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塞の守り人  作者: 里桜
第二章
35/140

十五 パラケルススのアゾット剣

 掃守は、とある病院の手術室で治療を受けていた。意識はなく、予断を許さない状況である。

 深夜の救急病院の廊下では、良蔵が両腕を組んだまま立っていた。視線は手術室の扉を睨み据え、唇は固く引き結ばれている。

 その側では、日向と土岐が、硬い表情で長椅子に腰かけていた。

 そこに怜治と水箏が到着する。

「良蔵」

 声をかけられ、良蔵は振り向いた。日向も椅子から立ち上がる。

「掃守さんの容体はどうです?」

 怜治の質問に、良蔵は硬い表情で首を横に振った。

「はっきりとはわからねえ。今、手術で傷口を塞いでいるところだ。傷は内臓にまで達しているらしい。厳しい状態のようだ」

「そうですか…」

 怜治は眉根を寄せる。

「卜部先生と水箏さんは大丈夫でしたか? お怪我はありませんか?」

 日向が声をかけると、水箏が日向のそばに近寄った。

「私たちなら大丈夫よ。それよりもヒナが無事でよかった…。ヒナたちも変な外人に襲われたんでしょ?」

 水箏の言葉に、日向の表情がこわばる。

 黙り込んでしまった日向の代わりに、良蔵が答えた。

「ああ、そっちもだったみたいだな」

「先程、電話でさわりだけ聞きましたが、そちら側が外国人たちと遭遇した状況について教えてください」

 良蔵は頷き、自分たちが将門の首塚で遭遇した出来事について、詳細に語りだした。



「そうですか、その外国人の女が持っていた、古びた剣の柄頭(つかがしら)についていた赤い石に、()が吸い込まれたというのですね」

 怜治は顎をつまんで考え込む。

 やがて視線を上げると、確認するように良蔵を見た。

「そして、その剣の刀身には『Azoth』とうい文字が彫られていたと」

 良蔵は頷く。

「ああ、確かにそう書かれていた」

「なるほど、ではおそらくその剣は、パラケルススのアゾット剣ですね」

「パラケルススの…アゾット剣…?」

 日向はつぶやき、水箏とお互いに怪訝な視線を交わした。

 水箏も、意味が分からないとばかりに首をひねる。

 二人の問いかけるような視線を受けて、怜治は口を開いた。

「自称パラケルスス、本名はテオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム。ルネサンス初期に生きた、スイスの医師で、錬金術師でもあった人物です。そのパラケルススが大事にしていた剣で、寝る時も離さなかったという剣がアゾット剣です」

「医者で錬金術師? あの剣は、そいつの剣だったって言うのか」

 今度は、良蔵が訝るような顔をした。

 怜治は頷く。

「今の時代に錬金術と言ったら、いかがわしいイメージを覚えるかもしれませんが、昔は、多くの人々が真剣に取り組んでいました。古代ギリシアや中世ヨーロッパなどにおいては、盛んに研究されていたメジャーな学問です」

「錬金術ねえ。確かに、昔は研究はされてたのかもしれねえが、結局金を作る技術なんて開発できなかったんだろ? 眉唾に終わった学問なんじゃねえのか?」

 良蔵の言葉に、怜治は首を横に振る。

「終わってはいませんよ。錬金術においてされた様々な発見は、現代化学に引き継がれています。つまり錬金術というジャンルは、化学と名前を変えたともいえるのです。それに、現在では理論上、金の生成は不可能ではないともされています」

 怜治の言葉に良蔵は驚いた。

「できんのか?」

「理論上、不可能ではないということです」

「なんだよそのまどろっこしい言い方は」

「言葉通りの意味ですよ」

 そう言って怜治は苦笑する。

「私もそれほど得意な分野ではありませんが、いわゆる科学によって説明がついているのです。ビッグバンという言葉は知っていますよね」

「ああ知ってる。宇宙は、現在も膨張し続けている。だから過去にさかのぼれば、ある時期には、銀河を含むすべての物質は一か所に集中していたに違いないとかいうやつだろ?」

 良蔵の言葉に怜治が頷いた。

「そうです。当初は宗教と混同され、信憑性の薄い説として、科学者たちからは見向きもされなかった説でしたが、現在では観測によって宇宙が加速膨張していることが証明され、主流派となっている説です」

「主流派か。まあ、そうなんだろうな。俺にはいまいちピンと来ねえ話だが、実際学校の教科書にも載っていることだしなあ」

 言いながら、良蔵は顎を撫でる。

 怜治は再びつづけた。

「とにかくビッグバン説によると、宇宙は初め超高温、超高密度の状態であったと推測されています。ある時、その状態から膨張がはじまり、電子や水素、ヘリウムの原子核が作られたとされています。宇宙の膨張が進行し、温度が低下してくると、宇宙に充満するそれらのガスの密度に濃淡が生じ、密度の濃い部分は重力のために収縮して、銀河が生まれたと考えられています」

「銀河…つまり、星が生まれるということですよね?」

 日向が怜治にたずねる。

 すると怜治は頷いた。

「そうです、恒星が誕生するのです。金属は、この恒星の誕生の過程で起こる核融合によって、生成されるといわれています。ですから理論上、核融合によって金を作ることは可能ということになるのです。ただ現代の人間は、金を作るような超高温・超高圧状態を発生させ、制御する技術を持っていない。だから、理論上においてのみ可能ということになるのです」

「なんだか小賢しい言い分だと感じるのは俺だけか? 結局は机上の空論で、金はできねえんじゃねえか。だったら可能だとか言うなよ」

 良蔵は、興ざめだとばかりに首の後ろを掻く。

 それを見て、怜治は苦笑した。良蔵らしいですねと言いながら、小さく吐息を吐き出す。

 しかし怜治は、すぐに表情を一変させた。

「ですが、必ずしも絵空事とは言えないのが世の常です。人間はこの短期間に、どんどんと不可能を可能に変え続けています。千年昔の人々は、人間が宇宙にまでたどりつくとは、誰も想像もしていなかったことでしょう」

 言いながら、怜治は天井の一点を仰ぎ見て目を細める。

「人間の、好奇心や欲望というものには際限がない。その二つの本能がなくならない限り、科学技術は利便性を追求し、どんどんと進歩していくことでしょう。そうして科学者によって発見される新しい技術は、知らぬ間に発見者の手を離れ、勝手に形を変えていく。そう、技術というものは形を変えていくのです。人間は愚かだ。(かね)になるとわかれば、その技術をいとも簡単に悪用できるのですから。原子力兵器などは、その愚かさの象徴です」

 怜治の言葉に、日向や水箏が固く口を引き結んだ。

 たぶん二人の心に、何か浮かぶものがあったのだろう。その表情はこわばっていた。

 良蔵は、そんな二人と怜治とを見て眉根を寄せる。フウと太い息を吐き出すと、口を開いた。

「まあ、確かにレントゲンやキュリー夫妻も、まさか自分の発見が、後の世で原子力兵器を生み出すことにつながるとは想像もしていなかっただろうけどよ。でもな怜治、お前そんなことばっかり考えてると禿るぞ」

 良蔵の茶化すような言葉に、怜治の肩から余計な力が抜けた。

 怜治は再び苦笑する。

「安心してください。父を見れば、私は大丈夫ですから。むしろ自分の心配をしたらどうです? 良蔵のお父上はだいぶ…」

 そこまで言って、怜治は言葉を濁す。

 すると良蔵が、怜治をじろりと睨んだ。

「お前、それ以上何か言ったらぶっとばす。俺はオヤジ似じゃねえよ。どちらかといえば母親に似てるんだ」

 良蔵の苦しい言い訳に、ようやく日向と水箏に笑顔が戻った。二人はぷっと吹き出す。

「大丈夫よりょーちゃん、たとえりょーちゃんが禿ても、私はりょーちゃんのこと好きよ? もちろんヒナの次にだけどね」

「だから、いらねえっつってんだよ。っつーかハゲねえよ」

 良蔵は、苛立ったように頭をかきむしった。

「ほんとお前は相手すると疲れるな。日向、水箏の面倒は、お前がみてくれよ。頼んだからな」

 半ば本気で念押しをする良蔵の姿に、日向は笑う。

 水箏だけは、心外だとばかりに唇を尖らせた。

 怜治も口元に微笑みを浮かべ、いくぶん表情にやわらかさを取り戻して口を開く。

「話がそれましたね。錬金術の話に戻しましょう。一般的に知られている錬金術とは、文字通り、金ではない物質を精錬して金に変化させようとする化学技術を指しますが、実はもう一つの命題も含んでいました。それは不老不死です」

「不老不死?」

 良蔵が片眉をあげた。

「そうです。賢者の石という言葉を聞いたことはありませんか?」

「知ってるわ。よくゲームなんかに出てくる言葉よね」

 水箏が答えると、怜治は頷く。

「この賢者の石というものは、物質を金に変え、人間を不老不死にするという錬金術の粋を極めたものです。錬金術師たちは、この賢者の石を作り出すことを、最終目的としていたともいえます。そして、パラケルススは、この賢者の石を持っていたと言われています」

 日向と水箏が、驚いたように目をまたたいた。怜治はなおも続ける。

「パラケルススの持っていたアゾット剣の柄頭には、賢者の石が入っていたとか、一匹の悪魔が封じ込められていたなど、様々なエピソードが伝わっているのです。剣が現存するなどという話は聞いたこともありませんでしたが、もし良蔵たちが遭遇した外国人の女が持っていた剣が、本物のアゾット剣であるとするのならば、()は、賢者の石に吸い込まれていったかもしれないということになりますね。興味深いことです」

 怜治が言い終えると、良蔵たちの間には重苦しい沈黙が訪れた。


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