十四 突入 その二
エレベーターに乗っていた良蔵は、操作パネルの上部に、デジタルで表示されている階数を注視していた。
顔をしかめ、濡れた服の襟元を不快気に引っ張っている。
滴り落ちる雫が、エレベーターの床を濡らしていた。
ビルの最上階は八階。
表示は今、五階から六階へと切り替わっていた。
七階へと切り替わるかと思われていたその時、不意に表示が止まった。
「ようやくのお出ましか。ったく、おせえよ」
良蔵がぼやき気味の言葉を吐きだすと、チンという音とともにエレベーターが六階で止まる。静かに扉が開いた。
その階は、奇しくも数日前、良蔵と怜治がセミナーを受けたあのフロアであった。
開いた扉の向こう側には、外国人の男の姿が在る。
良蔵は、人を食ったような笑みを浮かべると、ゆっくりとした動作でエレベーターから降りた。
目つきだけは鋭く外国人の男の姿をとらえている。
「お前らには聞きたいことが山ほどあんだ。どうだ? こっちが紳士的に聞いてるうちに、おとなしくしゃべってくれねえか?」
良蔵は、大げさに片眉を上げて見せた。
だが、外国人の男は無言だ。おもむろにポケットに手を突っ込み、中から赤い石を取り出す。
怪訝な表情をする良蔵を尻目に、男はその石を床にたたきつけた。
パリンと音をたてて石は砕け、シューシューと煙が生まれる。その中から、数匹の虺が現れた。
良蔵が、舌打ちをする。
「さっそく交渉決裂かよ、ちっとは人の話に聞く耳持ちやがれ」
悪態をつきながら刀印を結ぶと、すばやく九字を切った。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
宙に描かれた網目の紋様は光り輝き、虺へと向かって放たれる。
虺にぶつかって爆発をおこしたが、浄化するにはいたらず、良蔵は再度舌打ちをした。
「普通の虺じゃねえなこいつら…。次から次へと、いったい何をやらかしてんだよてめえらは」
良蔵は、再び刀印を結ぶと九字を切る。
一際強く光り輝いた紋様が虺に向かって放たれ、眩い爆発を起こした。
走り去る冴月を見送った怜治は、ジャケットの内ポケットから数珠を取り出し右手に巻き付ける。数珠が、じゃらりと硬質な音を奏でた。
怜治は刀印を結んだ。
「バン ウン タラク キリク アク」
五芒星を描くと、周囲を囲む虺に向けて放つ。
眩い光とともに爆発が起こり、一体の虺が雲散霧消した。
その刹那、一体の虺が素早い動きで怜治に這いより、襲い掛かってくる。
怜治はその攻撃をかわして距離を取った。
もう一度刀印を結んで五芒星を放つ。
「バン ウン タラク キリク アク」
再び眩い爆発が起こり、虺は浄化された。
不意に怜治が、自分の手に巻き付けてある数珠を一瞥した。
ふうとため息を一つ吐く。
「使いすぎたようですね」
数珠を見ると、美しく透明に輝いていたはずの水晶が、白く濁りはじめていた。
「このところ使用する場面が多かったですからね…」
残念そうに呟くと、数珠を外して内ポケットにしまう。
「仕方がありません、時間をかけて浄化してゆくしかありませんね。全く厄介なことです」
怜治は刀印を結んで五芒星を描いた。
「冴月さん、頼みましたよ」
落ち着き払った静かな声で怜治はつぶやいていたが、しかし眼差しだけはらんらんと輝き、挑みかかるように虺を睨みつけていた。
激しい雨の叩きつける窓際に立ち、ヨアヒム・ベーレントは微笑みを浮かべていた。
窓の外には、雨に滲む無機質な東京の街並みが広がっている。
眼下には、闇にまぎれて輝く赤いテールランプの光が、いくつもまたたいていた。
その背後、少し離れた場所で、新井が携帯を耳に押し当てている。
新井は携帯を切ると、ヨアヒムに向き直った。
「ヨアヒム様、たった今ギーゼルベルトから連絡がありました。常陸の神宝は無事手に入れることができたようです」
新井がうやうやしく告げると、ヨアヒムは鷹揚にうなずく。
「常陸の八握剣、駿河の蛇比礼、越後の死反玉、武蔵の道反玉、これで四つの神宝がそろったな」
ヨアヒムは、楽しげにくつくつと喉を鳴らした。
「十の塞を封じるための要となる神宝を欠いたことで、東側の塞は不安定になる。東京に張りめぐらされている封印を破るのも容易くなろう」
ヨアヒムは、踵を返すと新井とその後ろに控える数名の外国人たちを見回す。
「お前たち、丁重に鬼たちをおもてなししろ」
新井たちは、声に出すことなく深く首を垂れた。
良蔵が九字を切って攻撃をすると同時に、外国人の男が、良蔵めがけて突進してきた。
良蔵は男の攻撃をかわし、すぐさま蹴りを放つ。
男は良蔵の蹴りをかわした。
良蔵の背後から、虺が襲い掛かってくる。
良蔵は舌打ちをして男と距離を取った。そして虺に向けて九字を切る。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
再び爆発が起こるが、浄化することはできない。
攻撃をものともせず、虺が一斉に良蔵めがけて襲い掛かってきた。
「くそっ! いったいどういう仕組みになってやがる。虺が異常にしぶといのもそうだが、なんでこうも俺だけを狙ってきやるんだ。虺に敵味方の判別能力はねえはずだぞ」
良蔵は罵りながらも九字を切り続ける。
徐々に虺の動きが鈍り、弱りはじめてきた。
その最中にも、隙を見ては外国人の男が攻撃を仕掛けてくる。
良蔵は、両方の攻撃をかわし続け、息が上がっていた。
男のパンチをかわすと後ろに下がり、ぜえぜえと肩で呼吸を繰り返す。
「くそっ」
良蔵は苛立った様子で吐き捨て、両手でいっきに髪を掻き上げた。濡れた髪を、後ろに撫でつける。
「いい加減タバコはやめようって思ってるんだがな、イライラすることが多くて、つい吸っちまう。けどな、今度こそ決めたよ。お前たちとの片が付くまで、ぜってえ吸わねえ」
良蔵の言葉と同時に、虺が襲い掛かってきた。
良蔵は、すぐさま刀印を結ぶ。
と、その時、良蔵の前を白い狼が横切った。
狼は俊敏な動きで大地を蹴り、虺の喉元に食らいつく。
「良蔵さん大丈夫ですか!?」
良蔵が振り返ると、そこには土岐の姿が在った。
「土岐!」
「禁煙宣言はいいことですけどね。一人で勝手に突っ走るのやめてください。まるで日向みたいじゃないですか」
土岐は良蔵に走り寄り、隣に並び立つ。
「この程度のサイズの虺に、ずいぶんと苦戦しているみたいですね」
土岐の言葉に、良蔵がため息を吐き出した。
「お前、そう言うけどな、いっぺんやり合ってみろ。こいつら、普通の虺じゃねえぞ」
「普通の虺じゃない?」
土岐が怪訝な表情をする。
良蔵は、厳しい表情でうなずいた。
「ああ、今まであったこともねえような新しいタイプの虺だ」
土岐はわずかに目を見開き、視線を虺へと戻す。
「とにかく気を引き締めてかかれ。じゃねえと痛い目見るぞ」
良蔵の言葉を聞きつつも、土岐は懐疑的なまなざしを虺へと向けた。




