1;August 22 殺し屋 仕事後
そこは何の変哲のないマンションの一室だった。
時はすでに深夜0時を回っている。そこに二人若い男女の姿があった。
男のほうは、壁際にある椅子に腰かけていている。
女のほうは、壁にもたれかかっていた。
ここまではなにもおかしくはない。普通だ。
この二人が深夜にこの部屋にいるのも、この二人の関係によって理由は異なるとしても、おかしな話ではない。これもまた普通。
しかし何かがおかしい。言葉で聴くだけなら、文字を読むだけなら、なにもおかしいことはない。が、
実際この部屋に訪れ、見た者は、間違いなく口をそろえてこう言うだろう。
――異常だ。
異常だった。何が異常かと問われるなら、まず一番の異常は、女の腹部に、ナイフが刺さっていることだ。?それはただの殺人現場。異常なことは何一つないじゃないかって?
そうではない。確かにナイフは刺さっていた。ただし、数十本。
数十本のナイフが女の腹を抉り、貫き、そして確実に女の命を射殺していた。
刺口からは夥しい量の血液が流れ、床を真っ赤に塗りたくる。
そして次の異常は、男だ。彼の手には、女に刺さっているナイフと同じ形のナイフが握られている。それは男がこの女を殺したという紛れもない真実を表している。
そして男の目の前には、何かが無造作に転がっていた。
色は赤。形はトマトをぐちゃぐちゃに潰したかのようで、とても強い咽かえるような臭い。これはまるで――
「腐ったイチゴだな」
口を開いた。誰が?この部屋には二人しかいない。
部屋の隅で丸椅子に座り、片手にナイフを握る男と、壁にもたれ、腹から血を流している女。そして女はすでに生きてはいない。
男は、道徳心というものがわからない。幼少の時、彼は初めて殺しをした。殺しといってもそんな大層なものではない。猫を一匹殺した、それだけのことだ。それだけのことだけど、彼は実感した。これが生きているということなんだと。生きていることの証明は死。死があることで生がある。言ってしまえば死がなければ、生きていることにはならない。もっとも彼が1年前に手合わせした吸血鬼は不老不死を有していたが・・・。
この考えを男は今でも変えていない。男にとって殺しとは、生を否定するものではなく、肯定するもの。女は殺されたのではなく、生かされたのだ。
すこしまわりくどくなってしまったが、結論から言うと、男の言う「腐ったイチゴ」は紛れもなく女の臓器だった。心臓があること自体異常だが、あと一つ以上があるとすればそれは男がそれらを見ても、何もアクションを起こさないことだった。
いくら殺す・・・否、生かすことに躊躇しないからといって、話は別だ。不快なものを見たら、気分が悪くなる、「これは「腐ったイチゴ」を見た、色が赤い、臭い、気持ち悪い」ではなく、「腐ったイチゴを見た」→「気持ち悪い」という、例えるなら反射、さらにわかりやすく言うなら人間的本能なのだ。それに耐えられるのは、何十年も経験を重ねているベタラン医師ぐらいだと思ったのだが・・・。
まぁここでは、男は「腐ったイチゴ」を幾度となく見てきたベテランの殺し屋だと理解することで妥協するとしよう。
コンコン
突然の来訪者。
こんな夜中に何の用だろうか。普通はそう思うのだが、その男はやはり異常だった。
「次来たやつが魔法使いだったら殺そう」
座っていた丸椅子からゆっくり立ち上がると、男は一歩、二歩と息を潜め、ドアの前に立つ。一度深呼吸をして、左手に持つナイフに力を込める。
そして勢いよく、ドアを開けると同時に左手のナイフを突き出した――