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ギエンティア公国

祈りの詩を

作者: 黒枝凪埜

 風が吹く。新緑の柔らかな木々の葉を揺らして。ここは闇森くらもり。闇の女神が統べると云われる森。多くの生きモノが己の分を弁えて暮らす森。けして安全という訳ではないが、穏やかに時の流れる森。

 闇森の奥深く滅多に人の立ち入らぬ所に彼はいた。この森で暮らすただ一人のヒトであった。


 ケヤキの大樹の根元で無防備に眠り込む彼の邪魔をするモノはおらず、ただただ穏やかに息をしている。…と不意に飛び起きた彼はその場から飛び退る。


―――何するんだ!ロウ


「…その辺で転がっているなと私は何度言ったかな。それと、お前はヒトなのだから喉を使って話しなさい」

 彼が飛び退いた場所に黒狼がいた。グルル…と唸りながら黒狼は話す。


―――ヤダ。この方が皆と話せるもん。第一ここに他にはヒトなんていないんだから言葉・・なんて必要ないじゃないか。


「クロト!」

 ロウの目に苛立ちが滲む。傍から見ればおかしなものだ。ヒトであるクロトが思念を操り、狼のロウが人語を操っているのだから。

「待て、クロト!」

 ロウの声を無視して視線をふいっと逸らすとクロトは森の奥へと逃げて行く。このやり取りも何度めだろうか。初めのうちは渋々と従っていたクロトだったが最近ではこうして逃げ去ってしまうことが多い。

 ロウは闇森に暮らす多くの生きモノたちの中でも長生きで、アヤカシへと成った存在だ。歳を経ているだけでなく、若い頃から貪欲な知識欲と行動力を発揮しており、森のことだけでなくヒトの世界の事もよく知っていた。そんな彼のことを賢者(いや賢狼と言うべきか)というモノもいる程だ。まぁヒトの世界ではどうだか知らないが。(知っている者がいるとも思えないが)

 クロトは5歳児程の頃にロウが拾った。そしてこれまで五年共に暮らしてきた。



 クロトとロウの出会いはヒトが祭壇とよぶ闇森の入口にある石段だ。ロウがたまたま闇森の入口付近をうろついていたことはクロトにとって幸いと言う他ないだろう。ヒトを嫌悪する生きモノも多い中でヒトを理解しようとし、人語を話すロウが来たのだから。

 ロウは子供クロトに気付いた瞬間怒りに毛が逆立つのを感じた。子供を置いて行ったヒト達に。子供は祭壇の上に置かれた神輿の中で眠っていた。ヒトの世界で病が流行っているのは知っていた。闇の女神に救いの御手を求めるのはいいだろう。だが、稚い子供を生贄にするとは…!

 その時、怒りに震えるロウの前で子供が目を覚ました。

「?…わっでっかいわんこ!」

 状況を理解しきれていない様子であったが、ロウに気付いた瞬間満面の笑みで抱き付いてきた子供に驚かされたのは仕方のない事で有る。…この様な場合普通の子供は泣き叫ぶか逃げるのではないだろうか。自分で言うのもなんだが、ロウは普通の狼よりも大きいし凶悪な顔をしていると思う。自分に懐いてくる生きモノなど久方振りだった。

「子供。名はなんという」

 この変わった子供の反応が楽しみだった。

「しゃべっ…た。わんこかしこいんだね!」

 ますます目を輝かせて子供が笑う。見ている者が思わず微笑んでしまうような無邪気な顔で。

「ぼくね、くろとって言うんだ。くろいひとって意味なんだって。ニーナがおしえてくれたんだ」

 一生懸命に言葉を紡ぐ様は狼のロウから見ても微笑ましい。

「ぼくニーナ以外の人と話すの初めて・・・!ねぇもっとしゃべってくれる?」

 無邪気に告げられた言葉は違和感を感じさせるモノで…。

(初めてだと・・・?おかしい。人とは集団で暮らす生きモノだ。これ位の子供は大人に保護され、囲まれて生活するはずだ。どういうことだ?)

「わんこ?どうしたの?」

「…あぁ、悪いな子供。私は狼だよ。犬ではないんだ」

「おおかみ?知ってる!かちくさんをおそういやなやつらってニーナが言ってた!…でも、おおかみさんいやなやつじゃない。いい子なんだね?」

 己の知識と照らし合わせ首を捻った後、わかった!と云わんばかりに嬉々として話すクロトにロウは苦笑しつつ首を振った。

「いいや。ニーナとやらの言う通りだよ。人間にとっては我々狼は嫌な奴だろうよ」

「えー。だっておおかみさんぼくをおそわないじゃないか。いやなやつじゃない!」

 不満だと主張してくるクロトがロウには微笑ましい。話している内容が庇う種族が逆転している様な気がする、そんな事まで楽しい・・・。然して変化のなかった日常がこの子供クロトがいるだけで光が満ちている…。そんな気までしてきた。

「まぁいい。ところでクロト、お主自分がどこにいるのか分かっているか?」

「どこって…お庭・・でしょ?」

「庭…?お主の家は森の中に有るのか?」

「…?お庭は『遊び場』なんでしょう?ニーナがいつも『さぁ。お庭に行って遊び・・ましょうね』って言うんだ。でもね、遊んでると皆動かなくなっちゃうから…お庭にはあんまり行きたくない」

(…どういうことだ?)

 疑問の浮かぶロウだったが、暗い表情になったクロトをそれ以上問い詰める気にはなれなかった。

「クロト。此処は闇森。闇の女神の統べる森だ。話に聞いた事くらいはあるんじゃないか?そろそろ日が暮れる…。ここで迎えを待つか?」

(人の気配は全くない…。おそらく、迎えなんぞ来ないだろうな…。)

「…うん。…まってる」

 力無い返事に少しの不安と疑問を感じるが…。まぁいい…、人間の事に振り回されたい訳ではない。

「そうか。ではここに居るがいいよ」

 クロトに背を向け、数歩離れた場所で立ち止まる。背後で立ち去るロウを気にする気配はするが、気にしない。


―――サクヤ、いるか?


 思念を飛ばす。自分で言うのもなんだが歳を取ってる分、他より器用に思念を使いこなせていると思う。

 特定の生きモノにだけ届くように飛ばすとか。闇森内位の範囲だったら端から端まで思念を飛ばせるとか。相手が特に隠れようとしてなければ場所まで特定できてしまうとか。


―――なぁに?珍しいわね、ロウがアタシを呼ぶなんて。


―――ちょっと…な。ヒトが『祭壇』と呼ぶ処、分かるだろう?来てくれるか。


 ふふっ。とサクヤが軽く笑うのを感じた。


―――やぁね。アタシが断るだなんて思ってもないくせに。


 語尾が弾んでるのが不吉だ。悪い奴ではない、が事あるごとに私をからかおうとする困った奴ではある。


 木々がざわめいた。


―――来たわよ。ってちょっと、後ろのソレ人間じゃないの。こんな所に居たら襲われるんじゃないの?……あぁ、そういうこと。それでアタシを呼んだのね。


 音も立てずに舞い降りるのは、一羽の鳥。月の明るい夜には輝くような美しい羽根の持ち主、鳴月花のサクヤだ。


―――話が速くて助かる。流石に幼子を見捨てようとは思わんのでな、適当に食べ物を調達して来ようと思う。悪いが、そばに居てやってはくれないか?


 ふぅっ…とサクヤはすぐには答えずに、ため息をひとつ零した。


―――あなたって…相変わらず周りが見えてないわよねぇ。ちょっと見ただけで分かるわよ?その子随分あなたに懐いてるじゃないの。アタシを残すよりあなたが残った方がいいに決まってるでしょっ。


 からかわれはしなかったが…説教されてしまった。


―――大体ねぇアタシを誰だと思ってるの?『鳴月花』のサクヤよ?闇森の植物はみーんなアタシのみ・か・た♪食べ物の調達はアタシにまかせなさ~い。


 頼もしく告げて飛んでいく彼女はとても・・・楽しそうだった。確かに植物に育まれる鳴月花は植物の子供として、無条件に彼らの加護を受けている。ここは彼女の好意に素直に甘えるべきだろう。


「クロト。その箱の中では寒かろう?こちらへおいで」

 背を向けていたクロトの方を見やれば明らかに心細さを顔に浮かべていた。…何も言わずに離れようとしたのは失敗だったようだ。

「お、おおかみさんきえちゃったりしないよね?」

「・・・消える?取りあえずお前の迎えが来るまでは居なくなるつもりはないよ。しばらくの間は保護者代わりになってやろう」

「ほごしゃ?」

「まぁ…傍にいるということだ」

 そっかぁ。いっしょにいられるんだぁ。と安心したように笑いロウに抱きついてくるクロトを見ていれば和む…。が、先程から滲む影が非常に気になる所。ロウが物思いに沈もうとした時、羽音が聞こえた。



―――ハァイッ。貰ってきたわよ~。新鮮なく・だ・も・の♪


―――あぁ。すまないな。森の木々にも感謝を。ありがとう。


 サクヤと和やか(?)に話していると、ん゛ーとかあ゛ーとか奇怪な唸り声が聞こえた。

 疑問詞を浮かべてクロトを見やると、


―――ことりさんはサクヤでいいのかな?こんばんは。ぼく、くろと。


 唖然とした。サクヤも反応しないところを見ると考えていることは同じだろう。

 なぜ人間・・がこうもあっさり思念を扱えているのか。昔は人間も思念を扱えていたと聞くが、彼らは伝達手段としての思念を捨て『言葉』を使う。思考する生きモノの多くが思念を操り己の領分を守るこの世界で、人間は、生きモノの世界での『協調』を捨てた・・・はずだ。


―――ことりさん?


 いきなり黙りこくってしまったこちらを窺う思念が届く。


―――え、えぇ。ごめんなさい。アタシはサクヤ。鳴月花のサクヤよ。ロウの知り合い…かしらね?よろしくね、クロト。


―――よろしく、サクヤ。ねぇ、ロウっておおかみさんのこと?めいげつかってなぁに?


―――あらやだ。自己紹介もしてないの?困った年寄りねぇ。


 ころころと表情の変わるクロトに気を取られていたら、サクヤにどつかれた…。油断していたせいでまともに喰らって、正直イタイ。


―――…。自分だってそう変わらない歳のくせに。


 ぼやいたら、殺気が走った。どこでも女性にその手の文句は言ってはいけない。昔からある教訓を思い出した一瞬である。それと同時に伝わってきた思念は昔から男ってその辺り学習しない馬鹿なのよねぇ。というものだった。

 クロトの笑う気配までして精神的にダメージを喰らったのは…忘れよう。


―――ほら、馬鹿言ってないで自己紹介くらいしなさいな。


 呆れた気配を隠そうともしないサクヤにせっつかれる。


―――黒狼のロウだ。迎えがくるまでは傍にいよう。とりあえず、そろそろお腹が空いたろう?サクヤの持ってきてくれた果実を食べなさい。


―――かったいわねぇ。けどその通りよ!育ちざかりの子供なんだからたくさん食べて大きくなりなさい♪

 あーそうそう、鳴月花っていうのはね私の種族。私たちの声や姿が月や花を想わせるんだっていうけど本当かどうかは知らないわ。生まれた時には自分が鳴月花だって知ってた気がするもの。


 サクヤが快活に笑う。意外ではないが子供好きらしい。穏やかな空気が好ましいが、偶には明るく騒がしい空気も悪くない。サクヤを呼んで良かったと思う。

 それにしても…とサクヤと仲良く喋りながら果実を齧っているクロトを眺めながら思う。この子供は一体…。


 ロウが考え事をしている間にも時は穏やかに過ぎて行く。ふと気づけば夜の静けさが周りを覆っていた。クロトは喋りつかれたのか眠りに着いたようだった。そしてサクヤは静かにその寝顔を眺めていた。

 取りあえず、クロトが風邪をひかないように、起こさないように、静かにゆっくりと近づき彼に寄り添う。サクヤがこちらに視線を寄こす気配がした。


―――クロトは、恐らく…闇の女神への生贄だ。迎えはいくら待とうと来ないだろう。


 彼女とは長い付き合いだ。何を聞きたいかくらいは分かる。クロトを起こさぬよう密やかに思念を交わす。


―――やっぱりそうなの。いつの時代も人間は愚かね…。贄を捧げた所で彼の方が動くはずもないと言うのに…。『神』たる存在はそこに存在するだけ。世界に干渉することは出来ない・・・・許されない・・・・・ことだというのに。

 過ちを繰り返し彼の方の嘆きを招くだけの存在などっ。


―――サクヤ、それ以上は言ってはいけない。…それもまた彼の方の嘆く源だ。我々まで彼の方を嘆かせてはいけないよ。


 穏やかにやんわりと宥めるロウの言葉は、今のサクヤにとっては苛立ちを助長させる効果しかなかった。


―――あなたっていつもそう。自分だって酷い目に遭っている癖に、なんで…なんで許せるのよ。


 怒りと悲しみに嘆くサクヤの前でロウは困ったように笑って言った。


―――たしかになぁ、どうしようもない奴が多いけど…けどな、良い奴もいるからなぁ。


 サクヤがそのことを言うまでもなく知っていることは分かっている。ただ一時の衝動が抑えられていないだけであることも。そうでもなければクロトを保護するのを手伝ったりなどしていないし、そもそも彼女を呼ぼうともしていない。わざわざ言葉にしたのは、数少ない人間の友を思い出して、自らの吐き出した毒に傷付く彼女を見たくなかったからだ。

 長い付き合いであるが故にお互いの考えていることも伝わる。言わんとするところを理解し彼女は俯き黙り込んだ。

 参ったな。泣かせたい訳ではないのだが。


―――我々に出来ることは、彼を、クロトを健やかに育てることか。手伝ってはくれないか?


 重い空気を壊すように誘ってみれば、


―――あら、アナタ一人で育てられるとでも思ったの?


 軽やかに返答が返ってきてほっとしたのはここだけの話だ。




 こうして種族の違う一人と一頭と一羽の暮らしが始まり五年が経った。

 クロトの戦闘力に磨きが掛かってしまったことと、森になじみ過ぎて人間嫌いになったことは想定外だったが取りあえず私達は幸せだ。



 闇森に三人の人間が訪れ平和な時間に終わりを告げるまであと少し……。

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