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塞の守り人  作者: 里桜
第三章
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五 婚約者

 怜治が、冴月、良蔵、土岐を伴い、東京支部を出ようとしたその時の事。

 背後から軽やかな足取りで追いすがってくる少女の姿があった。

 色白で、艶のある漆黒の髪が美しい、まるで日本人形のような正統派の美少女だ。

「冴月様、お久しぶりでございます!」

 少女は息を弾ませながら、冴月の前に移動する。

 色白の頬をうっすらと朱に染め、冴月を見つめる目には明らかな恋慕の念が見て取れた。

 冴月は、かすかに眉根を寄せる。

沙織(さおり)、どうしてここに」

 少女――――物部(もののべ)沙織は、冴月に名前を呼ばれると嬉しそうに微笑んだ。

「婚約者に会いに来るのに、何か特別な理由が必要でございますか? 冴月様がこちらにおいでになると伯父様に伺って、急いでまいりましたの」

 そう言って沙織は手をのばし、そっと冴月の腕に触れる。

 冴月は、体を固くしたが、振り払うことはなかった。

 そんな二人を、怜治と良蔵は驚きの表情で見つめる。

「婚約者? そんな話聞いてねえぞ…」

 良蔵が、半ば呆然とつぶやいた。

 沙織は良蔵を振り返る。

「まだ公にはしておりませんもの。百目鬼様がご存じなくても仕方がありませんわ」

 沙織は良蔵を一瞥してから、再び冴月に視線を戻した。

「沙織は、成人したら冴月様の妻となるのです。そうお約束してくださいましたわよね、冴月様」

 沙織は、幸せそうに微笑む。

 対して冴月は、その問いかけに返事をしない。

 硬い表情のまま、別の要件で口を開いた。

「父上も東京に来ているのか」

 問いかけに答えなかった冴月に、沙織は不満そうに口をとがらせる。

「もう! お返事をして下さらないなんて…。冴月様は、いつも冷たいのですから。でも、そういうところも含めて、全部お慕いしているのですけど」

 どこか甘えるような口調でそう言ってから、沙織はさらに続けた。

「伯父様でしたら、すでに東京にお見えになっておりますわ。沙織はついさっき到着しましたの。伯父様は、守長たちとお何か話しされているようでした。お呼びしてまいりましょうか?」

 愛らしく小首をかしげる沙織を、冴月は無表情に見つめる。

「必要ない」

 冷たく言い放つと踵を返し、歩き出した。

「冴月様? どちらに行かれるのですか?」

 追いすがろうとした沙織の行く手を、土岐が遮る。

「沙織さん、今東京で何が起こっているのかご存じないのですか? 貴方も鬼の端くれなら、鬼の本分を全うしてはいかがです?」

 土岐の言葉に、沙織が眦を釣り上げた。

「またお前なの…?」

 沙織は態度を一変させ、土岐の鋭い眼差しを鋭く見返す。

 腕を組んで、挑むような表情で土岐をみると、沙織の口元に悪意を孕んだ微笑みが浮かんだ。わざとらしく周囲を見回してから口を開く。

「あら、めずらしく今日は日向が居ないようね。いつも、冴月様の周りをちょろちょろとうろついているのにね」

 その口ぶりは、まるで日向がいないことを知っていたかのようだ。

 沙織は、勝ち誇ったような表情で土岐を見返す。

 すると、土岐の眼差しがすっと細まった。

「なるほど、貴方の差し金ですか…」

「差し金? いったい何のこと? 人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。沙織にはなんの関係もないわ」

 どこか作ったような無邪気さで、沙織はくすくすと笑う。

「さあ、そこをどきなさい」

 女王然と言い放つ沙織を、土岐は怒りを宿して見返した。

 土岐が、ぎりりと歯を鳴らす。

 再び何かを言い返そうとしたのだが、冴月がそれを止めた。

「土岐、行くぞ」

 短いその言葉に、土岐は我に返る。

 沙織も、弾かれたように冴月を振り返った。

「冴月様、お待ちになってください」

 だが、冴月は振り返ることなく歩みを早める。

 なおも追い縋ろうとした沙織を、今度は怜治が止めた。

「沙織さん、冴月さんは本家の跡継ぎとして、役目を全うしようとなさっているのですよ。あなたは、それを邪魔するおつもりですか」

 沙織が怜治を振り返る。眼差しは、探るように怜治をとらえていた。

 やがて怜治の態度から、沙織は何かを悟ったようだ。

「いいえ…。邪魔する気など、毛頭ございませんわ」

 沙織は、悔しそうな表情で否定する。

「けっこうなことです。では、これ以上冴月さんを足止めするようなまねはおやめなさい」

 しかし、怜治のその言葉に、沙織は怒りをあらわにした。

「卜部様、そう…あなたも日向に肩入れをなさっているのね。よくわかりました。このことは、伯父様やお母様に報告しておきますから」

 怜治は、ため息をついてから肩をすくめた。

「肩入れ? 何か誤解なさっているようですね。私は一般論を言ったまでです。ですが、ご報告なさりたいことがあるのでしたら止めません。お好きにどうぞ」

 冷たい眼差しでそう言い放つと、怜治は踵を返して冴月の後を追う。

 続いて土岐が踵を返し、最後に良蔵も歩き出した。

 沙織は、怒りを宿した眼差しでその背中を見つめていた。



「ったく、女って生き物はつくづく怖い生き物だよな。だから俺は結婚したくねえんだよ」

 良蔵が歩きながらぼやく。両手をあげ、後頭部で組んでいた。

 いつもであれば、土岐が冗談交じりに口をはさむところであるが、今日は無言だ。

「それにしても、若い身空で婚約なんて、いったいどういうつもりだ? あのお嬢様に、何か弱みでも握られたのか?」

 良蔵が軽口をたたいて質問したが、しかし冴月は無言のままだった。

「おい――――」

 良蔵は再び声をかけようとしたが、その言葉を止めたのは怜治の視線だった。

 良蔵は、訝しむような表情で怜治を見返す。

 怜治は、小さく息を吐き出した。

「おそらくやむを得ない事情があったのでしょう。感心しないやりかたですがね」

「どういう意味だ?」

 良蔵の問いかけに、怜治は視線を冴月の背中に移す。

「私は不思議だったんですよ。半陰陽の日向は、今までずっと祖父である才神翁のもと、諏訪で過ごしていました。にもかかわらず、今年の春から急に諏訪を離れ、鹿嶋に移った。それが腑に落ちませんでした。暫定的に叔父である最首さんの庇護下に入るとは聞いていましたが、私には納得しかねていたのです」

 良蔵は、後頭部で組んでいた手を解いた。

 怜治はさらに続ける。

「ただの好奇心で、その辺りの事情を詮索するのも気が引けましたから、特に訊ねませんでしたが…。でも先程の話で、そのおおよそ見当がつきました」

「見当がついた?」

 良蔵の言葉に、怜治は頷いた。

「冴月さん、あなたは悪手を打ちましたね。おおかた日向の自由と引き換えに、自分の将来を投げ打ったのでしょう」

 良蔵が目を見開いた。

「おいおい、まさかとは思うが、父親の思惑通りに、従妹であるあのお嬢様と結婚するのは、日向を自由にしてやるためだとでもいうのか?」

 良蔵の問いかけに、冴月は答えない。

 振り返ることなく、ただ前を向いたまま歩き続けていた。

 土岐もまた無言で足を速めている。

 その態度から、土岐も今回の事情を知っていることが垣間見えた。

「まじかよ…」

 良蔵は大きなため息をつき、頭を掻きむしった。

 怜治はさらに続ける。

「たぶん日向は、それを知らないのでしょうね。もし知っていたら、一も二もなく、すぐに諏訪に戻るでしょうから。違いますか?」

 怜治の言葉に、冴月が弾かれたように振り返った。

「日向には何も言うな。日向には関係ないことだ」

 鋭く言い放った冴月の表情は、相変わらずの無表情だったが、眼差しの奥に底冷えするような怒りが渦巻いていた。

 怜治と良蔵は、ため息を吐き出す。

 冴月の答えで、自分たちの想像に間違いがないことを確信したのだ。

「お前なあ…バカだろう。日向が悲しむぞ」

「日向には知らせるなと言っている。今回の件は、日向とは一切無関係だ」

 なおも言い切る冴月に、怜治と良蔵は黙りこんだ。

 踵を返し、無言のまま歩き続ける冴月の背中を、二人は黙って見つめることしかできずにいた。


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