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塞の守り人  作者: 里桜
第三章
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八 侵入者 その一

「水箏さん、商長さん大丈夫でしょうか?」

 日向の言葉に、水箏は鼻を鳴らした。

「あんな奴なんか放っておけばいいのよ」

 日向は、困ったような表情を浮かべる。

 日向は今、水箏に手を引かれ、拠点の縁側を歩いていた。

 辺りには、けたたましいセミの鳴き声が響いている。

「でも…」

「でも、じゃないの。後はしゅーちゃん先生に任せておけばいいのよ。ま、火織が素直に言うこと聞くとは思えないけどね。とにかく放っておけばいいのよ。どうせ怒られるのは私たちじゃないわ」

 水箏は肩をすくめて見せた。

 日向は、ぱちぱちと目をまたたいてから、プッと噴き出す。

「水箏さん、なんだかんだ言って、商長さんのことよくわかっているんですね」

 すると水箏は、驚いた表情になった。

「ちょっとヒナ、変なこと言わないで! あのバカのことなんて、私が知るわけないでしょ!」

 けれども日向は、にこにことほほ笑んでいる。

「水箏さんは、意地っ張りですね」

 その言葉に、水箏はぎょっとしたような顔をした。やがて、疲れたようにうなだれる。頭が痛いとばかりに額を押さえた。

「ヒナって、時々びっくりするような思考の暴走をするわよね…。あのねヒナ、別に意地なんか張ってないから。変な誤解はやめて」

「誤解…ですか?」

 日向はきょとんと首をかしげる。

 水箏は、がばっと顔をあげた。

「そうよ! とっても大きな誤解よ!」

 言ってから爪を噛む。

「ヒナにこんな誤解させるなんて、火織の奴、私にどれだけ迷惑かければ気が済むのよ! 次に会ったら、ただじゃおかないから!」

 水箏は叫んで、足音を荒げて廊下を歩きはじめた。

 日向は困惑の表情を浮かべる。そして、水箏に手を引かれるまま後に続いた。

 水箏が渋面を作り、ぶつぶつと呟いていると、不意に風がそよと吹く。

 蒸し暑い夏の風が、二人の体を撫でた。

 水箏は、庭を向いてしばし立ち止まり、考えるようなしぐさをする。すぐに何かを思いついたという様子で、日向を振り返った。

「ねえヒナ、気分転換に、ちょっと散歩しない?」

 水箏の声に、日向は軽く目を見張ってから、微笑んで小さく頷く。

「そうですね」

 そうして二人はつっかけを履き、風に誘われるようにして、庭へと降りる。拠点の裏手にある広大な森へと向かって歩き出した。

 巨木の繁る森は、都会とは打って変わって涼しかった。時折、通り過ぎる風が、ざわざわと木々を揺らす。

 水箏は大きく息を吸い込んで、深呼吸をした。

「あ~落ち着く。やっぱり私には、都会よりも田舎の方が性に合ってるわ」

 水箏の言葉に、日向がくすりと笑う。

「そうですね、僕も田舎の方がほっとします」

 日向は空をふり仰いだ。木々の切れ間にのぞく空には、満天の星が輝いている。

 水箏も空を見上げた。

「都会にいると、いつも何かにせっつかれているような気がして…落ち着かないのよね。それに、都会じゃこの空は見れない」

 言って、水箏は目を細める。

「都会は便利な反面、見えるはずの物が見えなくなっちゃう。だからかもしれないけど…何だか、大切な物まで見失ったような気持ちになる。あそこにいると、迷子になったような気分になるのよ」

 水箏は一度そこで言葉を切ると、再び日向を振り返った。

「でもね、ヒナの側に居ると、都会にいてもここに戻ったような気分になれるの」

 水箏は、日向とつないでいる手をぎゅっと握りしめる。

「ヒナはね、この森とおんなじ匂いがするのよ。いつでも柔らかくて優しい空気を纏っていて…私のことをホッとさせてくれる」

 日向は、驚いたように目をまたたく。

「僕がですか?」

「そうよ」

 答えて水箏は空をふり仰いだ。

「私、ヒナの側でなら、迷子にならないの。綺麗なものを素直に綺麗だと思えるし、正しいものを正しいと信じられる」

 水箏の眼差しは、じっと星空をとらえていた。

「たとえば何かに幻滅したときにも、不条理に怒りを覚えた時でも、ヒナと一緒なら自分を見失わないですむ…」

「水箏さん…」

 水箏は、再び日向を見る。

「ヒナはね、いつも私のことを正しい方向に導いてくれているのよ」

 水箏の微笑みには、どこか切ない色が宿っている。何か痛みをこらえているような、そんな微笑みだった。

 日向は、水箏を見てかすかに息をのんだ。

「水箏さん…いったいどうしたんですか?」

 しかし水箏は、ほほ笑むばかりで何も答えない。

 微笑みを浮かべたまま、日向の手を引いて歩き出す。

「水箏さん」

 納得のいかない日向は、再び声をかけるが、水箏はほほ笑んだまま首を振った。

「特に深い理由なんてないの、だから気にしないで」

「いいえ、気になります。いったい何が水箏さんにそんな顔をさせているんですか?」

 日向は、水箏の前に回り込んでその顔を見つめる。

 それでも水箏は、同じ微笑みを絶やさない。

 それは、婉曲な拒絶だった。

 日向は言葉を失くし、呆然と水箏を見つめる。

 水箏は、繋いでいないもう一方の手をのばし、立ち尽くす日向の頬にそっと触れた。

「ヒナ、そんな顔しないで? 本当に何でもないんだから。大丈夫、私は迷ったりしない。ヒナがいてくれれば、大丈夫なの」

 言い切った水箏の眼差しには、力強い何かが宿っているように見えた。

 日向は、水箏の真意を探るように、じっと見つめる。

 しかし水箏は上手にかわして、再び日向の手を引いた。

「ヒナ、今はお散歩を楽しみましょう?」

 水箏は、戸惑う日向の手を引いて、拠点の裏手を歩き出してしまう。

「でも水箏さん――――」

 日向が言いかけたその時のことだった。

 不意に遠くの茂みが揺れた。

 日向と水箏は、素早く音のした方向を振り返る。

 不審な人影を見つけ、二人の表情が一変した。

 二人は、厳しい表情で目配せをして頷き合う。

 足音を忍ばせ、人影を追った。



 つっかけを履いていた二人は、あっという間に人影を見失ってしまった。

 周囲を見回してみるが、人の気配はない。

 しかし二人は気配を殺し、注意深く周囲を探った。

 水箏が、茂みの奥を伺おうとしたその時のことだ。

 突然、水箏のすぐそばに、音もなく西洋人の男が現れた。

 男は、日向たちが声を発する前に、鋭い蹴りを放ってくる。

 水箏は、その蹴りをギリギリの位置でかわした。

「水箏さん!」

 日向の声に、水箏は軽くうなずく。

「ヒナ、大丈夫よ。それよりも気を付けて、他にも気配を感じ――――」

 水箏が言い終わらないうちに、今度は日向の後ろ側にもう一人の西洋人の男が現れる。

 男は、すぐさま後ろから日向を狙って攻撃を仕掛けてきたが、日向は前に一回転して攻撃をかわした。

 日向と水箏は、背中合わせの位置になる。

 男たちは構えを取り、じりじりと機を窺っていた。

「ヒナ、こいつら東京で会ったあいつらの仲間かもしれないわ」

 水箏が、背中越しに言葉を投げかけてくる。

「おそらくそうでしょうね」

 日向は頷いた。

 水箏は、男たちを見てフンと鼻を鳴らす。

「拠点を狙ってくるなんて、いい度胸じゃない」

「水箏さん、気を付けてください。他にも仲間がいるかもしれません」

「ヒナこそ気をつけて。まだ怪我が治ってないんだから」

「大丈夫です。痛みは治まってきていますから」

「そう? じゃあ、ちゃっちゃと片付けちゃおうね」

 言って、水箏は構えをひくくする。

 日向もまたそれに倣った。

 二人は、無言のまま呼吸を合わせる。相図もないまま同時に大地を蹴り、西洋人たちに攻撃を仕掛けた。


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