三十七 大手町 その十四
ゆらゆらと体を揺らし、亡者のように歩み寄る沙織を見据えながら、日向は独鈷杵を取り出し、片手で印を結んだ。
「オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ」
火織も、プルパを持ったまま同じ印を結んで真言を唱える。
「オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ」
透明な刃を生じ、輝きだした独鈷杵を持ったまま、日向は続けて印を結ぶ。
「タリツ タボリツ パラボリツ シャヤンメイ シャヤンメイ タララサンタン ランエビ ソワカ」
真言を唱えると、独鈷杵が一層輝きを増した。
火織も真言を唱える。
「オン シュッチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ」
二人は、輝いた法具を構え、沙織に飛び掛かった。
しかし沙織は、片手をあげ腕で日向の攻撃を遮り、蹴りを放って火織の体を蹴り飛ばす。
「くっ!」
火織は、地面を数回転して立ち上がった。
日向は、続けざまに二撃を繰り出す。沙織の胸部をめがけて独鈷杵を突き出すが、その攻撃は沙織の蹴りによって阻まれた。
日向の体は、沙織の蹴りを受けて軽々と吹き飛び、瓦礫の山にぶつかる。
「うぁっ!」
「日向!」
亮の声に、日向は頭を振りながら、よろよろと立ち上がった。
「…僕なら大丈夫です」
火織は、再び大地を蹴る。
「オン シュッチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ」
走りながら、素早く印を結んで真言を唱えた。沙織の体に、光り輝くプルパを直接ぶつけて爆発を起こす。
すると沙織の体が揺らいだ。亮はその隙を見逃さず、足払いをかける。
沙織の体が倒れると、亮はその上に馬乗りになって九字を切った。
「朱雀、玄武、白虎、勾陣、帝正、文王、三台、玉女、青龍」
そして、刀印の切っ先を沙織の腹部にあてる。まばゆい光と共に爆発が起こった。
「グァァァ!」
沙織が、苦しげにのたうつ。
亮は、続けざまに同じ九字を切って、沙織にぶつけた。
「グゥゥゥ!」
すると沙織は呻き声をあげ、激しく体をのた打ち回らせる。
体を苦しげにくねらせつつも、沙織は亮の腹部に拳を叩き込んで反撃し、襟元をわし掴み体の上から振り払った。
「くっ!」
亮の体は軽々と吹き飛び、大地をゴロゴロと転がり壁にぶつかって止まる。
沙織は、のろのろと立ち上がろうとした。
しかし、その背後から火織が近づき、プルパをぶつける。
「オン シュッチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ」
爆発が起こり、沙織の体が前のめりによろめいた。
日向は、すかさず印を結んで真言を唱える。
「タリツ タボリツ パラボリツ シャヤンメイ シャヤンメイ タララサンタン ランエビ ソワカ」
独鈷杵に透明な刃が生まれ明滅した。
その刃を沙織の腹部に突き立てる。
「ギャァァァ!」
沙織は、人間とは思えない、獣のような方向をあげてもがき苦しんだ。その顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。
しかし沙織は、力を振り絞って日向の体を掴んで投げ飛ばした。
日向の体は、またしても吹き飛ぶ。
「うわっ! ぐぅっ!」
壊れた建物の壁に激突して、くぐもった呻き声をあげた。そのまま意識を失う。
沙織は腹部に刺さった透明な剣を抜き去り、独鈷杵を投げ捨てた。
そして天をふり仰ぐ。
「グアァァオゥゥゥ!」
耳を覆いたくなるような咆哮をあげてから、その目を大地に倒れる日向へと向けた。
「ヒナ…タ…コロォ…ス…」
沙織の目は、宿主特有の虚ろなものではなくなり、ギラギラと妄執を宿した目に変わっている。
火織がプルパを構え、再び突進するが、沙織は回し蹴りを放って火織を蹴り飛ばした。
「ぐぁっ!」
火織の体は、瓦礫に激しくぶつかり埋もれる。
亮は負傷しているようで、表情を歪め、胸を押さえつつ起き上がった。地面に片膝をついた姿勢で刀印を結び梟を操る。
大空を旋回していた梟が急降下をはじめた。
梟は、沙織の腹部めがけて飛び込み、頭をめり込ませる。
「ギァァオォォウ」
沙織が再び咆哮をあげた。苦しげに悶えはじめる。
梟の頭は、沙織の腹部にもぐり込んではいたが、体はまだ外に出たままだった。
沙織は梟の足をむんずと掴み、唸り声を上げながら引き抜きはじめる。
梟は羽をばたつかせて抵抗したが、ずるずると引き抜かれ、抜けきるとその体を大地に叩きつけられた。
ギャアッと声をあげ、梟は霊符へと戻る。
亮は胸を押さえて立ち上がった。
ゴホゴホと咳き込み苦しげな表情を浮かべていたが、手の甲で口元を拭うと、パンと両手を打ち鳴らし再び刀印を結ぶ。
すると霊符は、再び梟へと変じた。
沙織は体を左右に揺らし、日向へ向かって歩き出しはじめる。
と、その時のことだ――――。
瓦礫の山を踏み越え、人影が現れた。エッカルトだ。
亮と火織は、軽く目を見開いた。
「随分と面白いことになっているようだな」
そう言って、エッカルトはクツクツと低く喉を鳴らす。軽やかな足取りで瓦礫の山を下り、沙織を見据えた。
「鬼に虺が憑依したのか。ずいぶんと稀なケースのようだ。実に興味深い」
その後ろから四方田が現れる。
「面白がっている場合ではないぞ。早く半陰陽の身柄を押さえろ」
四方田の声を聞き、亮が剣呑な光を浮かべた。
「やはり敵側に寝返っていたか。下衆が」
四方田は、片方の口角を持ち上げ、暗い笑みを浮かべる。
「好きにほざけ」
言うなり四方田は走り出し、軽やかな足取りで日向へと近づいて行った。
亮は、四方田を阻止しようと、苦痛に表情を歪めながらも大地を蹴って走り寄る。
しかし、エッカルトが赤い石を取り出し、亮の前に投げつけた。石が割れて巨大な虺が現れる。
「邪魔をするな!」
亮は激昂しながら刀印を結んだ。
「バン ウン タラク キリク アク」
五芒星を描いて放ち、虺にぶつかると爆発が起こる。
しかし、虺を浄化することはできない。
亮は舌打ちをしながら再び刀印を結んだ。
火織は、覆いかぶさる瓦礫をどけて立ち上がった。
そして、四方田めがけて走り寄る。
「てめぇ、みーたんはどうした!?」
火織はすぐに四方田に追いつき、鋭い蹴りを放った。
四方田は腕でその攻撃を防いで、体制を低く落とすと火織の軸足を足で払う。
火織はバランスを崩して倒れた。
「女の心配より、自分の心配をしたらどうだ?」
火織は両手を頭の横で逆手につき、足を縮めてから勢いよく伸ばし、反動で立ち上がる。
「うるせえ! 答えろ! みーたんはどうしたんだよ!?」
火織は再度蹴りを放つが、四方田は掌底で軌道を逸らしてかわした。
四方田はにやりと笑う。
「そうだな…たぶんまだ虺と遊んでいる頃じゃないか?」
「てめぇ! みーたんに何をした!?」
「頭に血がのぼりすぎているぞ、坊主」
四方田は火織の拳をなんなくかわし、後ろ蹴りを叩きこんだ。
火織は、背中に蹴りを受けて前に吹き飛ぶ。
亮が虺と、火織が四方田と対峙しているその間に、エッカルトは悠然と日向に歩み寄った。
沙織も、体を左右に揺らしながら、のろのろと亡者のように日向へと近づいていたが、しかしエッカルトが近づくと急に体の向きを変え、警戒するように後じさる。
「ほう…」
エッカルトは感心したように声をあげて、手に持つ木製の杖を肩に担いだ。
「このカドゥケウスの杖を警戒しているのか、宿主にそんな判断力が残っているとは、本当に興味深いな」
エッカルトは、不敵な表情を浮かべたまま日向に歩み寄る。
沙織は、エッカルトと一定の距離を保つように移動をはじめた。
エッカルトは日向のそばに立ち、意識を失ったその体を担ぎ上げる。
その姿を視界の端に捕えた亮は、虺の横をすり抜け、エッカルトに追いすがろうとした。
だが、その進路を虺がふさぐ。
「おい! 日向を放せ!」
亮が日向に気を取られていると、虺が尾をしならせ亮の体を打ち据えようとした。
途中で気付いた亮は、攻撃をかわそうとするが、しかしかわし切れず吹き飛ばされる。
亮の体は、大地を転がった。
エッカルトは、含みを持った笑いを浮かべて亮を見下ろす。
「もう一つ土産を置いて行こう」
そう言って、さらに赤い石を取り出し、火織のそばに投げつけた。
赤い石が割れ、もう一匹の虺が姿を現す。
火織はこわばった表情で虺に対峙した。プルパを構えて印を結ぶ。
火織の相手から解放され、四方田は、やれやれとも言いたげな様子でゴキリと首を鳴らした。
エッカルトに視線を移す。
「お前の相棒に、半陰陽を確保したことを連絡しろ」
「わかっているさ」
四方田の言葉を受け、エッカルトは歩き出した。
「向こうに衛星電話と車が用意してある。ここでの用も済んだことだし、さっさと富士を目指すぞ」
「ああ」
四方田は頷き、エッカルトの後について歩き出す。そのはるか後方で、沙織が後をつけはじめた。
エッカルトは沙織を一瞥し、侮蔑するように鼻を鳴らす。
その冷徹な視線を移し、四方田に向けた。
「そういえば、冴月という男について、お前の報告書に不備があったと、新井が憤慨していたぞ」
エッカルトの言葉に、四方田は肩をすくめる。
「時には例外も起こる。だが、半陰陽さえ押さえれば、どうとでもなる男だ」
「今度は間違いないのだろうな」
「ああ、保証する」
そんな二人の会話を聞き、亮は表情を怒りに染めた。
「四方田ぁ!!!」
腹の底から叫ばれた怒声に、四方田は薄く笑う。
小ばかにするように軽い敬礼を残し、エッカルトと四方田は将門塚を後にした。




