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塞の守り人  作者: 里桜
第二章
21/140

一 新宿セミナー

 翌日の午前十時。

 怜治と良蔵の二人は、新宿区にあるブラウエ・ゾンネのセミナー会場に足を運んでいた。

 高校生組は、昨晩から朝方にかけての騒動に疲れ切っていたため、今も石神東京支部で休んでいる。

 しかし年長者二人組は、軽い仮眠をとっただけで、すぐに件のセミナー会場に移動していた。

 今回は、車ではなく電車での移動だ。東京メトロの日比谷線を使い、途中中目黒駅で阪急東横線に乗り換え、東新宿駅で下車する。

 駅のほど近くに、その会場は在った。

 地味なビルの六階が、今回行われるセミナーの会場である。

 入口に看板はないが、しかし開場のはじまったこの時間帯、多くの人間が、続々とこのビルの中へと消えていった。

 年齢は、若者が多いようだが、中には年配の人間も混じっている。

 性別については、だいたい七対三くらいで男性の方が多いようだった。

 怜治と良蔵の二人は、ビルの入り口を入ってすぐ左側にあるエレベーターを使う。

 乗り込んだ狭いエレベーターは、みるみるうちに満杯になって扉が閉まった。

 七月も下旬にさしかかった今は夏本番。

 空調のきいたエレベーターであっても、このようにぎゅうぎゅうと押しこめられれば、不快感ばかりに襲われた。首筋を伝い下りる汗がその不快感を更に増す。

 良蔵などは、あからさまに顔をしかめていた。

 そうしている間にも、エレベーターは上階をめざし、六階のランプが点灯する。

 扉が開くと、その階で全員が降りた。

 六階は、ワンフロアワンテナントとなっている。

 エレベーターを降りたすぐに狭いホールがあり、その先には両開きの扉で仕切られた会場があるだけだった。

 つまり、エレベーターに乗っていた全員が、セミナーの参加者なのであった。

 エレベーターを降りてすぐのホールには、こじんまりとした受付が用意されている。

 受付は名簿に記名をするだけで済み、記名が終わると、名札を付けたスタッフから資料と思しきものの入った角2封筒を渡された。

 怜治は前日に参加の申し込みをしておいたが、良蔵はしてない。飛び込みの参加は断られるかもしれないと懸念していたのだが杞憂だった。

 確かに参加自由の無料のセミナーではあるのだが、本人確認すら行わず参加できるとは思ってもみなかった。

 こういう催し物は、継続してセミナーに参加をさせるべく、個人情報の収集には躍起になるものだとばかり思っていた。

 だが、このセミナーでは全くそんなことはない。

 良蔵にいたっては、ただ名前を書いただけで参加できている。つまりは、偽名を使った参加も、可能であるということになるのだ。

 その気軽さが、逆に何か得体の知れない印象ばかりを、二人に植え付けた。



 受付を済ませ中に入ると、その会場は飾り気のない長方形のフロアになっていた。

 広さはおよそ四十坪といったところ。収容人数はざっと百人強。

 部屋の中には、味もそっけもない木目調の長方形の会議用の机がいくつも並べられている。

 一つの机に対して椅子は三脚用意されていた。

 正面にはプロジェクターとスクリーンが設置され、その側には演台が置いてある。

 西側には窓があったが、窓は全てブラインドが閉められていた。

 集まった参加者たちは、各々自由な席に座って封筒の中身を確認している。

 怜治も中身をざっと確認してみたが、ブラウエ・ゾンネの会社概要の資料のほかには、セミナーのコースの案内などが入っているだけだった。

 初回である今回は、単なる説明会であるため無料である。次回からはじまるコースからが、有料となっていた。

 パンフレットを見る限り、コースは第一段階から第三段階に分かれているようだ。次回のセミナーからは第一段階に入り、その費用はおよそ十万円と記載されている。

 第一段階は通いのコースで、このビルの別の階の会場にトータルで五日間通うようだ。

 第二段階のコースは合宿のコースで、費用はおよそ二十万円。この第二段階では、費用が前段階の倍に跳ね上がっていた。

 合宿は、ここではない別の宿泊施設で行うようで、その施設で計四日間の合宿を体験するとパンフレットには書いてある。

 合宿場所については「自然豊かな環境」と書かれているだけで、詳しい住所の記載はなかった。

 第三段階の詳細については特に何も書かれていない。

 費用だけでなく、期間についての記載すら何もなかった。

 良蔵もざっとパンフレットに目を通すと鼻を鳴らし、片方だけ唇を持ち上げて肩をすくめて見せる。

 どうやら、うさんくさいと言いたいらしかった。

 資料に目を通しているうちに、司会者と思しき人物が書類を片手に入室してくる。ざわついていたはずの会場内が、少しずつ静まり返っていった。

 司会者は用意された演台の前に立つ。年齢は、三十代前半から半ばくらいの男性だった。

 体は引き締まっており、かなりの長身である。

 目は細めで釣り上がり気味。眼鏡をかけており、髪には整髪料もつけてはおらず、額を隠すように前髪が下ろされていた。

 顔立ちは整った部類に入っているが、パッと見た感じおとなしそうな印象の男だ。その印象が、彼の魅力を数割減らしていた。

 司会者の男は、演台の上のマイクの位置を調整するとおもむろに挨拶をはじめる。

 低い深みのある声で告げられた男の名前は、新井(あらい)義久(よしひさ)

 怜治はその名前に聞き覚えがあった。

 新井義久という名前は、先日起きたばかりの母親殺害事件の容疑者奥野恵(おくのめぐみ)の供述に登場する、セミナースタッフの名前と一致する。三十五歳と言う年齢も、見た目と合致していた。

 昨日怜治がブラウエ・ゾンネの日本支社を訪れた際、新井の所在を確認したところ、新宿のセミナー会場にいるという情報も得ている。

 それらの情報を総合すれば、同姓同名の別人などと言うことは、まずないだろう。

 目の前にいるあのさえない司会者が、奥野恵容疑者が相談しようとしたセミナースタッフ新井に違いなかった。

 怜治が良蔵に視線を送ると良蔵も頷く。事前に情報を共有してあるため、良蔵もその名前に思い当たったのだ。

 おそらくはこの新井も、先日の一件で警察によばれて何らかの事情を聞かれているはずだが、それは単なる裏付け捜査の一環にすぎないだろう。

 一通りの話を聞かれれば、それ以上警察側の用事もないはずだ。

 それゆえ捜査中の事件の関係者であっても、こうして通常業務に復帰していておかしくはないのだが、しかしその新井の心情を、外側から推し量ることは難しい。

 奥野が、母親殺しの相談を持ちかけようとするくらいなのだから、二人の関係は、それなりに親しい間柄だったのではないだろうかと推測したいものだが、こうして見ている新井の仕事ぶりに、動揺は見られなかった。

 少なくとも怜治ならば、知人が殺人を犯せば、心穏やかではいられないだろう。

 まして、自分に相談しようとしていた相手が、殺人事件を起こしたのだ。

 もし怜治がそういう立場に置かれたならば、後悔に襲われているかもしれない状況だった。

 だが、新井にそんな素振りはみえない。ただ淡々と仕事をこなしていた。

 新井は、順序よくセミナーの紹介を行っていく。

 途中で、違うスタッフの説明をはさんだりしながら、説明会はスムーズに進んでいった。

 怜治は、先日刑事である鬼から聞いた話を聞いて、ブラウエ・ゾンネという会社と、このセミナーとに引っ掛かりを覚ていた。

 だからこうして実際に受講してみたのだが、今のところ特段変わった様子は見られない。

 なんとはなしに、カルト的なにおいを感じる場面もあるのだが、自己啓発セミナーにありがちな、独自の教えで洗脳するような場面は全くなかった。

 事前に想像していたよりも、まともなセミナーであるというのが、怜治の率直な印象だ。

 しかし、予断は許されない。

 奥野恵容疑者は自分の犯行を詳細に覚えていた。それはに憑かれた人間には、起こりえない現象なのだ。

 人は、にとり憑かれると、意識を乗っ取られてしまう。だからの意識下で起こした凶行を、宿主が覚えていることはない。

 それゆえ、警察に捕まった宿主の供述は、曖昧なものになるのが常で、裁判では、いわゆる『心神喪失』状態と判断される。

 だが奥野恵容疑者は、に憑りつかれていたにもかかわらず、犯行を詳細に覚えており、本人自身も殺害を認めていた。ここに矛盾が生じている。

 その矛盾を解決する糸口が、容疑者の自供の中にあった。

 容疑者の自供が曖昧なのは、殺害後の足取り――――とりわけブラウエ・ゾンネから逮捕場所に移動するまでの間の出来事のみである。

 この自供から、ある推測が可能になる。

 つまり容疑者は、犯行当時はにとり憑かれてはおらず、ブラウエ・ゾンネを訪れた後に、とり憑かれたと推測できるのだ。

 供述によれば、奥野の記憶は神田にある日本支社の一室で途絶えている。

 そこでにとり憑かれたと考えることが妥当であろう。

 それゆえ怜治は、このブラウエ・ゾンネという会社、もしくは会社のスタッフ、あるいはセミナーの参加者などに疑惑を抱いていたのだ。



 怜治がとりとめのない思考に落ちているうちに、セミナーの第一部が終わった。

 そして怜治たちは、主催者側の用意した立食形式のパーティー会場へと案内されたのだった。

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