十二 襲撃 その三
時間は、少し戻って日向たちが歩いて塞の巡回をしていた頃と同時刻。
新宿の某所では雑踏に紛れ、三人の鬼たちが歩いていた。良蔵、水箏、土岐の三人である。
風のない宵の町は、じっとりとした熱気に包まれ、立っているだけでも汗が出てくるようなありさまだった。
良蔵は、辟易した様子で髪を掻き揚げる。
「今夜はやけに蒸すな」
「そうね」
水箏も頷いた。
良蔵が、舌打ちをして顔をしかめる。
「どこもかしこも、コンクリートで埋め尽くしちまうから、こんなことになんだよ」
昼に吸収した熱を、いまだに放ち続ける道路や建物を一にらみして、言葉を吐き出した。
すると、水箏がポツリとつぶやく。
「私、東京って嫌いだわ」
水箏は、空を見上げた。
「ここじゃ星が見えない。それに、こんなにも大勢人がいるのに、一人ぼっちになったような気分になる。一見すると華やかに見える街だけど…。でも私、ここに居ると無性に息苦しくなるの。確かに都会は便利なのかもしれない。けど…それだけ。ただ便利なだけだわ。他には何もない…」
良蔵と土岐は黙り込んだ。
「ヒナ…今頃どうしてるかなぁ。危ない目にあってないといいけど。ヒナはね、森みたいな匂いがするの。だからそばにいるとすごく落ち着くの。こういう無機質な場所でも、ヒナの側にいると、まるで森の中にいるみたいで安心できるのよ」
そう呟いた水箏の表情に、微笑みが浮かぶ。
「…あーあ、ヒナに会いたいなぁ…」
水箏は、足を止めて眉根を寄せた。
「早くヒナに会いたい…会いたいよ…」
いつもより、一回り小さく見える水箏を見て、良蔵が困惑したような表情を浮かべる。居心地悪そうに首の後ろを掻いてから、ちらりと水箏を見た。
「まあ…その…なんだ。日向にはすぐに会えるから、ちょっくら我慢しろよ」
良蔵は、そう言いながら頬をポリポリと掻く。
すると、水箏は一度目をまたたいてから、プッと噴き出した。
「りょーちゃん、なにそれ? もしかして、それでも慰めてるつもり? 笑える。ほんとりょーちゃんらしいわ」
ころころと笑い声をあげる。
すると良蔵が、苦虫をつぶしたような表情に変わった。
「お前な」
良蔵は、半眼になって水箏を睨みつける。
「ったく、ちょっとしおらしくなったかと思うと、すぐこれだ。っとに、女って生き物は、扱いづらくて気難しくて面倒な生き物だな。お前は、その代表格だよ」
良蔵は、舌打ちとともに踵を返し、再び歩き出した。
すると水箏が、プウと頬を膨らませる。
足を踏みだし、小走りに良蔵の隣に並んだ。
「何よ、だって私、ヒナに会いたいんだもの。悪いの?」
良蔵は、疲れたようなため息を吐き出してから、投げやりな様子で口を開く。
「はいはい、お前さんは全く悪くありませんですとも。もちろん悪いのはこの俺様ですよ。だから、おとなしく黙ってろよ」
後半は、やけくそな口調で言って手をのばし、がしがしと水箏の頭をかきまわす。
すると、水箏が怒りの表情に変わった。
「ちょっとりょーちゃん、なにしてくれてんのよ! 髪型がぐしゃぐしゃになっちゃうじゃない! そういうところ、ほんとに気が利かないわよね。だから彼女ができないのよ!」
「あのな、口を開けばおんなじことばっかり言いやがって。おめえはいちいちうるせーんだよ。ちったぁ静かにしてろよ」
良蔵と水箏の二人が、恒例行事ともいえる言い合いをはじめたその時のことだった。
「良蔵さん! 水箏さん!」
土岐の鋭い声が響く。
二人は、我に返って時の視線の先を見た。
しかし、何もおかしな気配はない。
「どうした、土岐?」
良蔵の問いかけに、土岐は厳しい表情で答える。
「さっき、妖しい人影を見たんです。もしかしたら虺の宿主かもしれません」
「何? そいつ、どこに行った」
「向こうです」
土岐は、大通りからそれた小道を指さす。
と、その時、三人の携帯が一斉に鳴った。
良蔵が溜息を吐き出し、素早く携帯を操作する。
「他の場所でも虺が出没したらしい。けど、どうやら俺たちには、そっちにかかわってるゆとりはなさそうだがな」
良蔵の言葉を聞くや否や、土岐が走りはじめる。
その後を追うようにして、水箏と良蔵も走りはじめた。
三人は、飲み屋の立ち並ぶ狭い路地を走る。
路地は人であふれかえっているが、土岐は、その隙間をすり抜けるようにして走っていた。水箏と良蔵も、その後を追う。
土岐の走るはるか前方には、彼の言う通り、確かに怪しい人影があった。
他人にぶつかってもまったく足を止めることはなく、避けもせずに、ただやみくもに人ごみを走り抜ける男がいる。
「あのやろう、足が速いな。おまけに、なんかいやな予感がしやがる」
良蔵が、小さくひとりごちた。
「おい水箏、ちゃんとついてきてるか?」
良蔵が水箏を振り返る。
「あいつの行動はおかしいぞ。気をつけろ」
良蔵は、眉をひそめながら言った。
水箏はというと、涼しげな表情で良蔵のすぐ後ろを疾走している。
「りょーちゃん、わかってるわ。心配は無用よ」
澄ました表情でそう告げると、水箏は続けた。
「だいたい私、りょーちゃんみたいに脂肪肝じゃないし、肺も綺麗だから、走ることは苦にならないの。りょーちゃんこそ、そろそろ息が上がってきてるんじゃないの? 不摂生のたまものよね。これに懲りたら、少しはしゅーちゃん先生の言うこと聞いた方がいいわよ。じゃ、お先!」
水箏は、軽口をたたきながら、片手をあげて良蔵の横をすり抜ける。
良蔵の前へと、軽やかに抜け出た。
良蔵は、目を剥いて慌てる。
「だー! お前、まじで生意気な奴だな。待て水箏! 俺より先に行くんじゃねえ! おい、土岐! その暴走娘を止めろ!」
土岐は、くすりと笑いを漏らした。
「良蔵さん、かっこ悪すぎ」
つぶやいた土岐は、水箏が横に並んだ気配を感じると表情を変える。やや辟易したような様子で息を吐き出した。
「水箏さん、危ないから良蔵さんの側についていた方がいいですよ」
前を向いたまま、振り返ることなく土岐が言う。
すると水箏は、ぎろりと土岐の横顔を睨みつけた。
「うるさいわね、私に指図しないで!」
二人とも疾走しているのだが、息も乱さずに会話をしている。
土岐は、水箏の返事を聞くと、もう一度息を吐き出した。
「水箏さん、俺は日向にあんたのこと頼まれたから忠告してるんだ…。少しは他人の意見聞いたらどうです?」
土岐は、変わらず前を向いたまま告げる。
「余計なお世話だって言ってるでしょ」
水箏は、ぴしゃりとはねのけた。
土岐は表情を消す。
「…俺…ちゃんと忠告はしましたからね」
無表情のままに言い放った。まるで、義理は果たしたといわんばかりの口調だ。
すると水箏も表情を冷たく変えた。
「土岐」
冷たい声で名前を呼ぶ。
走りながらも、隣の土岐を睨みつけた。
「私知ってるのよ、あんたの本当の気持ち。私はね、欲しいものを他人に譲ったりはしない。私は、必ず一番強い鬼になってみせるわ。それでヒナの隣にいることを、上に認めさせる。私は、あんたにも陰険野郎にも他の男鬼たちにも、絶対に負けないから。覚えておきなさい、私は必ず一番になってみせる」
すると、土岐が首をめぐらし、静かな目を向け返してきた。
その眼差しからは、何の感情も読み取れない。
だが土岐は、一瞬だけ水箏と視線をかわすとすぐにつと視線を逸らし、前に向きなった。
「そうですか、頑張ってください」
短く答える。
水箏は、挑むようにその横顔を睨みつけると、さらにスピードをあげ、土岐の横をすり抜けた。
土岐の前に進み出て、前を走る人影を一番に追いはじめる。
その様子を見て、少し離れて後ろを走る良蔵が怒鳴った。
「水箏! この馬鹿娘! 無茶すんじゃねえって言ってんだろうが! そいつ、俺たちのことを誘ってるぞ! 気をつけろ!」
それでも水箏は良蔵の言葉を無視する。ぐんぐんとスピードを上げて、人影に追いすがった。
「くそっ!あの馬鹿が!」
良蔵が舌打ちをする。
三人の前方を走る人影が、急に道を折れて細い路地へと飛び込んだ。
水箏は、軽やかな足取りでその後を追い、路地に飛び込む。
数歩遅れて、土岐が路地へと折れた。
さらに数歩遅れて、やっと良蔵が路地の入口へとたどり着く。
良蔵は、一度足を止めてハアハアと荒い息を繰り返した。
「ったく、クソガキが。こりゃマジで酒とタバコ考えねーとな…」
顎に滴る汗を一拭いしてから、再び良蔵は狭い路地を駆け抜けた。
水箏は、人影を追って路地の突き当りにたどり着いていた。
人影を探して周囲を見回すが、辺りには誰の影も見えない。
水箏は、慎重に一歩を踏み出す。
すると、突如塀の隙間から数人の人影が現れた。
しかし水箏は動じない。
「ふーん、ずいぶんと用意周到だこと」
人影は全部で五人。
手には木刀や金属バット、ナイフ、包丁、警棒と全員が得物を持っている。
その得物を振り回して、水箏に襲いかかってきた。
古武術をたしなむ水箏は、流れるような動作でその攻撃をかわす。
振り下ろされる木刀を、半身になって最小限の動きでかわすと、その手首を掴んで捻り投げ飛ばした。男が地面にたたきつけられる。
続いて突き出されたナイフも、静かな動作でぎりぎりの位置でかわし、手首をつかんだかと思うと、男の体が軽々と宙を舞った。
そこに土岐が到着して、包丁を持つ男の側頭部にけりを放つ。
「土岐」
短く呼んだ水箏の声に、土岐は頷いた。
「はいはい、わかってます」
何がとは言わなかったが、土岐と水箏は、お互いの役割を心得ていた。
土岐は、襲いかかってくる男たちを体術で応戦する。水箏に襲いかかる男にも、蹴りを放ってけん制した。
水箏は、土岐が男たちの相手を引き受けたことを確認すると、ポケットから穴の開いた小石を取り出し、口をつけて穴に息を吹き込む。
するとピイと音が鳴った。
石笛であった。
水箏は目を閉じて笛を吹き鳴らす。すると男たちの動きが、突如止まった。
土岐はそれを確認すると、構えを解く。
その時、ようやく良蔵が合流した。
良蔵は、したたる汗をぬぐって動きを止めた男たちを見やる。
男たちは、苦悶の表情を浮かべながら蹲りだした。
「相変わらず見事ですね、水箏さんの修祓は」
良蔵は、土岐のその言葉にはこたえない。
土岐と良蔵の、二人が見つめる前で、次々と男たちの体から虺が祓われていった。
良蔵は一度大きく息を吐き出す。
そして、水箏の祓った虺と対峙するべく一歩踏み出した。
「生意気な小娘だが、確かにたいした腕だよ…。土岐、行くぞ」
「はい」
土岐は返事を返すと、良蔵に続いて大地を蹴った。




