十七 襲撃 その八
冴月と怜治の式神である、白とイタチは、連携して虺を廊下へと追い込む。
周囲にいた鬼たちも、同様に援護をはじめた。
虺は、急き立てられるようにしてずりずりと床を這う。
廊下に出ると逃げ場を探し、非常階段を昇りはじめた。
どうやら虺は、怜治の攻撃を警戒しているようだった。
それを察した怜治は、再び刀印を結んで攻撃を仕掛ける。
「バン ウン タラク キリク アク」
すると虺は、その攻撃をかわすべくスピードを上げて階段を昇りはじめた。
虺が上の階に逃げた姿を見届けると、怜治は鬼たちを振り返り、警察の対応を任せる。
警察官はすでにパトカーを降り、突入のタイミングを計っている様子だった。
怜治は、警察が上階に上がるのを少しでも遅らせるようにと鬼たちに要請をし、防火扉を閉めると、日向と冴月を連れて階段を昇りはじめたのだった。
虺は、器用に階段を這い上り、上を目指す。
虺の大きな体が通るには、狭い階段だったが、苦も無く上へと進んでゆく。
その後ろを、怜治、冴月、日向の順で階段を昇り、虺を追いかけていた。
「虺は卜部先生の攻撃を、よほど警戒してるのですね」
一目散に上を目指すその姿を見て、日向が呟く。
「おそらくは逃げ道を探しているのでしょうが…」
そこまで言ってから、怜治は一度口を閉ざした。
が、一呼吸置いて、再び確信的な口調で続ける。
「逃げ切れないと悟れば、反撃を仕掛けてくるでしょう。絶対に油断してはいけませんよ」
「はい」
日向は頷いた。
階段を駆け登る日向の視線の先で、虺が、階段の踊り場で、一度不自然に動きを止める。
頭をさまよわせ、何かを探すような動作をしてから、再び一気にスピードをあげて階段を昇りはじめた。
怜治が、虺のその行動を見て目を細める。
「日向、先に行っていますよ」
そう告げると、怜治がスピードを上げて階段を駆け上った。冴月もその後に続く。
日向は、悔しそうに唇を噛みながら、二人の背中を見送った。
日向も必死で走っているのだが、到底二人に追いつくことはできない。
二人の後に追いすがるのが、やっとだった。
日向だけは、どんどんと距離を離されていく。
やがて日向は、冴月たちよりしばし遅れて、先程虺が一度立ち止まった辺りに差し掛かった。
その時のことだった。
日向は、突如として何か視線なようなものを感じて、弾かれたように立ち止まる。
視線をさまよわせると、防火扉が薄く空いていることに気が付いた。その扉の奥に、何か生き物の気配を感じとる。
日向は、一瞬だけ逡巡したが、その扉に手をかけた。
重いスチール製の扉を押し開くと、暗い廊下の奥に、人影らしきものが見える。
刹那――――。
日向は考えるよりも先に、反射的にその人影を追いはじめていた。
その廊下には、非常口と書かれた緑色の看板の、ぼんやりとした明かり以外、何一つ照明はなかった。
その暗い廊下を、日向は、わずかな明かりを頼りに疾走する。
日向の前方には、何者かの後ろ姿が、かすかに見て取れた。
日向は、怪訝な表情のままその背中を追う。
(虺の気配は感じられない。いったい何者だろう? 逃げるからには、何か後ろ暗いことがあるんだろうけど…)
逃げる人影からは、宿主特有の負の気配は感じ取れない。
つまりは、健常な人間であることが推測される。
であるとするならば、何故目の前の人影は、日向から逃げようとするのか…。
日向は、考えてみたが、しかし納得のいく理由は思い浮かばない。
突然、人影は廊下の突き当りを右へと折れた。
日向も、しばし遅れて廊下の角を曲がる。
しかし曲がったその刹那――――。
日向は、すぐに足を止めた。
曲がった先は、すぐに突き当りになっていて、そこには誰の気配も感じ取れなかったのだ。
日向は緊張を高めて、慎重に一歩を踏み出す。
とその時、背後に気配を感じた。
日向は、振り返ることなく身を屈め、前方に飛ぶ。前に一回転して、背後を振り返った。
しかし、起き上がるそのタイミングを狙いすまし、日向に向けて鋭い蹴りが放たれる。
背後はすぐ壁。日向は後ろに避けることもできず、左腕をあげて蹴りを防いだ。
鈍い音とともに、重い衝撃が体を襲う。
日向は、あまりの痛みに一瞬息を詰まらせた。
続けざまに、上から振り下ろされるひじ打ちの気配を感じると、日向は歯を食いしばって反撃に打って出る。
ひじ打ちを、避けることなく低い姿勢で右手を突きだし、相手の腹部めがけて掌底を当てた。その攻撃で、ひじ打ちの軌道がそれる。
手ごたえはあった。
その証拠に、相手の口から、低い呻き声が聞こえてくる。
薄暗い視界では、相手の姿は杳として知れないが、声から察するに、どうやら相手は男のようだった。
男は、日向の反撃を警戒して、距離を置いた。
日向は、構えを取りながら立ち上がる。
左腕は、男の蹴りによって激しい痛みを覚えていた。
左手を軽く握っては伸ばし、指の動きを確かめる。骨は折れてはいないようだが、打撲程度の怪我は負っていそうだった。
けれども戦える。
日向は構えを低くし、攻撃のタイミングを見計らった。辺りの空気が、ピンと張りつめる。
「お前、何者だ」
間合いを探りながら、日向が低く問いかけた。
しかし、男は一言も言葉を発しない。
「お前、今回の騒ぎに何か関係しているのか」
それでも男は答えなかった。
日向は、じりじりと距離を詰める。
すると男の警戒は、さらに高まった。
やがて日向は問いただすことをあきらめ、息を静かに吐き出す。
自分の呼吸で間合いを詰めるべく、鋭く一歩を踏み出した。
すると男が、日向の動きに反応し、拳を繰り出してくる。
日向は、男の拳をかわすと、その腕をとらえた。流れるような動作で男の腕の下に潜り込み、背中を使って男の体を投げ飛ばす。
しかし男は、床にたたきつけられる前に受け身を取ってその攻撃をしのいだ。そして跳ね起きて構えをとる。
今度は、二人の場所が逆転していた。
男の背後が壁になり、日向が追い込む側に立つ。
暗い廊下で、二人はにらみ合った。
しばらくのにらみ合いののち、最初に仕掛けたのは男の方だった。
右足をあげて、蹴りの動作に入る。
日向は、その攻撃をかわすべく体をひねったのだが、男のその攻撃はフェイクだった。日向が蹴りに意識を取られた瞬間、反対方向から手刀が繰り出される。
(しまった!)
日向はそう感じたが、攻撃を避けることはできなかった。
みごと男の手刀が日向の首筋に決まり、その瞬間、日向の意識が飛んだ。
日向は体が傾ぐのを、どこか他人事のように感じていた。
必死で目を凝らし、意識を保とうとするが成功しない。
やがて日向は、意識を手放したのだった。




