十 侵入者 その三
日向と水箏がエリザと対峙していたその頃――――。
火織は、相変わらず修也の目の前で正座をさせられていた。
「センセもう勘弁して。頼むよ~」
火織が情けない声をあげると、修也が深いため息を吐いた。
「勘弁してほしいなら、さっさと東京へ帰れ。今すぐお前が東京に戻れば、話はそれで終わるんだよ」
「それは無理」
「ひ、お、りぃ~」
低い声とともに、修也の手が再び火織の頬にのびる。
火織は素早く後ろに下がって、修也の手を躱した。
「センセ、もう無理だよ。これ以上は、俺の頬がもたねえ」
火織は、手で自分の頬を押さえつつ、廊下へと続く障子を開ける。
「こら、待て! 逃げるな!」
修也の声を背中に聞きながら、しかし火織は廊下に飛び出した。
修也は、古傷の残る足を引きずりながら火織の後を追う。
「センセ、悪いとは思ってるよ。けど俺、意地でも東京には行かねえから」
「火織!」
廊下を走る火織が、修也の鋭い声に、肩をすくめたその時のことだった。
不意に、拠点の庭の片隅を人影が横切る。
火織は、視界の隅に一瞬よぎったその影を、見逃さなかった。
怒りとともに後を追ってきた修也を、火織は鋭く振り返る。
「センセ、誰かいる」
真剣な火織の表情に、修也は弾かれたように庭を見渡した。
「どこだ?」
しかし火織は、修也の問いに答えることなく走り出す。
「火織!」
「センセ、任せろ! 俺がとっ捕まえてきてやるよ!」
火織は、しなやかな動きで庭に下り、暗闇を音もなく走りだした。
修也は、一歩踏み出したが、古傷の残る足に動きを遮られると、悔しげに足を見下ろす。
「くそっ! 役立たずが…」
拳で自らの足を叩き、火織の姿の消えた庭を再び見やった。
「頼むぞ、火織」
修也は、そう呟いてから、常直している鬼のいる部屋へと急いで向かった。
火織は、暗闇の中を走る影を追いかける。
その距離を、みるみるうちに縮めていった。
人影は、拠点の中に忍び込もうとしていたのだが、火織の存在に気付くと逃げに徹していた。
しかし、とうとう逃げ切れないと悟ったのか足を止めると、突如攻撃に打って出た。
人影は踵を返し、蹴りを放つ。
人影は、外国人の男だった。
火織は頭を下げ、鋭い蹴りをギリギリの位置でかわす。
そしてすぐさま反撃に出る。下から拳を突き上げ、顎を狙った。
男は、上体をのけぞらせて拳をかわしたが、わずかに顎をかすめる。
ふらついたその隙を、火織は見逃さなかった。火織はすぐに腹部に拳を叩きこむ。
男は腹部を押さえ、呻き声をあげながらくずおれた。
火織は、腹を押さえて転がった人影に近寄ると、足で蹴り、体を上向かせる。
「外人が、拠点にいったい何の用事だよ…」
訝しむように、倒れた外国人の男をのぞきこんでいると、不意に火織の周囲に数人の人影が現れた。
「なんだよ、次から次へと…」
火織はため息とともに周囲を睨みつける。
現れたのは、大柄な外国人ギーゼルベルトと、複数人の生気のない日本人たち――――虺にとり憑かれた人々だった。
火織は、面倒そうに髪を掻き上げると、ギーゼルベルトを睨みつける。
「お前、もしかして、東京で騒ぎを起こしてる奴らの仲間か?」
訊ねるが、ギーゼルベルトは無言だ。
「なんだよ、日本語わかんねえのかよ――――」
言いかけていた火織に、突如ギーゼルベルトはこぶしを打ち込む。
火織は、攻撃をかわしながらギーゼルベルトの腕を掴んだ。そのまま腕をねじりあげる。
「ったく、人の話は最後まで聞けよな。それともマジで日本語が分かんねえのかよ」
ギーゼルベルトは、苦しげな声を漏らす。
と、その時、周囲の宿主たちが動いた。火織に向かって襲い掛かってくる。
火織は舌打ちをし、ギーゼルベルトの腕を離した。襲い掛かってきた宿主たちの攻撃をかわす。
火織は、宿主と距離を取ると、両手を使って印を結んだ。
「オン サゲイ サメイ ウン ハッタ」
真言を唱えると、火織の両手が輝き出した。
火織はそのまま走り出し、宿主の攻撃をかわしながら腹部に掌底を当てる。
すると、宿主の背中から、虺がはじき出された。
そのまま流れるような動作で、火織は次々と宿主の体に掌底を当てていく。虺はどんどんと祓われていった。
ギーゼルベルトが、驚いた表情で火織を見た。すぐに、火織の動きを阻止しようと攻撃を仕掛けるが、火織は、それをもかわして虺を祓う。
あっという間に、全ての宿主から虺を祓い終えると、今度はポケットから小ぶりな独鈷剣を取り出した。
それは、チベット密教において使われている法具の一つ、プルパである。
火織は、器用にプルパを親指で挟み、印を結ぶ。
「オン シュッチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ」
火織が真言を唱えると、プルパが輝く。光り輝くプルパを逆手に構えると、虺へと躍り掛かった。
虺は、プルパの刃が触れた瞬間、雲散霧消する。火織の構える刃が、流麗な動きで次々と虺をとらえ浄化していった。
どんどんと虺の数を減らされ、ギーゼルベルトは舌打ちをする。ジャケットの内ポケットに右手を入れると、拳銃を取り出そうとした。
その姿を視界にとらえた火織は、ギーゼルベルトに向かって蹴りを放つ。
ギーゼルベルトは、甲に蹴りを受け、拳銃を取り落した。すぐに拳銃を拾おうと手をのばすが、それを火織が阻む。
火織の攻撃に押され、防戦一方のギーゼルベルトは、じりじりと後退を余儀なくさせられた。
やがて、火織の攻撃がギーゼルベルトの腹部に決まり、呻き声とともにうずくまる。
火織は、ギーゼルベルトの腕を取り、再び捻りあげた。
ギーゼルベルトが、苦悶の声をあげる。
「おい、いったい何の目的で拠点に侵入した? 何か言ってみろよ」
言いながら、火織は腕をさらにねじ上げた。
「ぐあっ! 放せ」
ギーゼルベルトが、呻き声とともに言葉を漏らす。
「なんだ、やっぱり日本語喋れんじゃねえか。だったら最初から質問に答えろよな」
火織の言葉に、ギーゼルベルトは憎しみのこもった眼差しを向けた。
火織はその眼差しを平然と受け止める。
「何が目的だ。答えろ」
しかしギーゼルベルトは答えない。
と、その時、再び火織の背後から人影が現れ、火織に襲い掛かかってきた。
火織は、ギーゼルベルトを戒める手を放し、攻撃をかわす。
『ギーゼルベルト、無事か? 首尾はうまく行った。撤退するぞ』
『ヴォルフラムか、エリザはどうしている』
『例の悪い病気がはじまった』
『なるほど、勝手な行動をとっているわけか。困った女だ』
『すぐ近くにいるから合流して撤退するぞ』
ギーゼルベルトは、ヴォルフラムの声にうなずき、火織と距離を取る。
その気配を敏感に感じ取った火織が、再び距離を縮めた。
「逃がすかよ」
しかし、踏み出そうとした火織を狙って、ギーゼルベルトが銃を放つ。
ギーゼルベルトは、いつの間にか銃を拾って手に持っていた。
火織は、とっさにギーゼルベルトの行動をとらえており、間一髪側の木に身を隠すことで銃撃を躱した。
「くそっ! 銃なんてしゃれにならねえぞ」
悪態をつく火織を尻目に、ギーゼルベルトとヴォルフラムは走り出す。
火織も後を追おうとするが、再び銃声が鳴り響いた。威嚇のために撃たれた銃声だ。
火織は、凍り付いたように足を止める。
遠ざかる二人の足音を聞き、火織は自分の足を強く拳で叩いた。
「くそ! しっかりしやがれ、びびってんじゃねえよ!」
自らを鼓舞すると、二人が消えた方向を睨みつける。
「ぜってえ逃がさねえからな」
自分自身に言い聞かせるように言って、火織は走り出した。




