世界大戦(2)
短いので、別に分割する必要はなかったです。
とにかく世界大戦は終結です。
ドイツ帝国海軍大洋艦隊全滅は、連合国側将兵の士気を底上げした。先のウラジオストク侵攻作戦で連合艦隊が太平洋艦隊を全滅させた事で連合国将兵は喜び、今回の北洋艦隊で士気が大いに上昇した。特に陸軍将兵の士気は高く「海軍に続け!」を合言葉に、極東戦線・西欧戦線で大規模反攻作戦が始まった。オランダ王国海上封鎖作戦を阻止した大英帝国は攻め時とばかりに、陸軍1個軍団の派遣を決定。これにイタリア王国も国境線で陽動作戦を実施すれ事を決め、第1方面軍と第4方面軍をフランス共和国へ侵攻させた。そして7月20日大英帝国陸軍は第5軍団を『大英帝国海外派遣軍(BEF)』と命名して、オランダ王国はへ派遣した。
更に極東戦線では乃木司令官率いる第零軍団がロシア帝国陸軍の黒竜江要塞を側面から攻撃。ロシア帝国陸軍は大混乱に陥った。慌てたロシア帝国陸軍は守備部隊の半数を第零軍団攻撃へ向かわせた。しかしそれは大いなる愚策であった。それを待っていたかのように連合陸軍8個師団が総攻撃を開始。大規模な砲撃によりロシア側の要塞は崩壊し、そこへ連合陸軍と第零軍団は雪崩れ込んだ。その後は一方的な殺戮であった。一向に降伏しないロシア帝国陸軍将兵に乃木司令官は激怒。現場での最高位である事によりロシア帝国陸軍への総攻撃を命じた。2時間もの攻撃により漸くロシア側は降伏を表明。2万以上が戦死し1000人以上が捕虜となった。これにより極東戦線の[第一幕]は終わり、この戦いは『黒竜江殲滅戦』として記録された。そして侵攻戦に於いて重要なのは『砲撃による敵の面制圧』であるとの教訓が後世に残る事となった。乃木司令官はこれをもとに火力攻撃の重要性を訴え、『侵攻戦に於ける火力砲撃の重要性』との論文を発表。大日本帝國陸軍は野砲部隊の増強を推し進める事となった。
極東戦線は一段落したが、西欧戦線では激戦が続いていた。フランス共和国に侵攻したイタリア王国陸軍2個方面軍は大規模な砲撃を行いつつ、着実に前進を続けた。それは大日本帝國陸軍に比べれば弱いものであったが、フランス共和国陸軍を圧倒するには十分であった。本国への侵攻を受けたフランス共和国陸軍オランダ王国侵攻部隊は本国へと引き返した。侵攻軍の一角が引き返した事によりオランダ王国は、BEFと協同でドイツ帝国への侵攻を開始。圧倒的な砲撃力を有するBEFの参戦はドイツ帝国の侵攻を食い止めるだけでなく、逆に侵攻側へと立場を逆転させる事に成功した。反撃にでたオランダ王国陸軍をドイツ帝国陸軍は各地で迎え撃つのが精一杯で、全体的に戦線は押され始めた。BEFとオランダ王国陸軍は見事な連携を見せドイツ帝国陸軍を撃破していった。各地で撃破されていくドイツ帝国陸軍の士気は大きく低下。海軍大洋艦隊も大英帝国海軍本国艦隊に全滅されたとの知らせは陸軍にも伝わっていた。その後のオランダ王国陸軍とBEFの侵攻は、世界大戦に於いての連合国反撃の序章であった。
10月8日大日本帝國海軍連合艦隊第3艦隊がドイツ帝国領南洋諸島への攻撃を開始。大規模な艦砲射撃により守備部隊は大混乱に陥り、そこへ陸軍1個連隊が上陸を開始。僅か1日で占領した。これにより亜細亜・太平洋地域から枢軸国側は完全に駆逐された。更に10月24日に連合艦隊第4艦隊と陸軍2個師団が『樺太侵攻作戦』を開始。1ヶ月に及ぶ激戦の末に樺太全土が大日本帝國に占領された。これによりロシア帝国の組織的な反攻は完全に止まった。それを受け連合陸軍は黒竜江を北上してロシア帝国領への本格的侵攻を開始。連合陸軍はロシア帝国陸軍を撃破し、着々と侵攻した。この事態にロシア帝国ニコロス女帝はドイツ帝国に派遣していた陸軍の総引き揚げを決定。極東戦線の第二幕『シベリア攻防戦』はロシア帝国の圧倒的不利に陥った。
状況を打開する為に、極東戦線への陸軍大輸送が始まった。ドイツ帝国はオランダ王国陸軍とBEFの侵攻を受けており、フランス共和国もイタリア王国の、侵攻を受けていた。その最中でのロシア帝国陸軍総引き揚げである。独仏両国は抗議文をニコロス女帝に送った。そもそもの世界大戦勃発の原因はロシア帝国の南下政策にあった。それが大日本帝國と中華連邦を刺激し、満州帝国を建国させ大英帝国もそれに賛同し手を結んだ。更にそれにオランダ王国・イタリア王国も賛同し包囲網が形成され、対抗すべく露仏独は手を結んだ。それによりただでさえ一触即発の事態であるにも関わらず、ロシア帝国はバルチック艦隊を派遣。これにより事態は決定的となり、現在の状況に至るのである。バタフライ効果を体現したような流れに、ニコロス女帝も慌てて総引き揚げを決定したのである。そのような流れにより両国の抗議文を一蹴した。誰が何と言おうと自分の国が可愛いのは当然である。ロシア帝国陸軍はシベリア鉄道を経てシベリア方面へ輸送されていった。シベリア攻防戦の影響は西欧戦線に大きな変化をもたらした。オランダ王国陸軍とBEFはここが攻め時とばかりにドイツ帝国への攻撃を強めた。フランス共和国へ侵攻しているイタリア王国陸軍も攻撃を強め、フランス共和国内部へ大きく進出した。
更に1904年2月19日ロシア帝国海軍黒海艦隊に対抗する為、大日本帝國海軍連合艦隊がイタリア王国タラント港に寄港。前年10月8日の南洋諸島侵攻部隊と同時に出航した援欧艦隊は、連合艦隊主力を中心とした精鋭部隊である。第1・第2艦隊と支援部隊・輸送部隊による援欧艦隊は、大英帝国領各地を経て地中海へ到達した。この派遣は大英帝国とイタリア王国からの熱い要請に応える形で行われた。本国艦隊が事実上壊滅した大英帝国にとって黒海艦隊の地中海進出は何としても避けなければならなかった。しかし本国艦隊無き今、地中海艦隊は装甲巡洋艦主体で太刀打ち出来ない。東洋艦隊も装甲巡洋艦主体で地中海に戻すだけ意味が無い。イタリア王国も戦艦を保有してはいるが黒海艦隊に勝てるか怪しい。そこで英伊両政府は強力な海軍を有する同盟国に文字通り泣き付いた。桂総理はそれを受け御前会議で連合艦隊派遣について話し合うことにした。そして1903年9月20日に御前会議に於いて正式に連合艦隊の派遣を決定。更に第零軍団もイタリア王国のフランス共和国侵攻支援として派遣する事を決定。乃木司令官に帰国命令を出した。これにより第零軍団は10月8日に西海道釜山に到着、ここに待機していた輸送船団に乗り込んだ。そしてそのまま釜山を出航し連合艦隊と合流、一路地中海へ向かった。東郷司令長官と乃木司令官は再び協力して敵陣へと向かったのである。連合艦隊はかつてバルチック艦隊が来た反対周りで、長期航海を経てタラントに辿り着いた。寄港後直ぐに第零軍団は上陸。東郷司令長官と乃木司令官は固い握手を交わし、それぞれの任務に就いた。
第零軍団はそのまま鉄道に乗り込み、北上を開始しフランス共和国侵攻に加勢する事となった。連合艦隊は5日間の休養を終えると英伊両地中海艦隊との合同訓練を開始した。しかしその訓練中に「黒海艦隊が地中海に進入」との連絡がもたらされた。それを受け『連合国艦隊統合司令長官東郷麻美大将』は全艦に出撃命令を下した。連合国艦隊とは文字通り連合艦隊と、英伊両地中海艦隊をまとめたものである。その統合司令長官に東郷大将が就いた。白人が黄色人の指揮下に入る事となった。これには一部の兵が不満を漏らしたが、両地中海艦隊司令長官は黙らせた。英伊にとって連合艦隊は長期航海の末に駆け付けてくれた大切な援軍である。そこで長期航海に敬意を払うのと同時に、黒海艦隊に唯一対抗出来る連合艦隊を上位にし、東郷司令長官を統合司令長官に推薦したのである。これにより東郷司令長官は統合司令長官になった。そしてタラント港出撃から2日後、クレタ島西方150キロ地点で両艦隊が激突。『クレタ島沖海戦』が勃発。海戦は連合艦隊戦艦部隊と黒海艦隊戦艦部隊の砲撃戦から始まった。両艦隊の砲撃戦は凄まじく壮絶な撃ち合いとなった。同航戦の撃ち合いは続いたが黒海艦隊は進路を変更し、連合艦隊とは逆方向へ逃げようとした。しかしそれを阻止するべく分離した水雷部隊が、黒海艦隊の頭を抑える為に突撃した。その水雷部隊は英伊地中海艦隊である。東郷統合司令長官は両地中海艦隊の速力と雷撃能力に着目。同航戦でとにかく敵を圧倒する砲撃を加え、敵の進路を逆方向へ誘導する。そこへ水雷部隊が速力を活かして黒海艦隊の頭を抑えて雷撃、それに合わせて再び連合艦隊が砲撃を行うものである。序盤の砲撃戦で戦艦丹後を失うもロシア帝国海軍黒海艦隊を圧倒した。更に連合艦隊の戦艦を沈められた事を知った両地中海艦隊は仇討ちをするべく、勇敢に雷撃を敢行。数隻の装甲巡洋艦を黒海艦隊の砲撃で失ったが、彼女達の放った魚雷は多数が敵艦へ命中した。沈没は免れたものの大幅に速力を低下させた彼女達に、連合艦隊の女豹達が襲い掛かった。執拗な執着心を顕にしながら砲撃を続ける女豹達に、黒海艦隊は1隻毎に狩られていった。魚雷を撃ち尽くした両地中海艦隊も砲撃を開始。黒海艦隊は全面包囲の末に全滅した。連合国艦隊の被害は戦艦2隻、装甲巡洋艦5隻、これだけであった。イタリア王国海軍の戦艦も1隻が犠牲になった。この圧勝は連合艦隊将兵の士気を高め、英伊両地中海艦隊将兵も敬意を表した。この大勝利は世界中に伝わり「東郷提督が再び奇跡を起こした」と、東郷司令長官の名声は各国海軍将兵のみならず陸軍将兵にも轟いた。陸軍も敵が動揺している今が攻め時と攻勢を強めた。特に激しかったのはフランス共和国である。東郷司令長官と共闘しお互いに親友と認める、乃木司令官率いる第零軍団は各地でフランス共和国陸軍を圧倒した。黒海艦隊全滅の報に乃木司令官は笑みを浮かべた。そして直ぐ様イタリア王国陸軍司令官パール元帥に総攻撃を進言。パール元帥はそれを受け入れフランス共和国陸軍への総攻撃を命じた。その総攻撃にフランス共和国陸軍は撃破され占領されていった。オランダ王国陸軍とBEFの侵攻も激しさを増し、ドイツ帝国陸軍を圧倒していた。そして遂にベルリンまで80キロ地点まで侵攻する事に成功。しかしドイツ帝国陸軍もここが正念場と激しい抵抗を続けた。シベリア地方でもロシア帝国陸軍は連合陸軍に激しい攻撃を受け敗走していた。連合陸軍は更に侵攻を続け、レナ川以東の大部分を占領するに至った。枢軸国側全てが本土に侵攻され、一部が占領された事により国民の継戦意欲は大きく低下。枢軸国側3ヶ国は連合国側へ停戦を呼び掛け、アメリカ合衆国に講話の仲介を頼んだ。現場部隊でもそれぞれ停戦が成立。これにより世界で戦火が消えた。クレタ島沖海戦から丁度1ヶ月後の4月5日の事であった。