十九 拒絶
日向、冴月、怜治の三人が東京支部に到着すると、守部修也が出迎えた。
修也は、怜治良蔵と同じ三十二歳。
色の白い細身の男で、男性にしてはやや長めの髪を、後ろでひとくくりにしている、整った顔立ちの男だ。
修也は、古傷のせいで片足が不自由である。そのため歩くときは左足をやや引きずり気味に歩いていた。
「日向、怪我をしたそうだな。見せてみろ」
電話で知らせを受けていた修也は、会うなりさっそく日向の治療に取り掛かろうと、診療室にうながす。
日向は黙って修也の後に従った。
怜治や冴月も、一緒に治療室に向かう。
部屋の中に入ると、日向は、負傷した腕を無言で差し出す。
修也は、怪我の具合を確かめてから怜治を見た。
「折れてはいない。ただの打撲だな」
修也の見立てを聞いて、怜治は、安心したように息を吐き出した。
怜治は、日向の怪我の状態がわかると、掃守に報告があるからと言って部屋を出て行く。
後には、日向、冴月、修也の三人が残された。
修也は、手際よく日向の腕の治療をしていく。
その間、日向は一言も声を発することもなく、無言でじっと治療を受けていた。
日向は、つい先ほどの神田での騒動以降、どこかおかしかった。
その異変に、怜治も冴月も気づいていたが、車で支部に向かう道すがら、怜治が何度理由をたずねても、日向は決して答えなかった。
結局、東京支部についても、日向の様子は変わることなく、今もまだどこかおかしいままであった。
「なんだ日向、めずらしく元気がないな。腕が痛むのか?」
修也が声をかける。
しかし修也のその質問に、日向は答えなかった。
ただうつむき加減で、首を横に振るばかりだ。
日向の、日ごろない態度に、修也は軽く目を見張る。
どうしたんだとばかりに、うつむく日向をのぞきこんだ。
「日向、本当におかしいぞ。どうした?」
それでも日向は、首を横に振るばかりだった。
「おい日向…」
そこまで言って修也は口をつぐんだ。
このままではらちが明かないとでも感じたのだろう。修也は、困った様子で側に居た冴月を見やったのだが、冴月は「わからない」とばかりに首を横に振った。
修也は、戸惑いをあらわに自分の頬を掻く。
「あのな日向、黙ってたら――――」
「なんでもありません」
日向は修也の言葉を遮り、きっぱりと言い切った。日向の表情も態度も、明らかな拒絶を表している。
日向の意外な反応に、修也は息をのんだ。
修也は、医師であるがゆえに日向に接する機会も多く、日向のことは、子供のころからよく知っている。
だからこそ、かつてないほど頑なな日向の態度に心底驚いていたのだ。
絶句する修也を見て言い過ぎたと感じたのか、日向は視線を逸らして小声で漏らす。
「本当に、何でもないんです。大丈夫ですから」
言外に、放っておいてくれと日向は告げた。
日向は修也が治療してくれた腕をそっと撫でてから、ペコリと頭を下げる。
「僕、少し疲れたので休ませていただきます」
もう一度ペコリと頭を下げると、日向は修也の言葉を待たずに踵を返した。
透明な膜とでも呼ぶべきか、見えない壁の遮る日向のその背中を、修也は黙って見送ることしかできずにいた。
日向は、修也たちを残して部屋を出ると、小さく息を吐き出す。
うつむきがちに廊下を歩きはじめたのだが、その横に冴月が並んだ。
日向は、驚いて隣の冴月を見上げる。
どうやら冴月は、いつの間にか一緒に部屋を出ていたようだ。
冴月は、無言のままただ隣を並び歩く。
身構えていた日向が、わずかに警戒を解いた。
「冴月様は…何も聞かないんですね」
日向がぽつりと漏らす。
冴月は、ちらりと日向を見た。
「聞いたところで、お前に話す気がなければ無駄だろう? お前は頑固だからな」
冴月の言葉に、日向は軽く笑みを漏らす。
そして両肩の力を抜いた。
その姿からは、張りつめていた気負いが抜け、ひどく無防備に見える。
先程まで、確かに日向の周りを覆っていたはずの見えない壁が、今この瞬間全て消えうせていた。
「冴月様…僕、このまま子供でいたいです」
日向が小さく言葉を漏らす。
怪訝な表情で冴月が見下ろすと、日向は今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「僕、大人になりたくありません」
冴月が、驚いた表情で日向を見つめる。すぐに表情を引き締めると、口を開いた。
「夕べの電話が何か関係しているのか? 東京入りする前日の夜、こそこそと電話に出ていただろう。あの電話の後、お前の様子は少しおかしかった」
冴月の言葉に、今度は日向が驚いた表情に変わる。
「気づいていらっしゃったんですか…土岐は気付かなかったのに…。それにしてもこそこそはひどいです」
日向は苦笑した。
「事実だろう」
日向は小さく息をついた。
「冴月様に隠し事はできませんね」
わずかに視線を逸らした日向を、冴月は厳しい表情で見つめる。
「相手は誰だ?」
問い詰めるような冴月の言葉に、日向はやんわりと首を横に振った。
「日向」
冴月が苛立ったように名前を呼ぶ。だが、それでも日向は無言だった。
冴月が、諦めたようなため息を吐き出す。
「日向、お前は本当に頑固だな」
冴月は、眉根を寄せて日向を見た。
「すみません…」
「謝るくらいなら、素直になって白状しろ」
しかし日向は、眉根を寄せ口を引き結ぶ。
「本当に…すみません…」
日向が、申し訳なさそうに言葉を結ぶと、二人の間には再び沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、にぎやかな足音だった。
こだまする元気な足音が、廊下に響き渡り、小柄な少女――――水箏が二人の視界に飛び込んでくる。
「ヒナっ!」
水箏は、日向の名前を呼びながら突進してきた。
「水箏さん!?」
日向は、驚愕の表情に変わる。
水箏は、日向の体にぶつかるようにして抱きつき、日向の体をその腕に抱きしめた。
少女の姿である日向は、水箏よりもずいぶんと背が低い。
水箏は、その小さな日向の体を、力いっぱいに抱きしめていた。
「ヒナ! よかった…怪我したって聞いて私…」
水箏は、言葉を詰まらせると腕を解く。
日向の顔を見下ろし、腕の怪我を見つけると痛ましげに眉根を寄せた。
そして、悔しげに唇を噛む。
水箏は、日向の腕の包帯をそっと撫で、すぐに表情を厳しいものにかえると、隣にいた冴月を睨みつけた。
「ヒナに怪我させるなんて、どういうこと?」
「水箏さん、冴月様は関係ありません。これは僕が勝手に――――」
「ヒナは黙っていて」
水箏は、日向の言葉を遮り、その体をそっと脇に押しやると、冴月の真正面に立つ。
「あんたがそばについていながら、ヒナに怪我をさせるなんて、どういう了見だって聞いてるのよ」
冴月は、無言のまま水箏を見下ろす。
「またお決まりのだんまり? あんた鈍ったんじゃないの? 役に立たないなら、ヒナの周りをうろちょろしないで」
「水箏さん!」
日向が、非難するように水箏の名前を呼んだ。
しかし、言われた当の冴月の表情には、何の感情も宿ってはいなかった。
そこには怒りという感情すらもない。
水箏の挑発は、冴月にとってはそよ風に等しいようだ。
「なんか言ったらどうなのよ」
「やめてください、水箏さん。この怪我は、僕が勝手に単独行動をした結果です。冴月様には、何の関係もありません!」
日向はそう言いながら、水箏と冴月の間に体をねじ込ませる。
「ヒナ…」
水箏は言葉を失くした。
「おいおいその辺にしておけよ。日向は無事だったことだし」
後から合流した良蔵が、たしなめるように口をはさむ。
「それに、誰が悪いかって言ったら、怜治じゃねえのか? 本来なら年長者として、あいつが日向に目を配っとくべきだったんだからよ」
「そうですね。良蔵さんも、ちゃーんと水箏さんに目を配ってたことですしね」
良蔵と一緒に現れた土岐が、意味ありげに良蔵を見ながら口を開いた。
「土岐…てめえ、何か含みのある言い方してやがんな」
「それは勘ぐりすぎというものですよ。もし、何か引っかかることがあるとしたら、それは、良蔵さん自身に、後ろめたいことがあるからじゃないかなー」
そう言って、土岐はにっこりと笑顔を張り付ける。
良蔵は、苦虫をかみつぶしたような表情になった。
「ほんっとーに可愛げのねえ野郎だなお前は」
「別に、良蔵さんに可愛いだなんて思われたくなんかありませんよ」
土岐は、まだ作り物めいた笑顔を張り付けたままで言う。
土岐は、良蔵の横をすり抜け、日向の側に移動すると、日向の腕を引っ張った。
「日向、疲れてるんだろう? 早く休めよ」
「土岐…」
土岐は、日向の頭をぐしゃぐしゃとかきまわす。
「早く寝て、そのへんな顔何とかしろ」
土岐の指摘に、日向は唇を尖らせた。
「うるさいな、土岐の馬鹿。僕は元からこういう顔だよ」
土岐と日向は、子供のころから共に過ごしている幼馴染である。それゆえ、二人のやり取りはくだけていて、遠慮がなかった。
「鏡見てみろよ。いつもより不細工な顔してるぞ。いてっ」
むっと口を閉じた日向が、土岐のすねを蹴り飛ばす。
日向はずんずんと歩きだし、自分に割り当てられた部屋の前に移動した。
「言われなくても、ちゃんと休むよ。ついてくるなよ、馬鹿土岐」
日向はそう台詞を残すと、ばたんとドアを閉めて部屋に入って行ってしまった。
土岐は、苦笑しながら日向の消えた扉を見やる。
視線を移し、冴月に向き直った。
「冴月さんもお休みになってください。たぶん、明日も忙しいはずです」
冴月は無言でうなずいた。
良蔵も、腕を組んで首を縦に振る。
「そうだな、おそらく明日も大忙しだ。土岐の言う通り休めるうちに休んどくのが得策だ。ほら水箏、お前も自分の部屋に行け。いつまでもそんな顔してんじゃねえよ」
良蔵が声をかけると、水箏はぷいと顔を背け、無言のまま踵を返した。
怒ったような大きな足音を響かせながら、割り当てられた自分の部屋の前に移動しドアを開ける。そして乱暴な音をたてて閉めた。
そんな水箏の様子に、良蔵は辟易したように肩をすくめる。
「ヒステリーに付き合うのは、ほんと疲れんな」
ため息とともに言葉を吐きだしたのだった。




