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塞の守り人  作者: 里桜
第二章
33/140

十三 新吉原の蛇塚 その一

 掃守が、首塚で兇刃に倒れていたその頃、怜治と水箏は上野に居た。

「良蔵が掃守さんに聞いた通りでしたね。本当にありましたよ。ここがブラウエ・ゾンネの上野支所ですか」

 怜治と水箏は、近代的な雑居ビルの七階にある、とある一室の前にいる。

 その部屋の扉には、「Blaue Sonne」と書かれた、シンプルなプレートがついていた。

「りょーちゃんや怜治先生が言う通り、やっぱり怪しい会社ね…。神田、新宿、上野。全部、このところ()が頻繁に出没していた場所よ? 偶然にしちゃできすぎよね。それにあの陰険男も、この会社のこと気にしてたみたいだし…」

 水箏は、言いながら両腕を組む。

 怜治は、片眉を上げながら水箏を見やった。

「冴月さんも?」

「そうよ。あいつ、一人で勝手に何か調べてるわよ」

 水箏の言葉に、怜治は考え込んだ。

「それで電話にも出ないわけですか。いったいどこへ行ったんでしょうね」

「さあね、勝手にさせておけばいいのよ。あいつの個人プレーは、どうせいつもの事じゃない」

 水箏は、愛らしい唇を軽く突きだしながら、不満げに口にする。

 その時、不意に怜治の携帯が鳴った。

 怜治は、視線で水箏を促しながら場所を移動する。

 ビルを出て路地へ入ると、怜治は電話をかけなおした。

「どうですか、わかりましたか?」

 怜治はそう切り出し、電話の相手と言葉を交わす。

 相手の話を聞くうちに、怜治の表情は曇っていった。

 水箏は、手持無沙汰な様子でそばに立ち、静かに電話が終わるのを待っている。

「そうですか、引き続き調べてください。何かわかったら報告をお願いします」

 そう言って、怜治は早々に電話を切りあげた。

 水箏はもの問いたげな視線を怜治に向けたが、特に言葉にはしない。

 もし、報告が必要な内容ならば、怜治はきちんと話す。何も話さないということは、何の収穫がなかったか、もしくは、話す必要がないと判断した内容であることを、水箏は知っているからだ。

 怜治が黙って踵を返すと、水箏はその後に続く。

 良蔵が見れば、明らかに不満を口にするであろう程、水箏は怜治に対して従順だった。

 水箏は、怜治を信頼してはいるが、慣れ合うようなことはしない。それだけ怜治に対しては距離を置いているのだ。

 水箏が、良蔵に対して、ことあるごとに反抗してみせるのは、実のところ安心しているからなのである。

 もっとも良蔵が知れば、俺との距離も置いてくれと言うに違いないはずだったが。

「さて、上野寛永寺の巡回は、確か別の人間がしていたはずですね…」

 怜治はしばし考え込む。

「水箏、ここまで来たことですし、このまま千束の塞を見回ってから浅草寺の巡回をしましょう」

「千束…蛇塚ね、了解」

 そう言って水箏は、小走りに怜治の後を追った。



 怜治と水箏は途中でタクシーを拾い、台東区の千束三丁目に移動した。

 着いたのは、住宅街の一角にひっそりとたたずむ吉原弁財天。浅草七福神に数えられる一社である。

 現在では、新吉原花園池(弁天池)跡とともに祀られ、地域の尊崇を集める場所であった。


 ここは、江戸時代から昭和の中頃まで、吉原が存在した場所である。

 吉原というのは、江戸時代に幕府が公認した遊郭のことで、当初は日本橋人形町付近に作られていた。

 しかし、一六五七年に起きた明暦の大火によって消失、それに伴い、当時の浅草千束村――――現在の千束三丁目、および四丁目付近へと移設されたのだ。

 人形町付近のものを「元吉原」、千束三丁目付近のものを「新吉原」とも言う。

 この新吉原は、実に三百年もの間、江戸の風俗や文化の発信地として栄えていたのだ。

 昭和三十三年に売春防止法が施行されるまで、ここには遊郭が存在していたのだが、今では、その面影はほとんどない。ただ、近代的な街並みが並ぶばかりである。

 怜治と水箏は、無言のまま石門を通って中に入った。

 辺りはしんと静まり返っている。聞こえるのは、時折通り過ぎる車の音ばかりであった。

 夜の境内に、人気は皆無である。

 だが、敷地は清掃がゆきとどき、花や飲み物も手向けられていた。地元の人々の深い信仰がうかがえる。

 木々の生い茂るその境内には、多くの慰霊碑が点在していた。

 中でも一際目を引くのは、岩を積んだ山の上に立つ観音像であろう。

 この観音像は、大正十二年に起きた関東大震災で亡くなった遊女たちを、供養するために作られたものだった。

 『新吉原花園池(弁天池)跡』という名の通り、かつてこの辺りには池が存在していた。その池で、およそ五百人の遊女たちが溺死するという悲劇が起きたのだ。

 時は大正十二年九月一日。東京の町は関東大震災に見舞われる。

 その震災によって、遊郭内では火災が起こったのだが、しかしその火事のさなか、遊女たちは、吉原唯一の入り口であるはずの大門を、逃亡防止のためという理由で閉じられてしまう。

 吉原という場所は、遊女の逃亡を防ぐため、周囲には濠をめぐらせ、入口は一つしかない構造になっている。そのため、大門を閉じられると、外へ逃げることができなくなってしまうのだ。

 おかげで逃げ場を失った遊女たちは、炎から逃れるべく、やむなく花園池に逃げ込むのだが、火から難を逃れても、今度は池の中でおぼれ命を落としてしまうことになったのだ。

 当時ここには、花園池とも弁天池とも呼ばれる大きな池があった。

 しかし、今では敷地の片隅に、わずかに残るばかりである。

 その池で、悲しく散った遊女たちの魂を慰霊するために、この観音像は建てられていた。

 静かで清浄に保たれたこの空間で、遊女たちの魂は、安らかに眠りについているに違いなかった。

 境内は、さほど広くないつくりになっている。石畳を敷かれ、ところどころ慰霊碑が置かれていた。

 その中に、『蛇塚』と書かれた古びた石柱が存在する。

 実はこの場所、吉原が移設される前は、古墳であったとされている場所であるのだ。

 その事実は、昭和二年に出版された鳥居龍蔵著の『上代の東京と其周囲』に記されている。

 本の中で鳥居氏は、江戸時代に書かれた郷土史『江戸砂子』に、浅草寺裏にあったとされる『蛇塚』の記述があることを紹介していた。

 今では築山は削られ、古墳の名残は存在していない。しかしこの石柱が、かつてあったその存在を、現在まで伝えているのであった。

 怜治はその石柱の前に跪き、石柱を丹念に見る。

 そして表情を変えた。

「様子がおかしい…」

 怜治の言葉に、水箏がそばに近寄る。膝に両手をあてるようにして屈み、石柱をのぞきこんだ。

 そして表情を厳しく変える。

「ほんとだ」

 水箏は手をのばして石柱に触れた。

「もしかして…一度引き抜かれてる?」

 水箏が、確かめるように、根元に視線を移したその時のことだった。

 突如として、二人の周囲に数人の人影が現れる。

 怜治と水箏は、すぐさま立ち上がり構えを取った。

「怜治先生、こいつら()にとり憑かれてるわよ」

 怜治は目を細める。

「全部で四人ですか。二人で相手をするのは難儀しそうですね。大丈夫ですか水箏」

「怜治先生、誰に言ってるの? 先生こそ気を付けてよね」

 言いながら石笛を取り出す。

 唇をつけ、水箏は笛を鳴らしはじめた。

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