十三 突入 その一
晴れていたはずの夜空が、急に曇りだしていた。
顔をのぞかせていたはずの月は、徐々に分厚い雲に覆い隠されていく。
そのうちポツリポツリと雨が降りはじめた。熱帯夜を拭い去るような、冷たい風までもが吹きはじめる。
粒の大きな雨は、みるみるうちに雨足を強めていき、スコールを予感させた。
ブラウエ・ゾンネ新宿セミナー会場の、すぐ側にあるコインパーキングでは、冴月が電話を受けていた。体を打ち付けはじめた雨粒には、全く無頓着な様子だ。
冴月は押し黙り、ただ相手の話を聞いている。その表情は厳しかった。
携帯に耳を押し当てたまま、冴月がブラウエ・ゾンネの入るビルを見上げる。
「わかりました。実行に移します」
丁寧語でしゃべった冴月を見て、怜治が目を細めた。
冴月がへりくだる相手は、そう多くはいない。怜治は、その面々を脳裏に思い描き、電話の相手の見当をつけはじめていた。
(守長かもしれないな)
怜治が、電話の相手を常陸の守長である信太であろうと見当をつけていると、冴月が携帯を切り、良蔵、怜治、土岐の三人を見回す。
「突入を開始する。中に居るヨアヒム・ベーレントの身柄を拘束することが今回の目的だ。二手に分かれる。百目鬼と土岐は五分後に正面から侵入、内階段を使って最上階をめざせ。俺と卜部は、外付けの非常階段から先に上階に向かっている」
すると良蔵が、親指でビルの正面にある自動ドアを指した。
「あれを割って入っていいのか? つまり俺たちは、派手に暴れろってことだよな」
「そうだ」
「OK、この機会に、しこたまたまってるストレスを発散させてもらおうじゃねえか」
良蔵は、ほの暗い笑みを浮かべてビルを見上げる。
「せいぜい首洗ってまってやがれ」
雨は、いつのまにか本降りに変わっていた。
四人の鬼たちに、雨粒が激しくたたきつけていた。
雨は、あっという間に豪雨に変わった。
遠くには雷鳴がとどろいている。
良蔵は、防水機能の付いた腕時計をじっと見つめていた。
「土岐、もうそろそろだ。準備はいいな」
「はい」
良蔵は、視線を時計に落としたまま手を上げた。
「時間だ」
言葉と同時に手を振り合図をする。
土岐がコンクリート製のブロックを玄関の自動ドアに投げつけた。
ガシャーンという音と共にガラスが粉々に砕け散る。
壊れた玄関から、二人は中に侵入した。
フロアに入ってすぐの左側に、エレベーターと階段がある。
良蔵は、しばし考えた末に、土岐に階段を登るように指示を出した。自分はエレベーターのボタンを押す。
「良蔵さん!? エレベーター使う気ですか? だったら俺も――――」
「お前は階段使え。奴らに階段から逃げられちゃ水の泡だろ?」
「でも…良蔵さん、一人で大丈夫なんですか?」
土岐の声と同時に、エレベーターがチンと鳴った。静かに扉が開く。
「おめえに心配されるほど耄碌しちゃいねえよ。先に行って奴らを片付けておくから、お前は後からゆっくりこいよ」
良蔵はそう言い置いて、エレベーターに乗り込んだ。
「良蔵さん! 無茶はやめてくださいよ!?」
時の念押しに、良蔵は片方だけ口角をあげて返す。
何も答えることはなく、そのままエレベーターの扉が閉まった。
「良蔵さん…」
土岐は呆然と良蔵を見送ったが、我に返ると急いで踵を返し、全力で階段を駆け上がりはじめた。
冴月と怜治は、激しい雷雨の中階段を駆け登っていた。叩きつけるような雨粒が、二人の体に打ちつける。
全身ずぶぬれになった二人は、一足先に最上階にたどり着いていた。
怜治は、腕時計をちらり見おろす。時間を確認してからすぐに冴月を見た。
「時間のようです」
つぶやいてスチール製のドアに手をかけると、ドアはすんなりと開く。施錠はされていなかった。
冴月と怜治は、一瞬目を合わせる。
「どうやら我々は招待されているようですね。甘く見られたものです」
軽く鼻を鳴らしながらつぶやかれた怜治の言葉に、冴月は何も答えなかった。
冴月が、ドアを押し開く。
するとそこには、見知らぬ外国人の男の姿が在った。
筋骨たくましい男は、真夏の暑さの中、黒いスーツをかっちりと着込んでいる。
怜治は、一歩前に進み出て男を見る目を細めた。髪を滴り落ちる雫が、ぽたりぽたりと廊下を濡らしていく。
「こうして招かれて敵の拠点に侵入するという経験は初めてです。実に貴重な体験をさせていただきました」
濡れた体に頓着することなく、微笑みを浮かべながら怜治は霊符を構えた。
男はポケットから赤い石を取り出す。
「急急如律令」
怜治が呪文を唱えるのと同時に、外国人の男が赤い石を廊下に叩きつけた。
粉々に砕け散った赤い石から、煙とともに数匹の虺が現れる。
ほぼ同時に、怜治の放った霊符もイタチヘと姿を変えた。イタチは、一匹の虺へと突進してゆく。
イタチが喉元に食らいつくと、虺が苦しげに頭を左右に振った。
「バン ウン タラク キリク アク」
冴月が五芒星を描き、別な虺へと放つ。爆発が起こったが、虺を浄化するには至らない。
怜治と冴月の目が、驚愕に見開かれた。しかし、それも一瞬のことで、冴月の表情はすぐに厳しいものに変わる。
怜治は、信じられないとばかりに首を横に振った。
「どういうことです。この程度のサイズの虺が、今の攻撃で浄化できないとは…」
イタチに噛みつかれていた虺は、一際激しく首を振ってイタチを振り落とす。尾を高々と持ち上げ、冴月に向かって鞭のように振り下ろしてきた。
冴月は、とっさに後ろへ飛んで攻撃をかわす。
そこへ外国人の男が、冴月めがけて突撃してきた。
「冴月さん!」
冴月は、身を屈めて男の拳をかわす。
すぐに拳を構えて男の顎めがけて殴り返すと、男は顎を逸らして避け、冴月から距離をとった。
「卜部気をつけろ。この虺は、尋常じゃない」
怜治はかすかにうなずいた。
赤い石から解き放たれた複数の虺は、廊下を這いながら、じりじりと二人に近づいてゆく。
「やれやれ、厄介なことですね。すんなり事が運ぶとは思っていませんでしたが、出鼻をくじかれるとは」
怜治が、ため息交じりに言いながら再び刀印を結ぶ。
「冴月さん、私が隙を作りますので、先に行ってください。良蔵たちと合流して、ヨアヒムの身柄の確保をお願いします」
怜治は刀印を鋭く振りおろし、イタチを男に向けて突進させる。
男は、虺に向かうと読んでいたイタチが、自分めがけて突進してきたことに、一瞬虚を突かれた様子であった。
しかし、すぐに我に返り、イタチの攻撃をかわそうと体を捻る。続け様に、男は手刀を落としたが、男の攻撃はイタチの体をすり抜けた。
男の両目が、驚愕に見開かれる。
イタチは、そのまま大地を蹴ると、男の腹部めがけて再度突進した。
イタチの体が、男の中に消え失せる。
怜治は刀印で五芒星を描いた。
「バン ウン タラク キリク アク」
呪文を唱え、虺に向かって五芒星を放つ。ぶつかると爆発をおこした。
「冴月さん、今です」
怜治の声にうながされ、冴月は走り出す。
怜治の攻撃を受け、一瞬動きを止めていた虺たちの間をすり抜け、冴月は廊下の奥へと走り抜けた。




