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塞の守り人  作者: 里桜
第四章
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三十一 神田 その二

 ブラウエ・ゾンネ神田ビルの内部は、停電しており明かりがない。

 地震の影響で割れたガラスが散乱し、廊下に飾られていた壺や絵画も落ち、無残に壊れていた。

 冴月は無言のまま通路の奥へと進む。

 怜治はそのすぐ後ろを歩いていた。

 通路に敷き詰められた絨毯は、割れた窓から吹き込んだ雨でぐっしょりと濡れている。二人が踏みしめるたびに、じわりと雨水を滲ませていた。

「冴月さん、お父上が入るなと仰っているのに、勝手に入ってしまっていいのですか?」

 その質問に、冴月は答えない。ただ怒りを宿した目を前に向けて、歩き続けていた。

 怜治は、仕方ないとばかりにため息を吐き出す。そのまま歩きながら、ぐるりと建物の内部を見渡した。

「ここは夏休みに入る直前、奥野恵という男性が起こした母親殺害事件に関係した場所でしたね。冴月さんと日向が祓った、例の宿主の起こした事件です」

 怜治は、返事を期待するわけでもなく、ひとり言のようにつぶやく。

「容疑者奥野は、このブラウエ・ゾンネが主催するセミナーを受講していました。その関係で新井義久というスタッフと知り合い、奥野は自らが起こしてしまった母親殺しを新井に相談するため、ここに逃げ込んだといういわくつきの場所です。しかし奥野が訪れたその時、新井はここにおらず、奥野は最後まで新井に会えなかったと供述しています。さらに奥野は、このビルの別室で待っていた以降の記憶が曖昧になり、気が付いたら歓楽街で逮捕されていのだとも自供していました」

 怜治は記憶を呼び覚ますようにして視線をさまよわせた。

 冴月は相変わらず無言で歩き続けている。

 怜治は気にとめる様子もなく話し続けた。

「私は事件後、新井に接触する機会がありました。その時新井は、自分は新宿会場専任のスタッフであると主張していましたが、それは嘘であると考えています。何故なら、奥野は新井に会うために、新宿会場ではなく神田会場へ向かっていた。その事実から、奥野はそれまで新井とは神田会場で会っていたと推測するのが妥当でしょう。にもかかわらず、新井は自分を新宿専門のスタッフだと言い切り、なおかつ私と良蔵が潜入した新宿会場で行われたセミナーでは、進行役まで務めて見せた。昨晩、ヨアヒムを追いかけ、新宿会場に侵入した時にも感じた違和感だったのですが、今思えば新井の一連の言動は、我々のマークをこの神田会場から外すためのパフォーマンスだったのかもしれませんね」

 冴月はかわらず無言だ。

 怜治はさらに続ける。

「奥野が起こした母親殺害事件は、当初から()によって引き起こされた事件と断ずるには矛盾が多すぎました。奥野の自供をもとに考察すると、容疑者奥野は()に憑依されていない状態で母親を殺害し、動揺した奥野はとっさに新井を頼ってこのビルを訪れた。しかし新井には会えず、ビルの一室で待っていたところ、何らかの理由によってこの場所で()に憑依されてしまったのではないかと私は想像しています。そして神田の街を徘徊していたところを冴月さんと日向に見つかり()を祓われた。そう考えるのが妥当でしょう」

 怜治は自分の顎に触れる。

「つまり奥野は、このビルで()に憑依されたことになるのではないでしょうか」

 確信めいた怜治の言葉に、冴月は足を止めた。

「冴月さん?」

 冴月はしばし無言であったが、やがてその重い口を開く。

「おそらくその通りだ」

 怜治は、目を見張った。

「冴月さん、あなたは事件の真相を御存じなのですか?」

 驚きの中にも非難の入り混じった怜治の声に、冴月は曖昧に首を横に振る。

 怜治は怪訝な表情で冴月を見るが、冴月はその視線には答えず話を続けた。

「これはあくまでも俺の想像だが、奥野恵の事案は、おそらくブラウエ・ゾンネにとってもイレギュラーであったはずだ。たぶんあの事件のせいで、奴らは計画を前倒しするに至ったと推測できるからだ」

「計画…ですか?」

 冴月は頷く。

「ブラウエ・ゾンネは海外企業の日本支社で、日本では主に職業紹介事業を行っていたことは知っているな」

 怜治は戸惑うような表情を浮かべつつも頷いた。

「就職や転職の支援、ビジネススキル育成の支援サービスなどを行っていて、中でも外資金融の面接対策に特化していることが売りだという話しでした」

「そうだ。外資企業への就職や転職を前面に押し出し、面接対策講座で実績を作ることで多くの若者を集めていた。だがその傍らで、自己啓発セミナーを開催している。本当の目的は、こちらのほうにこそあった」

 怜治は視線を鋭く尖らせる。

 冴月はそのまま続けた。

「ブラウエ・ゾンネは、ある組織のダミー会社だ。れっきとした企業として設立、運営されてはいるが、外見上の目的とは別の活動を裏で行っている。自己啓発セミナーはその入り口だ。ブラウエ・ゾンネはセミナーで人を集め、その受講者をある実験の被験者として利用していたのだ」

「実験…?」

「そうだ。1950年代に、アメリカのCIAが行っていた洗脳実験のなれの果て。マインドコントロールを実証するその実験のために、奴らは()と人間を集めていた」

 怜治は息をのむ。

「まさかとは思いますが、敵は()を利用して人間を洗脳しようと考えているのですか?」

「そのまさかだ」

「馬鹿な! ()は人間が御せるような代物ではありませんよ」

「わかっている。しかし連中は利用しようと考えているんだ」

 怜治は信じられないとばかりに首を横に振った。

「そんな愚かな実験のために、将門塚を壊したというのですか」

 しかし冴月は、その問いかけに、かすかに首を横に振る。

「将門塚を壊した理由は、()を捕まえるためだけではない。他の目的のためのようだ」

「他の目的? いったいどんな目的のために将門塚を壊したというのです」

「先程ブラウエ・ゾンネは、ある組織のダミー会社であると言ったが、その組織は『委員会』と呼ばれているものだ。そしてその『委員会』が、世界統一政府なるもので世界を統一・支配することを目論み、将門塚を壊したらしい」

「世界統一? 独裁者にありがちな偏向思考ですね。しかし将門塚を壊したところで世界統一などできるとは思いませんが」

「奴らは東京に地震を起こし、日本経済を破綻させようとしているらしい。そこから生じる世界恐慌によって世界経済を混乱に陥れ、それに乗じて世界統一政府を樹立しようとしているのだ」

 怜治は一瞬押し黙った。呆れた様子で首を振る。

「愚の極みですね…。世界恐慌の影響など、事前に解明しきれるものではないでしょうに、故意にそんなものを起こそうというのですか。どれだけ過信したらそのような馬鹿げた行為を実行する気になれるのでしょうね」

 冴月は答えなかった。

 怜治は不意に考えるしぐさをする。

「それにしても、大きな疑問を感じるのは、十の塞にまで手を出していることです。もし十の塞が破られれば、世界は人の住めるような場所ではなくなる。統一するべき世界がなくなっては本末転倒だと思うのですが」

「俺もそこに疑問を覚えている。その点で連中の行動は矛盾していると言わざるを得ない。もしかしたら、敵はただ単に塞の重要性を理解できていないだけなのかもしれないが…しかし、そう考えるにはあまりにも周到に計画を用意してある。『委員会』が塞の存在理由を理解できていないとは考えられない。もしかしたら計画のどこかに、足並みの乱れがあるのかもしれない」

「なるほど、そうですね。組織というものには必ず不協和音が存在します。大きくなればなるほど、決して一枚岩とはいきませんからね」

 怜治の言葉に、冴月は厳しい表情でうなずいた。

「その通りだ」

 冴月の言葉には、どこか憤りが混じっている。あるいは石神の内通者の顔を思い浮かべているのかもしれなかった。

 再び冴月が歩き出すと、その後ろに怜治が従う。

「洗脳実験に話しを戻すが、ブラウエ・ゾンネは、集めた受講者たちに()を憑依させていたようだ。ある程度育ったところで一度被験者から祓い、例の赤い石に()を閉じ込める。それを繰り返して、()を巨大化しているらしい。のみならず、最近では人為的に()を変異させているようだ」

 怜治が鋭く目を光らせた。

「新宿で遭遇した双頭の()のことですね。他にも弱点の備わっている()などにも遭遇しましたが、あれもその変異種だったのでしょうか…?」

「おそらくそうだ」

 冴月は言い切る。

 そして、込めていた力を抜くようにして息を吐き出すと再び口を開いた。

「話には聞いていたが、目撃したのは俺もあれがはじめてだった…。あれはもはや人の手に負えるようなものではない。奴らは、人が踏み入れてはならない場所に踏み込んでしまっている」

 怜治も同意するように沈黙した。

 冴月は弱気を振り払うように首を振る。

「とにかくそれら()の研究の一部を、敵はこの場所で行っていたらしい。おそらくその研究課程において逃げ出した()が、母親殺害事件を起こした奥野に偶然憑依したのではないかと俺は考えている」

「なるほど、だからイレギュラーというわけですね。それにしても冴月さん、ここにきて急に饒舌になったのは何故ですか? あなたは今まで、それだけの情報を持っていながら沈黙し続けてきた。にもかかわらず、こうして私に話したのは、いったいどういう心境の変化からですか?」

 冴月は再び足を止めた。ぐっと両手の拳に力を入れる。

「冴月さん?」

 怜治の言葉にうながされるようにして、冴月は再び口を開いた。

「先程、このビルへの立ち入りを父上が禁じたと言っていた。それで確信できた。石神の裏切者は父上だ」

 吐き捨てるように言った冴月の言葉に、怜治は目を見開いた。


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