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塞の守り人  作者: 里桜
第一章
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三 鬼

 日向(ひなた)たち三人は、守長たちの前を辞すると、すぐに学校の制服に着替えた。

 制服とはいっても今は夏なので、ブルーの半そでシャツに濃いグレーのスラックス、そこにエンジ色が基調のネクタイを結んだだけの軽装である。

 制服に着替えた三人は、時間に追われるようにして用意された車に乗り込んでいた。

 日向と冴月は後部座席に座り、土岐は助手席に座っている。

 車の中で、日向だけはすやすやと寝息を立てていた。連日夜通しで()を追いかけ続けていたため疲労困憊状態なのだ。

 運転手は、常陸(ひたち)の鬼である百目鬼(どうめき)良蔵(りょうぞう)である。

 良蔵は今年で三十二歳。

 背が高く、体つきはがっしりとしていた。粗削りな男くさい顔立ちをしており、顎にはうっすらと不精髭が生えている。

 しかし、その厳つい体育会系の見た目とは裏腹に、日向たち三人の通う私立石剱(いするぎ)高校では国語教師をしていた。

 良蔵がバックミラーに視線を向ける。

 ミラー越しに眠る日向を一瞥してから冴月へと視線を向けた。

「お前も寝ておけよ」

 良蔵が砕けた口調で告げる。

 しかし冴月は、視線を窓の外に向けたまま振り返ることはなく、おまけに一言も発しない。

 良蔵は渋面を作った。

「ったく、相変わらず可愛げのねえガキだな。そうやってツンツンしてばかりいると嫌われんぞ」

 良蔵は、半眼になってワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出す。一本引き抜いて咥えると、ダッシュボードのライターに向かって手を伸ばした。

 だが、良蔵がライターに触れるより先に土岐が手をのばし、ライターを掴んで取り上げる。

 良蔵は苛立った様子で土岐を睨みつけた。

 土岐はその視線を見返し、爽やかな笑顔を浮かべる。

「良蔵さん、健康診断で引っかかったそうですね」

 邪気のない笑顔を浮かべて告げるが、その笑顔は明らかな作り物であった。

「俺、知ってるんですよ? 守部(もりべ)先生から禁煙を申し渡されていますよね?」

 ライターを持った土岐は、嘘っぽい笑顔をさらに深める。

 良蔵は舌打ちをした。

 後ろめたいことがあるのか、土岐から視線を外す。

「学校が近いんだ。『百目鬼先生』と呼べ。ったくどいつもこいつも…。土岐、お前はこうるせえ男だな。そんなんじゃモテねえぞ」

 良蔵は、火のつける前の煙草をくわえたまま苦虫をつぶしたような顔になった。

 しかし煙草は諦めたのか、火のない煙草をくわえたまま運転を続けたのだった。



 学校に到着すると、日向は冴月にそっとゆすり起こされる。眠い目をごしごしと擦りながら起き上がり、駐車場に降り立った。

 日向は、良蔵に向かってペコリと頭を下げる。

「百目鬼先生、送っていただいてありがとうございました。とっても気持ちの良い寝心地でした」

 日向は、良蔵に感謝の言葉を述べた。

 良蔵の運転が上手だったおかげで、日向は学校まで熟睡することができていた。そのお礼だった。

 すると良蔵が苦笑した。

「お前だけだよ、まだまだ乳臭くて可愛げがあるのは。また乗せてやるからな」

 良蔵は手を伸ばし、優しげな微笑みとともに日向の頭を一撫でする。

 しかし、日向から手を放すと表情を一変させ、再び目を半眼になって冴月と土岐を見た。

「おめえらは、次は走って学校に行けよ。もう二度と乗せてやらねえからな」

 低い声で告げられた内容に、土岐が軽く肩をすくめる。

「百目鬼先生、大人げないですね」

 良蔵が再び苛立ちをあらわにした。

「だ、か、ら。そう言うところが可愛げがねえつってんだよ。お前、次はぜってえ歩いて学校に行けよ!」

 良蔵は、土岐に向かって指を突きつける。

 冴月は、そんな土岐と良蔵のやり取りを素通りして日向に目を向けた。

「行くぞ」

「え? でも…」

 日向は困惑気に冴月を見返す。

 しかし冴月は、かまうことなく日向の腕を掴むと歩きはじめた。

「ちょ、冴月様!」

 日向は腕を引かれ、小走りに歩き出す。

「土岐も行くぞ」

 冴月は振り返ることなく土岐に声をかけた。

 土岐はもう一度肩をすくめると、二人の後を追いかけはじめた。

 後に残された良蔵は、盛大なため息をついて三人の背中を見送る。

「っとに本家のお坊ちゃまは扱いが難しくてしょうがねえな」

 良蔵はひとりごちてから、開け放ってあった車の中をのぞきこんだ。ダッシュボードのあたりをしきりに漁る。

 がしかし目当てのもの――――ライターが見つからない。

 良蔵は舌打ちをして車のボディを叩いた。

「くそっ! 土岐のやろう、ほんとに抜け目がねえな」

 どうやらライターは、土岐が持っていってしまったようだ。

 良蔵は、苛々と髪をかきむしる。困った末に、シガーライターに手を伸ばしかけたのだが、一度手を止めて腕時計に視線を落とした。

 時間を見て、愕然とした表情に変わる。

「一服してる時間もねえじゃねえか」

 良蔵は、苛立った様子で勢いよく車のドアを閉めた。

 そのまま両手をポケットに突っこんで、不満げに歩き出したのだった。



 日向は、玄関で上履きに履き替え廊下を歩きはじめる。

 すると、背後から高く澄んだ少女の声が聞こえてきた。

「ヒナ!」

 日向は、聞き覚えのある声に愛称を呼ばれ、後ろを振り返る。

 振り向いたのと同時に、日向といくらも背の変わらぬ美少女に突然抱きつかれた。

「うわっ」

 日向は、よろけながらもその体を抱きとめる。

 はずみで少女のグレーの膝上チェックスカートが翻るが、本人は全く無頓着だった。少女は日向の首に両腕を絡めて抱きつき、体を密着させている。

「ちょ!」

 日向は少女の腕を解こうとしたが、少女は増々力を込めて抱きついてきた。

 日向はあきらめたようなため息を小さくつく。

 少女が着ているのは、石剱高校の夏服であった。

 グレーのチェックスカートに水色のブラウス、その上にグレーの前開きのベストを羽織り、胸元にはえんじ色を基調としたリボン、足元には紺色のハイソックスをはいている。

 少女は長い髪を高めの位置でツインテールにしており、表情にはあどけなさが残る、どこか小悪魔的な美少女であった。

水箏(みこと)さん…危ないですよ」

 日向は困ったような表情を浮かべながら、抱きついてきた少女大掾(だいじょう)水箏を軽く叱る。

 水箏もまた、常陸の鬼の一人であった。

 水箏は、日向の首に絡める腕を緩めて――――しかし、日向から腕を外すことはなく、しっかりと首に絡めたまま、間近な位置で愛らしく首をかしげて見せる。

「ヒナごめんね? 怒らないで?」

 日向は、水箏に小さく微笑んだ。

「水箏さんが危ないことをしなければ、僕は怒りませんよ?」

 すると水箏は、一度しゅんとうなだれてみせた。

 すぐにわざとらしく目を潤ませながら日向を見上げる。

「わかった…ごめんねヒナ」

 水箏のそれは明らかに演技なわけであるが、日向にはその演技が見破れなかった。

 日向の表情には、言いすぎてしまったかもしれないという反省の色が浮かぶ。

 「泣かないでください。言いすぎました」と呟きながら、日向は水箏の頭を撫でてやった。

 すると水箏はころりと表情を変え、満面の笑顔を浮かべる。

「今度は、危ない抱きつき方をしないからゆるして?」

 日向は、「危ない抱きつき方」という部分に多少の引っ掛かりを覚えはしたものの、危ないことをしないという大筋の方にばかり気を取られていた。

 腑に落ちないものを抱えてはいたが、とりあえず今にも泣き出しそうだった水箏の機嫌を取ることを優先する。

「絶対に約束してくださいね?」

 日向が念を押すと、水箏は笑顔で頷いて、再び日向を両腕で抱きついた。

 その時の事だ。

 すぐそばで、冴月の不機嫌さのにじみ出た低い声がした。

「日向」

 日向は、名前を呼ばれて我に返る。

「そうだ! 水箏さんはやく行かないと遅刻してしまいます」

 慌てた様子で抱きつく水箏の腕をほどこうとした。

 しかし水箏はなかなか離さない。

「水箏さん!」

 日向の焦った声を聞いて、水箏は渋々腕を解いた。

 だが、表情は不満げだ。

 水箏は愛らしい桜色の唇を尖らせたまま、今度は日向の腕に自分の腕を絡める。

 そして、指先を恋人繋ぎで絡ませた。

「ねえヒナ、一緒に行きましょう?」

 水箏は、冴月の方を全く見ずに、日向の手を引いて歩き出そうとする。

 しかし――――。

「お前は階が違うだろう」

 すかさず冴月の低い声が割って入った。

 水箏は歩き出そうとした足を止め、不機嫌な表情で冴月を振り返る。

 先程まで日向に見せていた、どこか甘えの混じった不機嫌さとは全く違う、心の底から嫌そうな表情で冴月を見ていた。

 日向、冴月、土岐は高校一年生であるが、水箏は三年生である。そのためクラスのある階が違う。冴月はそれを指摘したのだ。

 水箏は、あからさまな不機嫌さを滲ませながら目を細めた。

 先程までのあどけない少女の様子はなりを潜め、日向からは見えない位置で、凍えるような冷たい視線を冴月に向ける。

 冴月と水箏の視線が交わると、二人の間に、一瞬だけ見えない火花が散った。

 しばしの間無言でにらみ合った後、やがて水箏はついと冴月から視線を外した。

 そして、日向の腕をぐいぐいと引っ張りはじめる。

「ヒナ、行きましょ」

「えっ?……水箏さん?」

 突然動き出した水箏に、日向は戸惑いの声をあげた。

「やっぱり私、クラスまでヒナを送ってあげることにしたの」

「ええ!? それじゃあ水箏さんが遅刻をしてしまいますよ!」

「だから走るわよ。あんなムカつく陰険クソ男、とっとと置いていくんだから!」

「え!?」

 可愛らしい美少女の口から出たギャップのある言葉に、日向は一瞬絶句した。

 しかし日向は水箏にぐいぐいと腕を引っ張られ、引きずられるようにして走り出す。

 日向は驚いたままの表情で背後を振り返ると、普段感情の起伏の少ない冴月の、めずらしく苦虫をつぶしたような表情が目に入ったのだった。



 その後日向は、遅刻することなくクラスにつくことができていたのだが、釈然としない思いを抱いて首をひねる。

 その様子に気づいた土岐が声をかけてきた。

「どうした日向」

「いやいつものことなんだけど、冴月様と水箏さんは仲が悪いなと思って…」

 なんでかなあと、小さくつぶやく日向に、土岐が苦笑する。

「気にするな、あれは同族嫌悪というやつだ」

「え? 同族嫌悪? そうかな? 全然似てないと思うけど…」

 日向は、納得できないと言った様子で首をかしげた。

「いや似ている。特に嗜好が」

 日向は一瞬面食らった様子で、目をパチパチとまたたく。

 そして今度は両腕を組み、考え込みはじめた。

「冴月様の好きな食べ物ってなんだったっけ? 水箏さんは甘いものが好きだよな。冴月様は甘いものは食べない気がするけど…」

 うーんと見当違いな方向で悩む日向を、土岐は苦笑しながら見ていた。

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