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塞の守り人  作者: 里桜
第四章
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三十 東京支部 その一

 分厚い雲間から太陽が顔を出し、真夏の強い日差しがさんさんと照りつけていた。

 夜通し降り続いた雨の影響で、都心には、まとわりつくような湿った空気が凝っている。

 朝から汗ばむような陽気は、猛暑日を予感させていた。

 苛烈な太陽が降り注ぐ、港区南青山にある石神東京支部の内部は、奇妙な程に静まり返っていた。

 真夜中に起きた地震の影響で窓ガラスは割れ、古びたビルの外壁もかなり剥がれ落ちている。ビルの内部では棚や机が倒れ、足の踏み場もないような状態だった。

 本来ならば、室内の復旧作業に鬼たちが勤しんでいるはずであろうが、何故かそこに動く人影はない。

 乱雑なその室内のいたるところでは、負傷した鬼たちが横たわっているのだった。

 ある者は、濁ったうつろな眼差しを天井に向けたまま事切れ、またある者は、大量の血を流しながらかすかな呻き声を上げている。

 凄惨な地獄絵図は室内にとどまらず、廊下にも広がっていた。

 その廊下にできた血だまりを、踏みしめた足跡があった。その足跡は階段を登り最上階へと続いている。

 足跡のたどり着いた先は支部長室であった。とはいっても、ただ大きめの執務机と椅子があるだけのめったに使われることのない部屋だ。

 その支部長室では、今まさに緊迫した状況が展開していた。

 武蔵の守長である弓削保孝が、壁を背に、鮮血の流れる左腹部を押さえたまま片膝をついてゼイゼイと肩で息を繰り返している。

 そのすぐ隣では、常陸の守長である信太栄泉が左の肩を押さえて膝をつき、苦悶の表情を浮かべていた。

 信太の左腕は、骨折のため力なくだらんとぶら下がり、手のひらはあり得ない方向を向いている。

 二人の体は満身創痍で、体中あちこちに切り傷や打ち身ができていた。

 二人が怒りを宿した眼差しを向ける先には、初老の男の姿が見える。

 白髪交じりの髪を綺麗に撫でつけたその男は、冴月の父であり、物部の宗家でもある物部実篤その人だった。

 実篤は手に拳銃を持っており、銃口を信太へと向けている。

 信太が重苦しい沈黙を破った。

「気でも違ったのですかあなたは」

 すると実篤は、信太の言葉を鼻で笑う。

「気など違ってはおらん。至極正気だとも」

「我々には、到底正気とは思えませんが」

「それは、お前たちの不知ゆえであろう」

 弓削が鼻白んだ。

「我々が不知であると?」

「ああそうだ」

 突如として、弓削が弾かれたように顔を上げる。

 まるで掴みかからんばかりの弓削を制し、再び信太が口を開いた。

「では教えていただきたい。あなたは何故石神を裏切ったのです? 得体の知れぬ外国人たちを手引きし、神宝を盗ませたのはあなたなのでしょう?」

 信太の問いかけにくつくつと実篤は喉を鳴らした。

「ああそうだ。この私が奴らの手引きをした」

 衝撃の告白に、弓削が失望を浮かべながら首を横に振る。

「なんと愚かなことを…」

 呆然とつぶやく弓削の声を聞きながら、信太はゆっくりと立ちあがった。実篤の銃口がその動きをなぞるように移動する。

 信太と実篤は、真正面から睨みあっていた。



 沙織は、未だ冴月たちに取り残された場所にとどまっていた。

 爪を噛み、イライラした様子で携帯を操作している。

 携帯を耳に押し当て応答を待つが、繋がらないとわかるとヒステリックな声をあげた。

「なんで繋がらないのよ! 沙織がかけてるのよ!? つながらないなんてありえないわ!」

 現在都内では、地震の影響で携帯電話はほぼ不通となっているのだが、沙織にそんな状況は関係ない。

 沙織は、子供のころから大人に(かしず)かれ、我が儘に育てられてきた。その結果、どんな状況においても自分の主張を一番に押し通し、それが通らないとなると癇癪をおこす。

 この未曾有の災害の真っただ中であっても、自分の携帯が繋がらないという事実を沙織は許すことができず、自分の通話が優先されないことに、こうして憤っているのだ。

 幸いなことは、沙織の周囲に彼女の八つ当たりを受ける存在がいないことであろう。

 そしてもう一つ、クレームを入れたくても電話会社に回線が通じないこともまた幸いであった。

 おかげで沙織の理不尽な怒りをぶつけられる不運な被害者はおらず、結果、怒りを昇華できない沙織の苛立ちは、途方もないほど膨れ上がっていた。

「おのれ卜部。この沙織を差し置いて冴月様についていくなど許せることではないわ。伯父様のお力添えで、必ずや目にもの見せてくれる」

 沙織はぎりぎりと歯を噛み鳴らす。

 その怒りの矛先は、日向へも及んだ。

「日向も必ずや冴月様の周りから排除してみせる。冴月様の心を惑わすなんて身の程知らずもいいところ。必ず自分の立場というものを思い知らせてくれる」

 沙織の口からは、他者への怨嗟の言葉ばかりが吐き出されていた。激しい嫉妬の炎が、目の奥で揺らめいている。

 その負の感情に呼応するように、沙織の周囲には、ある異変が起こりはじめていた。

 しかし、沙織がその変化に気付くことはない。

 いかに我が儘放大に育てられてきた沙織とて、一応鬼の端くれである。本来ならばその異変に気付くことができておかしくはないはずだった。

 だが沙織は、自分本位な苛立ちに支配され、全く気付くことができないでいる。

 そしてさらには、沙織の憎悪の心が、その異変に拍車をかけているのだった。

 沙織の周囲に、黒い靄が集まりはじめる。黒い靄は、沙織の背後で黒い蛇へと姿を変えていった。

 沙織は相も変わらず携帯をいじり、不平不満の言葉をまき散らし続ける。その間にも異変は続き――――。

 やがて黒い蛇――――()へと姿を変えた靄の集合体は、沙織の背中から勢いよく体の中へと入った。

「ぁぁっ!」

 沙織は驚愕に目を見開き、小さな悲鳴を上げる。

 一瞬弓反りになって顎を高く上げたが、その体はすぐに前にかがみ込んで力なくうなだれた。


 やがて、のそりと上げられた沙織の顔には何の感情も浮かんではいない。

 生気のないうつろな眼差しが、破壊され尽くした東京の景色をただ映し出していた。


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