろう。

 しかし、昔から梶のことをよく知る勇人からすれば、それが本人なりの気遣いから出た発言だということは理解している。時にはその素直な物言いが悩みをシンプルにし、なんでこんなことで今まで悩んでいたのだろう、と勇人の悩みを吹き飛ばしたこともあった。

 だが、今の勇人にはそう単純に考えることなどできない。


「だったら誘ってみれば?」


 梶が遠くのテーブルに目を向けながら言った。つられて勇人もそのテーブルの方を見ると、カップルが楽しそうに食事をしていた。


「お前、亜美ちゃんが日本に帰って来てから、一緒にどっか行ったか?」


 梶が言いながら勇人を箸で差す。勇人が無言でいると、それを肯定と取ったのか梶は「だろ?」と勝ち誇ったように鼻を鳴らした。そんな態度に勇人はムッとなり、少し口ごもりながらも反論した。


「そりゃあ……大学も案内したし、ジョギングにも付き合ったし……」

「それはお前が誘ったわけじゃないだろ」

「うっ……それはまあそうだけど。でも、誘うにしてもどこに連れて行けばいいのかわからん」

「そりゃ、お前アレだろ……あれだ……」

「どれだよ」


 提案した当人が言いよどんでしまったので勇人は苦笑した。勇人も梶もあまり異性と遊んだ経験がないため、行く場所が思い浮かばないのだ。もちろん人並みに男女混合で遊びに行ったことはあるが、その場合カラオケやボーリングといった複数で遊べるレジャー施設を利用することが多い。いざ二人きりとなるとどこへ行けばいいかがわからないのだ。

 すると梶が突然思いついたのか前のめりになった。


「じゃあ、駅前のショッピングモールとかどうだ?」

「中学生じゃないんだから……」


 だが、勇人の反応は淡白なものだった。梶はその指摘にショックを受けた様子で椅子にもたれ掛かり、箸で豆を転がし始めた。しかも「どうせ俺は……」といじけるように呟いている。どうやら自分の経験のなさを嘆いているようだ。しかし、否定したものの勇人はふと思った。


「いやでも……意外といいかもしれないな」

「どっちだよ。俺の発想を中学生扱いしといて」

「中学時代に亜美はいなかったからそれもありかなと思ったんだよ」

「なるほどな。まあ、それでいいんじゃね?」


 そう言うと梶はナプキンで口元を拭って、トレイに投げ捨てた。そのぞんざいな言動に引っかかった勇人が眉を潜める。


「なんだよ? なんか投げやりだな」

「そりゃ、そうだろ。なんだって俺がお前の贅沢な悩みに答えてやんなきゃならねーんだ」

「贅沢って……」

「オマエ、オンナとデート、シアワセ。オレ、イエでゲーム、フコウ」

「なんでカタコトなんだよ?」

「チッ……まあ、とにかくうまくやれよ」


 梶は舌打ち交じりに話を切り上げるとトレイを持って席を立った。勇人は立ち去る梶の背中を見送り、やれやれといった感じでチキン南蛮に目を落とした。


「――あっ!? おいっ、梶!」


 チキン南蛮の皿には梶の残した豆が綺麗に並べられていた。

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