2;August 20 魔法使い 参戦(前)
時は8月、真夏の昼下がり。場所はとある地下カジノ。そこに小太りの男の姿があった。
男の名はミルチ。年は三十代半ばぐらいに見える。少し垂れた目に低い身長から、一見おっとりとした、言い方を変えれば間抜けなようにも見えるが、れっきとした魔法使いである。
ミルチはスーツで身を包んでいて、本来ならこんな物騒な場所でいるだけで違和感を感じるのだが、なぜここにいるかというと、それは彼が魔法使いであることに所以する。
※魔法使いとは、名の通り魔法を使う者のことである。
現実では魔法というだけで異常なようにもみられるが、魔法は魔力さえあれば誰でも使える代物で、裏社会では割と多くの人間が使用している。
ただしだれでも使えるといっても、唐突に魔法が使えるようになり、それを自由に使いこなせるようになるわけではない。それには、悪魔との契約が必要だ。
悪魔を呼び出すには、今自分の持っている魔力の半分を対価にする必要がある。だから魔力のないものには、絶対に魔法は使えない。
ミルチは重い足取りで、カジノの中心にある半円で真っ赤なカウンターに向かった。
「何か御用でございますか。お客様」
店員がこれでもかというほどの笑顔で声をかける。
「えぇ、ちょっと。わたしは山羊野さんに招待されたものですが」
ミルチが招待状を差し出すと、店員はやっときたかと安堵の表情を浮かべ、こう返した。
「ミルチ様ですね。お待ちしておりました。ではこちらに・・・」
すると店員はボタンのようなものを押す。
どうやらそれがスイッチになっていたらしく店員の近くの床がパカッと開き、そこには階段が見えた。どうやらさらに地下へとつながっているようだ。
「暗いので足元にはお気を付けください。しばらく進むと扉が見えて参ります。そこで山羊野様がお待ちになっています。では、行ってらっしゃいませ」
店員は、懇切丁寧に説明をし、階段に進むようにミルチに促した。
「感謝するよ」
小太りの魔法使いは感謝の言葉を述べ、階段へと足を運んだ―
◇◆◇◆◇◆◇
ミルチがカジノに着く数時間前 表通り、F銀行にて
「おまえらぁ。殺されたくなかったら金を出せぇええ!」
若い男が声を荒げる。
銀行の中には、覆面を被った男女十数人、銀行員、そして一般人数人。
そして謎の覆面集団は銃を片手に、他の人たちは両手を上に挙げている。
説明するほど難解な場面ではないが、わかりやすく言うなら銀行強盗。さらに付け加えるなら、覆面集団が強盗するほうで、銀行側が強盗されるほうだ。
この集団はここら辺の地域では割と名が知れていて、先週も三件強盗があった。もちろんこの集団の仕業だ。
強盗が多発しているのに、警備を怠ったこの銀行にも非があるだろ。主犯格の男、ロッダはそう考えた。
「有り金は全部入れろよ。後警察に電話したらただじゃおかねぇからな。お金だけに」
「・・・ロッダ、全然うまくねェから」
仲間の一人、ミサが突っ込む。
「で、できました」
銀行員の一人が、金を詰め込んだ袋をロッダに渡す。
「おう。どれどれ。あぁ!?足りねぇよ!オイオイこんなんで俺らを返す気かよ。前の銀行はこれの二倍くらい出してくれたぜ」
「え、いやもうなくて」
「ねぇじゃねーよ。ほら、わかってんだろ?」
ロッダは銃を突きつける。すると銀行員はあわてて金庫へ向かう。
「ったくよぉ。最近の若いやつは」
「おい、おっさん」
「あ?」
「お前のことだそこのハゲ」
「ンだとてめ・・・え?」
ロッダは唖然とした。いやロッダだけではなく、その仲間も、客も、銀行員も、この場にいるすべての人間が強面の男、ロッダの前に存在する「それ」に目を向けた。
仮に銀行強盗の現場に居合わせた勇敢な男がいたとしよう。ありえることだ。
そしてその男無謀にも強盗犯に向かって行ったとしよう。まぁ、あり得るかもしれない。
しかしそれが年端もいかない少年だとしたら?
そして「それ」はまさしく少年であった。
しばらくの沈黙の後、少年が口を開いた。
「金を返せ」
ロッダは呆気にとられていた。目の前の少年が無謀にも集団に立ち向かったことにではなく、自分より明らかに年下の少年が、ロッダに対して見下したような目で、しかも偉そうにしゃべってきたからだ。
「聞いてんのかゴリラ野郎」
ロッダの怒りパラメーターは着実に上昇していったが、こんな子供相手に本気になるなんて大人げない。あくまで紳士的な対応をしよう。こみ上げる怒りの中でロッダは考えた。
「どうしたんだい坊や?ヒーローごっこならおうちでママとやりまちょうね~。」
ただし、ロッダという低学歴男のできうる紳士的行動だ。
「あっはははははははははははははははははははははははははははあ」
上を向いて笑いだす者、腹を抱えて笑いだすも者、笑いながら指をさして転げまわる者。人それぞれだが、言うまでもなくそれはロッダ一味の者だけだった。
少年は黙り込む。
少年にロッダは顔を近づけて挑発した。
「さっきの威勢はどうしたよ。それてもあれか?びびって声も出ねぇってやつか?」
「臭い」
「あ?」
「だから臭いから近づくな」
一応言っておくと、ロッダの怒りパラメーターはとうに限界を超えていた。
「くそがきいいいい」
ロッダは自らの剛腕をその少年に振るった。
誰もが最悪の事態を想定した。
が、―
「な・・・に」
ロッダが渾身の力で放ったパンチは少年の小さな手のひらで受け止められていたなんて、だれが想像しただろうか。
「この俺様に拳を入れようとしてだけは評価する。
だが言ってしまうと、それだけの事だ」
少年は、拳を受け止めているほうの逆の手、つまり左手でロッダの手首のあたりに横一文字に爪で痕をつける。
そして―
「もげろ」
「え?」
その刹那、ロッダの右腕手首から先がなくなった。いや、言い方を変えると最初からそこには何も存在しなかったように、右手が在った空間にはきれいさっぱり何もなかった。
ロッダは呆然とする。ロッダだけでなくそこにいた全員がその場に立ち尽くすしかなかった。
「探し物はこれか?」
そして少年の手には右手が握られている。
大柄の男ロッダは何があったかを悟った。
「あ・・・」
少年は千切ったのだ。ロッダの腕を。
「いてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
ロッダの咆哮は、銀行の隅という隅に響き渡る。
「大丈夫か!」
仲間の一人がロッダに駆け寄る。
「くそっ。覚えてろよ」
あっけない幕切れだった。
少年は少しやりすぎたかな、と若干の反省をしていると、
ぱちぱち
一人が拍手する。すると一人、また一人と手を叩いた。
それは紛れもなく勇敢に戦った、小さな英雄に対する敬意だった。
「・・・」
しばらく拍手が鳴り響くと少年は手を挙げ、拍手を制した。
「この金は俺様がもらう」
え?
誰もが唖然とした。そして、その場にいた一人が思い出した。
少年は確かに言った。「金を返せ」と。
それは持ち主に金を返せという意味ではなく、おれの標的に手を出すなという意味。 つまり少年も「盗賊」だった。
しかし小さな英雄にそれを咎めない。・・・咎められない。
―情報屋にはめられたかと思ったがこれはこれで満足だ。久しぶりに魔法を行使できた。お金も手に入ったし。
少年は一人で納得する。
小さな魔法使いこと「盗み屋クレアナ」は、銀行を後にした。