四 凶報
「いてて! センセ、いてーよ! 乱暴だっつーの!」
狭い後部座席で、身を縮めながら火織が顔をしかめる。
「男ならこれくらい我慢しろ」
修也は、仏頂面でぐりぐりと傷口を消毒した。
火織の怪我は、幸いにも軽傷だ。あちこちに擦り傷ができてはいるものの、たいした怪我ではない。
修也の見立てを聞いた一同は、胸をなでおろしていた。
しかし、修也の表情だけは厳しい。
その表情は、一見すると不機嫌そうな仏頂面であった。
がしかし、その奥底には、火織を心配する気配が見てとれる。
その証拠に――――。
「ったく、こんな怪我なんかしやがって…」
ぶっきらぼうにつぶやかれたその言葉には、火織を心配する色がはっきりと表れていた。
それに気づいた火織は、神妙な顔つきになる。
「悪かったよセンセ」
「悪いと思うなら無茶するな」
修也は火織の額を小突いた。
それを見ていた日向がくすりと笑みをこぼす。
すると火織が、目を細めて隣に座る日向を振り返った。
「なんだよ…」
日向に向かって睨みをきかせ、即座に低い声で凄みはじめる。
「何笑ってやが――――ぃでっ!」
しかし、その言葉は途中で遮られた。
助手席から水箏が体を乗り出し、ティッシュの箱で火織の頭をはたいたのだ。
「みーたん! ひどいよ」
火織が情けない声を出した。
「そのキモい呼び方やめろっつってんでしょ」
水箏が、嫌悪感をあらわに火織を睨みつける。
「しゅーちゃん先生、真ん中に座ってよ! このけがらわしい物体をヒナの隣に置かないで!」
修也は疲れたように額を押さえた。
「じゃあ水箏、お前が後ろに来いよ」
「それは絶対にイヤ」
水箏は、すぐさまきっぱりと言い切る。
「水箏さん、僕なら大丈夫で――――」
「大丈夫なわけないじゃない! 変態がすぐ隣にいるのよ! もっと危機感を持って! それからめいっぱい端によって」
手で合図をする水箏に、日向は目をまたたかせた。
「ええと…」
日向は困ったように水箏を見返す。
「水箏さん、僕本当に大丈夫ですよ?」
首をかしげる日向に、水箏は眉根を寄せた。
「全然大丈夫じゃないわよ…もう可愛すぎ!」
拳を握って悶えるようなそぶりをしてから、がらりと表情を変えると、冷たい視線で火織を見る。
「そこの変態、今すぐヒナから離れて。しゅーちゃん先生にくっついてなさいよね」
言われた修也は、嫌そうな顔をした。
火織はショックを受けた表情をする。
しかし、二人の反応を完ぺきに無視すると、水箏は日向に向き直った。
「ヒナごめんね。私がそこに座れば済む問題なのはわかってるんだけど…どうしても体が拒絶するの」
そう言って、鳥肌の立つ腕を日向に見せてくる。
「そんな! ひどいよみーたん、いつになったら俺のこと――――でっ!」
再び水箏がティッシュで火織の顔を叩いた。
日向は、驚きに目を見開く。
「だ、か、ら、その呼び方すんなっつってんでしょ。キモいのよ!」
「水箏さん、もうそのくらいで――――」
「ヒナは黙ってて! あ~、今すぐヒナをぎゅってして癒されたい。しゅーちゃん先生、早く治療を終わらせてよ。そしたら火織、あんたあたしと場所代わりなさいよね」
マシンガンの如く、次々と飛び出す言葉に、四方田が苦笑した。
ミラー越しに修也に視線を投げかける。
「大変そうだな」
「俺の苦労、少しはわかってくれましたか?」
修也は疲れた表情で言葉を返した。
四方田は喉を鳴らして笑う。
「ま、いいじゃないか。素直でいい」
「素直というよりは、欲望に忠実ってほうが正解だと思いますけどね」
言って修也は肩をすくめた。
そして、四方田につられるようにして苦笑を浮かべる。
「ですが、今のこの状況では、その呑気さがありがたいのも事実ですけどね」
隣で、相変わらず騒々しい会話を続ける三人を、修也は目を細めて見つめる。
「そうだな…」
四方田は、厳しい表情で視線を前に向けた。
眼前に広がる景色には、地震の爪痕が生々しく残る。
四方田の運転する車は今、埼玉県にある武蔵の拠点を目指していた。
水箏がハマーを見失ったのは、ちょうどハマーが埼玉県にさしかかった辺り。
携帯もなかなかつながらない現状から、ひとまず武蔵の拠点で状況を把握することにしたのだ。
一行は、大きく北に迂回しながら武蔵の拠点を目指す。
ラジオからは、都心を襲ったばかりの巨大地震の情報が、繰り返し流れ続けていた。
冷めやらぬ熱に急かされるかのようにして、パーソナリティが原稿を読み上げている。
「拠点に着いたら、車を乗り換えよう。あそこには四駆の車があるから、そっちのほうがいいだろう」
「そうですね」
修也は眉根を寄せて前を見る。
「東京に召集されていた鬼たちは無事なんでしょうか…」
修也の言葉に、四方田は首を横に振った。
「この様子じゃ無事とは言い切れんだろうな」
ラジオからは、緊迫した中継が流れている。
時間が経つにつれ、東京の被害の甚大さが、次々と報告されていた。
「四方田さん、見失ったあの外国人たちは、どこに行ったんでしょう…。東京に戻った可能性はどれくらいあると思いますか?」
修也の質問に、四方田は眉根を寄せる。
「正直言って、全くわからんな」
四方田の答えを聞き、修也は視線を伏せた。
「あいつらは、常陸から神宝を奪って西に行った…。もしかしたら武蔵の神宝も奪うつもりかもしれませんね…」
呟いた修也に、四方田は鏡越しに視線を送る。
「守部…そのことなんだが、実は――――」
四方田は何かを言いかけた。
しかしその言葉を、最後まで続けることができなかった。
「ぃてっ!」
修也の言葉によって遮られたのだ。
突然発せられた修也の言葉に、四方田が再び鏡越しに後ろを見ると、ちょうど修也が左目を片手で押さえるところだった。
修也は、残る右目を鋭く細めて水箏を睨みつける。
「ごめーん、しゅーちゃん先生」
水箏は悪びれる様子もなく、てへっと軽く舌を出してみせた。
「水箏、お前な」
「そんなに怒らないでよ。わざとじゃないんだから」
実のところ、火織に向けて振り回していたティッシュの箱が、偶然修也の顔にあたってしまったのだ。
「いい加減、おとなしく座っていろ」
修也が低い声で凄むが、水箏は唇を不満そうに突き出す。
「でもぉ――――」
まだ何かを続けようとする水箏の言葉を遮った。
「でもじゃない。今黙って座らないと、後で怜治からお前に指導を入れてもらうことになるが、それでもいいのか」
修也はぴしゃりと言い放つ。
すると水箏は、『怜治』の言葉に反射的に背筋を伸ばした。
すぐに前に向き直ると、黙ってシートに座る。
それを見た修也は、呆れたように溜息を吐き出した。
「ったく、お前は俺や良蔵のことは舐めてるくせに、怜治だけは別だよな」
修也は苛立った様子で、自分の頭をガシガシと掻く。
「何よ~、りょーちゃんやしゅーちゃん先生だって、怜治先生には頭が上がらないじゃない」
水箏の言葉に思い当たる節があるようで、修也は真顔になってうなずいた。
「あいつは怒らせると色々と後が面倒だからな」
「ほら~」
水箏は不満そうに言いながら頬を膨らませた。
その様子に、修也は疲れた表情を見せる。
「それはそれだ。いいからもう黙ってろよ…。というか、頼むから黙っててくれ。な?」
聞き分けのない子供を諭すように、修也は声をかけるが、水箏はまだしゃべり足らない様子だ。
そんな水箏から視線を外し、修也は無理やり話しを四方田に戻した。
「すみません四方田さん、何か言いかけてましたよね」
「ああ…」
四方田の答えは、歯切れが悪い。
「どうしたんですか? あんたらしくもない…言いたいことがるなら、はっきり言ってくださいよ」
修也にうながされて、四方田は重い口を開いた。
「ああ、そうだな…どうせ武蔵の拠点に着けばわかることだから、先に言っておくが――――」
そう言って切り出された話を聞いて、日向、水箏、火織、修也の四人は同時に驚愕の声をあげる。
「そんな!? 武蔵の神宝まで奪われたなんて…」
日向は、信じられないとばかりに首を横に振り、口元を両手で覆う。
それきり全員が絶句し、車内は重苦しい空気ばかりが支配したのだった。




