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塞の守り人  作者: 里桜
第一章
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七 情報

 五階の部屋からいったん出ると、薄汚れたビルの廊下で、怜治(れいじ)良蔵(りょうぞう)は今後の行動について話し合いはじめた。

 掃守かにもりからは、際立ってが出没する場所の応援を要請されている。

 検討した結果、六人は二手に分かれることに決めた。

 台東区浅草付近の塞の巡回を、怜治、日向(ひなた)冴月(さつき)のグループが、新宿区新宿付近の塞の巡回を、良蔵、水箏(みこと)土岐(とき)のグループが行うことに決める。

 怜治と良蔵は、その旨を掃守に伝えるために、一度部屋へと戻った。

 後には高校生四人組が残される。

 水箏は、その割り振りに多少不満げな表情だったが、しぶしぶと納得した様子だ。

 軽く唇を突き出しながらも、日向に向かって声をかける。

「ヒナ、怪我しないように気を付けてね?」

 日向は、一度ぱちりと目をまたたいてから真剣な表情に変わり、気遣うような視線を水箏に送った。

「水箏さんこそ気を付けてください。最近の東京に出没している()は、普通のものとはどこか違っています。絶対に侮ったりしないでくださいね」

 すると水箏は一度口を引き結んだ。

 そして、すぐに感極まった表情に変わると両手をのばし、日向の頭部を胸に抱きこんだ。

「あー、もうヒナってば可愛い!」

「ちょ!? 水箏さん!」

 日向は、水箏の腕から逃げようともがくが、水箏がガシリと抱え込んだ。

「本当は、私が守ってあげたいところだけど、怜治先生が言うなら仕方ないわよね」

 日向に頬ずりしつつそう言ってから、首をめぐらす。

 視線を冴月に移すと、水箏は表情を一変させた。

 嫌そうに、冴月を睨みつける。

「ヒナに怪我させたりしたら承知しないからね」

 日向の頭を抱え込んだまま、水箏は低い声で言い放った。

 対して冴月は、水箏をちらりと一瞥したが、すぐに視線を外す。どうやら返事をする気もないようだ。

「きーっ! 本当にムカつく男よね! いーいヒナ、絶対に怜治先生のそばを離れるんじゃないわよ」

 その言葉に、日向はくすりと笑みをこぼした。

「水箏さん、ありがとうございます。水箏さんも百目鬼(どうめき)先生のそばを離れないでくださいね?」

 言ってから、視線を土岐に移す。

「それから土岐、水箏さんのことよろしく」

 土岐は苦笑した。

「最大限努力するけど、俺が水箏さんを守るなんて言ったら怒られそうだよな」

 水箏は、澄ました顔で土岐を見る。

「よくわかってるじゃない。足引っ張ったら許さないわよ土岐」

「はいはい」

 土岐は肩をすくめて見せた。

 日向は、そんな二人のやり取りを困ったように見つめる。

 そこに、良蔵と怜治が戻ってきた。

「お待たせしました。では行きますか」

 日向が、はたと我に返る。

「あの卜部(うらべ)先生、僕着替えてもいいですか?」

「着替え?」

 怜治が怪訝な表情をした。

「怜治先生、ヒナは(もの)の仕事をする時はいつも袴姿が定番なのよ」

「袴?」

「そうよ、袴だと昼も夜も兼用で着てられるんですって。要は、男の子の時でも女の子の時でも、サイズを気にせずに着ていられるってことよ」

「なるほど…。ですが袴姿でうろついていたら、人目を引くのでは?」

 怜治が困惑気に日向を見る。

 日向は苦笑した。

「うーん、そうですね。時々、痛いコスプレーヤーに間違われます。でも鹿嶋と違って、東京はなんでもありなんですよ。きっと卜部先生が想像するほど変な目で見られることは少ないと思います。それに僕袴の方が動きやすいんです」

「そうですか、だったら着替えてきなさい。ここで待っていますから」

 日向は怜治に軽く頭を下げ、着替えに戻る。

 怜治は良蔵を見た。

「私たちは、少々寄り道をしてから台東区の巡回に回りますから」

「了解。じゃあ、俺たちは一足先に行くからよ。何かあったら携帯に連絡してくれ」

 良蔵は片手をあげるとその場を後にした。



 日向と冴月、怜治の三人は、怜治の運転で北区に向かっていた。

 日向は、白の小袖と浅葱色の袴を身につけている。

 車は、掃守の用意してくれた国産の新型車だった。冴月は助手席に、日向は後部座席に座っている。

「卜部先生、どうして北区に向かっているんですか?」

 その問いかけに答えたのは冴月だった。

「一昨日の宿主のことを調べようとしているんだろう。あの男は北区に住んでいたからな」

 冴月の言葉に日向は目をまたたく。

「一昨日の…?」

 日向は、不思議そうに首をかしげた。

 怜治が、バックミラー越しに、日向へ視線を向ける。

「そうです。少々気になることがあるので調べたいのです」

「気になること…ですか?」

「その話はまた追々。それよりも、眠ってもいいんですよ?」

 日向はほほ笑んで首を横に振った。

「もう大丈夫です。今日はずいぶんとよく眠れましたから」

「そうですか」

 その会話を終えると、車内にしばらく沈黙が訪れる。

 が、やがて日向がためらいがちに口を開いた。

「あの…卜部先生、一つ質問してもいいですか?」

「なんですか?」

「先程の掃守さんのお話なのですが…。石神の本部が情報統制を行っているって…」

「ああ、あの話ですか…」

 怜治が声のトーンを落とす。

「どうしてそんなことを行っているのでしょうか? 僕たち、本部に軽んじられているのでしょうか? 掃守さんの話を聞いていたら、そんな気がしてきて…」

 怜治は苦笑した。

「それは違いますよ。たぶんそういう問題ではないのです」

 怜治は、眼鏡を指で押し上げる。

「何か事情があるのでしょう。おそらく私たちには知らせることのできない何かが」

「事情ですか…」

 日向は、釈然としない様子で視線を下げた。

 怜治の目が、ミラー越しに日向の姿をとらえる。

「日向、情報とは教えてもらうばかりではないのですよ? 自分たちで調べることもできるのです」

 日向はその言葉に顔をあげた。

「卜部先生…」

「多少遠回りにはなるかもしれませんが、私たちは、私たちの力で真実に近づきましょう」

「はい!」

 怜治は、日向の元気のいい返事に、微笑みを浮かべた。



 車は、北区の某所にたどり着く。

 そこは、一昨日起こった母親殺害事件の現場――――宿主の自宅近くであった。

 黄色い規制線の張られた外側には、マスコミと思しき人影が数人いる。中には、中継をしていると思われるリポーターやカメラクルーの姿も見えた。

 怜治は、規制線から百メートルくらい離れた場所に車を止める。ポケットの中からスマートフォンを取り出すと、どこかへと電話をかけはじめた。

「着きました」

 怜治は、挨拶も抜きにそうきりだした。

「殺害現場の南側に居ます。車ですよ。シルバーのアクアです」

 用件だけ告げると、そのまま通話を終了する。

 その場で一、二分待つと、どこからともなくスーツ姿の男が姿を現した。刑事として働いている武蔵の鬼だ。

 男は後部座席のドアを開けると、無言のまま空いているシートに座った。

 男がシートベルトを装着すると、怜治もまた無言で車を走らせた。

 車が走り出すと、男はスーツのポケットから手帳を取り出す。そして前置きもなく話しはじめた。

「容疑者は奥野(おくの)(めぐみ)、二十五歳、男性、無職。職歴は学生時代に一度アルバイトの経験があるだけのようだ」

 男は、捜査情報を提供してくれているのだ。淡々と続ける。

「就活に失敗し、大学を卒業してから仕事をした形跡はなし。両親は共働きで、父親は都内の食品メーカーに勤務。母親は清掃業のパートをしていた。殺害当日、容疑者は就職のことで朝から母親と口論になっていた模様。その時、父親はすでに出勤していたようだ」

 男は、手帳のページをめくった。

「両親は、仕事をしていない容疑者に対して、日頃から就職を促していたらしい。容疑者は、そのことに反感を覚えていたようだ。自分が就職に失敗したのは、両親のせいだとも供述している。朝食時に母親と口論になり、衝動的に母親を殺害。その後自宅から逃走している。母親の死亡が発覚したのは午前十一時半。無断欠勤を心配した母親の同僚が第一発見者だ。同僚は、発見後すぐに警察に通報している。被害の状況から、行方不明の長男が捜査線上に浮上する。すぐに緊配(キンパイ)が敷かれた。容疑者が確保されたのは一昨日未明。確保場所は千代田区神田。容疑者は、逮捕後の供述で母親殺害の容疑を認めている」

 男は、よどみなく話し続ける。

「殺害後から逮捕時までの奥野の足取りについてだが、裏のとれているものだけ拾い上げると、母親殺害後、奥野は自転車で駅まで移動している。そこから電車を使って移動。京浜東北線の東十条駅から乗車、秋葉原駅で乗り換え、総武線の御茶ノ水駅で下車。ここまでが現在確認のとれている足取りだ。その後の足取りだが、ここからは本人の供述によるものでまだ裏はとれていない。奥野の供述によると御茶ノ水駅下車後は徒歩で移動。駅のそばにある就活セミナー会場に行ったと言っている」

「就活セミナー会場?」

 怜治が、そこではじめて口を挟んだ。

 怪訝な表情で聞き返す。

 男はうなずいた。

「ああ、そうだ。容疑者は、以前からそこが主催するセミナーに参加していたらしい。懇意になっていたセミナーのスタッフがいたようで、その人物に相談に行ったと供述している」

「セミナーのスタッフに…」

 男は、再び手帳に視線を落とす。

「しかし、奥野が行った時にはその担当者が不在だったようだ。だから別室で帰社を待っていたそうだ。そして、ここからの供述が急に曖昧になる。結論から言うと、本人は覚えていないと言っている。知らないうちにセミナー会場を出ていて、知らないうちに逮捕された歓楽街に移動していたのだと供述している」

「知らないうちに…ですか」

 怜治は、車を運転しながら片手で顎を撫でる。

「そのセミナースタッフというのは、どんな人物ですか?」

新井(あらい)義久(よしひさ)、都内在住の三十五歳だ」

「就活セミナーを主催している企業はどこですか?」

「登記を確認したところ、二〇一一年に登記された海外企業の日本支社で、株式会社ブラウエ・ゾンネという会社だ。洋名はBlaue Sonne AG。主な事業内容は職業紹介事業。代表はヨアヒム・ベーレント。スペルはJoachim Behrend。ドイツ人だ」

「外資の日本支社ですか」

「そうだ。本社はドイツにある。本社のメイン業務は金融業のようだ。しかし、日本支社の主な業務内容は職業紹介事業。就職や転職の支援、ビジネススキル育成の支援サービスなどを行っているそうだ。外資金融の面接対策に特化しているというのがブラウエ・ゾンネのうたい文句だ。主な紹介先も外資系企業がほとんど。こういうご時世だからな、就職先に外資を選ぶ若者は引きも切らない。日本支社の実績は好調のようだ」

「奥野恵という人物は、職歴のない就職浪人三年目だったようですが、そのブラウエ・ゾンネという会社は、奥野のような人物まで外資系企業に紹介していたのですか?」

「いや、奥野はセミナーに参加することが目的だったようだ。セミナーには数種類ある。ブラウエ・ゾンネが主催するセミナーのほとんどが外資金融企業の面接対策講座なんだが、中には自己啓発セミナーなんてものも混じっている。どうやら容疑者は、その自己啓発セミナーに参加していたようだ。今のところ集まった情報はこのくらいだ」

 怜治は、眼鏡の奥の目を、鋭く細める。聞いたばかりの情報を、分析しているようだ。

 やがて怜治はハザードランプを点灯させ、走らせていた車を路肩にとめる。

「そうですか…。ではまた何か情報が入ったら教えてください。それからブラウエ・ゾンネ日本支社の住所と、セミナー会場の住所を教えてください」

「会場と事務所は同じビルにある。住所は東京都千代田区神田――――」

 聞き出した詳しい住所を書きとめると、怜治たちは刑事である鬼と別れたのだった。

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