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塞の守り人  作者: 里桜
第一章
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四 謎

「本日未明、東京都北区に住む男が、母親を殺した容疑で逮捕されました。男は金属バットのほか、ナイフも凶器として使用しており、母親を殺すつもりだったなどと話していることがわかりました――――」


 石剱(いするぎ)高校の、国語科研究室に備え付けられたテレビからは、ニュースが流れていた。


「殺人の疑いで逮捕されたのは、東京都北区に住む無職奥野恵おくのめぐみ容疑者二十五歳です」


 その音声と同時に、容疑者の顔写真が画面に映し出される。


「奥野容疑者は、昨日の早朝、自宅にて母親を金属バットで殴り、その後ナイフで刺し、殺害した疑いが持たれています。警察の調べに対して容疑者は、母親から就職するように言われるたびに腹が立った。前から殺すつもりだった、などと供述しており、捜査関係者は、無職の容疑者が、母親から仕事に就くようにと注意を受けたことが原因で殺害へ至ったものとみております――――」


 そのニュースが終わると、百目鬼(どうめき)良蔵(りょうぞう)が、テレビの電源を消す。頭をかきむしりながら、キャスター付のワークチェアに腰かけた。

 椅子がギシリと音を鳴らす。

「先程の人物が、昨晩君たちが浄化した()の宿主ですか?」

 良蔵と同じく、石剱高校の社会科教師をしている卜部(うらべ)怜治(れいじ)が、冴月(さつき)に問いただす。

 怜治は良蔵と同じ三十二歳。眼鏡をかけた細身の男である。

 目元が柔和で、理知的な印象を与えるため、女生徒には人気のある教師であるが、その実かなりの毒舌の持ち主であった。

 冴月は、怜治の問いかけに、無言のままただうなずく。

 すると怜治は、ワークチェアに座ったまま長い脚を組み換え、背もたれに背中をあずけた。

 両腕を組んで考え込みはじめる。眼鏡の奥のまなざしが、鋭く光っていた。

 国語科研究室には、現在六人の(もの)が集まっていた。

 良蔵、怜治、冴月のほか、日向(ひなた)土岐(とき)水箏(みこと)も居る。

 石剱高校は鬼の一族が経営する学校であるがゆえ、生徒、教職員合わせて、他にも大勢の鬼がいるのだ。

 鬼たちは、先ほどのニュースを真剣な表情で見ていたのだが、日向だけは違った。寝ぼけまなこのぼんやりとした様子で、横になればすぐに眠ってしまいそうな状態だ。今も椅子に腰かけたままゆらゆらと体が揺れていた。

 それに気づいた水箏が日向の頬をつつく。

「ヒナ…ずいぶんと眠そうね。終業式サボって、このままここで寝ちゃえば?」

「ん…でも、頑張って出ます」

 日向は眠そうな目をごしごしと擦った。

 そして、自分の頬を両手でパチパチと叩く。

「ヒナ、このところ毎晩東京まで引っ張り出されてるんでしょ? 無理しない方がいいわよ」

 水箏は頬を叩く日向の手を掴んで止め、眉根を寄せた。首をめぐらせて、良蔵を振り返る。

「ねえ、りょーちゃんいいでしょ?」

「ったく『百目鬼先生』と呼べっつってんだろうが。どいつもこいつも大人を舐め腐ったガキどもだな」

 良蔵は、そんな口を叩きながらも立ち上がってロッカーを漁る。ひざ掛けを見つけ出すと、日向に放り投げた。

 日向は、ひざ掛けをキャッチしてぱちりと目をまたたく。

「奥のソファーで寝ておけ」

 良蔵は顎でソファーを指した。

「でも…」

「いいから、休めるときに休んでおけ」

「さすがはりょーちゃん。ヒナの次に好きよ?」

「お前みたいなクソガキに、好かれたくなんかねえよ」

「またぁ、照れちゃって。カワイイんだから」

「フザケンナよ。大人をからかうのもいい加減にしろ」

 良蔵と水箏が言い合いをしていると、怜治が深い溜め息をついた。

 その溜め息を耳に拾って、良蔵と水箏はぎくりと肩を竦める。二人はすぐに居住まいを正した。

 怜治は、酷薄な笑みを浮かべて二人を見つめた。

 自分の考えを中断させられたことを、静かに怒っていたのだ。

 その冷たい微笑みの意味を、いやというほど知っている二人は、笑顔を見ただけで反射的に息をのむ。

「じゃれ合うのも結構ですが、少し静かにしていただけませんか?」

 怜治は眼鏡の奥の目を鋭く細め、全く笑顔に見えない笑顔を浮かべている。

 良蔵と水箏は、即座に首を縦に振った。いわゆる条件反射である。

 二人とも、常日頃から怜治には頭が上がらないのだ。

 二人の態度から反省を感じ取った怜治は良蔵たちから視線を外し、今度は日向を見た。

 その眼差しは、良蔵と水箏に向けていた険のある視線とは違い、穏やかなものにかわっていた。

「日向、あなたは早くソファーで休みなさい」

「え…卜部先生…いいんですか?」

 日向が、ためらいがちに怜治にたずねる。

 すると怜治が、ふっとほほ笑んだ。

「気にせずに休みなさい。今あなたに、過労で倒れられるわけにはいかないのでね」

 怜治は、視線をめぐらすと冴月たちを見る。

「君たち三人は、時間ですから終業式に参加してきなさい」

 怜治がそう告げると、水箏は瞬時に立ちあがり、真っ先に国語科研究室から飛び出した。

 冴月と土岐も椅子から立ち上がり、水箏の後を追うようにして廊下に出る。

 一番先に廊下を歩きはじめていた水箏だったが、何かを思い出したようで、途中で引き返してきた。

 首だけを国語科研究室に入れて、ぴょこりと中をのぞきこむ。

「ヒナ、あとで迎えに来るからね。ゆっくり眠ってて。愛してる」

 水箏は投げキッスを日向によこした。

 その様子を見て、冴月は辟易したような表情を浮かべ、土岐は苦笑を浮かべる。

 良蔵はというと、疲れたような表情でガシガシと自分の頭を掻いた。

「ったく調子のいい女だな。いいから怜治がキレる前に早く行け」

 良蔵がしっしとばかりに手を振ると、水箏は不満そうに唇を突き出す。

「りょーちゃん、ヒナが可愛いからって手を出したりしたら承知しないからね。ヒナもこの類人猿に襲われそうになったら、遠慮なく急所を蹴りあげてやんのよ?」

 日向は、驚いた顔で目をまたたく。

 良蔵も目を剥いた。

「アホかっ!? んなことするわけねえだろ! いったい俺をなんだと思ってんだてめえは!」

 良蔵が大声を出すと、とたんに怜治が目を細めた。

「百目鬼センセイ?」

 怜治は、凍えるような声音で良蔵を呼ぶ。

 水箏は、声を聞くなり顔色を変えた。慌ててその場から逃げ出す。

 残された良蔵はと言うと、しまったとばかりに怜治を見返し、冷や汗を流しはじめたのだった。



 良蔵は、少しでも室内の夏の暑さを和らげ快適に眠らせてやろうと、次々と窓を開け放った。

 国語科研究室には怜治と良蔵、日向の三人が残っている。

 日向はソファーで横になり、すでに深い眠りに落ちていた。

「良蔵、おかしいとは思いませんか?」

 何が、とは言わなかったが、怜治が声をかけると、良蔵はわかっているとばかりに頷いた。

 良蔵は、窓際で壁に背中をもたせ掛け口を開く。

「夕べの()は、宿主が四、五人はいそうなサイズだったんだよな? 普通に考えたら、そこまで育ったに憑かれた宿主が、最初の殺人から丸一日野放しになってたってのに、犠牲者が母親一人で済むはずがねえ。奇妙な話だ」

「良蔵も気づきましたか…。そうなんです、今回の件は通常では考えられないケースです。尋常ではありません」

 怜治は、わずかに眉根を寄せた。

「昨晩の件をのぞいて、このところ関東近県で殺人事件は起きていません。いえ、全国的に見たところで起きてはいません。宿主が複数人いるはずのこの現状で、巷をにぎわす事件がないなんてありえないことです」

「そうだな。の宿主が起こす殺人事件は突発的で無秩序に行われる。死体を隠匿するような真似はしねーからな。宿主が事を起こせば、すぐに犠牲者が発覚する」

「にもかかわらず、そんな事件は起こっていない。宿主と思しき人間の死も確認されていない」

「釈然としねえよな」

 二人は考え込み沈黙が訪れる。

 怜治は両腕を組んだまま、深く考え込みはじめた。

 良蔵は歩きだし、日向の側で立ち止まると、ソファーで眠る日向を見下ろす。

「おまけに、このところの出没が多すぎる。こんなヒヨッコたちまでがの浄化に駆り出されてるんだからなぁ…。俺たちはともかくとして、明日から夏休みだからって、こいつらまでもが東京に駐留させられるんだ。たまらねえよ」

 良蔵は、すやすやと眠りにつく日向を見ながら、眉根を寄せた。

 怜治も、小さくうなずいて息を吐き出す。

「その話は私も聞いています。貴方が引率するらしいですね。怪我がないようによく面倒を見てやりなさい」

「言われなくてもわかってるさ」

「それから日向の事ですが、半陰陽は、朝と晩の変化の時に、とてつもない体力を消耗するそうです。それゆえ、睡眠時間が人より多くなるのだと修也(しゅうや)が言っていました。だから日向のことは、休めるときに休ませてやれと言われています」

「ああ俺も言われてる。わかってるよ」

 そこまで言ってから、良蔵が急に表情を変える。

「それにしてもあのくそヤブ医者、土岐に余計なこと吹き込みやがって…」

 苦虫をつぶしたような良蔵の言葉に、怜治が片眉を上げた。無言のまま、良蔵に視線で問いかける。

 良蔵は、苛立った様子で髪をかきむしった。

「修也の野郎、俺の健康診断の結果を土岐に言いやがったんだよ。医者の癖に、守秘義務って言葉を知らねえんだな、あの野郎は。だいたい肝臓の数値がちょっと悪かったくらいで、偉そうに禁酒、禁煙しろなんて言いやがって…。おかげで真に受けた土岐が、俺の癒しの時間を邪魔しやがるんだ。だいたい俺が引っかかったのは肝臓だ。煙草は関係ねえ」

 怜治が、呆れたようなため息を一つ吐く。

「良蔵の場合、煙草と酒が激しくワンセットだからでしょう。飲むと際限なくばかすか吸いますからね」

「飲んでねえ時に一本吸うくらいいいじゃねえか」

 怜治は一度口を閉じてから冷たく言葉を吐き出す。

「もとはといえば、貴方の自己管理に問題があるんです。自業自得でしょう」

「怜治、てめえ修也の肩を持つのか」

「一般論です」

 怜治が話は終わりだとばかりに手を振る。

 良蔵は、まだ言い足りないという顔をしながらもぐっと言葉を飲み込んだ。

 怜治は、顎をつまんで再び考え込みはじめる。

「それにしても気になる事件ですね…」

「冴月たちのかかわった夕べの件か?」

「そうです。宿主が母親殺害の動機を自供していることも気になります」

 そう言われて、初めて気が付いたとばかりに良蔵が目を見開いた。

「言われてみればそうだな…。が起こす殺人には動機なんてねえ。もしかしたらが宿主を支配した瞬間に、普段から不満を持っていた母親が、偶然そばにいたおかげで被害者になっちまっただけなのかもしれねえが…。だがその場合、を祓われた宿主は正気に戻るわけだから、殺すつもりはなかったって供述するはずだよな…?」

 怜治は無言のまま頷く。

 長い沈黙ののち、怜治が口を開いた。

「やはり…私も東京に行きましょう。すぐに同行できるように手配をします。今回の件は腑に落ちないことが多すぎます。事件の宿主のことを少し調べてみましょう」

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